死神は悪役令嬢を幸せにしたい

灰羽アリス

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[45]ミッション⑧失敗?

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 体の力が抜け、よろよろと壁によりかかる。

 私、本当はショックだった。信じていたビクターに、裏切られていたんだと思って。

 だけど、すべてはアシュリーの嘘。

 それがわかって、今とても安心している。

 ああ、どうして疑うということをしなかったのかしら。あの天使のような笑顔のせい?

 まんまと騙されて、一人で盛り上がってビクターを責めて。

 恥ずかしい……! 
 今すぐ消えてなくなってしまいたい……!

「なぁ、」

 ごめんなさい、呆れないで。怒らないで。貴方に拒絶されて弱ってて、それで思考力が低下して、何が本当の事なのか判断できなくなっていたの。弱ってるところに付け込まれただけなのよ……!

 頭の中では高速で言い訳が飛び交っているのに、口はただパクパクするだけで言葉を紡がない。

「お前、びしょ濡れじゃねぇか!」

「へ?」

 言うが早いか、ビクターはタオルで私の髪や顔を拭きだした。

 そういえばあの教会から逃げ出してからずっと、びしょ濡れのままだった。ぜんぶ、ビクターのせいよ。だけどそのビクターに甲斐甲斐しく世話を焼かれてる。それがたまらなく恥ずかしい。

 もうやだ、泣きそう。

「もうっ、自分で拭くから。あっちへ行って!」

 押しのけると、ビクターの服もぐっしょりと濡れているのに気づいた。よく見れば、髪からも雫が落ちている。今の今まで、雨の中で私を探していたのかもしれない。こんなことで幸せを感じてしまうのだから、ほとほと自分が嫌になる。

「私はいいから、貴方も拭いて」

 タオルを押し付けるも、

「えぇ、いいよ、ほっときゃ乾く」

「だめよ。風邪を引くでしょう」

「俺は引かない」

「それでも、そんな恰好でいられると私が落ち着かないのよ。だからちゃんと拭いて」

「じゃあ、お前が拭いてくれ」

 そう言って、ずいと濡れ頭を向けてくる。

 また、そうやって………

 貴方はついさっき、『俺を好きになるな』って私に命令したのよ? だったらそんな態度を取るべきではないわ。これじゃあ益々意識してくれって言っているようなものよ。

 変わらない。変わらないんだわ。私の気持ちを知っても、ビクターの態度は以前と何も変わらない。距離感が近く、無遠慮。まるで私の告白なんてなかったみたいに。彼を少しも動揺させられない自分が腹立たしい。それなのに、変わらない彼の態度が嬉しいと思う気持ちもあって………

「──しかたないわね。そこに座って」

 一人がけの椅子に腰掛けるビクターの後ろに回って、頭にタオルをかける。水分を吸い取るように手を動かせば、タオルはすぐに重くなった。

「しかし、貴族令嬢に奉仕されるとは贅沢な気分だな」

 ───また、だわ。

「貴族令嬢って言うのはやめて」

 ビクターは時々、貴族と平民を線引きするような物言いをする。『お前もやっぱり、貴族の女なんだな』そう言って私を突き離す。自分だって神様で、貴族よりずっと偉い存在のくせに、まるで自分が人間で、それも平民であるかのように、私との間に線引きをする。
 そういえば、ビクターは平民の生活にやたらと詳しいし、裏町の女性たちとも仲が良いようだった。平民に混じって遊んでいるうちに、平民よりの考え方をするようになった、といったところかしら。
 
「事実だろ」
 
「それでも、嫌なの」

 ビクターと一緒にいると、私は一人じゃないのだと安心する。少なくとも、ビクターだけは私の味方であると。
 でも、こんなふうに線引きされると、気づいてしまう。ビクターと私は利害関係で繋がっているだけ。私はやっぱりひとりぼっち。そう唐突に気づいて、寂しい気持ちになる。
 
「貴族ってのも、お前の個性の一つには変わりないだろう? 今のお前を創ってきた大事な要素だ。どの個性も、欠ければお前じゃなくなる」

「───そうね。でも、それでも、お願い」

「はいはい、わかったよ。それでお前が納得するなら」

「ありがとう」

 それから……
 そんなことより、もっと他に言うべきことがある。

「ごめんなさい、ビクター」

「なにが」

「アシュリーの話を簡単に信用して、貴方を疑ってしまって──もう、絶対に貴方を疑ったりしないから。私は貴方を信じてるわ」

「───ああ」

 ビクターはくすりと笑った。

「もう知らない人に付いて行っちゃだめだぞ?」

 そんな、小さい子に言い聞かせるみたいに。恥ずかしさを隠すために、むぅ、と唇を尖らせる。

「意地悪ね。これからは十分気をつけるわ」

「そうしてくれ。これで後腐れなしだ。もう気にするな」

 まだ罪悪感は消えない。どうして愛する人を信じてあげられなかったのかしら。ふざけた事を言わないで、そう怒鳴ってアシュリーの顔に紅茶を浴びせて帰ってくるくらいしてもよかった。

 ビクターの首元、濡れた髪を、指先ですくい上げる。くるくると回せば指に絡みついた。

「髪、伸びたわね。邪魔じゃない? 切ってあげましょうか?」

 沈みかけた気分を変えるため、明るく言った。

「いや、いい。伸ばすことにしたから」

「そう?」

「お前はこの黒髪、好きなんだろう?」

「ええ、好きよ。とても綺麗だと思うわ」

 そういえば、司祭様には怖がられていたわね。黒髪を見ると、敬虔な教会信者みんなああなるのかしら。『悪魔だ』なんて酷いわ。その騒ぎの隙を突いて逃げ出した私も私だけど……ますます教会が嫌いになりそう。

「だから伸ばすと決めた」

「え──」

 いま、なんて?

 たしか、私がその黒髪を綺麗だと、好きだと言ったから、だからビクターは髪を伸ばすことに決めたって………

 なにそれ、それって、なんだか───

 ドキドキと期待に胸が高鳴る。

「ねぇ、ビクター」

 我慢ならず、ビクターの正面に回り、彼の膝に身を投げだした。

「貴方、たぶん私が好きなのよ」

「は?」

「まだ気づいてないだけ? それとも、気持ちを隠してる?」

「アホか。何を言い出す───」

「決めたわ、私。死ぬまでに絶対、貴方に私を好きって言わせてみせるんだから」

「ハァ!?」

 おかしいと思ったのよ。私の見立てでは、ビクターも少しくらいは私に気があるはずだったもの。

「8つ目の命令は無効よ!覚悟なさい!手始めに、そうね──」

 ビクターのお面に手をかけ、口もとだけずらす。そして思いっきりキスをした。

 ぷは、と顔を離せば、ビクターのわずかに見える頬や首元が真っ赤になっているのが見て取れた。

「なにをするッ」

「大好きよ、ビクター」

「………!?!」

 ビクターは挙動不審。すごく気分がいい。
 彼を翻弄しているのは私。その事実にぞくぞくする。貴方が悪いのよ。私をこんな大胆な女に育てたのだから。ええ、貴方の言うとおり"わがままに"生きてやるわ。
 にやり、とこれみよがしに笑った。
 

 アシュリーから貰ったネックレスは、その日のうちにテラスから庭へと投げ捨てた。

 

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