煙草屋さんと弾丸。─獣になりかけた恋人と、婚姻弾の物語─

男鹿七海

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黒角と津田家

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 路地を塞ぐように、巨大な影が立ちふさがっていた。
 そいつは他の獣人とは明らかに違う、異様な圧をまとっている。

 黒い毛並み。
 硬質な一本角。
 そして――血のように濁った赤い瞳。

 凛が俺の袖を掴む。
 伸びかけた爪とは裏腹に、その触れ方は震えていた。人間のままの震えだった。

「……黒 くろづの角。どうして……あいつまで……」

 その声の震えに、無理もないと思う。
 黒角は獣人の中でも“最高戦力”と呼ばれる存在だ。
 数こそ少ないが、戦闘力は通常の獣人の三倍以上。

 さっき追われていた連中でも十分に厄介だった。
 だが――黒角が出てきたとなれば、逃げるだけでは済まない。

 じわりと、黒角の気配が肺を押しつぶすように迫ってくる。

「……いかせ……ない……」

 獣の喉奥で潰れたような、低く濁った声が体中に刺さる。

(やべぇ……!)

 凛が俺の手を痛いほど握る。

「龍之介……だめだよ、あれは……!」

「大丈夫だ。ここじゃ戦わねぇ」

 俺は凛の肩を抱え、黒角とは逆方向へ走り出した。
 細い裏階段を駆け上がる。

 黒角の巨体なら、この狭さには苦戦するはずだ。
 ――そう思った矢先。

「……どけェ……!」

 黒角が吠えた瞬間。コンクリートの壁が粉塵を上げて砕け散った。

 凛が悲鳴をあげ、俺にしがみつく。

(嘘だろ……!?)

 本来なら進入不能の狭い路地を、壁ごと押し潰しながら突っ込んでくる。

「龍之介逃げて逃げて!!」

「逃げてるって!!」

 こうなったら、親父と母さんの店――津田家の本店まで全力で走り抜けるしかない。

 階段を駆け上がり、屋根へ飛び移る。
 一か八かだが、凛に変化し始めた身体能力を使ってもらうしかない。

「凛、ここから二段飛びだ!」

「う、うん……!」

 凛は軽く跳躍し、屋根の縁を掴む。
 動きはもはや人間じゃない。
 けど完全な獣人でもなく――その“中途半端さ”が危うかった。

 着地で足が滑る。

「凛っ!!」

 俺は手を伸ばし、凛の腕を掴んで引き上げた。

「……っ、ありがと……!」

「気をつけろ! 無茶すると進行が早まる!」

「わかってる! でも急がなきゃ……追いつかれる!」

 振り返ると黒角は――壁を爪で引っかきながら、獣みたいに屋根へ登ってきていた。

(屋根も来れるのかよ……!)

 普通の獣人なら時間がかかる。
 だが黒角は違う。壁を足場にして、まるで地面のように登ってくる。

 それと同時に凛の息が乱れ始めた。

「龍之介……耳が、痛い……足も……うまく……!」

 獣人化の痛み――始まってる。

(マズい……時間がねぇ)

 津田家の本店まであと五百メートル。
 今の凛の体力じゃ、追いつかれる可能性が高い。

「凛、もう無理すんな! 俺の背中に乗れ!」

「は!? む、無理! あたし重――」

「いいから乗れ!!」

 半ば強引に持ち上げると、驚くほど軽かった。(軽くなったんじゃない。骨格が変わり始めてるんだ)

 凛は俺の首にしがみつき、必死に体を固定する。

「龍之介……ホントごめん……」

「謝んな! 生きて帰るぞ!」

 黒角の咆哮が迫る。

 路地を抜けると、見慣れた古い木造の店が視界に入る。

 津田本店。俺の実家だ。

 表向きは煙草屋。裏では婚姻弾の正式技師――親父がいる。

(間に合えッ!!)

 戸を蹴り開ける。「親父!! 母さん!!」

 声が店の奥まで響く。

 すぐに現れるのは、藍色のエプロンを締めた男。
 目つきは鋭く、無駄のない立ち姿。
 煙草屋の主人というより、鍛え抜かれた兵士のようだ。

 津田辰巳。俺の親父。

「龍之介……その背中は……」

 凛の獣耳を見た瞬間、親父の目が細くなった。

 続いて奥から慌ただしい足音。

「凛ちゃん!? まさか……!」

 柔らかな茶髪を束ねた、しかし瞳に情報屋の鋭さを宿した女性。

 津田葵。俺の母さん。

「凛が噛まれた! 耳と肩が変わってきてる!黒角に追われてる!!」

 母さんの顔が一瞬で蒼白になる。
 だがすぐに、仕事の顔に戻った。

「辰巳、裏の小屋へ。鍵を閉めて!」

 親父が頷く。

「葵、準備を――。黒 アイツ角……距離は?」

「五十メートル!!」

 俺が叫ぶと、親父の眉がわずかに跳ねた。

「……まずいな」

 母さんは凛を抱き寄せる。「凛ちゃん、しっかり……もう少しだけ我慢してね。すぐに押さえるから」

 凛は息を震わせ、母さんの胸に縋った。「……葵さん……こわい……っ……」

「怖くていいの。怖いって言えるうちは、まだ“人間”だから」

 その言葉に、凛が息を詰まらせる。

 ――ズシン……ッ。

 外が揺れた。

(来た……)

 黒角が店先に現れる。赤い瞳が店の奥の俺たちを射抜く。

 親父は無言で小銃を構えた。
 婚姻弾を装填済みの正式な銃。

 その立ち姿は、獣の前に立つ処刑人のようだ。

「……龍之介」

 その声はあまりにも低かった。

「凛ちゃんを助けられるかどうかは……
 お前の“覚悟”次第だ」

 呼吸が止まる。

 母さんが静かに続けた。

「凛ちゃんの獣人化を止められるのは…龍之介、アンタと凛ちゃんだけ。本物の婚姻弾を作るしかないのよ」

 凛の瞳が大きく揺れる。

「……龍之介……?」

 外で黒角が咆える。

 残された時間は、ほとんどない。

 親父の目が、まっすぐ俺に突き刺さる。

「龍之介。お前はあの子を――妻にする覚悟があるのか?」


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