つかれやすい殿下のために掃除婦として就くことになりました

樹里

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第233話 ノエル・ブラックウェルの手記(一)

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 殿下が扉から顔を出すなり私は拳を作って叫んだ。

「そんなことより殿下!」
「……いや。まだ何も言っていないが」
「はっ! 勢い余りました」
「余りすぎだ」

 苦笑いする殿下だったが、すぐに状況を察したのか顔を引き締めた。

「それで何があった?」
「はい。実はジェラルド様がお持ちになっているルイス王朝時代の騎士規程で、新たな事が分かったのです。これは騎士規程ではなく、ルイス殿下の護衛騎士官長の手記だったのです。と申しますか、途中からルイス殿下にまつわる真実を述べると書かれていました」
「――っ!」

 殿下は私の顔を見、ユリアの顔を見、最後にジェラルドさんに視線を移して頷いた。

「今から皆で書庫室へ行くぞ」


 私たちは誰にも邪魔されない書庫室へと向かい、何気なさを装ってデレク管理官と軽い挨拶を交わすとそれぞれ席についた。
 以前は気が逸る殿下がユリアの横に座ったが、今回はユリアの横には私が座り、私の正面に殿下が座して硬い表情で彼女を見つめる。

「始めてくれ」
「はい。承知いたしました」

 ユリアは頷くそのまま羊皮紙に目線を落とすと、読み上げ始めた。

「私の名は――」


 私の名はノエル・ブラックウェル。ルイス・フォンテーヌ王太子殿下に仕える護衛騎士官長を務めさせていただいている。

 ルイス殿下と言えば、この国の第一王位継承者だ。何人もの候補者はいるが、現国王の長子であり、聡明さと美丈夫を持ち合わせる殿下は誰よりも玉座の席に近い。いずれ国の頂点に立つであろうお方にお仕えできるのはこの上もない名誉であり、光栄の他ならない。
 ……と思っていたのだが。

 私は前髪を掻き上げ、うんざりした表情を隠さずにため息をついた。

「殿下。……そろそろ政務に戻りませんと」

 殿下が政務の間隙を縫って訪れる地は、城下町の外れにある一軒の小さな薬屋。
 裏手には鬱蒼とした森があり、そこで店で調合する薬草の栽培も行っていると言う。
 店を一人で切り盛りするのはエスメラルダ・ベルロンド様。端整な顔立ちで艶のある金の髪を後ろで無造作に一まとめにしているが、その美しさは損なわれていない。

 薬術に長けており、古くは王宮専属占術師だった祖先がいたというのも納得できる程、聡明で品格のある女性だ。
 ご家族は既に他界しており、親戚にはベルモンテ男爵家があるそうだが、ベルロンド家は身分を失って久しいために蔑ろにされていて、実質上の天涯孤独だそうである。

 ――いや。唯一の家族が、彼女の肩に乗る黒猫のネロ。子猫の時に店に迷い込んできて、家族を失ったばかりの彼女の救いでもあったらしい。人懐こい性格で私にも身をすり寄せてくる。
 自慢ではないが、なぜか昔から動物には好かれるのだ。一方、殿下は爪を剥き出しにしたネロによく引っ掻かれているが。

 カウンターの手前にいる彼女は、静謐な湖を思わせるような澄んだ青い目を細めて微笑む。

「ノエル様のおっしゃる通りです。王宮にはあなた様しか成し得ないお仕事が机の上に山積みされているはずです。早くお帰りあそばって、民の暮らしが少しでも楽になりますようにお務めに励んでくださいませ」
「王宮に戻ったら、すぐこの時間分を取り戻すよ。こう見えても私は優秀なんだ。君が前回望んでいた町の老朽化した橋の修復も指示した」

 相手にしてもらえる喜びからか、すげない返事にも殿下は笑顔だ。

「でしたらこの店に訪れる時間を使えば、さらにはかどることでしょう」
「君の顔を一日一回は見ないと、やる気が出ずに効率が悪くなる。だから――結婚しよう」

 ルイス殿下は、お忍びで出かけた先で体調不良(ただの食べ過ぎだ)を起こし、側をたまたま通りかかった薬師のエスメラルダ様に助けられた過去がある。光り輝く金の髪と引き締まった美しい横顔を夢うつつに見て、女神が舞い降りてきたと感じたらしい。

 一目惚れした殿下は瞬く間に彼女の居所を突き止め、毎日通っては愛を囁くことが常態化している。最近ではとうとう結婚の言葉まで口に出すようになった。
 当然、殿下付きの私も必然的にこの茶番劇に付き合わされることになっているが、溜飲が下がることは、エスメラルダ様の殿下への対応か。

「まあ。至極光栄にございます。今年は作物の実りが悪く、価格が上がって庶民の暮らしは厳しくなるばかりです。隣国からの穀物受け入れの課税を下げてくださると、うっかり殿下に惚れてしまうかもしれません」
「そうか! 穀物の課税についてだな。提案してみる」
「ありがとうございます、殿下」

 軟派な言葉を吐く殿下を軽く流しつつ、毎回のように殿下に何かしら嘆願するエスメラルダ様だ。しかし己の利益ではなく、民を代表としての要求である。
 いいように扱われている殿下を同じ男として、少しばかりの憐憫を寄せるが、民の声を届ける意味では殿下の正しい使い方かもしれない。

 感心していると、その彼女が不意にその青い瞳を私に向けた。

「ノエル様もいつもありがとうございます」
「い、いえ。私は何も」

 柔らかな笑みに思わず身を正してしまう自分は、殿下のことばかり言えないなと思った。
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