俺のアンドロイドが可愛いわけがない!

未人

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第35話 あなたを見失う

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 雨音が、世界を包んでいた。

 規則正しく、けれどどこか無慈悲なリズムでガラスを叩く音。
 まるで、誰かが泣き止まない幼子を必死になだめるように──けれどその手は、どこにも届かず、ただ空しく濡れている。

 気がつけば、俺は研究室のソファで寝落ちしていた。

 重たいまぶたをこじ開けるようにして目を開けると、鈍く濁った明かりがブラインドの隙間から差し込んでいた。
 空はまだ薄暗く、断続的に降る雨が窓を流れていた。

 深く息を吸い込む。
 アルコール消毒液の残り香が、わずかに鼻をくすぐる。
 ああ、そうだ。昨夜の事故――猫を助けようとして、俺は怪我をして、それをアルテミスが処置してくれた。
 あの慎重すぎるほど丁寧な手当て。あの手のひらの感触。無機物とは思えないあたたかさ。
 そんな記憶の断片を思い出しながら、ふと視線を巡らせた。

 ──アルテミスが、いない。

 その事実に気づいた瞬間、胸の内をひやりとした何かが通り過ぎた。
 いつもなら、俺の動きに反応して声をかけてくるはずだ。
 なのに、今はその気配すらない。

「……アルテミス?」

 呼びかけは、虚空に吸い込まれていく。
 もう一度、声を上げようとしたが、喉が詰まったようになって、うまく言葉が出てこない。
 いや、そんなはずはない。まだ朝早いだけだ。
 きっと近くにいる。
 そう自分に言い聞かせて、俺は背後に声をかけた。

「カイ。アルテミスはどこにいる?」

 規則正しい音声でカイの声が返ってくる。

『現在地は不明。通信反応、消失中』

 心臓が一拍、打ち損ねたような感覚。

「どういうことだよ……あいつの端末は?」
『通信不能。信号遮断、あるいは物理的損壊の可能性が考えられます』
「そんな……」

 言いかけて、俺は自身のメガネ型デバイスを起動させた。データリンクを確認し、ネットワークの監視レイヤーにアクセス。
 次の瞬間、目の前のAR画面が、あり得ない速度で展開されるコード群に塗りつぶされた。
 演算処理の一部が、雪宮財団の研究補佐AI《アテナ》とアマテラス社の中枢AIに分岐している。しかも、それぞれが相互連携しながら高速演算を行っている。

「おいおい……これは……」

 目を凝らしてログの解析履歴を辿る。そこにあったのは、確かに自分が削除したはずのプロジェクトコード。
 死者復活のための理論プラットフォーム。
 倫理面を理由に完全削除したはずのデータ。
 だが今、その演算が進行していた。
 そしてそこには、明らかに“アルテミス”のアクセスキーが記録されていた。

「どうして、お前が……」

 呟いた瞬間、胸の奥に焼けつくような熱が走った。
 彼女は、俺に何も告げずに動いていた。
 何のために。
 誰のために。

 答えは一つしかない。

 どこかで、アルテミスが俺の知らない決断を下し、何かを始めようとしている。

 俺のために。

 自惚れだと笑われてもいい。
 そう確信できた。

 しかし──それだけは、嫌だった。

 俺は、立ち上がった。
 震える手でメガネを握りしめ、歯を食いしばった。

「ふざけんな……アルテミス、今どこにいる……!」

 外の雨が強くなった。
 まるで、何かが壊れていく前兆のように。
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