陽炎は掴めない

鴇田とき子

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陽炎は掴めない

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 夏は死の匂いがするから嫌いだと言ったのは、一ヶ月前に行方不明となった恋人だ。
 玲奈の恋人は、一見陽気で人懐こい奴だが、その内側にはべっとりとこびりつく孤独を抱えた男であった。
 恋人になって初めての夏を迎えたときだ。同じベッドで夜を過ごした陸が、窓の外に広がる豊かな青空を見上げながら教えてくれた。
 彼がはじめて夏に死の匂いを感じたのは、まだ年端もいかぬ子供の頃だったらしい。
 陸がパイロットを目指すことになったのは、空で死に、死体すら回収されなかった父を見つけるためだ。父が死んだと聞かされた日、高く広がる青空と分厚い雲のコントラストは目を奪うほど美しく、同時に自然が生み出す荘厳さが恐ろしかったと言った。
 次に夏を厭うようになったのは、汗にまみれた青年達がキャッチボールにいそしみ、大袈裟なくらいの歓声をあげているせいで、重い病を患っていた母の最期の言葉がかき消されたからだ。
 窓とは反対側に転がっていた玲奈は、陸がどんな表情でそれを語っていたかわからなかった。だが平坦を意識された口調によって、それが彼にとって簡単に語ることのできない記憶だと知った。
 頭上に広がる青空と、鼻腔の奥に届く夏特有の青臭い匂いを嗅ぎながら、玲奈も夏を嫌いになりそうだなと思った。
 燦々と輝く太陽を忌々しく睨む。
 夏の匂いがこびりつくその日、陸は企業の手によって書類上の死亡が確定された。
 
 *
 
 自室に帰り着いた玲奈は、疲労がたまった体を深くソファに沈める。
 普段なら帰宅してすぐシャワーを浴びて夕飯の用意をするのだが、今日は到底そんな気になれなかった。
 理由はわかっている。六年付き合った、最愛の恋人が死んだからだ。
 遺体も見つかっていないのに、彼は死んだと断定した警察や運輸会社への猜疑心があった。だが心が恋人の死を拒絶する反面、理性的な脳は生きているはずがないと判断している。恋人の生死にすら冷徹な評価をくだせる自分の薄情さがたまらなく憎かった。
 陸が働いていたのは、物資輸送を担う企業だ。その会社でパイロットとして働いていた陸は、仕事中に突如機体ごと消えた。
 航空レーダーから一瞬で姿を消し、どれだけ航空ルートの下を探しても、墜落した機体の破片すら見つからない。文字通り煙のごとく消えた様子から、一時期はオカルト的なものや国の陰謀に巻き込まれたのではという噂が、ネットでまことしやかに語られていた。
 そんな中、異例の速さで陸の失踪に搭乗者死亡という判断がくだされたものだから、国がなんらかの形で関わっているのではないかという邪推がさらに強まり、一部のネット住民達を白熱させた。
 ネットや現実世界で広がっている面白くもない話を思い出し、さらに気が滅入っていく。これ以上何も考えたくない一心で固く瞼を閉じた。だが思考を止めようと思っても、どうしたって恋人のことばかり考えてしまう。
 陸は本当に死んでしまったのだろうか。夏の空に飲み込まれ、玲奈のもとへ帰る道を見失っているのであれば、恋人である自分こそが彼を見つけ出してやらなければという気持ちがわいてきた。
 数十分もそうしていれば、じっとりとした汗をかいてくる。額に浮かんでいた汗が筋を描き流れ落ちた。唇の端に触れた雫は、涙とは違う塩気を持っている。
 そこで違和感に気づいた。帰宅してすぐに冷房をつけたはずなのに、部屋は微塵も涼しくなっていない。まさか夏の盛りを直前に空調機が壊れたのだろうか。
 たまらずもれた舌打ちを隠すこともせず、億劫にソファを立ち上がる。
 天井に取りつけられた空調機の送風口に動きはない。やはり壊れているのだ。せめてこんな時に壊れなくてもいいではないかと奥歯を噛む。
 自分で直せる範囲の故障だろうかと観察していれば、送風口の端から一滴の雫がしたたり落ちた。内部に水が溜まっていることが原因かもしれない。
 背の低い脚立を持ってきて空調機に触れる。プラスチックのかたまりは、炎天下に晒された直後のような熱を持っていた。慎重にカバーを外すと、初めに生まれた僅かな隙間から軽い音とともに小さな何かが落ちる。それはぴくりとも動かぬ虫の死骸だった。
 玲奈は驚き、最初それがなんの虫であるかわからなかった。数秒観察し、ようやく正体が蝉であることに気づく。
 空を見上げて死んでいる蝉の腹からは細い足が八本、苦しげに天めがけて伸ばされている。不格好な楕円の体は生理的に不快な焦げ茶色で、顔から突き出た赤い眼球がおぞましさを掻き立てていた。
 だが何故、蝉が空調機の中にいる。まさか暑さから逃れるうちにここへ迷い込んだというのか。
 驚く間に、ぽとりとまた軽い音がした。蝉だ。

 ぽとり。
 ぽとり──。
 ぽとぽと、ぽとぽとぽとぽと。

 死骸が十、二十と重なり山のようになっていく。

「ッ!」

 思わず上半身をのけぞらせ、反動で脚立から転げ落ちる。衝撃で腰を打ち鈍い痛みに襲われたがそれどころではない。突然のことに理解出来ずにいれば、死んでいるはずの蝉の体が震えた。そうして軽く百匹に近い黒金の山がけたたましく鳴き始める。
 じじじじじじじじ。
 じじじじじじいいじじじじいじじじ。
 死んでいたはずの蝉が、残り僅かな命の灯火を絞るように、鼓膜を破る大合唱を奏でた。

 *
 
 「最近調子が悪そうじゃん」と言ってきたのは、悪友であり親友の香菜子だ。
 高校時代からの友人である彼女は陸との面識もあり、何かあるたびに二人の結婚式で友人代表スピーチをするのは私だからねとからかってきた。普段こそ軽口や内容のない雑談しかしない関係だというのに、珍しく心底いたわる目を玲奈に向けてくる。あの香菜子に人の心を与えるほど、恋人が死ぬというのは衝撃的なことなのだと実感しながら視線をあげた。
 久しぶりに香菜子から誘われて出かけた酒の席だが、親友との会話や酒の味を楽しむことができない。小さな店を満たす客達の喧騒すら、遠い異国の言葉のように意味不明な形をしていた。

「陸くんが帰ってこなくなった辺りからかな。アンタ、よく怪我をするようになったでしょ」

 慎重に言葉を選びながらも、鋭い視線が玲奈の首や腕に巻かれた真新しい包帯に向けられた。
 香菜子の言う通り、最近の玲奈は不運としか評せない事故に巻き込まれることが多かった。会社の備品室に閉じ込められ熱中症で死にかけたり、本棚が倒れてきて額を割ったり──。サマーカーディガンで隠しているだけで、体中にはおびただしい生傷や打撲痕がある。

「なに、香菜子。アンタまで陸の呪いなんて言うつもり?」

 苦笑しながらビールを口に含む。苦味のある炭酸が口内の傷を焼いた。その痛みに眉間を寄せる。

「そういうわけじゃないけど……ただあまりに不運なことが続いてないかと思っただけ」
「気い使わなくていいよ。うちの親なんか、お祓いに行った方がいいんじゃないかなんて真面目な顔して言ってくるくらいだもん」
「玲奈……」
「それに私も少しだけ思ってるんだ。これは陸の呪いじゃないかって」

 窓の外にある、夜に沈んだ景色へと視線を向ける。すると店内の明るさから逃がれた闇に〈何か〉を見た。よくよく目を凝らせば、それは人の形を模している。蠢く闇が歪に頬を歪めた気がして寒気が走った。
 「陸の呪いって……」と香菜子。歯切れの悪いその言葉すら、まるでノイズがかったように聞き取りづらい。

「そんな馬鹿なことあるわけないでしょう。あんなにアンタを好きだった奴が、どうして玲奈を呪うのさ」

 わざとらしい程明るい声だ。だがその言葉尻は震えている。恐怖により開かれた香菜子の瞳孔が、玲奈と同じく夏の夜に向けられていた。香菜子もこの世ならざるものの幻覚を見ているのかもしれない。いや、玲奈だけでなく香菜子も見えているなら、もはや幻覚とは言えないはずだ。

「知ってるでしょ、私達が大喧嘩をしたこと。ちょうど私が出張に行く直前で、戻ってきたら別れ話を切り出すつもりだった」
「それに気づいてた陸くんが、死んだ後化けてでて玲奈に復讐しようとしてるってこと?」
「そう考えても不思議じゃないよ。香菜子の言う通り、あいつは私のことが大好きだったからさ」

 付き合い始めてすぐ、「いつか玲奈と結婚したいな」と言ったのは陸だ。
 情けなく眉尻を下げ、懇願に満ちた仕草で玲奈の手を取った。そうして玲奈の手を陸の頬に添えさせながら、「俺はきっと、玲奈がいないと生きてはいけないんだ。だからいつか、死が二人をわかつまで一緒にいるって約束をして欲しい」と言った。
 情けなくて、重くて、面倒くさい奴だ。陸のそういうところが好きだった。
 だが陸が行方不明となる一ヶ月前に、陸が浮気しているのではという疑惑が浮上した。陸が知らぬ誰かとホテルに入っていたや、玲奈以外の誰かと仲睦まじく腕を組んで歩いていたといった話を共通の友人から聞いたのだ。
 陸は否定したが、到底信じられるわけがなかった。私以外の人間に触れた手で触るなと拒絶し、繰り返される言い訳を聞きたくなくて連絡先をブロックした。私がいないと生きてはいけないなら死んじまえと酷い暴言すら吐いたのだ。
 今思えばろくな証拠もないのに陸を追い詰めてしまったと後悔ばかりが浮かぶ。あの時玲奈が必要以上に責めていなければ、彼が死ぬこともなかったのではないかという思いがあった。
「私が別れようとしたから、あいつは生きてはいけなくなって死んじゃったんだ」
 そうして酷い恋人である玲奈もあの世へと引きずり込もうとしている──。
 そう考えれば、最近起きている不思議な現象にも名前を与えられる。

「何馬鹿言ってるの、玲奈」

 テーブルに放り投げていた手を掴まれてハッとする。視線をあげれば、真面目にしつらえた表情の香菜子がいた。

「悪い考えに引っ張られすぎちゃダメだよ。アンタ達の間で何があったとしても、陸くんが玲奈を殺そうとするはずがないじゃんか」
「だけど……」
「だいいち、陸くんにそんな度胸があるなんて思えないし。よくて玲奈の今後の恋愛運を悪くさせるくらいでしょ」

 軽い調子で肩をすくめる仕草に苦笑する。玲奈の気持ちを軽くしようとしての冗談だろうが、あながち間違いとも思えなかった。憤怒と怨恨にかられて玲奈を殺そうとするより、べそをかきながら「俺以外の人間と幸せにならないで」と欲深い執着をみせる方があの男らしい。
 陸はあの時、死が二人をわかつまでなんて控えめなお願いをしなければよかったのだ。
 たとえ陸が死んだとしても、玲奈が死ぬまで一緒にいて欲しかった。死んだあとも二人でいたかった。
 玲奈だってそれくらいの愛情と執着を陸に持っていたのだ。

「香菜子の言う通りかも。死んだ人間をこうやって侮辱するのはよくないしね」
「そうだよ。どうせ陸くんの話をするなら笑い話にしよう。ちょうどその手の話題には事欠かない人だったしね」

 わざとらしい程明るい声をだす香菜子につられ、陸との思い出話に花を咲かせる。
 そのせいで、今夜親友に相談しようと思っていたことを切り出せなくなった。
 
 *
 
 ぱちりと目が覚めたのは夜中の二時を過ぎた時刻だった。
 陸が死んでからというもの、毎日この時間に目が覚める。寝苦しさや物音などで目覚めるのではなく、朝日に呼ばれるように自然と意識が浮上し、もう一度寝つくことなどできないくらいはっきりと目が冴えるのだ。
 今夜もいつもと同じ感覚で目覚めた玲奈は、またかと喉を鳴らしながらシーツを頭上まで引っ張った。
 この時間に目が覚めると、決まって足元から視線を感じる。だがいくら目をこらしてもそこには誰もいない。空虚な闇が広がるだけの光景が、想像力の怪物を増長させていた。
 かたく瞼を閉じながら朝になるのをじいと待つ。太陽がのぼる数時間の我慢だ。朝になれば正体不明の視線は消える。それまで堪えればいいだけだ。
 そう自らに言い聞かせていた時、ベッドがぎしと音を鳴らした。
 足元のスプリングが跳ねる。同時に玲奈の体も強張った。

 ──何かが足元にいる。

 今すぐ逃げるか抵抗の意志を示さなければいけないのに、硬直した体はぴくりとも動いてくれなかった。動かない体の中で、心臓だけが馬鹿みたいな速さで脈打っている。

 ぎし……。
 ぎし……。

 音は足首、太もも、腰と、頭上に向かって少しずつ近づいてくる。
 だがシーツの向こう側に生きている生物の気配は感じられない。確実に何かがそこにいるのに、息遣いや体温は存在しないのだ。
 とうとう首に何かが触れた。気道が圧迫され息苦しさを覚える。眼前に迫る死の気配に、奥歯がカチカチと不格好な音を鳴らした。

「陸?」

 無意識のうちに震える声があふれていた。我ながら酷く情けないものだ。舌はからまり、喉が張りついて噛みそうになる。それでも言葉を吐き出さなければ、身のうちで蠢く感情に焼き殺される気がした。

「アンタが……陸ならっ」

 陸なら——なんと言う?
 あの男を殺したのは自分だと思っているのに、この後に及んで命乞いでもしようと言うのか。
 違うだろう。陸が好きだと言ってくれた玲奈はそんな愚かな女ではない。

「……おかえり、陸」

 自然とあふれてきたのは、もう一度あなたに会えて嬉しいという、至極単純な感情だった。
 その思いのまま手を伸ばしたいのに、体は己の意思から離れ、道端に埋もれた石巌のごとく微動にしない。陸が帰ってきてくれたのに、どうして抱きしめることすら出来ないのだともどかしく思った。
 玲奈を苛つかせるのはそのもどかしさだけではない。
 己の不甲斐なさも、愚かさも、過去の行いすべてが許せなかった。
 陸と喧嘩した内容だって、冷静に思い返せば、あいつが浮気しているなんて誰から聞いたかも思い出せない類の話だ。闇から囁かれるごとく、噂のもともわからぬ話を玲奈は真実だと思い込み、一方的に陸をなじってしまった。いつもなら信じられる陸の言葉すら、あの時は聞くに耐えない雑音のように思えていたのだ。
 本当に陸が玲奈を呪い殺そうとしているなら、甘んじて受け入れるべき罪を犯したのではないか。
 そんな思いで嗚咽をもらす。今さらいくら懺悔しようとも、玲奈が愛した男が死んでしまった事実は変わらないのに。
 玲奈の言葉で動きを止めていた何かは、数秒後頭から被っていたシーツを剥いだ。視線を動かすが、体を覆う存在の形は掴めない。ただ視認することもできない闇が蠢いているだけだ。
 ふと、頬に冷たくて不気味な感触の何かが触れた。触られるだけで悪寒が走り、人間では理解できないおぞましい生物がそこにいると本能で理解する。
 とうとう玲奈の体全体に闇が与える圧迫感が落ちる。腹部から胸部にかけて、何かを探すように肌をまさぐられた。
 驚き、抵抗しようとするが、依然指先ひとつ動かせないままだ。これまでとは違う恐怖で頭の奥が痺れていく。
 せめて大声で拒絶しかけたとき、闇がノイズ混じりの聞き取りづらい声で言った。
 玲奈、と。
 ずっと散漫となっていた思考に、その声は驚くほど染み込んだ。わけも分からず泣けてきて、幽霊を拒絶しようとしていた心すら凪いでいった。
 
 *
 
 玲奈の前に現れた幽霊の正体は陸だった。
 死んだはずの恋人が愛の力で幽霊となって戻ってくるなど、まるで映画のように感動的ではないか。しかも玲奈を殺そうとしていたことも思い違いだったのだ。
 その証拠に、幽霊の陸が現れるときはいつの間にか一本だけの野花が置かれていたり、見るとつらくて机の奥に眠らせていた陸とのアルバムが散乱したりしていた。
 こんなまどろっこしいことをするのは陸に違いない。玲奈のことが大好きで、だがやり方が絶妙に間違っている不器用な男が陸だ。
 ひとつだけ嫌なことと言えば、毎日真夜中二時に現れては玲奈に触れてくることだ。
 しかもその間体を動かすことはできない。幽霊の陸が好きなように触ってくることを、抵抗も甘受もできずされるがままでいなければならなかった。
 たとえ好きな相手だろうが、同意もなく触れられることは性的暴行と変わらない。しかも幽霊の陸に触れられると、毎度内臓を捻られるほどの悪寒が走る。そのせいで大抵朝から体調を崩し、すでに何度も仕事を欠勤している。
 だが陸への罪悪感が玲奈の恐怖を抑え込んでいた。それに幽霊だったとしても陸と触れ合えるのだという喜びや、彼ならば悪意をもって玲奈に酷いことをしないという確信が、ギリギリのところで玲奈の精神を繋いでいた。
 幸せだった。
 幸せでなければいけなかった。
 それが恋人と再会できた、遺された人間の正しい姿だろう?
 だというのに、香菜子が「最近の玲奈は変だよ」などと言ってくる。
 香菜子と二人で酒を飲む時はいつも訪れるバーだ。ちょうど幽霊の陸の存在に悩み始めた頃にも二人で来たことがある。あの時と同じで、周囲の喧騒は雑音にしか聞こえず、玲奈を不愉快にさせた。

「この前会ったときよりさらに顔色が悪いじゃん。きちんと食べてるの?」

 心配そうに身を乗り出す香菜子に薄く笑いかける。誰に言われずとも今の自分が酷い顔をしていることはわかっていた。
 夜毎陸が来るせいでろくに眠れず、青黒いクマがこびりついた目は落ち窪んでいる。食欲も落ちているせいで頬は骨の形がわかるほど痩せこけ、そのせいか思考が鈍い状態が続いていた。
 化粧で隠せない程みすぼらしくなっていたが、驚くほど自分の中に危機感というものがなかった。

「あいつは寂しがりだからさ。仕方ないよ」

 窓の外を眺めながら答える。玲奈の口角は意識せず上がっていた。
 昼間の熱を残した夜の中に、闇を凝縮した蠢きを見つけたのだ。それは熱に浮かされたときにみる幻覚のようであり、決して触れぬことができる蜃気楼のようでもあった。
 こんなところまでついてくるなんて相変わらず寂しがりな奴だ。家に帰ったらいくらだって相手してやるというのに。
 ははと声をだして笑う。それを香菜子が不気味そうな目で見てきた。唯一無二の親友だと思っていた香菜子ですら、玲奈と陸の愛を理解できないのだ。それがたまらなくおかしくなり、腹を抱えて笑い転げる。
 ははははははっははははっは。
 はははははは——。
 笑いながら、何故だか死にかけた蝉の鳴き声を思い出した。
 
 *
 
 その日の二時過ぎ、いつも通り陸がやってきたことで目が覚めた。
 この後すぐに体が動かなくなるから、抱かれている間楽なように姿勢をよじる。その間にベッドが軋んだ。足首から太もも、腰の辺りと順にシーツが歪んでいく。すぐそこに誰かがいるはずなのに、闇が蠢くだけの〈それ〉の形は今日もわからなかった。
 笑いかけ、どうせ動かないだろうと思いながらも腕をのばそうとする。そうすればどういうことか、予想に反して腕が動いた。
 驚いてそこにいるはずの陸を見る。

「陸、なんで」

 闇は答えてくれない。幽霊となった陸の声を聞いたのは、名前を呼ばれたあの一度きりだ。
 それでも玲奈にはわかった。とうとう幽霊のアンタでも愛してみせるという覚悟が陸に伝わり、安心させることができたのだ!
 思わず体を起こし、闇を抱きしめた。幽霊の陸は泥濘とした表現し難い感触で、さらには触れただけで悪寒が走る。おかげでここに陸がいるのだと確かめられた。
 嬉しくて涙がでる。今日からはもっとずっと、二人は愛し合える恋人同士となるのだ。
 きっとここに陸の顔があるはずだという場所に手のひらを添える。案の定、手触りこそ身震いするものだが、間違いなく人の骨格をしていた。
 ふと、青空の幻視を見た。
 分厚い雲が頭上高くに浮かんでいる。雲の白さが青空をより深い色に思わせていた。その景色にすべてを飲み込みかねん生命の強さを感じる。
 さらには青年達の歓声の代わりに、蝉の幻聴が耳をつんざく。今から死ぬ蝉達の最期の嘆きだ。
 それらのまやかしは、いつか夏に死の匂いを感じると言った陸の言葉を体現するごとく、夏特有の死をまとわせていた。
 ──ところで、玲奈が愛した陸の顔とは、こんな形だったろうか。
 〈正しさ〉は熱に浮かされた夜に沈んで見つからない。
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