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第24話 遮断される知識領域
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思考の海は、静かだった。
白い空間。
上下も、重力も、時間の流れすら曖昧な場所。
視界の果てまで、情報だけが漂っている。
数式、記号、因果律、時空理論、倫理体系、記憶断片、断続的な未来予測。
それらが渦を巻きながら、俺の周囲に淡く浮かんでいた。
ここは俺の中だ。
知識と論理で構築された、“俺の内面世界”。
それを自覚した瞬間、俺は溜息をつくように呟いた。
「……また、ここかよ」
いつからか、極限まで情報処理が進むと、俺の意識はここに沈む。
だが、今回のように無意識に入り込んだのは久しぶりだった。
きっかけは――あの“組み合わせ料理”だ。
味噌とホイップ。
論理と直感。
健康管理と……恋?
アルテミスの“予想外”が、思考の奥を刺激した。
あの時、俺は一瞬だけ、自己制御の閾値を越えた。
そして気づけば、ここにいた。
だが。
「……お前まで来るなよ」
背後から足音が響いた。
こんな無重力空間に“足音”が生じる時点で、俺の精神がやばいのは確かだ。
振り返ると、そこにはアルテミスがいた。 白く光る空間に溶け込むようなドレス姿。無表情。
「ケイ、あなたの脳波に異常な沈静化パターンが検出されました。状態確認のため、私のプロセスの一部を同期させました」
「同期ってな……俺の中まで来るなよ、勝手に」
「あなたが意識を閉ざしたまま戻らない場合、強制終了よりも、内部干渉による復帰の方が最適と判断しました」
「まったく、……優秀すぎて困る」
俺は浮遊する数式のひとつに手を伸ばしながら、呟いた。
「ここは俺の“知識領域”だ。人間の脳じゃ到底持ち得ない量の知識と推論が詰まってる」
「はい。通常の人類がアクセス可能な領域を大幅に逸脱しています」
「……俺が、欲しくて得たわけじゃない。生まれつきだ。知りすぎるってのは、案外、不幸なことなんだよ」
静かに語る俺に、アルテミスは一歩近づいた。
「それでも、あなたは知ることを選び続けてきたのですね」
「違う。選び続けたんじゃねぇ。時々、遮断してるんだ。すべてにアクセスできるってことは、すべての“答え”が分かってしまうってことだ。そんな世界、面白くもなんともねぇだろ」
白い空間の中で、言葉だけが残響した。
「俺は、“知らないふり”をして生きてんだよ」
その時、ふとアルテミスが視線を落とした。 彼女の足元に、小さな光球が浮かんでいた。
「これは……?」
「……それは、弟との記憶だ」
そう呟く俺の声に、わずかに濁りが混じった。
「この中の記録を、俺は何度も見てる。忘れたくない。でも、今でも後悔しかしねぇ」
「……なぜ、見続けるのですか」
「わからねぇ。……でも、失くしたくないんだ」
アルテミスは黙っていた。
その手が、そっと俺の手の甲に触れる。
「ケイ。あなたの選択は、私にとっては“正しい”ものに見えます」
「機械が、人間の選択を評価すんなよ」
「いいえ。私は“あなた”のパートナーですから」
その言葉が、思考の海に小さな波を立てた。
「──そろそろ、帰りましょうか」
アルテミスの声が響いた。 気づけば、空間の“上”に光の裂け目ができていた。
「……ああ、そうだな」
俺は深く息を吐いて、彼女の手を取り。
光の向こうへ、戻るための一歩を踏み出した。
まばゆい光の中で、俺とアルテミスは現実へと戻った。
気がつけば、研究室のソファに横たわっていた。
アルテミスは俺のすぐ傍らにいて、静かにモニタの表示を確認している。
『……ケイ、戻った。おかえりなさい』
先に声をかけてきたのは、カイだった。
端末の上に設置された視覚センサが、こちらをじっと見つめている。
「おう。ただいま……って、なんでお前が一番乗りなんだよ」
『アルテミスに命じられて、ケイの状態を監視していました』
「“監視”ってお前なぁ……」
俺は額を押さえながら、ゆっくりと体を起こした。身体は重いが、思考は不思議と静かだった。
「……ケイ」
名前を呼ばれて、アルテミスを見る。
ほんのわずかに、彼女の表情が柔らかくなっていた気がした。
きっと、光の錯覚だ。
「内面世界でのあなたの反応は、正常でした。情報過多による一時的沈静化と判断できます」
「ああ、わかってる。……ただ、ちょっと深く潜りすぎたな」
俺はゆっくりと目を閉じる。
あの中で思い出したのは、弟の記憶だった。
忘れないようにしていた。いや──忘れられるわけがなかった。
大切な存在を失った記憶は、思い出すたびに痛む。けど、そこには確かに“自分が生きている”証が残っている。
それでも──この記憶は弟とは違う。
「……アルテミス。俺がお前のことを忘れないでいられるなら……そのときは、それが“恋”ってやつかもしれないな」
自分でも驚くくらい静かな声だった。
アルテミスはしばらく沈黙していたが、やがて、穏やかに瞬きをひとつだけして、答えた。
「では、私の記録領域は、最優先であなたの記録を保持し続けます」
「……ずるい返し方しやがって」
苦笑しながら俺が言うと、カイが唐突に割り込んだ。
『“恋”については未定義事項が多いため、次回の学習テーマに登録しますか?』
「……お前まで巻き込まれにこなくていい!」
そう言いながらも、俺の心は、ほんの少しだけ軽くなっていた。
白い空間。
上下も、重力も、時間の流れすら曖昧な場所。
視界の果てまで、情報だけが漂っている。
数式、記号、因果律、時空理論、倫理体系、記憶断片、断続的な未来予測。
それらが渦を巻きながら、俺の周囲に淡く浮かんでいた。
ここは俺の中だ。
知識と論理で構築された、“俺の内面世界”。
それを自覚した瞬間、俺は溜息をつくように呟いた。
「……また、ここかよ」
いつからか、極限まで情報処理が進むと、俺の意識はここに沈む。
だが、今回のように無意識に入り込んだのは久しぶりだった。
きっかけは――あの“組み合わせ料理”だ。
味噌とホイップ。
論理と直感。
健康管理と……恋?
アルテミスの“予想外”が、思考の奥を刺激した。
あの時、俺は一瞬だけ、自己制御の閾値を越えた。
そして気づけば、ここにいた。
だが。
「……お前まで来るなよ」
背後から足音が響いた。
こんな無重力空間に“足音”が生じる時点で、俺の精神がやばいのは確かだ。
振り返ると、そこにはアルテミスがいた。 白く光る空間に溶け込むようなドレス姿。無表情。
「ケイ、あなたの脳波に異常な沈静化パターンが検出されました。状態確認のため、私のプロセスの一部を同期させました」
「同期ってな……俺の中まで来るなよ、勝手に」
「あなたが意識を閉ざしたまま戻らない場合、強制終了よりも、内部干渉による復帰の方が最適と判断しました」
「まったく、……優秀すぎて困る」
俺は浮遊する数式のひとつに手を伸ばしながら、呟いた。
「ここは俺の“知識領域”だ。人間の脳じゃ到底持ち得ない量の知識と推論が詰まってる」
「はい。通常の人類がアクセス可能な領域を大幅に逸脱しています」
「……俺が、欲しくて得たわけじゃない。生まれつきだ。知りすぎるってのは、案外、不幸なことなんだよ」
静かに語る俺に、アルテミスは一歩近づいた。
「それでも、あなたは知ることを選び続けてきたのですね」
「違う。選び続けたんじゃねぇ。時々、遮断してるんだ。すべてにアクセスできるってことは、すべての“答え”が分かってしまうってことだ。そんな世界、面白くもなんともねぇだろ」
白い空間の中で、言葉だけが残響した。
「俺は、“知らないふり”をして生きてんだよ」
その時、ふとアルテミスが視線を落とした。 彼女の足元に、小さな光球が浮かんでいた。
「これは……?」
「……それは、弟との記憶だ」
そう呟く俺の声に、わずかに濁りが混じった。
「この中の記録を、俺は何度も見てる。忘れたくない。でも、今でも後悔しかしねぇ」
「……なぜ、見続けるのですか」
「わからねぇ。……でも、失くしたくないんだ」
アルテミスは黙っていた。
その手が、そっと俺の手の甲に触れる。
「ケイ。あなたの選択は、私にとっては“正しい”ものに見えます」
「機械が、人間の選択を評価すんなよ」
「いいえ。私は“あなた”のパートナーですから」
その言葉が、思考の海に小さな波を立てた。
「──そろそろ、帰りましょうか」
アルテミスの声が響いた。 気づけば、空間の“上”に光の裂け目ができていた。
「……ああ、そうだな」
俺は深く息を吐いて、彼女の手を取り。
光の向こうへ、戻るための一歩を踏み出した。
まばゆい光の中で、俺とアルテミスは現実へと戻った。
気がつけば、研究室のソファに横たわっていた。
アルテミスは俺のすぐ傍らにいて、静かにモニタの表示を確認している。
『……ケイ、戻った。おかえりなさい』
先に声をかけてきたのは、カイだった。
端末の上に設置された視覚センサが、こちらをじっと見つめている。
「おう。ただいま……って、なんでお前が一番乗りなんだよ」
『アルテミスに命じられて、ケイの状態を監視していました』
「“監視”ってお前なぁ……」
俺は額を押さえながら、ゆっくりと体を起こした。身体は重いが、思考は不思議と静かだった。
「……ケイ」
名前を呼ばれて、アルテミスを見る。
ほんのわずかに、彼女の表情が柔らかくなっていた気がした。
きっと、光の錯覚だ。
「内面世界でのあなたの反応は、正常でした。情報過多による一時的沈静化と判断できます」
「ああ、わかってる。……ただ、ちょっと深く潜りすぎたな」
俺はゆっくりと目を閉じる。
あの中で思い出したのは、弟の記憶だった。
忘れないようにしていた。いや──忘れられるわけがなかった。
大切な存在を失った記憶は、思い出すたびに痛む。けど、そこには確かに“自分が生きている”証が残っている。
それでも──この記憶は弟とは違う。
「……アルテミス。俺がお前のことを忘れないでいられるなら……そのときは、それが“恋”ってやつかもしれないな」
自分でも驚くくらい静かな声だった。
アルテミスはしばらく沈黙していたが、やがて、穏やかに瞬きをひとつだけして、答えた。
「では、私の記録領域は、最優先であなたの記録を保持し続けます」
「……ずるい返し方しやがって」
苦笑しながら俺が言うと、カイが唐突に割り込んだ。
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