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第52話 理解できなくても寄り添えば
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「ユリアに影ですか?」
私は殿下の言葉を繰り返した。
「ああ。比較的大きな影だった。だが君は彼女の腕を掴んだだろう」
「あ、はい」
ジェラルド様を責めるユリアを止めるために掴んだあの瞬間のことね。
「その時に君の獣、ネロがすぐに影祓いした。だから私は憑かれずに済んだのだが、本来ならあの距離だと憑かれていただろう」
そう言えば、殿下はテーブルを挟んで大臣と向かい合っていたのに、憑かれたものね。吸引力の凄さよ。
「前にも言ったが影は心身が弱っていたり、悪意や妬み恨み、つまり人間の闇の部分を好んで取り憑く。彼女は一見感情を表面に出さないから安定しているように見えるが、実は精神状態が危ういのかもしれないと思ってな」
「ですが、影とは誰しも憑かれる可能性があるのではないのですか? 慣れぬ環境に心身が疲れ、たまたま取り憑いたとか」
私だってこう見えて繊細なのだ。今の生活に少なからず疲れを感じている。
「そうだな。だからこそ、彼女のことを探るようジェラルドに指示した。今日だけの調査だが、ジェラルドが言うには彼の目には、ユリア・ラドロはたぎるような感情を心に隠して生きているように見えたとのことだ。特に君のことになると目の色を変えていたらしい」
そ、それって良い意味で目の色を変えてくれているのよね? コイツいつか絶対へこましてやるとか思っての意味じゃあ、ないわよねっ!? え、どうだろ。普段から朝起きは悪いし、愛想良くするよう口酸っぱく言っているし、何だかんだ言って迷惑をかけているし、今回も無理矢理引っ張ってきたし、う、恨まれているかも!?
動揺する私の表情を見て殿下は少し笑った。
「安心していい。彼女が言ったのはもし君に危害を加えることがあるのなら、この王家すら敵に回す所存だ、という意味の方だ」
「そ、そうですか。――って、ユリアがそんな事を!? し、失礼いたしました。首を飛ばすのならばどうぞわたくしだけに」
さすがに私は手を組んで殿下にお願い申し上げてみる。
「君の首を差し出してくるのは勘弁してくれ。夜な夜な恨み節を延々と耳元でささやき続けてうるさそうだ」
本気で鬱陶しそうに眉をひそめて、しっしと手で払うのを止めてください。
「まあ、冗談はさておき。ユリア・ラドロの話に戻す。彼女は周りの全てが無関心のようでいて、表面上は冷たくさえ見えるが、その内情は近付く者を焼き尽くさんばかりの激情を抱えて込んでいる。おそらく、彼女の過去がそうさせるのだろう。私も路上生活者たちへの慰問に訪れたことがあるが、目をギラギラさせた攻撃的な者もいたが、ほとんどは今日を生きることに必死で、明日を夢見る者はおらず、死んだような目をしている者が多かった」
「え? ……どういう」
少し言い辛そうだったけれど、殿下は話し始める。
路上生活者の生活環境はもちろん劣悪だ。飢えに苦しみ、生きるために誰かを傷つけ、犯罪に手を染める。時には失敗し、時には暴力を受けることもあるだろう。仲間だと思っていた人間からの裏切りもあり、結局、自分の身は自分で守るしかないと痛みを伴って思い知る。
苦しさ、つらさ、痛み、羨み、妬み、憎しみ、恨み、悲しみ。
なぜ自分だけこんな目に遭うのかと神を恨み、人を呪う。未来へ希望の光が見い出せず、ありとあらゆる負の感情に満ちあふれるばかり。それでも感傷的になったり、感情的になったりすれば、一瞬の判断が要求される場では見誤ってしまう。
今日という一日を生き抜くために、人の心に興味を持たず、何が目の前で起こっても動揺せず、感情を出さないように奥底に押し込める。彼らはそうやってでしか生きていけない。
そこまで言ったところで殿下は言葉を切ると、ばつが悪そうな表情を浮かべた。
「すまない。君を泣かせるつもりではなかった」
「……いえ。自分がユリアの一番の理解者だなどと思っていたのは馬鹿でした。驕りもいいところでした」
淡々と自身が知り得た現実だけを述べる殿下に、私は涙が止まらなかった。
でもこの涙は誰のために、何のために流しているのか。ユリアのためか、彼女と同じ境遇の人たちのためか、それともただ無知な子供に過ぎなかった自分に嫌悪してなのか、私には分からなかった。
ただ一つ分かるのは、ストリートチルドレンの時代に受けたユリアの傷は癒えていないということ。当たり前の話だけれど、それらは簡単に消えるものではない。
「誰も人の気持ちを完全に理解することはできない。だが、寄り添うことはできる。それによって救われる者もいるだろう」
「え?」
ハンカチで頬を押さえながら視線だけを上げる。
「ユリア・ラドロは君が側にいてくれたことで救われたはずだ。そして今も君の側にいることで心の均衡を保っているのだと思う。ジェラルドはたくさんの人間を見てきたが、彼女のような人間は強くもあり、だが脆くもあり、いつ壊れてもおかしくはないと言っていた。しかし、これからも君が側にいるのならば、彼女はきっと大丈夫だろう」
まだ目の前の景色は少し滲んでいるけれども、殿下のお言葉で唇に笑みが戻った。
「温情のこもった殿下のお言葉、心より感謝いたします」
言葉と共に頭を垂れ丁寧に礼を取ると、君が素直だと何だか調子が狂うなと、殿下は小さく笑った。
私は殿下の言葉を繰り返した。
「ああ。比較的大きな影だった。だが君は彼女の腕を掴んだだろう」
「あ、はい」
ジェラルド様を責めるユリアを止めるために掴んだあの瞬間のことね。
「その時に君の獣、ネロがすぐに影祓いした。だから私は憑かれずに済んだのだが、本来ならあの距離だと憑かれていただろう」
そう言えば、殿下はテーブルを挟んで大臣と向かい合っていたのに、憑かれたものね。吸引力の凄さよ。
「前にも言ったが影は心身が弱っていたり、悪意や妬み恨み、つまり人間の闇の部分を好んで取り憑く。彼女は一見感情を表面に出さないから安定しているように見えるが、実は精神状態が危ういのかもしれないと思ってな」
「ですが、影とは誰しも憑かれる可能性があるのではないのですか? 慣れぬ環境に心身が疲れ、たまたま取り憑いたとか」
私だってこう見えて繊細なのだ。今の生活に少なからず疲れを感じている。
「そうだな。だからこそ、彼女のことを探るようジェラルドに指示した。今日だけの調査だが、ジェラルドが言うには彼の目には、ユリア・ラドロはたぎるような感情を心に隠して生きているように見えたとのことだ。特に君のことになると目の色を変えていたらしい」
そ、それって良い意味で目の色を変えてくれているのよね? コイツいつか絶対へこましてやるとか思っての意味じゃあ、ないわよねっ!? え、どうだろ。普段から朝起きは悪いし、愛想良くするよう口酸っぱく言っているし、何だかんだ言って迷惑をかけているし、今回も無理矢理引っ張ってきたし、う、恨まれているかも!?
動揺する私の表情を見て殿下は少し笑った。
「安心していい。彼女が言ったのはもし君に危害を加えることがあるのなら、この王家すら敵に回す所存だ、という意味の方だ」
「そ、そうですか。――って、ユリアがそんな事を!? し、失礼いたしました。首を飛ばすのならばどうぞわたくしだけに」
さすがに私は手を組んで殿下にお願い申し上げてみる。
「君の首を差し出してくるのは勘弁してくれ。夜な夜な恨み節を延々と耳元でささやき続けてうるさそうだ」
本気で鬱陶しそうに眉をひそめて、しっしと手で払うのを止めてください。
「まあ、冗談はさておき。ユリア・ラドロの話に戻す。彼女は周りの全てが無関心のようでいて、表面上は冷たくさえ見えるが、その内情は近付く者を焼き尽くさんばかりの激情を抱えて込んでいる。おそらく、彼女の過去がそうさせるのだろう。私も路上生活者たちへの慰問に訪れたことがあるが、目をギラギラさせた攻撃的な者もいたが、ほとんどは今日を生きることに必死で、明日を夢見る者はおらず、死んだような目をしている者が多かった」
「え? ……どういう」
少し言い辛そうだったけれど、殿下は話し始める。
路上生活者の生活環境はもちろん劣悪だ。飢えに苦しみ、生きるために誰かを傷つけ、犯罪に手を染める。時には失敗し、時には暴力を受けることもあるだろう。仲間だと思っていた人間からの裏切りもあり、結局、自分の身は自分で守るしかないと痛みを伴って思い知る。
苦しさ、つらさ、痛み、羨み、妬み、憎しみ、恨み、悲しみ。
なぜ自分だけこんな目に遭うのかと神を恨み、人を呪う。未来へ希望の光が見い出せず、ありとあらゆる負の感情に満ちあふれるばかり。それでも感傷的になったり、感情的になったりすれば、一瞬の判断が要求される場では見誤ってしまう。
今日という一日を生き抜くために、人の心に興味を持たず、何が目の前で起こっても動揺せず、感情を出さないように奥底に押し込める。彼らはそうやってでしか生きていけない。
そこまで言ったところで殿下は言葉を切ると、ばつが悪そうな表情を浮かべた。
「すまない。君を泣かせるつもりではなかった」
「……いえ。自分がユリアの一番の理解者だなどと思っていたのは馬鹿でした。驕りもいいところでした」
淡々と自身が知り得た現実だけを述べる殿下に、私は涙が止まらなかった。
でもこの涙は誰のために、何のために流しているのか。ユリアのためか、彼女と同じ境遇の人たちのためか、それともただ無知な子供に過ぎなかった自分に嫌悪してなのか、私には分からなかった。
ただ一つ分かるのは、ストリートチルドレンの時代に受けたユリアの傷は癒えていないということ。当たり前の話だけれど、それらは簡単に消えるものではない。
「誰も人の気持ちを完全に理解することはできない。だが、寄り添うことはできる。それによって救われる者もいるだろう」
「え?」
ハンカチで頬を押さえながら視線だけを上げる。
「ユリア・ラドロは君が側にいてくれたことで救われたはずだ。そして今も君の側にいることで心の均衡を保っているのだと思う。ジェラルドはたくさんの人間を見てきたが、彼女のような人間は強くもあり、だが脆くもあり、いつ壊れてもおかしくはないと言っていた。しかし、これからも君が側にいるのならば、彼女はきっと大丈夫だろう」
まだ目の前の景色は少し滲んでいるけれども、殿下のお言葉で唇に笑みが戻った。
「温情のこもった殿下のお言葉、心より感謝いたします」
言葉と共に頭を垂れ丁寧に礼を取ると、君が素直だと何だか調子が狂うなと、殿下は小さく笑った。
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