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第2章 横井和音編
隻腕のピアニストが奏でる曲は
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放課後、寮へ帰ろうとするマリさんが、別のクラスの子に呼び止められた。
「他にやることがあるから」
と、マリさんは帰っていった。
呼び止めていたのは文芸部の堀戸志代さん。中等部でマリさんと一緒に文芸部に入っていたのだという。高等部でも文芸部に入ると思っていたのだが、マリさんは入部してくれないのだという。
寮へ戻り、部屋でマンガを読んでいるとピアノの音が響いてきた。音は食堂の方から聞こえてくる。
食堂へ行くとマリさんが電子キーボードを弾いていた。
「あっ、音、うるさかった? ゴメンネ、ヘッドホンつけるね」
「いや、構わないよ。そのまま聴いていたいし。マリさん、ピアノ弾けるんだね」
「今はドミソだよ」
後藤茉莉さんは、女子寮の他の生徒五人分の記憶と人格を持っている。今はその中の一人、二年生の横井和音先輩の人格みたいだ。
「ピアノはね、小さい頃からやってたんだよ。寮にはピアノは置けないから電子キーボードで代用してるんだよ」
話をしながらでも演奏する指は止まらない。
「ホントいうとドミソ、バイオリンを習いたかったんだ。でも、お姉ちゃんがピアノ習ってて、もう家にピアノがあったら、新しくバイオリンを買ってもらうのもどうかなと思って、『ドミソ、ピアノ習いたーい』なんて心にもないこと言っちゃって。
で、始めたら始めたで面白くなって、それからずっとピアノ一本」
左右の指が別々の動きをする。僕にはとても真似できそうもない。
流れるような演奏に突然の違和感。一ヶ所音が変だった。素人でも分かる。
「また、失敗……。指が上手く動かないんだよね」
そう言って、右手をじっと見ていた。
後藤茉莉さんの体は六人分の部位でなりたっている。左腕はドミソ先輩。右腕は僕の幼馴染のエリちゃん。
ドミソ先輩は傍らにあったペンを左手で掴んで振り上げた。
「こんな右腕……」
「わっ、わっ、ちょっと待って」
今にも右腕にペンを突き刺そうという感じだったので慌てて左手を掴んで止めた。
「他人の腕なんだから仕方がないよ。練習すれば思った通りに動かせるようになるよ。……そう、リハビリが必要なんだよ」
「そうだね、これはエリちゃんの右腕だったよね。せっかく綺麗に残ったのに傷つけちゃったりしたらダメだよね……」
気を取り直したドミソ先輩はピアノの練習を再開した。やはりところどころ高音部分をミスるようだ。
それから数日後の日曜日。ドミソ先輩が家に戻りたいと言い出した。
「やっぱりたまには家のピアノを弾いてみたいな。幾太君、家に行くの付き合ってよ」
特にやることもなく、友達と言える人は後藤茉莉さん(代表)しかいない僕。ドミソ先輩についてドミソ先輩の家に行くことにした。
人格はドミソ先輩と言っても、顔は後藤茉莉さんだ。そこは秘密にして、あくまで学校の後輩という立場で行くことにした。なので、ドミソ先輩のお母さんとの対応はマリさんが行うことになった。
「あの子の部屋はそのままになっています」
ドミソ先輩のお母さんに連れられた部屋にはピアノが置いてある。
「これがピアノ? オルガンみたいだね」
「幾太君が想像しているのはたぶんグランドピアノね。そんなのが置けるのはかなり裕福な家じゃないとムリムリ。これは電子ピアノ。電気がないと鳴らないピアノ」
マリさんは時計を見て「そろそろかな……」と呟いた。
「ちょっとピアノ弾かせてもらってもいいですか?」
「え? えぇ、構いませんけど」
マリさんは目を瞑り大きく深呼吸をした。再び目を開けると人格が代わっていた。
おそらくドミソ先輩と入れ替わったのだろう。
ドミソ先輩はピアノの前に座り、鍵盤の蓋を開けた。
ドミソ先輩は練習していた曲を弾き始めた。
やはり高音部でよく間違えていた。
一曲弾き終ると、部屋の入り口に人影があった。
「あら、律夢、帰ってたの?」
「ピアノの音がしてたんで、そーっと入ってきちゃった。ひょっとして和音のお友達?」
「あっ、はい。ドミソ先輩の後輩の入江幾太と、後藤茉莉です」
「和音の姉の律夢です。妹のためにわざわざありがとうございます」
律夢さんの顔を見たドミソ先輩は、またピアノを弾きだした。
ポーン、ポーンとゆっくりとした音を二、三聞いただけで「あっ、この曲……」と律夢さんは何を弾いているのか分かったらしい。
そして、律夢さんはピアノの方へ歩いていき、ドミソ先輩の隣に座った。
隣に座るのを予想していたように、ドミソ先輩はあらかじめ椅子の左端に座っていた。
律夢さんが一緒に弾きはじめると、ドミソ先輩は右腕を引っ込めて左腕だけで弾き始めた。
曲が段々と早くなってくる。僕も聞いたことがある曲だ。題名は知らないが。
変則的な三本腕の連弾。
曲を弾き終ると、律夢さんの目には涙が溢れていた。
「この曲、よく妹と一緒に練習した曲なんです。今のように連弾をして……」
「『ラプソディー・イン・ブルー』ドミソ先輩がお姉さんとよく弾いていたって言っていました」
人格はマリさんに戻っていた。
「また弾きたいって言っていたのを聞いていたので……」
「ありがとうございます。娘が帰ってきたみたいでした」
「うっ、うっ」
律夢さんは何かを言いたそうだが声にならない嗚咽を漏らしていた。
ドミソ先輩の家からの帰り道、しばらくダンマリだったマリさんの口が開いた。
「ドミソ先輩、春休みにお姉さんと喧嘩したんだって。高等部に上がるのに何にもお祝いしてくれないって。お姉さんはエスカレーター式だから祝うまでもないでしょって感じで、それがドンドン険悪になって……それで喧嘩したまま寮に来たんだって。それを気にしてたみたいで。いつも日曜日のあの時間にお姉さんがピアノ教室から帰ってくるから、それを見計らって……」
「違うの違うの。電子キーボードだけだとつまんないから、家のピアノが弾きたかっただけだよ」
突然、ドミソ先輩の人格が出てきた。
「幾太君、今日は付き合ってくれてアリガトね」
ドミソ先輩の左手が僕の頬に触れる。左手は優しく触れながらも、僕が逃げられないように抑え込んだ。そうして、ドミソ先輩は僕の方へと顔を近づけ、頬にキスをした。
「これは付き合ってくれたお礼だよ」
ドミソ先輩の左手は、僕の左顎を小指、薬指、中指、人差し指の順でピアニッシモに弾いていき、離れていった。
僕の鼓動はフォルテッシモを奏でていた。
「他にやることがあるから」
と、マリさんは帰っていった。
呼び止めていたのは文芸部の堀戸志代さん。中等部でマリさんと一緒に文芸部に入っていたのだという。高等部でも文芸部に入ると思っていたのだが、マリさんは入部してくれないのだという。
寮へ戻り、部屋でマンガを読んでいるとピアノの音が響いてきた。音は食堂の方から聞こえてくる。
食堂へ行くとマリさんが電子キーボードを弾いていた。
「あっ、音、うるさかった? ゴメンネ、ヘッドホンつけるね」
「いや、構わないよ。そのまま聴いていたいし。マリさん、ピアノ弾けるんだね」
「今はドミソだよ」
後藤茉莉さんは、女子寮の他の生徒五人分の記憶と人格を持っている。今はその中の一人、二年生の横井和音先輩の人格みたいだ。
「ピアノはね、小さい頃からやってたんだよ。寮にはピアノは置けないから電子キーボードで代用してるんだよ」
話をしながらでも演奏する指は止まらない。
「ホントいうとドミソ、バイオリンを習いたかったんだ。でも、お姉ちゃんがピアノ習ってて、もう家にピアノがあったら、新しくバイオリンを買ってもらうのもどうかなと思って、『ドミソ、ピアノ習いたーい』なんて心にもないこと言っちゃって。
で、始めたら始めたで面白くなって、それからずっとピアノ一本」
左右の指が別々の動きをする。僕にはとても真似できそうもない。
流れるような演奏に突然の違和感。一ヶ所音が変だった。素人でも分かる。
「また、失敗……。指が上手く動かないんだよね」
そう言って、右手をじっと見ていた。
後藤茉莉さんの体は六人分の部位でなりたっている。左腕はドミソ先輩。右腕は僕の幼馴染のエリちゃん。
ドミソ先輩は傍らにあったペンを左手で掴んで振り上げた。
「こんな右腕……」
「わっ、わっ、ちょっと待って」
今にも右腕にペンを突き刺そうという感じだったので慌てて左手を掴んで止めた。
「他人の腕なんだから仕方がないよ。練習すれば思った通りに動かせるようになるよ。……そう、リハビリが必要なんだよ」
「そうだね、これはエリちゃんの右腕だったよね。せっかく綺麗に残ったのに傷つけちゃったりしたらダメだよね……」
気を取り直したドミソ先輩はピアノの練習を再開した。やはりところどころ高音部分をミスるようだ。
それから数日後の日曜日。ドミソ先輩が家に戻りたいと言い出した。
「やっぱりたまには家のピアノを弾いてみたいな。幾太君、家に行くの付き合ってよ」
特にやることもなく、友達と言える人は後藤茉莉さん(代表)しかいない僕。ドミソ先輩についてドミソ先輩の家に行くことにした。
人格はドミソ先輩と言っても、顔は後藤茉莉さんだ。そこは秘密にして、あくまで学校の後輩という立場で行くことにした。なので、ドミソ先輩のお母さんとの対応はマリさんが行うことになった。
「あの子の部屋はそのままになっています」
ドミソ先輩のお母さんに連れられた部屋にはピアノが置いてある。
「これがピアノ? オルガンみたいだね」
「幾太君が想像しているのはたぶんグランドピアノね。そんなのが置けるのはかなり裕福な家じゃないとムリムリ。これは電子ピアノ。電気がないと鳴らないピアノ」
マリさんは時計を見て「そろそろかな……」と呟いた。
「ちょっとピアノ弾かせてもらってもいいですか?」
「え? えぇ、構いませんけど」
マリさんは目を瞑り大きく深呼吸をした。再び目を開けると人格が代わっていた。
おそらくドミソ先輩と入れ替わったのだろう。
ドミソ先輩はピアノの前に座り、鍵盤の蓋を開けた。
ドミソ先輩は練習していた曲を弾き始めた。
やはり高音部でよく間違えていた。
一曲弾き終ると、部屋の入り口に人影があった。
「あら、律夢、帰ってたの?」
「ピアノの音がしてたんで、そーっと入ってきちゃった。ひょっとして和音のお友達?」
「あっ、はい。ドミソ先輩の後輩の入江幾太と、後藤茉莉です」
「和音の姉の律夢です。妹のためにわざわざありがとうございます」
律夢さんの顔を見たドミソ先輩は、またピアノを弾きだした。
ポーン、ポーンとゆっくりとした音を二、三聞いただけで「あっ、この曲……」と律夢さんは何を弾いているのか分かったらしい。
そして、律夢さんはピアノの方へ歩いていき、ドミソ先輩の隣に座った。
隣に座るのを予想していたように、ドミソ先輩はあらかじめ椅子の左端に座っていた。
律夢さんが一緒に弾きはじめると、ドミソ先輩は右腕を引っ込めて左腕だけで弾き始めた。
曲が段々と早くなってくる。僕も聞いたことがある曲だ。題名は知らないが。
変則的な三本腕の連弾。
曲を弾き終ると、律夢さんの目には涙が溢れていた。
「この曲、よく妹と一緒に練習した曲なんです。今のように連弾をして……」
「『ラプソディー・イン・ブルー』ドミソ先輩がお姉さんとよく弾いていたって言っていました」
人格はマリさんに戻っていた。
「また弾きたいって言っていたのを聞いていたので……」
「ありがとうございます。娘が帰ってきたみたいでした」
「うっ、うっ」
律夢さんは何かを言いたそうだが声にならない嗚咽を漏らしていた。
ドミソ先輩の家からの帰り道、しばらくダンマリだったマリさんの口が開いた。
「ドミソ先輩、春休みにお姉さんと喧嘩したんだって。高等部に上がるのに何にもお祝いしてくれないって。お姉さんはエスカレーター式だから祝うまでもないでしょって感じで、それがドンドン険悪になって……それで喧嘩したまま寮に来たんだって。それを気にしてたみたいで。いつも日曜日のあの時間にお姉さんがピアノ教室から帰ってくるから、それを見計らって……」
「違うの違うの。電子キーボードだけだとつまんないから、家のピアノが弾きたかっただけだよ」
突然、ドミソ先輩の人格が出てきた。
「幾太君、今日は付き合ってくれてアリガトね」
ドミソ先輩の左手が僕の頬に触れる。左手は優しく触れながらも、僕が逃げられないように抑え込んだ。そうして、ドミソ先輩は僕の方へと顔を近づけ、頬にキスをした。
「これは付き合ってくれたお礼だよ」
ドミソ先輩の左手は、僕の左顎を小指、薬指、中指、人差し指の順でピアニッシモに弾いていき、離れていった。
僕の鼓動はフォルテッシモを奏でていた。
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