煙草屋さんと弾丸。─獣になりかけた恋人と、婚姻弾の物語─

男鹿七海

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黒角、討つべき相手

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 小屋の扉を勢いよく押し開けた瞬間、湿った夜風が叩きつけるように吹き込んできた。

 家の前の通りは、もう見る影もなかった。
 地面には深いひびが走り、木の看板は無残に砕け、折れた街灯がうつむくように倒れている。
 その上に、灰色の空が重くのしかかっていた。

 そして、その荒れ果てた道のど真ん中に――黒角が立っていた。

 身長はゆうに二メートルを超え、黒曜石みたいな毛並みが月の光をはじいている。
 額の巨大な角が、ギラついた光をまとっていた。

 その赤い眼が、ゆっくりと、俺と凛をとらえる。

「……ヨウヤク……ヨウヤク……ツカマエタ……」

 濁った低音が通り全体を震わせた。

 親父――辰巳は、店の前の瓦礫の上で膝をつきながら銃を構えている。
 息が荒い。
 左腕の袖は破れ、血が滲んでいた。かなり追い詰められたのだろう。

 その後ろに立つ母さん――葵は、短刀を握りしめながらも、
 ちらりとこちらを振り返り、不安と緊張が入り混じった目を向けてきた。

「龍之介、凛ちゃん……!」

 俺は手の中の弾丸を握り直す。
 熱い。
 掌の中から、赤い光がじわじわと漏れていた。
 まるで魂が発火しているみたいだ。

 その光に惹かれるように、凛がそっと寄り添う。

「龍之介……私、まだいける……まだ“人でいられる”。いられるうちに……終わらせたい」

 震える足を、凛は一歩踏み出した。
 耳はもう完全に獣のそれになっているのに、
 声には、揺るがない意志が宿っていた。

「龍之介。婚姻弾を銃に込めろ。その銃は、お前たちの“夫婦の証”だ」

 親父が血を拭って、銃を投げてよこす。
 俺は片手で受け取り、素早く弾を装填した。

 ――カチリ。

 噛み合った瞬間、銃身が赤く脈打つ。

 凛は俺の腕に寄り添い、震える指先でそっと触れてくる。

「行こう、龍之介。……私、アンタの横がいい」

 心臓が跳ねる。
 その言葉を噛みしめながら、俺は前へ踏み出した。

 黒角が吠えた。

「ホンモノ……ノ……ニオイ……オマエラ……ッ……ケッコン……シタ……ノカ……!」

 地面が揺れるほどの怒号。

 親父が低く言う。「黒角……奴は“婚姻弾を狙う獣人のボス”だ。婚姻弾の作り方を欲しててな。凛ちゃんを追ってたのも、そのせいだ」

 母さんが続ける。

「黒角がここまで暴走したのは……たぶん凛ちゃんを噛んだ時からよ」

 俺は凛の手をぎゅっと握り直す。

「……アイツだったのか。お前をこんな目に遭わせたのも……全部」

 怒りが、胸の底で静かに燃え上がる。

 黒角が角を地面に突き立て、低く身を沈めた。
 突進の構えだ。

「タバコ屋……情報屋……ケッコン……スレバ……
 ワレラ……キエル……!イラナイ……!オマエラ……ワレラ……ノ……テキィィィィィ!!」

「来るッ!!」

 黒角の巨体が、弾丸みたいな速度で迫ってくる。

 ――その瞬間。

 凛が俺の腕にしがみつき、叫んだ。

「龍之介ッ!!!! 撃って!!」

 俺は凛を抱き寄せ、銃を構える。

 距離が縮まる。

 十メートル。
 五メートル。
 三メートル――

(間に合え……!)

 胸が焦げつくように熱い。
 俺たち二人の気持ちが、誓いが、
 赤い弾丸に集まっていくのがわかった。

 そして、

「撃てええええええッ!!」

 引き金を引いた。

 轟音。
 閃光。
 赤い奔流が、まっすぐ黒角へ突き刺さる。

 ――その一瞬だけ。
 周りの時間が止まったように感じた。

 赤い光の中で、凛の姿が“完全な獣人”へと変わる。

 狼の耳。
 鋭い爪。
 尾。
 黄金の瞳。

(……凛……!)

 だがその獣の姿は、光の中でゆっくりと溶けはじめた。
 婚姻弾――獣化を逆転させる弾。
 黒角へ命中した途端、その効果が凛にも波及したのだ。

 黒角の胸が赤く爆ぜた。

「グオオオオオォォォォッ!!」

 毛が逆立ち、角にひびが入り、赤い瞳が濁っていく。
 黒い巨体は灰色の粒となって崩れはじめた。

「……まさか……オレガ……コロ……サレル……ト……」

 黒角はふらつきながら、こちらを見た。
 光に飲まれながら、嗄れた声を残す。「……ナゼ……ソレヲ……“ウツ”……ナゼ……ツクル……」

 俺は凛の肩を抱き寄せたまま、静かに答えた。

「……守りたいものがあるからだ」

 黒角の赤い瞳が、ほんの一瞬だけ細められた。

「……ソウ……カ……オレモ……ムカシ……ハ…………」

 そのまま言葉は風に溶け、
 黒角は光の粒子として消え去った。

 静寂が戻る。

 俺は凛を支えたまま、その場に座り込んだ。

「……凛……!」

 凛の耳がゆっくりと人間の形に戻っていく。
 毛が薄れ、爪は短くなり、黄金の瞳が深い黒へと沈んでいった。

 母さんが駆け寄り、息を呑む。

「……戻ってる……! 凛ちゃん、人に戻ってるわ!」

 凛は震えながら俺にしがみついた。

「っ……龍之介……アンタが……守ってくれた……
 私……もう……大丈夫……?」

 俺は強く、彼女を抱きしめる。

「ああ。もう噛まれねぇ。もう一人にもさせねぇ。
 ……俺の嫁を、誰にも傷つけさせねぇ」

「……っ……!」

 凛は顔を手で覆って泣き出した。

 親父は涙を隠すようにそっぽを向き、母さんは胸に手を当てて静かに涙をこぼす。

 夜風がゆっくりと弱まり、街はようやく息を取り戻した。

 黒角は倒れた。
 だが――これは終わりじゃない。

 婚姻弾を狙う者は、黒角だけじゃない。
 この闘いは、まだ“序章”にすぎなかった。

 そして、凛と俺の“夫婦の生活”も――

 ここから始まったばかりだ。

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