煙草屋さんと弾丸。─獣になりかけた恋人と、婚姻弾の物語─

男鹿七海

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婚姻弾の正体

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 白廻の牙が迫る。
 霧の中では、音も影も、距離さえ掴めない。

 凛が身を翻すより早く、俺は凛を引き寄せ、そのまま床を転がった。

 次の瞬間、床を抉るような甲高い音が響く。
 白廻の牙は、ほんの数センチの差で、俺たちを外した。

「しぶといわね、龍之介」

 声だけが霧を揺らす。姿は見えない。
 凛は俺にしがみつき、細かく震えていた。

 凛の呼吸は荒く、瞳は黄金色に染まりきっている。
 獣と人の境界は、もうどこにもなかった。

「龍之介……っ……怖い……怖いよ……。でも……離れた方が……アンタは……」

「離れねぇ」

 凛の爪が、背中に食い込む。
 痛みが走ったが、気にしなかった。抱き直し、胸に強く引き寄せる。

(凛は、俺を守るために獣になろうとしている。でも――完全に獣化したら、戻れない)

 霧が揺れ、白廻の声が静かに落ちてきた。

「獣人化にはね、“完成の合図”があるのよ。葵なら、知っているでしょう?」

 階段の途中から、母さんの声が飛ぶ。

「凛ちゃん、聞いちゃダメ!白廻は“噛ませて完成させる”つもりなの!」

 霧の奥で、白廻が薄く笑った気配がした。

「ええ、そうよ。最終段階は“愛情の高まり”。好きな相手を噛めば、獣人化は完成する」

 一拍置いて、囁くように続ける。

「貴方たち……見れば分かる。互いを守りたくて、仕方がない」

 凛の身体が、びくりと跳ねた。

「違う……!噛みたくない……!でも……守りたい……!」

「その葛藤こそが、資質よ。凛ちゃん、貴方は特別に強い。黒角よりもね」

 母さんが短刀を構え、叫ぶ。「白廻!アンタの目的は何!?なぜ婚姻弾を奪うの!」

 霧の向こうで、白廻が目を細めた気配がした。

「簡単よ。獣人を“人に戻す弾”なんて……私は許さない」

 空気が、凍りつく。

「そんなものがあれば、獣人は捨てられる。社会に都合よく組み込まれて、繁殖まで管理される」

 凛の瞳が揺れた。

「そんな……誰も……そんな風に……」

 白廻の声が、わずかに震える。

「私はね、“獣人化の被害者”なのよ。昔……葵、貴方が引き金だった」

 母さんの顔が強張る。

「……白廻……」

「貴方が放った婚姻弾の余波で、私は巻き込まれた。耐性なんてない、普通の子供だったのに」

 母さんの顔から、血の気が引いた。

「……そんな……」

「だから奪うの。消すの。同じものが、二度と生まれないように」

 凛は涙をこぼし、俺の胸に額を押しつけた。

「龍之介……どうしよう……。もし噛んだら……完成しちゃう……。でも……守りたい……」

 俺は彼女の頬に手を添える。

「凛。噛まなくていい」

「でも!!アンタが死んじゃう!!龍之介が死んだら……私……!!」

「――じゃあ、俺を噛め」

 凛の動きが止まった。

 霧の奥で、白廻が息を呑む。

「龍之介……?」

「噛んでいい。完成しても、俺は受け止める。怖くない」

 凛は首を振り、震えながら目を伏せる。「やだ……そんなの……。アンタが……死んじゃう……」

「死なねぇ。お前が噛んでも、俺は離れない」

 白廻の叫びが霧を裂いた。

「やめなさい!!噛ませたら――もう戻れない!!」

 その瞬間、母さんが叫ぶ。

「違う!!婚姻弾には……“続き”がある!!」

 白廻が振り向く。

「……何?」

 母さんの声は震えていた。

「婚姻弾は、命を分け合う儀式なの。本物の夫婦だけが扱える。互いの命を、互いに渡すから」

 一呼吸置いて、言い切る。

「二人が互いを選べば……、獣でも人でもない、第三の姿になれる」

 俺は凛の手を握った。

「凛。俺と……夫婦になりたいか」

 凛は涙に濡れたまま、俺を見上げる。

 獣の耳も、金色の瞳も、そのままで――それでも、凛だった。

「……なりたい……。アンタと……夫婦になりたい……。もっと早く、言えばよかった……」

 俺は凛を抱き寄せる。

「じゃあ、噛め。俺は、ここに居る」

 凛の牙が、俺の肩に触れ――

「やめろおおおおおお!!」

 白廻の絶叫と同時に、二人の呼吸が重なり、心臓の鼓動が共鳴した。

 血が巡り、赤い光が弾ける。

 ――婚姻弾の意味は、ただ一つ。

 互いの命を分け合う、真の婚姻。

 霧が裂け、白廻の身体が吹き飛ばされた。

 光の中で、凛の姿が変わる。
 耳は残り、尻尾も消えない。
 瞳だけが、柔らかな琥珀色に落ち着いた。

 獣でも人でもない。
 俺と共鳴した、新しい姿。

 白廻は地面に座り込み、震えながら涙を流した。

「……そんな……こんなふうに……許されるなんて……」

 俺は凛の前に立つ。

「許すとかじゃない。凛は凛だ。獣でも人でも関係ない」

 凛が、俺の手を握る。

「俺の嫁だ」

 白廻は、涙混じりに笑った。

「……葵……貴方の息子……ずるいわ……優しすぎる……」

 母さんがそっと白廻を抱きしめる。

「ごめんね……。責任は、私にある」

 凛が俺の肩に額を預ける。

「龍之介……戻ってきた……?」

「ああ。おかえり、凛」

「……ただいま」

 外の霧が晴れ、街に静寂が戻る。

 婚姻弾は消えたわけじゃない。
 本当の意味で、生まれ直しただけだ。

 俺と凛は命を分け合い、もう二度と、離れられない。

 物語は、ここで終わらない。
 けれど――戦いは、確かに終わった。

 次は。
 俺たちの、日常だ。




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