9 / 20
仇
白廻の音、凛の牙
しおりを挟む
白い霧の中で、 凛は俺の手を強く握り返し、必死に呼吸を整えていた。
反響―― 俺と凛が同じ呼吸を刻むことで、 白廻の音が作る歪みは、かろうじて相殺されている。
霧の向こうで、白廻は焦った様子を一切見せず、 ただ興味深そうにこちらを“聴いて”いた。「……面白いわね」
声が、霧を撫でるように届く。
「音の迷宮を、呼吸で突破するなんて。やっぱり……葵の息子」
凛が鋭く言い返す。「黙れ……!アンタに、龍之介のことを語る資格なんかない!」
白廻は目を細めた。 その視線が、凛の全身をなぞる。
「その言い方……」
霧が、わずかに揺れる。
「貴方、もう“戻れない側”の匂いがするわね?」
凛の表情が、一瞬だけ硬直した。
俺も気づく。 凛の手の甲―― 産毛のようだったものが、はっきりとした毛に変わり始めている。
(まずい……)
白廻は、それを見逃さなかった。
「ねえ、凛ちゃん」囁くような声。
「怖がってるふりは上手だけど…… 本当は、気づいてるでしょう?」
凛の耳が、ぴくりと動いた。
「力が欲しいって思ってる。“守れる力”を」
「……っ……!」
凛が言い返そうとした、その瞬間。
白廻が、軽く指を鳴らした。
――チリン。
澄んだ鈴の音が霧に染み込み、凛の身体が反射的に跳ねる。
「っ……!」凛が膝をついた。
耳の付け根が、 白銀色に変わり、熱を帯びていく。
白廻は、ゆっくりと歩み寄る気配を見せた。
「獣人化はね……恐怖だけじゃ、ここまで来ないの」
言葉は少ない。だが、その一言が、凛の身体を正確に抉った。
「欲望よ。特に――守りたい誰かがいるとき」
凛の肩が、びくりと震えた。
俺はすぐに隣へしゃがみ込み、凛の手を包むように握る。
「聞くな。凛」
声を落とし、呼吸を合わせる。
「俺の音だけ聞け」
凛の瞳が揺れ、必死に俺の呼吸を追いかける。
「……うん…… 分かってる……。龍之介の音なら……迷わない……」
その様子を見て、白廻は楽しそうに口元を歪めた。
「恋愛感情って、残酷よね」
霧の中で、彼女の声だけが鮮明になる。
「心が一つになるほど、獣の本能は“守る理由”を得る。 獣人側からすれば……最高の養分」
凛が歯を食いしばる。「違う……! 私たちは、そんな――!」
言葉より先に、凛の爪が、俺の服を掴んでいた。
白廻は首を横に振る。
「否定するほど、身体は正直ね」
次の瞬間。
――カラン。
金属が床に落ちるような音が響いた。
霧が裂け、黒い影が飛び出す。
「!!」
獣人―― 白廻の配下。倒したはずの三体が、もう立ち上がっている。
(再生が、早すぎる……!)
白廻が淡々と言った。
「実験体よ。壊れても、また動く。さあ……続けましょう」
黒い獣人たちが、一斉に跳ぶ。
「龍之介!!」
俺は腰のホルスターから、無弾の小銃を抜いた。
(撃てない……だが――)
銃身を握り、 最初の獣人の顎へ叩き込む。
鈍い音とともに、獣人が吹き飛ぶ。
だが、背後。
(――間に合わな――)
凛が飛び出し、俺の前に立ち塞がった。
獣の爪と化した指先が、二体目の顔面を裂く。
赤い飛沫。
凛の呼吸は荒く、もう人のリズムではなかった。
「……龍之介に、触るな」
白廻が、はっきりと息を呑んだ。
「……素晴らしい」
凛は振り返り、俺を見て、かすかに笑う。
「大丈夫…… 意識、ある…… 私は……まだ、私……」
俺は凛の肩を掴む。
「無理するな!これ以上――」
凛は、俺を庇うように一歩前へ出た。
言葉はなく、その背中が答えだった。
(……戻れないところまで、来ている)
白廻が、再び指を鳴らす。
――チリン。
凛の耳が跳ね、背中に白い毛が走る。
凛が震えながら、俺に縋りつく。
「龍之介……お願い…… 離れないで…… 離れたら……私……」
俺は、凛を抱きしめた。
「離れねぇよ」
白廻が霧の中で歩き出す。
「もう十分よ」
その声に、凛の身体が強張る。
「凛ちゃん。貴方は……完成に近い」
凛の指が、俺の背に食い込む。
「怖い……でも…… 龍之介だけは……!」
白廻の声が、甘く響いた。
「獣の愛は、純粋なの」
凛の瞳が完全な黄金に染まり、 牙が伸びる。
凛の顔が、俺の首元へ近づく。
噛む寸前。
「……龍之介、 逃げて……」
「逃げるかよ」
凛の爪が震え、俺の背に血が滲む。
白廻が囁く。
「噛んでいいわ。 それが……貴方の救い」
凛が叫ぶ。
「違う!!私は……獣になりたくない!! でも……龍之介を……!」
俺は凛を強く抱き締めた。
「いいんだ。 守らなくていい」
その瞬間―― 凛の牙が、止まった。
白廻が目を見開く。
「……止まった……?」
凛は涙で顔を濡らし、俺の胸に顔を埋める。
「どうして……逃げないの……!」
「泣いてるからだ」
霧の中で、白廻が静かに息を吐いた。
「……なるほど」
そして、微笑む。
「なら―― 私が噛むわ」
その瞬間、階下から母さんの叫びが響いた。
「龍之介!! 凛ちゃんを離して!!白廻が“本気”で来る!!」
――チリン。
鈴の音。
霧が、一気に濃くなる。
白廻の気配が消えた。
凛が息を飲む。
「……来る……!」
そして―― “真の白廻”が、音もなく俺たちの背後に立っていた。
その牙は、凛へ向けられていた。
反響―― 俺と凛が同じ呼吸を刻むことで、 白廻の音が作る歪みは、かろうじて相殺されている。
霧の向こうで、白廻は焦った様子を一切見せず、 ただ興味深そうにこちらを“聴いて”いた。「……面白いわね」
声が、霧を撫でるように届く。
「音の迷宮を、呼吸で突破するなんて。やっぱり……葵の息子」
凛が鋭く言い返す。「黙れ……!アンタに、龍之介のことを語る資格なんかない!」
白廻は目を細めた。 その視線が、凛の全身をなぞる。
「その言い方……」
霧が、わずかに揺れる。
「貴方、もう“戻れない側”の匂いがするわね?」
凛の表情が、一瞬だけ硬直した。
俺も気づく。 凛の手の甲―― 産毛のようだったものが、はっきりとした毛に変わり始めている。
(まずい……)
白廻は、それを見逃さなかった。
「ねえ、凛ちゃん」囁くような声。
「怖がってるふりは上手だけど…… 本当は、気づいてるでしょう?」
凛の耳が、ぴくりと動いた。
「力が欲しいって思ってる。“守れる力”を」
「……っ……!」
凛が言い返そうとした、その瞬間。
白廻が、軽く指を鳴らした。
――チリン。
澄んだ鈴の音が霧に染み込み、凛の身体が反射的に跳ねる。
「っ……!」凛が膝をついた。
耳の付け根が、 白銀色に変わり、熱を帯びていく。
白廻は、ゆっくりと歩み寄る気配を見せた。
「獣人化はね……恐怖だけじゃ、ここまで来ないの」
言葉は少ない。だが、その一言が、凛の身体を正確に抉った。
「欲望よ。特に――守りたい誰かがいるとき」
凛の肩が、びくりと震えた。
俺はすぐに隣へしゃがみ込み、凛の手を包むように握る。
「聞くな。凛」
声を落とし、呼吸を合わせる。
「俺の音だけ聞け」
凛の瞳が揺れ、必死に俺の呼吸を追いかける。
「……うん…… 分かってる……。龍之介の音なら……迷わない……」
その様子を見て、白廻は楽しそうに口元を歪めた。
「恋愛感情って、残酷よね」
霧の中で、彼女の声だけが鮮明になる。
「心が一つになるほど、獣の本能は“守る理由”を得る。 獣人側からすれば……最高の養分」
凛が歯を食いしばる。「違う……! 私たちは、そんな――!」
言葉より先に、凛の爪が、俺の服を掴んでいた。
白廻は首を横に振る。
「否定するほど、身体は正直ね」
次の瞬間。
――カラン。
金属が床に落ちるような音が響いた。
霧が裂け、黒い影が飛び出す。
「!!」
獣人―― 白廻の配下。倒したはずの三体が、もう立ち上がっている。
(再生が、早すぎる……!)
白廻が淡々と言った。
「実験体よ。壊れても、また動く。さあ……続けましょう」
黒い獣人たちが、一斉に跳ぶ。
「龍之介!!」
俺は腰のホルスターから、無弾の小銃を抜いた。
(撃てない……だが――)
銃身を握り、 最初の獣人の顎へ叩き込む。
鈍い音とともに、獣人が吹き飛ぶ。
だが、背後。
(――間に合わな――)
凛が飛び出し、俺の前に立ち塞がった。
獣の爪と化した指先が、二体目の顔面を裂く。
赤い飛沫。
凛の呼吸は荒く、もう人のリズムではなかった。
「……龍之介に、触るな」
白廻が、はっきりと息を呑んだ。
「……素晴らしい」
凛は振り返り、俺を見て、かすかに笑う。
「大丈夫…… 意識、ある…… 私は……まだ、私……」
俺は凛の肩を掴む。
「無理するな!これ以上――」
凛は、俺を庇うように一歩前へ出た。
言葉はなく、その背中が答えだった。
(……戻れないところまで、来ている)
白廻が、再び指を鳴らす。
――チリン。
凛の耳が跳ね、背中に白い毛が走る。
凛が震えながら、俺に縋りつく。
「龍之介……お願い…… 離れないで…… 離れたら……私……」
俺は、凛を抱きしめた。
「離れねぇよ」
白廻が霧の中で歩き出す。
「もう十分よ」
その声に、凛の身体が強張る。
「凛ちゃん。貴方は……完成に近い」
凛の指が、俺の背に食い込む。
「怖い……でも…… 龍之介だけは……!」
白廻の声が、甘く響いた。
「獣の愛は、純粋なの」
凛の瞳が完全な黄金に染まり、 牙が伸びる。
凛の顔が、俺の首元へ近づく。
噛む寸前。
「……龍之介、 逃げて……」
「逃げるかよ」
凛の爪が震え、俺の背に血が滲む。
白廻が囁く。
「噛んでいいわ。 それが……貴方の救い」
凛が叫ぶ。
「違う!!私は……獣になりたくない!! でも……龍之介を……!」
俺は凛を強く抱き締めた。
「いいんだ。 守らなくていい」
その瞬間―― 凛の牙が、止まった。
白廻が目を見開く。
「……止まった……?」
凛は涙で顔を濡らし、俺の胸に顔を埋める。
「どうして……逃げないの……!」
「泣いてるからだ」
霧の中で、白廻が静かに息を吐いた。
「……なるほど」
そして、微笑む。
「なら―― 私が噛むわ」
その瞬間、階下から母さんの叫びが響いた。
「龍之介!! 凛ちゃんを離して!!白廻が“本気”で来る!!」
――チリン。
鈴の音。
霧が、一気に濃くなる。
白廻の気配が消えた。
凛が息を飲む。
「……来る……!」
そして―― “真の白廻”が、音もなく俺たちの背後に立っていた。
その牙は、凛へ向けられていた。
0
あなたにおすすめの小説
結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?
おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました!
皆様ありがとうございます。
「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」
眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。
「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」
ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。
ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視
上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
番ではなくなった私たち
拝詩ルルー
恋愛
アンは薬屋の一人娘だ。ハスキー犬の獣人のラルフとは幼馴染で、彼がアンのことを番だと言って猛烈なアプローチをした結果、二人は晴れて恋人同士になった。
ラルフは恵まれた体躯と素晴らしい剣の腕前から、勇者パーティーにスカウトされ、魔王討伐の旅について行くことに。
──それから二年後。魔王は倒されたが、番の絆を失ってしまったラルフが街に戻って来た。
アンとラルフの恋の行方は……?
※全5話の短編です。
強面夫の裏の顔は妻以外には見せられません!
ましろ
恋愛
「誰がこんなことをしろと言った?」
それは夫のいる騎士団へ差し入れを届けに行った私への彼からの冷たい言葉。
挙げ句の果てに、
「用が済んだなら早く帰れっ!」
と追い返されてしまいました。
そして夜、屋敷に戻って来た夫は───
✻ゆるふわ設定です。
気を付けていますが、誤字脱字などがある為、あとからこっそり修正することがあります。
あなたが後悔しても、私の愛はもう戻りません
藤原遊
恋愛
婚約者のアルベルトは、優しい人だった。
ただ――いつも、私より優先する存在がいただけで。
「君は分かってくれると思っていた」
その一言で、リーシェは気づいてしまう。
私は、最初から選ばれていなかったのだと。
これは、奪われた恋を取り戻す物語ではない。
後悔する彼と、もう戻らないと決めた私、
そして“私を選ぶ人”に出会うまでの、静かな恋の終わりと始まりの物語。
『お前を愛する事はない』なんて言ってないでしょうね?
あんど もあ
ファンタジー
政略結婚で妻を娶った息子に、母親は穏やかに、だが厳しく訊ねる。
「『お前を愛する事は無い』なんて言ってないでしょうね?」
政略結婚の相手に見向きもされません
矢野りと
恋愛
人族の王女と獣人国の国王の政略結婚。
政略結婚と割り切って嫁いできた王女と番と結婚する夢を捨てられない国王はもちろん上手くいくはずもない。
国王は番に巡り合ったら結婚出来るように、王女との婚姻の前に後宮を復活させてしまう。
だが悲しみに暮れる弱い王女はどこにもいなかった! 人族の王女は今日も逞しく獣人国で生きていきます!
完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました
らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。
そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。
しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような…
完結決定済み
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる