煙草屋さんと小説家

男鹿七海

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第十章

言葉にならない夜

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 夜風が商店街を抜けていき、霧弥の店先に吊るしたランプが、ぼんやりと歩道を照らしていた。
 霧弥はカウンターに肘をつき、組んだ手の上に顎を載せながら、龍二が戻ってくるのを待っていた。

「――今日も疲れたな」

 低い声と一緒に、ドアの鈴がかすかに鳴る。
 龍二は少し乱れたシャツの裾を整え、霧弥に向かってふっと笑った。

「霧弥、晩飯できてる?」
「もちろん。鍋、まだ温かいぞ」

 湯気の向こうで、霧弥はつい背筋を伸ばしてしまう。
 前に触れたときの龍二の手の温度が、まだ指先に残ったままだからだ。

 夕飯を取り分ける霧弥の手元を、龍二はじっと見つめていた。
 その視線に気づき、霧弥はお玉を握る指にほんの少しだけ力を込める。

「なんだよ。そんなに見るなって」
「いや……ただ見てたいだけ」

 何気ない一言のはずなのに、霧弥の胸がわずかに跳ねた。
 それを悟られたくなくて、視線を鍋に戻す。

 二人で食卓を囲むと、箸の音が静かに響いた。
 言葉を交わすより、互いの息遣いや手の動きのほうが、よほど近さを伝えてくる。

「霧弥」
「ん」
「……霧弥が、こうして目の前にいるだけでさ、なんか落ち着く」

 箸が止まる。
 ――落ち着く、だと?
 自分はこんなに心臓を鳴らしてるのに。
 だけど、その言葉がどこかくすぐったくて、悪くなかった。

「……そっか」霧弥は小さく漏らし、ほんの少しだけ口元が緩む。
 声にしなくても、少しずつ想いは伝わっていく。

 食後、二人はリビングで横に並んで座った。
 テレビの音が遠い場所から届いてくるように静かで、霧弥はふと龍二の手元を見る。
 気づけば手を伸ばし、彼の指先にそっと触れていた。

「……」
「……」

 握り返されはしなかった。
 それでも、触れた一瞬の温度が胸に沁みる。

 霧弥は視線を落とし、小さく息を整える。

「……まだ、返事はできねぇ」

 誰に向けてでもなく、ただ自分に言い聞かせるように。
 それでもこの夜、二人の距離は確かに、少しだけ近づいた。

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