193 / 315
第193話 ユリアのさらに遡った過去
しおりを挟む
ユリアは私たちの視線を受けながらもなお、いつもと変わらない落ち着いた表情だ。その彼女がゆっくりと口を開いた。
「何者という程の者ではありません。ただ、私の旧姓は……ユリア・ジャンメールです」
「ジャンメール? どこかで聞いたことがある」
殿下は顎に指をやり、眉をひそめる。
「ルイス王時代までの文字を研究していた言語学者、アルベリク・ジャンメールの娘です」
ユリアの告白に一同息を呑み、言葉を失う。しかし動揺しながらも最初に口を開いたのは殿下だった。
「アルベリク・ジャンメール。そうだ。確かにそう聞いたことがある。だが、火事で亡くなったと聞いたが」
「そうですね。正確には殺害された後に放火されたのです」
淡々と答えるユリアに対して、私たちは顔を強ばらせる。
「ど、ういうこと、ユリア」
やっとのことで震える声を出せた私がユリアに問うと、彼女は私を見た。
「ロザンヌ様に出会う三年程前のことでした。私たち家族は学者の父とそれを支える母の三人、王都の下町で慎ましくも暮らしていました。父は日中、他言語で書かれた本を翻訳する仕事をし、空いた時間は言語学者として色々な言語の研究を細々としていましたが、ある日依頼を受けました。貴人からの依頼だったそうです」
「貴人から……」
殿下は目を見張る。
王族、あるいはどこかの貴族がユリアのお父様に文字解明の依頼をしていたとは。
「多額の報酬と何よりも貴重な資料に、いつもは冷静な父がこれで研究が進むと頬を紅潮させて喜んでいたことを今でも思い出します」
感情のこもらないユリアの話し口調がなおさら胸に響く。
「言語解明が終わり、依頼者を待つのみという頃でした。寝静まった真夜中に強盗が押し入ったのです。父はまだ仕事中だったようで、父の書斎で誰かと争う声に母が気付いて私を起こしました。争う音や声が止むことはなく、事態は深刻だと察した母が先に逃げなさいと私を外に追いやったのです。――窓へと振り返ると、光るナイフが見えた直後、耳をつんざくような悲鳴と共に部屋に火の手が上がりました」
私はいつの間にか強く握りしめていた手が小刻みに震えていた。
そんな私を見ているユリアは視線を外すように目を半ば伏せる。
「ここにいてはいけないと、母の悲鳴を背中に私は走りました。走って走って。どこまでも走って逃げて。――やがて夜が明け、やはり気になって家にこっそりと戻ってきたら家は全焼。家人は全員亡くなったと耳にしました。そして火の不始末による出火だろうと結論づけられました」
何と言って良いのか分からない。ただ、何かを口にしたとしても、意味のない言葉が漏れるだけだろう。
「父は研究中、何度も母と私に言っていました。この言語が解明された時、自分は命を狙われるかもしれないと。その時は逃げろと、ユリアを必ず逃がしてくれと」
「父君が君を?」
「はい。父は盗難の恐れがあるためと、訳語を文字には一切残しませんでした。その代わりに私に全てを託したのです」
「つまり」
殿下は掠れた声を出す。
「つまり君の頭の中にルイス王時代の文字の訳語が収められている?」
「はい。ですから自分に何かあった時、脇目もふらずに逃げろと。何があっても逃げて生きろと繰り返し言われました」
「火事の再調査を訴え出なかったのですか」
黙って聞いていたジェラルドさんが尋ねた。
「はい。最初は訴え出ることも考えましたが、大人が出火原因を火の不始末だと決めてしまったのです。七歳の子供の声に耳を傾けてくれはしなかったでしょう」
ジェラルドさんは苦い表情を浮かべる。
過去の事とはいえ、同職として庶民のために動かない騎士たちの行為を恥じているのだろうか。
「何よりもジャンメールの娘として、名乗りを上げない方が良いと思ったのです」
もし強盗がルイス王時代の訳語を狙った者だとしたら、その人物にジャンメールの娘と知られてしまうと自分の身に危険が迫るから。
「他に身内もいませんでしたし、その後、行き場を失った私は路上生活者となります。しばらくは自分を誰かが追ってくるのではないかと怯えていましたが、それは杞憂でした」
「ロザンヌ様と出会うまで、そこでずっと生きてこられたのですか」
「はい。父の言葉が重荷になったこともありますが」
両親を失い、帰る場所を失い、そして自分の存在さえも失った。ユリアのお父様は役目を放棄してでも、ただユリアに生きてほしかったのだと思う。けれどもユリアにとっては、苦しくても生き続けなければならないのかと呪いの言葉のようにも思えたのかもしれない。
どうしてユリアばかり、こんな苦しい目に遭わなければならないのか。なぜユリアばかり。
ユリアは私に近付くと、ただ黙ってハンカチを頬に優しく押し当てた。
滲んだ視界と共に彼女の行為にようやく気付く。
本当に泣きたいのはユリアの方だ。
私は自分の目元を手でぎゅっと強く拭った。
「何者という程の者ではありません。ただ、私の旧姓は……ユリア・ジャンメールです」
「ジャンメール? どこかで聞いたことがある」
殿下は顎に指をやり、眉をひそめる。
「ルイス王時代までの文字を研究していた言語学者、アルベリク・ジャンメールの娘です」
ユリアの告白に一同息を呑み、言葉を失う。しかし動揺しながらも最初に口を開いたのは殿下だった。
「アルベリク・ジャンメール。そうだ。確かにそう聞いたことがある。だが、火事で亡くなったと聞いたが」
「そうですね。正確には殺害された後に放火されたのです」
淡々と答えるユリアに対して、私たちは顔を強ばらせる。
「ど、ういうこと、ユリア」
やっとのことで震える声を出せた私がユリアに問うと、彼女は私を見た。
「ロザンヌ様に出会う三年程前のことでした。私たち家族は学者の父とそれを支える母の三人、王都の下町で慎ましくも暮らしていました。父は日中、他言語で書かれた本を翻訳する仕事をし、空いた時間は言語学者として色々な言語の研究を細々としていましたが、ある日依頼を受けました。貴人からの依頼だったそうです」
「貴人から……」
殿下は目を見張る。
王族、あるいはどこかの貴族がユリアのお父様に文字解明の依頼をしていたとは。
「多額の報酬と何よりも貴重な資料に、いつもは冷静な父がこれで研究が進むと頬を紅潮させて喜んでいたことを今でも思い出します」
感情のこもらないユリアの話し口調がなおさら胸に響く。
「言語解明が終わり、依頼者を待つのみという頃でした。寝静まった真夜中に強盗が押し入ったのです。父はまだ仕事中だったようで、父の書斎で誰かと争う声に母が気付いて私を起こしました。争う音や声が止むことはなく、事態は深刻だと察した母が先に逃げなさいと私を外に追いやったのです。――窓へと振り返ると、光るナイフが見えた直後、耳をつんざくような悲鳴と共に部屋に火の手が上がりました」
私はいつの間にか強く握りしめていた手が小刻みに震えていた。
そんな私を見ているユリアは視線を外すように目を半ば伏せる。
「ここにいてはいけないと、母の悲鳴を背中に私は走りました。走って走って。どこまでも走って逃げて。――やがて夜が明け、やはり気になって家にこっそりと戻ってきたら家は全焼。家人は全員亡くなったと耳にしました。そして火の不始末による出火だろうと結論づけられました」
何と言って良いのか分からない。ただ、何かを口にしたとしても、意味のない言葉が漏れるだけだろう。
「父は研究中、何度も母と私に言っていました。この言語が解明された時、自分は命を狙われるかもしれないと。その時は逃げろと、ユリアを必ず逃がしてくれと」
「父君が君を?」
「はい。父は盗難の恐れがあるためと、訳語を文字には一切残しませんでした。その代わりに私に全てを託したのです」
「つまり」
殿下は掠れた声を出す。
「つまり君の頭の中にルイス王時代の文字の訳語が収められている?」
「はい。ですから自分に何かあった時、脇目もふらずに逃げろと。何があっても逃げて生きろと繰り返し言われました」
「火事の再調査を訴え出なかったのですか」
黙って聞いていたジェラルドさんが尋ねた。
「はい。最初は訴え出ることも考えましたが、大人が出火原因を火の不始末だと決めてしまったのです。七歳の子供の声に耳を傾けてくれはしなかったでしょう」
ジェラルドさんは苦い表情を浮かべる。
過去の事とはいえ、同職として庶民のために動かない騎士たちの行為を恥じているのだろうか。
「何よりもジャンメールの娘として、名乗りを上げない方が良いと思ったのです」
もし強盗がルイス王時代の訳語を狙った者だとしたら、その人物にジャンメールの娘と知られてしまうと自分の身に危険が迫るから。
「他に身内もいませんでしたし、その後、行き場を失った私は路上生活者となります。しばらくは自分を誰かが追ってくるのではないかと怯えていましたが、それは杞憂でした」
「ロザンヌ様と出会うまで、そこでずっと生きてこられたのですか」
「はい。父の言葉が重荷になったこともありますが」
両親を失い、帰る場所を失い、そして自分の存在さえも失った。ユリアのお父様は役目を放棄してでも、ただユリアに生きてほしかったのだと思う。けれどもユリアにとっては、苦しくても生き続けなければならないのかと呪いの言葉のようにも思えたのかもしれない。
どうしてユリアばかり、こんな苦しい目に遭わなければならないのか。なぜユリアばかり。
ユリアは私に近付くと、ただ黙ってハンカチを頬に優しく押し当てた。
滲んだ視界と共に彼女の行為にようやく気付く。
本当に泣きたいのはユリアの方だ。
私は自分の目元を手でぎゅっと強く拭った。
33
あなたにおすすめの小説
王宮に薬を届けに行ったなら
佐倉ミズキ
恋愛
王宮で薬師をしているラナは、上司の言いつけに従い王子殿下のカザヤに薬を届けに行った。
カザヤは生まれつき体が弱く、臥せっていることが多い。
この日もいつも通り、カザヤに薬を届けに行ったラナだが仕事終わりに届け忘れがあったことに気が付いた。
慌ててカザヤの部屋へ行くと、そこで目にしたものは……。
弱々しく臥せっているカザヤがベッドから起き上がり、元気に動き回っていたのだ。
「俺の秘密を知ったのだから部屋から出すわけにはいかない」
驚くラナに、カザヤは不敵な笑みを浮かべた。
「今日、国王が崩御する。だからお前を部屋から出すわけにはいかない」
※ベリーズカフェにも掲載中です。そちらではラナの設定が変わっています。(貴族→庶民)それにより、内容も少し変更しておりますのであわせてお楽しみください。
私が、良いと言ってくれるので結婚します
あべ鈴峰
恋愛
幼馴染のクリスと比較されて悲しい思いをしていたロアンヌだったが、突然現れたレグール様のプロポーズに 初対面なのに結婚を決意する。
しかし、その事を良く思わないクリスが・・。
婚約白紙?上等です!ローゼリアはみんなが思うほど弱くない!
志波 連
恋愛
伯爵令嬢として生まれたローゼリア・ワンドは婚約者であり同じ家で暮らしてきたひとつ年上のアランと隣国から留学してきた王女が恋をしていることを知る。信じ切っていたアランとの未来に決別したローゼリアは、友人たちの支えによって、自分の道をみつけて自立していくのだった。
親たちが子供のためを思い敷いた人生のレールは、子供の自由を奪い苦しめてしまうこともあります。自分を見つめ直し、悩み傷つきながらも自らの手で人生を切り開いていく少女の成長物語です。
本作は小説家になろう及びツギクルにも投稿しています。
報われなかった姫君に、弔いの白い薔薇の花束を
さくたろう
恋愛
その国の王妃を決める舞踏会に招かれたロザリー・ベルトレードは、自分が当時の王子、そうして現王アルフォンスの婚約者であり、不遇の死を遂げた姫オフィーリアであったという前世を思い出す。
少しずつ蘇るオフィーリアの記憶に翻弄されながらも、17年前から今世まで続く因縁に、ロザリーは絡め取られていく。一方でアルフォンスもロザリーの存在から目が離せなくなり、やがて二人は再び惹かれ合うようになるが――。
20話です。小説家になろう様でも公開中です。
【完結】6人目の娘として生まれました。目立たない伯爵令嬢なのに、なぜかイケメン公爵が離れない
朝日みらい
恋愛
エリーナは、伯爵家の6人目の娘として生まれましたが、幸せではありませんでした。彼女は両親からも兄姉からも無視されていました。それに才能も兄姉と比べると特に特別なところがなかったのです。そんな孤独な彼女の前に現れたのが、公爵家のヴィクトールでした。彼女のそばに支えて励ましてくれるのです。エリーナはヴィクトールに何かとほめられながら、自分の力を信じて幸せをつかむ物語です。
【完結】髪は女の命と言いますが、それよりも大事なものがある〜年下天才魔法使いの愛には応えられません〜
大森 樹
恋愛
髪は女の命。しかし、レベッカの髪は切ったら二度と伸びない。
みんなには秘密だが、レベッカの髪には魔法が宿っている。長い髪を切って、昔助けた男の子レオンが天才魔法使いとなって目の前に現れた。
「あなたを愛しています!絶対に絶対に幸せにするので、俺と結婚してください!よろしくお願いします!!」
婚約破棄されてから、一人で生きていくために真面目に魔法省の事務員として働いていたレベッカ。天才魔法使いとして入団してきた新人レオンに急に告白されるが、それを拒否する。しかし彼は全く諦める気配はない。
「レベッカさん!レベッカさん!」とまとわりつくレオンを迷惑に思いながらも、ストレートに愛を伝えてくる彼に次第に心惹かれていく…….。しかし、レベッカはレオンの気持ちに答えられないある理由があった。
年上訳あり真面目ヒロイン×年下可愛い系一途なヒーローの年の差ラブストーリーです。
【完結】地味な私と公爵様
ベル
恋愛
ラエル公爵。この学園でこの名を知らない人はいないでしょう。
端正な顔立ちに甘く低い声、時折見せる少年のような笑顔。誰もがその美しさに魅了され、女性なら誰もがラエル様との結婚を夢見てしまう。
そんな方が、平凡...いや、かなり地味で目立たない伯爵令嬢である私の婚約者だなんて一体誰が信じるでしょうか。
...正直私も信じていません。
ラエル様が、私を溺愛しているなんて。
きっと、きっと、夢に違いありません。
お読みいただきありがとうございます。短編のつもりで書き始めましたが、意外と話が増えて長編に変更し、無事完結しました(*´-`)
私の手からこぼれ落ちるもの
アズやっこ
恋愛
5歳の時、お父様が亡くなった。
優しくて私やお母様を愛してくれたお父様。私達は仲の良い家族だった。
でもそれは偽りだった。
お父様の書斎にあった手記を見た時、お父様の優しさも愛も、それはただの罪滅ぼしだった。
お父様が亡くなり侯爵家は叔父様に奪われた。侯爵家を追い出されたお母様は心を病んだ。
心を病んだお母様を助けたのは私ではなかった。
私の手からこぼれていくもの、そして最後は私もこぼれていく。
こぼれた私を救ってくれる人はいるのかしら…
❈ 作者独自の世界観です。
❈ 作者独自の設定です。
❈ ざまぁはありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる