煙草屋さんと小説家

男鹿七海

文字の大きさ
16 / 51
第十六章

夜の煙と、触れたい温度

しおりを挟む
 夜になり、商店街のざわめきがすっかり消えたころ。
 霧弥の煙草屋には、蛍光灯の白い光だけが静かに落ちていた。

 龍二は閉店作業を手伝いながら、カウンター横の棚を片付けている。
 霧弥はレジ締めを終え、ようやく椅子に腰を下ろした。

 ふっと息を吐いた、その直後――

 カチッ。

 ポケットから煙草を取り出し、火をつける。
 あまりに自然な動作で、それは呼吸の続きのようにも見えた。

 しばらくして、

 カチッ。

 一本吸い終えると、灰皿に押しつけ、そのまま次の一本に火をつける。
 煙が、ゆっくりと天井へ昇っていく。

 また――

 カチッ。

 三本、四本、五本。──そして六本目。

 手つきは落ち着いているのに、表情はどこか遠い。
 心の奥に、小さな波が立っているようだった。

 龍二は作業の手を止め、霧弥をそっと見た。

「……霧弥、吸いすぎだよ」

 霧弥は、言われて初めて気づいたように、自分の手元を見る。

「あ……悪い、無意識だった」

 少しの沈黙。
 それから、逃げるように言う。

「とりあえず、晩飯作る」

 煙草の火を消し、目を伏せた。

 龍二は、その横顔に言葉にならない違和感を覚える。

「いや……それより、何か、あった?」

 霧弥はすぐに答えなかった。
 平静を装っているが、内側だけがざわついているのがわかる。

 やがて、ぽつりと口を開いた。

「……今日、南雲さんが来ただろ」

「うん」

「別に嫌いじゃねぇよ。仕事もできるし、俺にもちゃんと礼儀正しいし……」

 一度言葉を切り、軽く舌打ちしてから、正直に吐き出す。

「……でもさ。ちょっと、邪魔された気がした」

 店の空気が、わずかに揺れた。

 龍二は驚くこともなく、静かに霧弥のそばへ歩み寄る。

「邪魔された、って……俺との時間を?」

「……そうだよ。昨日、あんなこと言い合ったのにさ。今日は普通に一緒に仕事の話してるし……」

 みっともない、と自分でもわかっている。
 だからこそ、声がわずかに震えた。

 龍二は責めることなく、ただ優しく霧弥を見る。

「霧弥」

「……なんだよ」

 椅子を引き寄せ、隣に腰を下ろす。
 触れるか触れないか、その距離。
 けれど、それがいちばん落ち着いた。

「南雲さんは仕事の人だよ。俺にとって大事なのは、霧弥だ」

「……わかってる」

「わかってても、不安になる日くらいあるだろ」

 霧弥は息を詰めた。
 煙草の匂いがふたりの間に満ち、静かな熱を帯びる。

 龍二は、もう一つ言葉を重ねる。

「今日、南雲さんと喫茶店で話しててさ。 “先生、赤城さんのところにいるときの方が表情が柔らかいですね”って言われた」

「……アイツ、そんなこと言ったのか」

「うん。それで思った。俺、本当は早く帰りたかったんだって」

 霧弥の胸が、どくりと鳴る。

「……なんでだよ」

「霧弥に、言えてないことがあったから。ここに戻って、隣に座りたかったから」

 霧弥は視線を逸らした。
 それだけで、胸の奥が熱くなる。

「霧弥が吸ってる煙草の匂い、俺……好きなんだ」

「……南雲さんの前じゃ、そんなこと言わなかったくせに」

「仕事の人に言うことじゃないだろ」

 小さな笑いが、静かに落ちた。

 霧弥は煙草を灰皿に押しつけ、ゆっくり息を吐く。

「……さっき、六本くらい続けて吸っただろ」

「うん、見てた」

「胸の奥のざわつき、煙で流そうとしてた」

 龍二は、切なそうに眉を寄せる。

「霧弥……」

「馬鹿だよな。煙吐いて楽になるなら、苦労しねぇ」

 そう言いながら、霧弥の指先は微かに震えていた。
 龍二は、その手のそばに自分の手を置く。

 触れはしない。
 けれど、逃げられる距離。

「無理に誤魔化さなくていい。俺、聞くから」

 一度瞬きをし、霧弥は喉を鳴らした。

「……昨日よりさ。今日の方が、怖ぇんだ」

「怖い?」

「昨日、あんなこと言っちまったから……龍二に嫌われねぇかって、逆に心配になって……」

 そんな弱音を口にした自分に、少し驚きながら。

 龍二は、そっと霧弥の手の上に指先を重ねた。

 吐息が、近くで混ざる。

「嫌いになるわけない」

「……」

「昨日の霧弥も、今日の霧弥も。ちゃんと大事だよ」

 霧弥は、握り返すか迷って――
 結局、逃げずに、その手を受け入れた。

 ほんの少しの触れ合い。
 それだけで、煙草より深い温度が胸に広がる。

「……龍二」

「なに?」

「明日も……ここに居てくれよ」

 龍二の目が揺れ、すぐに柔らかく細まる。

「勿論。霧弥が嫌じゃなければ、ずっと」

 霧弥は肩を震わせ、顔を背けた。

「嫌なわけねぇだろ……バカ」

 龍二は小さく笑い、もう一度その手を包む。

 夜の店内に、煙草の煙がゆっくり漂う。
 けれどそこには、もう焦りも不安もなかった。

 “隣にいる”という温度だけが、静かにふたりを包んでいた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

シンデレラは王子様と離婚することになりました。

及川 桜
恋愛
シンデレラは王子様と結婚して幸せになり・・・ なりませんでした!! 【現代版 シンデレラストーリー】 貧乏OLは、ひょんなことから会社の社長と出会い結婚することになりました。 はたから見れば、王子様に見初められたシンデレラストーリー。 しかしながら、その実態は? 離婚前提の結婚生活。 果たして、シンデレラは無事に王子様と離婚できるのでしょうか。

恋の闇路の向こう側

七賀ごふん
BL
学校一の優等生として過ごす川音深白には、大切な幼馴染がいる。 家庭の事情で離れ離れになった幼馴染、貴島月仁が転校してくることを知った深白は、今こそ昔守られていた恩を返そうと意気込むが…。 ──────── クールで過保護な攻め×完璧でいたいけど本当は甘えたい受け

【完結済】25億で極道に売られた女。姐になります!

satomi
恋愛
昼夜問わずに働く18才の主人公南ユキ。 働けども働けどもその収入は両親に搾取されるだけ…。睡眠時間だって2時間程度しかないのに、それでもまだ働き口を増やせと言う両親。 早朝のバイトで頭は朦朧としていたけれど、そんな時にうちにやってきたのは白虎商事CEOの白川大雄さん。ポーンっと25億で私を買っていった。 そんな大雄さん、白虎商事のCEOとは別に白虎組組長の顔を持っていて、私に『姐』になれとのこと。 大丈夫なのかなぁ?

【完結】孤高の皇帝は冷酷なはずなのに、王妃には甘過ぎです。

朝日みらい
恋愛
異国からやってきた第3王女のアリシアは、帝国の冷徹な皇帝カイゼルの元に王妃として迎えられた。しかし、冷酷な皇帝と呼ばれるカイゼルは周囲に心を許さず、心を閉ざしていた。しかし、アリシアのひたむきさと笑顔が、次第にカイゼルの心を溶かしていき――。

恋い焦がれて

さとう涼
恋愛
小学校時代の担任教諭・佐野に七年ぶりに再会し、話の流れで佐野の恋人へのエンゲージリングを選ぶために一緒にジュエリーショップに行くことになってしまった二十歳の女子大学生・輝。 最初はそんなつもりはなかったのに、次第に佐野を意識してしまうようになり、自分でも困惑してしまう。 必死に自分の想いを打ち消そうとする輝。 だけど佐野も恋人との関係に悩んでいるようで、複雑な想いを抱え続けることになる。 そんな輝を見守る(ちょっかいをかける?)バイト先の店長。 さらに佐野の恋人は意外な人物で、輝は大混乱。 ※ドロドロではなく純愛系を目指していますが、ビターテイストなお話です ※理想的で格好いいヒーローではありません(…すみません) ※調べながら執筆をしているのですが、無知なところも多々あるので、間違っているところがありましたら教えてください。ツイッターでも受け付けています。 https://twitter.com/SATORYO_HOME

貧乏大家族の私が御曹司と偽装結婚⁈

玖羽 望月
恋愛
朝木 与織子(あさぎ よりこ) 22歳 大学を卒業し、やっと憧れの都会での生活が始まった!と思いきや、突然降って湧いたお見合い話。 でも、これはただのお見合いではないらしい。 初出はエブリスタ様にて。 また番外編を追加する予定です。 シリーズ作品「恋をするのに理由はいらない」公開中です。 表紙は、「かんたん表紙メーカー」様https://sscard.monokakitools.net/covermaker.htmlで作成しました。

【完結】俺はずっと、おまえのお嫁さんになりたかったんだ。

ペガサスサクラ
BL
※あらすじ、後半の内容にやや二章のネタバレを含みます。 幼なじみの悠也に、恋心を抱くことに罪悪感を持ち続ける楓。 逃げるように東京の大学に行き、田舎故郷に二度と帰るつもりもなかったが、大学三年の夏休みに母親からの電話をきっかけに帰省することになる。 見慣れた駅のホームには、悠也が待っていた。あの頃と変わらない無邪気な笑顔のままー。 何年もずっと連絡をとらずにいた自分を笑って許す悠也に、楓は戸惑いながらも、そばにいたい、という気持ちを抑えられず一緒に過ごすようになる。もう少し今だけ、この夏が終わったら今度こそ悠也のもとを去るのだと言い聞かせながら。 しかしある夜、悠也が、「ずっと親友だ」と自分に無邪気に伝えてくることに耐えきれなくなった楓は…。 お互いを大切に思いながらも、「すき」の色が違うこととうまく向き合えない、不器用な少年二人の物語。 主人公楓目線の、片思いBL。 プラトニックラブ。 いいね、感想大変励みになっています!読んでくださって本当にありがとうございます。 2024.11.27 無事本編完結しました。感謝。 最終章投稿後、第四章 3.5話を追記しています。 (この回は箸休めのようなものなので、読まなくても次の章に差し支えはないです。) 番外編は、2人の高校時代のお話。

明日のために、昨日にサヨナラ(goodbye,hello)

松丹子
恋愛
スパダリな父、優しい長兄、愛想のいい次兄、チャラい従兄に囲まれて、男に抱く理想が高くなってしまった女子高生、橘礼奈。 平凡な自分に見合うフツーな高校生活をエンジョイしようと…思っているはずなのに、幼い頃から抱いていた淡い想いを自覚せざるを得なくなり…… 恋愛、家族愛、友情、部活に進路…… 緩やかでほんのり甘い青春模様。 *関連作品は下記の通りです。単体でお読みいただけるようにしているつもりです(が、ひたすらキャラクターが多いのであまりオススメできません…) ★展開の都合上、礼奈の誕生日は親世代の作品と齟齬があります。一種のパラレルワールドとしてご了承いただければ幸いです。 *関連作品 『神崎くんは残念なイケメン』(香子視点) 『モテ男とデキ女の奥手な恋』(政人視点)  上記二作を読めばキャラクターは押さえられると思います。 (以降、時系列順『物狂ほしや色と情』、『期待ハズレな吉田さん、自由人な前田くん』、『さくやこの』、『爆走織姫はやさぐれ彦星と結ばれたい』、『色ハくれなゐ 情ハ愛』、『初恋旅行に出かけます』)

処理中です...