俺のアンドロイドが可愛いわけがない!

未人

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第7話 カフェインとシンクロ率

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 今日はめずらしく静かに時間が過ぎていた。
 時計は午後三時を指している。
 俺は椅子に深く沈みながら、重くなった肩をぐるりと回した。

「たまには朝から真面目に働いたからな……午後の一杯くらい許されるだろ」

 そう呟いて立ち上がり、小さな電気ポットに手を伸ばす。
 今日の報酬は、自分で淹れるコーヒーだ。

「ケイ、午後三時は短時間の休憩と軽度のカフェイン摂取に適した時間帯です」

 背後からアルテミスの声が飛んでくる。

「……お前、なんでもマニュアル通りだな」

 ミルで豆を挽く音が、静かな部屋に響いた。
 ガリ、ガリと一定のリズムで。

「しかし摂取量は適量に留めるべきです」
「だから、今からちょうど一杯だけ飲もうとしてるんだろうが」

 湯を注ぎ、香りが立ち上る。深く、苦く、どこか落ち着く香りだ。
 俺はカップを持って椅子に戻り、一口啜る。
 苦味と香りが、脳にじわりと染み込んでいく。

「ケイの表情、呼吸、脈拍に変化。……安定傾向」
「……観察やめろ。コーヒーくらい静かに飲ませろ」
「了解しました」

 それきり、部屋は静かになった。
 外では鳥のさえずりと、誰かが何かを運ぶ台車の音がかすかに響いている。
 少しして、俺はもう一度ポットに手を伸ばす。

「ダメです」

 ピッ、とすかさずアルテミスが反応した。

「2杯目の摂取は、総カフェイン量が約190mgに達します。体重とのバランスを鑑みると──」
「またそれかよ……いいじゃねぇか、もう一杯くらい……」
「午後三時以降の過剰摂取は、就寝リズムを乱すリスクがあります」
「……それ、お前の中で“正義の論破”ってやつか?」
「正義の定義は状況依存です」
「そういう意味じゃねぇよ……」

 俺はため息をついてカップを置いた。
 静かな午後。誰も騒がず、ただ日常が流れている。
 けど、この小さな押し問答だけが、なんだか心地よい日常に感じられた。

「ケイ」

 アルテミスが、ふと俺の横に座る。椅子の並びが揃った。

「コーヒーは、あなたの“落ち着き”に寄与していると推定されます」
「ああ、まあな」

 湯気の残るカップを眺めながら、俺はぽつりと答えた。

「……静かな時間って、案外大事なんだよ。誰も騒がない、何も起きない、そういう時間」
「では、私がここにいることが、その静けさを妨げていませんか?」

 その問いに、俺は少し驚いた。 
 今まで聞いたどんな理詰めよりも、ちょっとだけ人間らしかった。

「いや……お前がいるから、静かすぎなくて済んでる」
「……それは、肯定と受け取ってもよろしいですか?」
「好きにしろよ」

 俺はそう言って、背もたれに体を預けた。

「……ま、悪くないよ。お前が横にいるのも」

 アルテミスは、その言葉を深く記録するように小さく頷いた。 
 そして、二人の間にほんのわずか、穏やかな沈黙が流れた。

 しかし、端末の通知音が静寂を破った。

 ピコン。

 俺はカップを片手に振り返る。モニターに表示された差出人の名は、見慣れたものだった。

「……バアさん」

 通信は音声のみ。通話を開いた途端、淡々としたシズの声が流れてきた。

『義手ユニットの件、ありがとう。予想以上の精度だったわ。回路構成も綺麗だったし、保持機構も改良されていた。あなたらしいわね』
「……そりゃどうも」

 内心、少しだけホッとする。
 さっきの“悪くないよ”が拾われたんじゃないかとビビったのは、まったくの杞憂だったらしい。

『さて』

 嫌な間を置いて、シズが言葉を続ける。

『ついでに、もうひとつお願いがあるの』
「……出たな」

 俺はコーヒーを一口飲み干し、ソファに深く座り直した。

「なんだよ。今度は何を作れって言うんだ?」
『作るんじゃなくて──連れて行ってほしいの』
「……は?」
『アルテミスよ。今から、美術館に行ってもらえないかしら』

 コーヒーが変な方向に入りかけた。

「ゲホッ……ぶっ、は……美術館?」
『ええ。芸術作品から感性刺激を受けることで、人間の思考パターンへの理解が進むと考えているの』
「そりゃまぁ理屈としては分かるが……なにゆえ俺?」
『単独行動はできないからよ。あそこの施設、アンドロイドだけの入館は禁止されてるの』
「この時代にそんな化石みてぇなルールあんのかよ」
『あるのよ。“人の感性に触れる空間は、人とともに”って理念らしいわ。皮肉よね』
「はぁ……じゃあ、別の誰かに──」
『ダメよ。あなた以外はアルテミスに対するシンクロ率が低い』

 また勝手に変な指標使いやがって。

「ったく……そもそも、あいつ自律型なんだろ?一人で勝手に行けってんだ」
『法律上は成人扱いでも、美術館の受付はそう思ってくれないの。人間社会って、案外アナログでしょ』
「それを笑ってるお前が一番アナログだと思うけどな……」

 はぁ、とため息を吐いたその瞬間、シズが追撃を放ってきた。

『もちろん、報酬は出すわよ。たとえば──』

 モニターに添付されたリストの中に、一瞬で目を奪われた品名があった。

「……それ、本気か」
『自己補修型の絶縁ゲル。高純度、試作品レベルのやつよ。今のあなたなら使いこなせるでしょう?』

「くっ……!」

 くそ、物欲に負けそうな自分が情けない。

「……分かったよ。行きゃいいんだろ、行きゃ」
『素直でよろしい。じゃあ、今から準備して。入館は予約制だから、時間に遅れないでね』

 通話が切れる直前、妙に楽しそうなシズの声が聞こえた気がした。

「……絶対、俺が面倒くさがるの分かってて仕込んだろ……」

 ため息をついて振り返ると、アルテミスが静かにこちらを見ていた。

「命令受信を確認しました。美術館への外出、準備を開始します」
「テンション上がってんじゃねぇよ……」

 俺は空になったカップを机に置き、ぼそっと呟いた。

「……午後のブレイク、終わりってわけか」
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