鬼哭島変異譚~君といつまでも~

柚鷹けせら

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 武尊には見えていなかった。
 俺にはあんなにはっきりと見えていたのに。

「聖?」
「っ……え、っと……」

 動きが早かったから?
 それとも俺の頭が前にあったから。
 音は。
 いや、音なんてしていたかな。
 俺も聞いてない気がする。屋根の上を驚いて駆け抜けていったように見えたのに、あれは足音なんて一つも立ててはいなかった。
 なんで。
 どうして。
 意味が判らない。
 心臓がイヤな速度で動いている。

「聖」
「っ……」

 武尊の声にも心臓が跳ねる。
 落ち着かないまま彼を見上げたらこちらを心配する視線と絡んで、いま自分がどんな顔をしているのか不安になった。いままでの経験則からいって彼に嘘や誤魔化しは通じない。そんなことをしたらますます心配させるだけだ。
 かと言って自分でも実際に何があったのか判らない。
 どう説明したら彼を安心させられるのか。 

「……黒い生き物が、動いたように見えたんだ。でも、足音なんてしなかったし、何か、影を、見間違えたのかも」

 うん、言葉にしたら本当にそんな気がして来た。
 月が出ているし、街灯だってある。
 夜に飛ぶ鳥だっているんだから、そういう影が屋根に映ったのかもしれない。
 きっとそうだ。

「心配させてごめん。もう、大丈夫」
「……おまえが納得しているなら良いが、話したい時はいつでも聞くから」

 武尊の大きな手に、髪をわしゃわしゃと掻き乱すように撫でられた。
 うん。
 判ってた。
 結局心配掛けたみたいで申し訳なくなるけど、同時に心強くもあって、あんなに騒がしかった心臓が落ち着いていく。
 大丈夫。
 もう、本当に大丈夫だ。

「そのときは頼むね」
「ああ」

 やっと普通に笑えたら武尊からも笑みが返って来て嬉しくなる。
 こういう時にやっぱり武尊は特別だって思う。
 好きだな、って。
 心の中でだけなら――。

「おまえら、俺のこと忘れてるだろ」
「っ」

 幸大の声でハッとし、自分の手の位置に気付いて慌てて引いた。やばい。無意識で武尊に触ろうとしてたよ。しかも頭上からは舌打ちみたいな……え。舌打ち?

「そういうことは俺もいないところでやってくれ」
「なっ……別に、何も」
「放っておけ。揶揄ってるだけだ」
「から……」
「ふはっ。相変わらずだなぁ」

 幸大は楽しそうに笑い、武尊は俺の背中を優しく叩いてから元の場所に戻っていった。そんな武尊に幸大が言う。

「で? 外に何か居たのか?」
「さあ。俺には判らなかったが何かはいたらしい」
「鬼とか」

 そう言う幸大の顔がやっぱり楽し気だから、今度こそ揶揄っているのは丸判りだ。
 俺は窓の近くで熱くなっていた顔を覚ましながら参加する。

「鬼って、あれは昔話だろ」
「まあ全部が実話ではないだろうけど、そう思わせる何かがあったから語り継がれているんだろうし」
「あー……そうなのかな」
「たぶんな」

 シャープペンシルを手先で回していた幸大は、ふと思いついたように空白だったレポート用紙に「鬼」と書き込んだ。

「ああ、うん、これなら書けるかも」
「……マジか」

 目が輝き出した幸大に、武尊が驚いたように身を乗り出す。

「よし。今日の作業に関しては結人たちが充分書いたんだから俺らはこっちで纏めようぜ」
「こっち」
「鬼と、遺跡と、絵本でどうだ」
「だが絵本は手元にないし、遺跡は眉唾だろ」
「それでもいいさ。六人全員が似たり寄ったりのレポートを出すより面白そうだ。あと二日あるんだし、今日は謎の提起、明日は調査、明後日結論。どうよ」
「調査といっても……あ、明日の朝って走る?」
「走る」
「え。まさか今でも走ってんの?」
「部活止めたからな」
「言えよ! 俺いつも一人で……あ、……あー……そういうことか。俺、明日は寝坊しよっかなぁ」
「どっちでも」
「久々だし一緒に走ろうよ。なんでわざと寝坊するみたいなこと言ってんの?」

 言ったら、幸大が吹き出した。
 武尊は我関せずといった様子でレポート用紙の自分のスペースに「遺跡」って書き込んでいる。ってことは俺が「絵本」かな。
 武尊が「遺跡」を担当するなら尚のこと明日の朝が大事だ。

「島の地図って、確か学校で配られた資料の中にあったよな。遺跡ってどんな場所にあるかな。明日のランニングコースにして、少し調べてみよう」

 荷物の中からバインダーを取り出して、ちゃぶ台の上で地図を広げる。
 歩いても数時間で一周出来てしまう小さな島。
 住んでいる約千人の人々は唯一の町にほぼ全員が集まっていて、言い換えれば人の出入りがない土地が多いということだ。

「この辺に道あんのかな……こんな事なら柿下さんに聞いときゃ良かった」
「……さすがにこの時間にメッセージ送るのはダメか」

 武尊がスマホで時間を確認しながら呟く。
 うん、それでなくても今日一日、俺たちの世話をしてくれて疲れているだろうし。

「とりあえず、港から此処まで歩いて来た道には何もなかったし、明日の朝はこう走って、休憩時間にでも柿下さんにこの辺に道があるか確認して、最終日の朝のコースを決めるって感じでどうだ」
「ああ」
「良いと思う」
「結人たちはどうすっかな」
「少なくとも結人は誘っても来ないよ。朝ダメだから」

 断言したら、武尊も幸大も「だよな」と。
 伊達に中学校三年間を一緒に過ごしていない。

「颯真と晴也には聞いてみるか」
「晴也にはあいつの推察をレポートに書く許可も貰わないとな」

 鬼は、実は外国人のことじゃないかって言い出したのは晴也だから否やはない。俺は絵本を手に入れたい。本があるところと言えば本屋、図書館……小学校や中学校の図書室。明日の午前中は学校近くのシェルターで今日終わらなかった作業の続きをすることになる。昼休憩の時に見せて欲しいと頼んだら許可は出るだろうか。
 そんな希望や、予定も含めて手を動かせば、さっきまでの焦燥が嘘だったみたいにレポート用紙の空白が埋まっていった。
 コインランドリーで洗濯を終えた結人、晴也、颯真が戻って来たのは二十一時に近く、階段を上がって来る足音が部屋の中に居ても聞こえて来た。
 それは隣を間借りしている教師陣も同じだったようで、

「こんな時間まで出歩いていたのか?」
「コインランドリー行ってました!」
「あぁそういうことか。もう出歩くなよ。お疲れさん」
「はーい」
「センセ方もお疲れ様~」
「おやすみなさい」

 そんな遣り取りの途中で玄関扉が開いた。
 窓を開けていたのも会って、冷たい風が室内を吹き抜けた。外の気温は五℃くらいだろうか。友人たちが湯冷めしないと良いのだけれどと思いつつ窓を閉める。

「おかえり」
「おつー」
「ただいま! 寒い!」
「暖かい麦茶でも淹れようか?」
「お願いっ」

 麦茶のパックは自宅から幾つか持ち込んでいるので、鍋に水を張って煮出す。
 その間に幸大はさっきの許可を晴也に取り、明日の朝一緒に走るかを聞いている。

「それって何時起き?」
「俺は普段は六時だが」
「同じく」

 幸大と武尊が言うと、晴也は「無理!」と即答。
 颯真も「走らない」とはっきり。
 結人が嬉しそうに頷いている。

「これひぃちゃんのジャージと下着。こっちたけちゃんの。置いとくよ」
「ん、ありがとう」
「助かった」
「どういたしまして~。これこうちゃんのね」
「おう。サンキュー。コンビニには面白いのあったか?」
「……家の近所にあるコンビニと変わらなかった」
「ははっ、だろうな」
「あ、でも冷蔵コーナーに魚が売ってたのは面白かった」
「しかも切り身じゃなく一尾丸ごとな!」
「へぇ。島のコンビニも二十四時間営業なのかな」
「ううん、二十三時までだって。朝は六時からって言ってた」

 結人が喋っている横で、颯真が同じ内容をレポート用紙に書き込んでいく。
 情報大事。
 この土地ならではのものなら猶更だ。

「オレも朝走れたら鬼の昔話の検証加わるのにさぁ」
「まとめは一緒にやろう。そっちも手伝うし」
「おう」

 温かな麦茶を出す頃にはそういう感じに話が纏まっていて。

「ありがと。さーーー飲み物も来たことだし! おやつもいっぱい! パジャマパーティー始めよっか!」

 結人の宣言に、だけど俺は。

「こんな時間からお菓子なんて食べないよ」
「へ?」
「俺も要らん」
「ちょっと?」
「俺も遠慮するわ」
「こうちゃんまで! ひどくない? こんな時でないと出来ないんだから付き合ってよ!」
「オレは付き合うぜ」

 キランと輝かんばかりの笑顔でサムズアップする晴也。
 一方でさっさと布団を敷こうとしているのが颯真だ。

「……僕は端っこで寝させてもらうんで、どうぞごゆっくり」
「そうちゃん⁉」
「菓子はともかく、俺らもまだ寝ないけど」
「明るくてもうるさくても眠れるのでお構いなく。洗面所借ります」
「ええぇぇぇ……」

 ガッカリしている結人を気の毒には思うけど、ああしてはっきりと自分の意思を声に出してくれる颯真には安心させられた。
 なんせ結人は押しが強い。
 俺は慣れているし、押し負けそうになっても武尊に助けられて難を逃れられるから良い。武尊は最初から相手にする気がなく、幸大はなんだかんだで結人に甘い。
 晴也とはまだ短い付き合いだけど、見ている分には結人と相性が良さそうなので心配ないかなって。
 だから、颯真が割を食わずに済むのは嬉しい。

「お菓子はいらないけど話には付き合うから」
「ええぇぇ」
「我儘言うな」

 幸大も呆れつつ会話には混ざる構えだ。
 結人もそれで諦めたらしい。

「あぁもーはるちゃん、ポテチ食べよ!」
「食う食う」
「……おまえらよく食う気になるな」
「なるよ! だって今日と明日だけなんだよ? 特別だよ?」
「だよな!」
「ねー!」

 息ピッタリの結人と晴也。
 本当に良いメンバーが揃ったものだと思いながら、この日は日付が変わる少し前まで盛り上がり、颯真は宣言通りぐっすりと寝入っていた。
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