ハーレムフランケン

楠樹暖

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第3章 杉村有希編

第2話 心肺機能が心配です

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 目の調子がよくないという杉村先輩。とりあえず、道の脇に座ってもらった。
「今度は、視界にギザギザしたものが見える……」
 一体何が起こっているんだろう。ひょっとして、六人分の脳みそをかき集めたと言っていたことに何か関係があるのかな? だとしたら、救急車を呼ぶよりも保健の中野先生を呼ぶ方がいいのでは? 中野先生が行った現代医学の範囲を越えた技術が必要なのかもしれない。
 中野先生に電話をするとすぐ来てくれると言う。
 杉村先輩の視界は正常に戻ったようだが、首の後ろが凄く痛いと言っている。
 中野先生が到着する頃には頭がズキズキすると言い出した。
 中野先生の車に杉村先輩を乗せ、学校へ向かって走り出した。
 これまでの経緯を話すと険しい顔をしていた中野先生の顔から緊張が解けた。
「どうやら、話から推測すると労作性ろうさせい頭痛のようだな」
「労作性……頭痛ですか?」
「別名、重量挙げ頭痛とか運動頭痛とか呼ばれているものだ。重い物を持つと起こる頭痛だ」
「重い物を持つだけで頭痛になるんですか?」
「重い物を持ったり、激しい運動をしたりすると脳の周りの血管が拡張するんだ。そうすると、その周りの神経を刺激して頭痛が起こるというわけさ。とりあえず手術の後遺症ではなさそうだから一安心だな。学校じゃなく、寮の方へ戻ろうか」
 杉村先輩をマリさんの部屋へと運びベッドに寝させる。
 さっきよりは頭痛は治まっているようだ。
「たぶん、杉村君の心臓が強すぎたのに対して、後藤君の頭の血管が細すぎたんだろう。強力なポンプに押し出された血液が後藤君の頭部の血管を拡張させたんだ。軽自動車にF1のエンジンを積んでいるようなものだ。色々なところに無理が掛かっているのではないかな。まぁ激しい運動をしなければ日常生活に問題はないだろう」
「あの、視界が崩れるとかギザギザするものが見えたのは何ですか?」
「あれは閃輝暗点せんきあんてんだな。片頭痛の前兆として出てくる人も多いらしい。片頭痛も脳の血管が拡張されて起こるものだからな。もう頭痛も治まり始めているようだけど、もし痛みが気になるなら市販の頭痛薬を飲むだけでいいぞ」
「はい、分かりました」
 頭痛薬は医療箱の中にあったと思う。わざわざ買いに行かなくてもいいはずだ。
「それよりも、私は君の体の方が気になるぞ。何かおかしいところはないか?」
「いや、特に大丈夫ですけど。あの……何かあるんですか?」
「特にないなら大丈夫だ。じゃあ、私はこれで帰るから。何かあったら救急車を呼ぶ前に私に電話してくれ」
 そういうと、中野先生は出口に向かって歩きつつ、背中越しに左手を振った。薬指に指輪が見える。中野先生は結婚しているんだ。
 一時間ほどすると杉村先輩が起きてきた。
「もう大丈夫なんですか?」
「かなり楽になったよ。ありがとう」
「一時はどうなることかと思いましたよ」
 僕は労作性頭痛の話を伝えた。
「本当にあの頭痛は大変だったよ。最初は首の方だけだったのがだんだんと上に上がってきて、そのうち脳みそ全体がズキズキして。脳みそが膨れて頭蓋骨から出たがっているのかと思ったよ。自分、このまま死んじゃうんじゃないかなって思ったよ。あぁ、思えば陸上しかやってこなかったなぁ。どうせ死ぬんならもっと色んなことをやっておけばよかったなぁって」
 今、杉村先輩は不発弾事故で死亡扱いになっている。そういう意味では既に死んでしまっているのだ。そのことに杉村先輩も気がついたのか、バツが悪そうな顔になった。
「実は自分、小学校の頃は足が早くてさ、中等部に入ったら親から陸上部へ入れって言われて。
 さして興味はなかったけど、親の喜ぶ顔が見たくて陸上部へ入ったんだ。
 そっから三年間は練習漬け。中等部の想い出は部活しかなかったな。高等部に入っても惰性でそのまま陸上部へ。他にやることが思いつかなかったんだよ。陸上を続けたらヒザを故障してさ。それでもみんなの期待に応えるためにも痛みを堪えて走り続けてさ。
 実は二年からは辞めようかなって思ってたんだよね、陸上部。
 激しい運動すると頭痛が起きるっていうなら、ちょうどいい機会だよね。やめる口実が見つかって」
「…………」
 僕は何も言えなかった。
「毎朝のランニングも辞めるよ。マリちゃんの頭部が耐えられないならしょうがないさ。もっと他のやってみたかったことをすることにするよ」
「例えばどんなことです?」
「そうだなぁ。オシャレとかもしてみたかったな。いつもスポーツウェアとかTシャツだかりだったし。着飾って男の子とデートをするんだ」
 杉村先輩がチラッと僕の方を見た。
「この体、顔は後藤茉莉だけど、胴体は杉村有希のものなんだよね。もし、自分が男の子と付き合って、そのまま結婚して子供が生まれたら、生まれてくる子は杉村有希に似た子が生まれてくるのかな?」
「そ、そういうことになる……のかな?」
「ねぇ、幾太君。……試してみない?」
「えぇー!! ちょ、ちょっと待ってください。なに言ってるんですか!?」
「ふふふ、冗談だよ、冗談。自分の好みはもっとマッチョな男だからさ」
「あー、ビックリした。驚かさないで下さいよ。心臓止まるかと思いましたよ」
「心臓止まったら、自分の心臓をあげるよ。中野先生に移植してもらえばいいさ。自分の心臓は強いから階段の登りでも息切れしないぞ」
 どこまで本気か分からなかったが、できることならそんな日は来ないで欲しい。

 翌朝、目が覚めると体がバキバキになっていた。筋肉痛で動くのが大変だ。
 食堂へ降りていくとTシャツにショートパンツ姿で首にタオルをかけているマリさん――いや杉村先輩か――と会った。
「今日は早起きだね。あとでエリちゃんが起こしに行くつもりだったのに」
「体中が痛くて……」
「ああ、筋肉痛ね」
「それより杉村先輩、もう毎朝のランニング辞めるって言ってませんでしたっけ?」
「ああ、ランニングは辞めたよ」
「でも、走ってきたみたいですが」
「自分、ランニングは辞めたけど、ジョギングを始めたんだ。ランニングより軽い走りの」
「えぇ!? それ大丈夫なんですか?」
「大丈夫だ、コースも変えて短い距離にしたし。全然ユルイ運動だ。ほれ」
 そう言うと、杉村先輩は僕の手を掴み、自分の左胸に押し当てた。
 ムニュ。柔らかな感触。
「どうだ。鼓動も全然早くないだろ」
 杉村先輩の鼓動を感じる余裕はなく、自分の鼓動が激しくなることの方が気になる。
「わ、分かりましたよ。でも、ほどほどにしてくださいね」
「幾太君は筋トレを続けてくれよ。そして、一日も早く自分好みのマッチョな男になってくれよ。ふふふ」
 陸上の重みから解放された杉村先輩の笑顔は憑き物が落ちたように明るかった。新しい別の道を選んだことが杉村先輩を変えたのだろう。
 杉村先輩の足取りは軽くなっていた。
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