ふしあわせな魔女と悪魔の証明

鴇田とき子

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漆夜

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 魔女の家には、大きな池がある。青白く光る池は、いつ見ても幻想的な光景であった。その場所が常より美しく見えるのは、ほとりにイザベラが座り込んでいるからだろうか。
 真っ黒なワンスリーブドレスにガウンを羽織っただけの彼女は、瞼を閉じ、祈るように空を見上げていた。イザベラの周りは、まるで月光を跳ね返すようにキラキラと輝いて見える。それは比喩でもなんでもなく、実際に輝いているのだ。
 思わず木々の前で立ち止まり、見入ってしまう。かくも美しいものを、芸術品や自然の中でだって見たことはない。

「そんなところでなにをしてるんだ、ウィルソン」

 不意に声をかけられ、必要以上に驚いてしまった。逃げ腰になれば、呆れたふうに視線を向けられる。神々しく輝く光の中で、翡翠の瞳はなににも負けない輝きを放っていた。

「イザベラこそ、家の外にいるなんて珍しいですね」

 心中ではたじろぎながらも、平静を装って近づく。相も変わらず、イザベラの周囲には小さな光の粒が飛んでいた。

「精霊と話していたんだ。わたしは森の外へ出ないから、こうして時おり、外の話を聞いている」
「は? 精霊?」
「素直な反応だな」

 イザベラは意地悪く笑った。その笑みに、精霊と話していたなど言われ、すぐに信じられるものかと口をつぐんだ。

「魔女がどんな力を持っているか知っているか?」
「……呪いとか、魔法とかですか?」
「ウィルソンは夢見がちだな。初々しい少年の心をお持ちとみた」

 そうからかわれるが、精霊の存在などをのたまう女に馬鹿にされたくない。というか誰だって、魔女にはそんなイメージを持っているはずだ。なにせこの魔女は数百年もステラルクスを護り、百夜通いの果てにどんな願いも叶えてくれるというのだから。
 だがイザベラは、退屈そうに膝を抱えると、光の粒をちょんと指でつついた。粒は嬉しそうにイザベラの指へまとわりつく。

「わたしの力とは、万物から愛されることだ。人間にも、獣にも、精霊にも。その結果こんな森の奥へ逃げる羽目になり、不老不死なんてくだらんものまで手に入れてしまった」
「……急になんの話しですか?」
「まあ、黙って聞け。ウィルソンの今後にも関係のある話だ」

 イザベラは言うと、小さく手招いた。隣に座れと示され、しばらく悩む。それでも大人しく、少しの距離を置いて腰掛けた。
 光の粒は、アルバートには寄ってもこない。それがなんとなく複雑な気分になった。

「わたしは昔、とある悪魔と取引した。当時は純朴でいたいけな娘だったから、ひたすらに幸せになることだけを願った。そうして美貌と金と、他者からの愛があれば、誰よりも幸せになれると思ったんだ」
「はあ……」
「だが違った。悪魔はしょせん悪魔でしかないことを、わたしは理解していなかった」

 池の向こうの、どこか知らない遠い場所を見つめる横顔は、初めて見るものだった。
 イザベラは知れば知るほど、多彩な表情を見せる。彼女が存外感情豊かだと気づくのに、ずいぶん時間をかけてしまった。

「わたしは美貌を手に入れ、理想の両親を手に入れ、両親のものである金と権力を手に入れた。なによりも、わたしには愛されるという呪いがかけられた。そんな第二の人生を手に入れた」
「……愛されるということが、呪いなんですか?」

 それは呪いではなく、ただイザベラが魅力的というだけではないのか。
 率直な問いに、その発想が愛らしいとばかりに笑われる。

「これはまさしく呪いだとも。わたしが求めぬ愛まで注がれるのだからな。まず、わたしと目を合わせるだけで、すべての人間がわたしに魅了される。わたしの声を聞くだけで、すべての精霊がかしずく。わたしの意にそぐわず、ただ己の身勝手な愛を押しつけてくる」
「……よく、わかりません。抽象的なお話ですし、イザベラは魅力的ですが、私もあなたを愛しているかと聞かれれば微妙です」
「はは、素直な奴だな、おまえは」

 イザベラはおかしそうに笑った。アルバートの言葉が嬉しいとばかりに語る横顔だ。

「これはただの昔話だが、ある少女は、両親から愛されるあまり部屋に軟禁されていた。彼女が会話を許されたのは、限られた使用人と両親だけだ。外には悪い人たちがたくさんいて、ここにいることが安全だと教えられたが、少女はそれが嘘だと思っていた。世界には少女をもっと愛してくれる人がたくさんいるはずだ。両親はただ、愛しい少女が自分たちの側を離れる未来を拒絶し、自分たちの欲望のために、少女の自由を奪っているだけだとな」
「それ、は……」
「二つ目の予想は当たっていた。両親の目をかいくぐり、少女は外へ出た。しばらくして、少女がいなくなったことに絶望した両親が、病をこじらせて死んだと聞いた。だが悲しみにくれる暇もなく、少女はやはり、利己的な愛を押しつける人々に翻弄された。人々は少女を人形のように愛で、宝石やドレスを与え、そうして少女が離れる未来を心底恐れた。その果てにはいつも、少女の尊厳を奪う様々な暴力が溢れた監禁生活が待っていた」

 イザベラはなんでもないことのように語る。
 わからないはずがない。その少女が、魔女の幼い子供時代の話だと。彼女の瞳が暗くよどみ、なにかを堪えるように震える拳で、己の腕をきつく握りしめていることを。
 話を聞いただけで、アルバートの身のうちに、言いようのない怒りが荒れ狂った。彼女を追い詰めた顔も知らぬ人々を呼び出し、一晩中説教してやりたくなる。どんな理由があろうと、他人を思いのままに操ろうとして良いわけがない。愛という感情は、罪の免罪符にはなり得ないのだ。
 アルバートの怒りにも気づかず、イザベラは話を続けた。鈴の音が転がるような、聞くだけで心が落ち着く、甘い声だ。

「今まで百夜通いに来たものも、ひと目でわたしへ恋に落ちた。そうしていつも、雨や雪が降り、病に倒れようと、わたしに会うためにこの森を抜けてきた。ほとんどのものが、最期には病をこじらせ、獣に食われ、浅はかな幻の愛にやぶれ死んでいった。僅かに試練を乗り越えたものは、ついでにわたしを手に入れようとし、こいつらもやはり、ロウに食われ死んでしまった」
「……」
「いつかおまえは聞いたな、何故百夜通いなどをさせているのかと。わたしはずっと探していたんだ。百晩もの間わたしと触れ合っても、悪魔の呪いをはねのけ、わたしを愛さぬ人間を」

 「これが本当の理由だ」と、真っ赤に彩られた唇が告げる。どうしてか無性に、泣きたくなった。
 愛されることを願った果てに、愛されないことを願うなんてひどい矛盾だ。その矛盾に、叡智えいちを持つ魔女が気づいてないはずはない。

「……見つけられたんですか、そんな人間」
「いるだろう、目の前に」

 翡翠の瞳がアルバートをうつしだす。その視線が妙に居心地悪くなり、僅かに俯いた。
 初めはあれ程毛嫌いしていた彼女へ好意を持ち始めた理由が、呪いのせいではないと胸を張って言える自信がない。もちろんアルバートはイザベラの顔や雰囲気に惹かれたわけではないが、本人の自覚なしに操るからこそ、悪魔の力であり呪いと言うのだ。
 それなのに、無邪気に喜ぶ彼女へ、どんな反応をすればいいかわかるわけがなかった。

「……ですがあなたの力が愛されるだけなら、私の願いを叶えることは難しいのではありませんか」

 話をそらすつもりで問いかける。とは言え、これもまたどうしても聞いておきたいことだった。
 アルバートの願いとは、フィリップ王を不老不死にしてもらうことだ。
 万人から無条件で、狂気的に愛されることは確かに恐ろしい力だろう。だがそれでどうして、他人を不老不死に変えられる。
 その問いかけに、イザベラはつまらないことを聞くなとばかりに肩を竦めた。
 気がつけば、光の粒が消えている。精霊とやらがいなくなったのだろうか。

「悪魔でもないのにそんなことできるわけがないだろう」
「はあ!? できないんですか!?」
「当たり前だ。わたしにできるのは精々、精霊に願ってこの国に豊穣をもたらしたり、おまえの疲れを癒すくらいだ」
「私の、疲れって……あなたになにかしてもらった覚えなんかないんですが」
「うちのお茶を飲んでから体調がいいだろう。あれは疲労回復に効くんだ。長生きなおかげで薬草には詳しいんだよ。できるとすれば、薬学の知識で国王をほんの少し長生きさせてやるくらいだな」

 唖然としすぎてなにも言えなくなる。
 確かに昨日から、連日の疲れが嘘みたいに消えていた。それは魔法とも言えなくないが、国王が望んでいるのはそんな些細なことではない。
 というか魔女は望みをなんでも叶えてくれるという話ではなかったか? これでは詐欺同然ではないか!
 これまでの苦労はなんだったのかと震えるが、イザベラは変わらず興味なさげだ。

「そもそもウィルソンは、わたしがどうして不老不死になったか知っているか?」
「それは、魔女の力だとばかりに思っていました」
「わたしと契約した悪魔は、願いの対価はわたしが苦しくのたうち回りながら生きるさまだと言っていた。それを思い出したのは、自分が歳をとらないと気づいた頃だ」
「……つまり、悪魔の仕業ということですか?」
「願いの対価を払うには、まだわたしの苦しみが足りないということだろう。ついでに言えば、これまでも暇つぶし百夜通いの代償として、何度か悪魔と追加の契約を交わし、対価が増えているからな。あと数千年は死に損ない続けるだろうよ」

 イザベラの説明を丁寧に噛み砕く。つまりイザベラが不老不死となったのは悪魔の力で、これまで百夜通いを成し遂げたものの願いも、イザベラではなく悪魔が叶え、その対価はイザベラが払っているということか。
 矛盾に矛盾を重ねるような話だ。どうして悪魔がそんなことをするかもわからない。イザベラが自分を愛さないものを探すために、悪魔へ対価を払うのもおかしな話ではないか。
 だがとっくに数百年を生きている魔女にとっては、なんら疑問に思うことはないらしい。感覚が普通とは異なるという点で、彼女は間違いなく魔女だった。

「それなら、イザベラが間にたつ必要はありません。私が悪魔と直接契約すれば、あなたが対価を求められることはないんでしょう?」

 思わず前のめりになって言う。イザベラはきょとんと、不思議そうな顔をした。

「……それは国王の願いを叶えてもらうついでに、自分も不老不死になりたいという魂胆こんたんか?」
「陛下の願いではなく、私の願いです」
「細かい奴だな。今はどうでもいいだろうが」
「それに私は、不老不死なんてものに興味はありません。ただ私が願いを叶えてもらうというのに、対価をあなたに押しつけることが間違っていると思うんです」

 力強く言えば、イザベラが眩しそうに瞳を細める。
 彼女は他者の理不尽な愛情を押しつけられ、それから逃れるために森の奥に住んでいるのだ。どうしてこれ以上、他者の欲望の責任を押しつけられる。
 心の底からそう思ったのだが、アルバートの思いが全て通じたかはわからなかった。ただイザベラは、くすりと笑い、愛らしく小首を傾げた。彼女の動きに合わせ、柔らかな黒髪が肩を流れる。

「おまえのそういうところは、かなり好感が持てる。馬鹿で実直で、融通きかずの堅物だな」
「……褒められているのかけなされているのかわかりません」
「褒めているんだよ、馬鹿」

 それだけ言うと、イザベラは視線を前に向けた。
 「今日の百夜通いは終わりだ。早く帰れ」と、いつもの常套句じょうとうくを言われる。だがその言葉には、常ほどの棘は感じなかった。

「ではイザベラ、また明日、よろしくお願いします」
「ああ。せいぜい道中でくたばらぬよう気をつけろよ」

 明日の来訪を待つ言葉や、アルバートを心配する言葉をかけられるのは初めてだ。驚きのあまり、浮きかけた腰が中途半端にとまる。
 なにか返すべきか悩み、結局一礼だけして獣道へと足を向けた。その足が、心なしか軽く感じる。
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