明日君を殺せるならば、ハッピーエンドで終われるのに

鴇田とき子

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episode.4 夜会②

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 車に乗り込むと、カリーナは腕を組み、じいと窓の外を眺めるばかりであった。こんなときの彼女には何も話しかけるべきではない。そうわかっていても、スタンフォードと何を話していたんだと糾弾されないことが恐ろしかった。
 アルベルトを寝返らせたと言うスタンフォードが、カリーナの前で堂々とロレンツォに接触してきたのだ。その目的を邪推しない方がおかしい。
 というかそもそもとして、本気でロレンツォを寝返らせたいのなら、こんなもの悪手でしかないだろう。カリーナからロレンツォへの猜疑心さいぎしんをかきたたせるだけで、カリーナだってこんなもの露骨すぎる行動だとわかっているはずだ。
 ではスタンフォードの真意とはなんだったのか。彼は何のため夜会で接触してきたのだ。
 頭を悩ませるが、どれだけ考えようと答えなどわかるわけがない。それよりもスタンフォードにつく気のないロレンツォにとって、不要な疑いをかけられたままということの方が不味かった。

「カポ」

 覚悟を決め話しかける。仏頂面のカリーナは返事をすることも、ピクリと動くこともなかったが、構わずに話しかけ続けた。

「スタンフォードは俺に、手駒になれと言ってきました。その為に今日のパーティーにも潜り込んだようです」
「それで?」

 低い声で言われ、喉の奥がカラカラと乾く。
 ミラー越しにカリーナと目が合えば、その視線だけで呪い殺されそうな恐怖を感じた。
 すみませんと謝って、この場から逃げ出したくなる。だがここで黙り込んでしまえば何にもならないと、ハンドルを握りしめることで自分を奮い立たせた。

「俺はスタンフォードなんかへつく気はありません。ですが貴方が命じるなら、二重スパイとしてスタンフォードの懐にも入ります」
「はは、それでアルベルトのように、本当に私を裏切るつもりか」

 怨嗟にまみれた言葉を聞き、墓穴を掘ったと気づく。慌てて言い返そうとしたが、今のカリーナに下手なことを言えばよけい機嫌を損なわせかねない。
 唇を舐めると、必死にカリーナを喜ばせる言葉を探す。

「俺は貴方に嘘はつきません。悪意も、殺意も、全てカポの前にさらけ出します。貴方の意に反したことをするときも、裏切る時も、全てカポにお伝えします」

 何とも最低な言い分だが、他に言いようがなかった。下手なゴマすりをしてもよけい不機嫌にしかねない。ならば本心を言うことが得策のはずだ。
 カリーナはしばらく黙り込んだ後、短く「止まれ」と言った。
 車は現在、大通りを離れ、住宅街へと差し掛かっている。この辺りは金持ち連中の屋敷が並んでおり、貧民街とは違う暖かな色合いに満ちていた。
 テレジオファミリーの本宅はこの先にある。街の離れにある丘から、街を監視するように大邸宅が建っているのだ。その屋敷まではまだ数十キロある。
 戸惑いながらも、カリーナが命じるまま路肩へ停める。幸い側には屋敷のない、並木通りが続く場所であった。それでもここは高級住宅地であるから、不審車両として通報されかねないと緊張する。悪の女王がいるのだから無用な心配であるということには気づいていたが、性根に染みついた下級市民根性は簡単に拭えなかった。

「お前とは血の掟を結んでいなかったな」
「……そりゃあ、まあ。俺は構成員ではなくて、カポのペットですから」

 いつかのカリーナが言った言葉を思い出しながら言う。ミラー越しのカリーナは、額を抑えたまま俯いているせいで、どんな顔をしているかわからなかった。
 ただなんとなく、彼女は笑っているのだろうなと思う。ロレンツォが知っているカリーナは、いつも不遜な笑顔で他者を見下ろしているのだから。

「それじゃあ、二人だけの誓いをたてようか。これは血の掟よりも重い誓いだ」
「どんな内容ですか?」
「ロレンツォはただ誓うと言えばいいんだ。わかったら片手を出せ」

 横暴な物言いに眉をひそめるが、こんなもの今さらだ。カリーナと初めて会った時から、ロレンツォに選択肢があった試しはない。
 不満を言いたくなりながらも、シートベルトを外すと半身を後ろに向ける。右手を差し出せば、小さな掌が指先に触れた。

「ああ、しまった。聖人画がないが、……まあいいか。どうせ私達だけの特別な誓いだしな」
「それはいいですけど、俺になにをさせるんですか」
「なんてことはない。ただの愛の誓いだよ」

 喉の奥で笑うカリーナがなにを考えているかわからなかった。ロレンツォへ、無邪気な子供のように笑いかけてくる意味もわからない。
 カリーナは突然、ロレンツォの親指を唇へと寄せた。
 このときに何をされるか察する。案の定カリーナの白い歯が、ロレンツォの指の腹を噛みちぎった。
 鈍い痛みが皮膚を焼くことより、柔らかい唇に触れたことに驚く。ジェラートを買い食いしたときとは異質の恐怖が背筋を走った。
 一拍おき、カリーナがロレンツォの血を舐める。伏せ目がちの睫毛は震え、耳にかけられていた髪がひと房頬を撫でた。柔らかく生暖かい舌先が、ロレンツォの指に吸いつく。
 そのとき得もいわれぬ衝動が全身を巡った。このままでは美しい獣に食われると、本気で我が身を哀れんだ。

「この血に誓おう、ロレンツォ」

 カリーナが言った。顔があげられる。月光と、車のライトと、遠くの屋敷から届く僅かな光に照らされ、生じろい顔が浮かび上がっていた。
 この顔を見るたびに、言葉にできない感情がいつも全身をのたうち回るのだ。殺せ、殺せ、と。
 優しかった兄が夜毎よごと夢に出て、カリーナにされた悲惨な拷問を訴え、早くあの女を殺せと嘆願するのだ。あの細い首に指をかけ、あえぐ唇を黙らせるために気管へと親指を押し当て、飛び出る眼球を突き刺せと言う。
 殺してやりたい。兄の無念を晴らしてやりたい。自分のために、自分の平穏のために、自分の穏やかなる夜のために、一刻も早く冷酷で無慈悲で美しい獣を殺さなければ。

「病めるときも、健やかなるときも、」

 場違いなほど穏やかな声に頭が揺れた。真っ直ぐに自分を見つめるカリーナから目が離せなくなる。
 この女は、殺したい程憎い仇だ。
 優しかった兄を無慈悲に殺したマフィアのカポだ。
 どれだけそう思っていても、触れた彼女の慈悲と、慈愛と、汚しがたい強さを気づかぬことは出来なかった。
 今すぐこの女を殺さなければ、ロレンツォに平穏はやって来ない。
 ここで殺さなければ、きっと殺せない日がやってくる。

「死がふたりをわかつまで、嘘をつくことなく、隠し事をすることなく、愛し、慈しみ」

 うるさい心臓が馬鹿のように働き、全身に血を巡らせる。
 殺したいのだ、本当に。
 この女が憎いのは、殺したいのは、本当なのに。

「私の命をお前に捧げ、お前以外に殺されはしないと誓おう。だからお前も、私の血に誓え。私以外の誰にも殺されないと」

 どうして穏やかに笑うカリーナから目が離せなくなる。どうしてこんなにも、心臓が痛くなる。
 ふと、イルマーレで殺した少女が脳裏に浮かぶ。彼女がカリーナから受けた慈悲を、子供の時のロレンツォが心底羨ましそうに眺めていた。
 気がつけば目の前が霞んでいる。わけのわからない嗚咽がもれそうになった。引き攣る頬を必死に抑え、震える喉を堪えながら、小さく頷く。

「……シィ、カポ」

 誓います、と。か細く誓いを立て、腰を持ち上げる。
 運転席から身を乗り出し、カリーナの両腕をとった。身を差し出したカリーナの首に噛みつく。苦い鉄の味が口の中に充満し、ロレンツォの理性を溶かし、ドロドロと体内に巡っていく。
 誓ってそれ以上のことはしていない。だが歪んだカリーナの顔と、自分の歯型が刻まれた白い首筋が、性交やドラッグ以上の興奮と背徳感を与えてきた。
 この日ロレンツォは、一刻も早くカリーナを殺す誓いも己のうちに立てた。もはや復讐のためだけではない。自分のためだ。自分のために、この女を殺したいのだ。
 カリーナを見るたびに、ドロドロとした憎しみが心中で渦巻く。カリーナが笑うたびに、どうして兄ではなくお前が生きているのだと思う。兄はお前のせいで死んだのに、こいつだけが安穏あんのんと幸せを享受していいわけがない!
 それはどうしようもない本心だ。
 だが同じくらい醜く愚かな自分が、確かに存在する。
 その矛盾がロレンツォには耐えられなかった。耐えられないから、自分のために殺そうと思った。
 彼女を殺して、自分も死ぬのだ。
 それすら出来なくなる前に、──カリーナを殺すことすら出来なくなる前に、彼女を殺すことが、唯一のハッピーエンドへの道筋だと理解した。
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