233 / 315
第233話 ノエル・ブラックウェルの手記(一)
しおりを挟む
殿下が扉から顔を出すなり私は拳を作って叫んだ。
「そんなことより殿下!」
「……いや。まだ何も言っていないが」
「はっ! 勢い余りました」
「余りすぎだ」
苦笑いする殿下だったが、すぐに状況を察したのか顔を引き締めた。
「それで何があった?」
「はい。実はジェラルド様がお持ちになっているルイス王朝時代の騎士規程で、新たな事が分かったのです。これは騎士規程ではなく、ルイス殿下の護衛騎士官長の手記だったのです。と申しますか、途中からルイス殿下にまつわる真実を述べると書かれていました」
「――っ!」
殿下は私の顔を見、ユリアの顔を見、最後にジェラルドさんに視線を移して頷いた。
「今から皆で書庫室へ行くぞ」
私たちは誰にも邪魔されない書庫室へと向かい、何気なさを装ってデレク管理官と軽い挨拶を交わすとそれぞれ席についた。
以前は気が逸る殿下がユリアの横に座ったが、今回はユリアの横には私が座り、私の正面に殿下が座して硬い表情で彼女を見つめる。
「始めてくれ」
「はい。承知いたしました」
ユリアは頷くそのまま羊皮紙に目線を落とすと、読み上げ始めた。
「私の名は――」
私の名はノエル・ブラックウェル。ルイス・フォンテーヌ王太子殿下に仕える護衛騎士官長を務めさせていただいている。
ルイス殿下と言えば、この国の第一王位継承者だ。何人もの候補者はいるが、現国王の長子であり、聡明さと美丈夫を持ち合わせる殿下は誰よりも玉座の席に近い。いずれ国の頂点に立つであろうお方にお仕えできるのはこの上もない名誉であり、光栄の他ならない。
……と思っていたのだが。
私は前髪を掻き上げ、うんざりした表情を隠さずにため息をついた。
「殿下。……そろそろ政務に戻りませんと」
殿下が政務の間隙を縫って訪れる地は、城下町の外れにある一軒の小さな薬屋。
裏手には鬱蒼とした森があり、そこで店で調合する薬草の栽培も行っていると言う。
店を一人で切り盛りするのはエスメラルダ・ベルロンド様。端整な顔立ちで艶のある金の髪を後ろで無造作に一まとめにしているが、その美しさは損なわれていない。
薬術に長けており、古くは王宮専属占術師だった祖先がいたというのも納得できる程、聡明で品格のある女性だ。
ご家族は既に他界しており、親戚にはベルモンテ男爵家があるそうだが、ベルロンド家は身分を失って久しいために蔑ろにされていて、実質上の天涯孤独だそうである。
――いや。唯一の家族が、彼女の肩に乗る黒猫のネロ。子猫の時に店に迷い込んできて、家族を失ったばかりの彼女の救いでもあったらしい。人懐こい性格で私にも身をすり寄せてくる。
自慢ではないが、なぜか昔から動物には好かれるのだ。一方、殿下は爪を剥き出しにしたネロによく引っ掻かれているが。
カウンターの手前にいる彼女は、静謐な湖を思わせるような澄んだ青い目を細めて微笑む。
「ノエル様のおっしゃる通りです。王宮にはあなた様しか成し得ないお仕事が机の上に山積みされているはずです。早くお帰りあそばって、民の暮らしが少しでも楽になりますようにお務めに励んでくださいませ」
「王宮に戻ったら、すぐこの時間分を取り戻すよ。こう見えても私は優秀なんだ。君が前回望んでいた町の老朽化した橋の修復も指示した」
相手にしてもらえる喜びからか、すげない返事にも殿下は笑顔だ。
「でしたらこの店に訪れる時間を使えば、さらにはかどることでしょう」
「君の顔を一日一回は見ないと、やる気が出ずに効率が悪くなる。だから――結婚しよう」
ルイス殿下は、お忍びで出かけた先で体調不良(ただの食べ過ぎだ)を起こし、側をたまたま通りかかった薬師のエスメラルダ様に助けられた過去がある。光り輝く金の髪と引き締まった美しい横顔を夢うつつに見て、女神が舞い降りてきたと感じたらしい。
一目惚れした殿下は瞬く間に彼女の居所を突き止め、毎日通っては愛を囁くことが常態化している。最近ではとうとう結婚の言葉まで口に出すようになった。
当然、殿下付きの私も必然的にこの茶番劇に付き合わされることになっているが、溜飲が下がることは、エスメラルダ様の殿下への対応か。
「まあ。至極光栄にございます。今年は作物の実りが悪く、価格が上がって庶民の暮らしは厳しくなるばかりです。隣国からの穀物受け入れの課税を下げてくださると、うっかり殿下に惚れてしまうかもしれません」
「そうか! 穀物の課税についてだな。提案してみる」
「ありがとうございます、殿下」
軟派な言葉を吐く殿下を軽く流しつつ、毎回のように殿下に何かしら嘆願するエスメラルダ様だ。しかし己の利益ではなく、民を代表としての要求である。
いいように扱われている殿下を同じ男として、少しばかりの憐憫を寄せるが、民の声を届ける意味では殿下の正しい使い方かもしれない。
感心していると、その彼女が不意にその青い瞳を私に向けた。
「ノエル様もいつもありがとうございます」
「い、いえ。私は何も」
柔らかな笑みに思わず身を正してしまう自分は、殿下のことばかり言えないなと思った。
「そんなことより殿下!」
「……いや。まだ何も言っていないが」
「はっ! 勢い余りました」
「余りすぎだ」
苦笑いする殿下だったが、すぐに状況を察したのか顔を引き締めた。
「それで何があった?」
「はい。実はジェラルド様がお持ちになっているルイス王朝時代の騎士規程で、新たな事が分かったのです。これは騎士規程ではなく、ルイス殿下の護衛騎士官長の手記だったのです。と申しますか、途中からルイス殿下にまつわる真実を述べると書かれていました」
「――っ!」
殿下は私の顔を見、ユリアの顔を見、最後にジェラルドさんに視線を移して頷いた。
「今から皆で書庫室へ行くぞ」
私たちは誰にも邪魔されない書庫室へと向かい、何気なさを装ってデレク管理官と軽い挨拶を交わすとそれぞれ席についた。
以前は気が逸る殿下がユリアの横に座ったが、今回はユリアの横には私が座り、私の正面に殿下が座して硬い表情で彼女を見つめる。
「始めてくれ」
「はい。承知いたしました」
ユリアは頷くそのまま羊皮紙に目線を落とすと、読み上げ始めた。
「私の名は――」
私の名はノエル・ブラックウェル。ルイス・フォンテーヌ王太子殿下に仕える護衛騎士官長を務めさせていただいている。
ルイス殿下と言えば、この国の第一王位継承者だ。何人もの候補者はいるが、現国王の長子であり、聡明さと美丈夫を持ち合わせる殿下は誰よりも玉座の席に近い。いずれ国の頂点に立つであろうお方にお仕えできるのはこの上もない名誉であり、光栄の他ならない。
……と思っていたのだが。
私は前髪を掻き上げ、うんざりした表情を隠さずにため息をついた。
「殿下。……そろそろ政務に戻りませんと」
殿下が政務の間隙を縫って訪れる地は、城下町の外れにある一軒の小さな薬屋。
裏手には鬱蒼とした森があり、そこで店で調合する薬草の栽培も行っていると言う。
店を一人で切り盛りするのはエスメラルダ・ベルロンド様。端整な顔立ちで艶のある金の髪を後ろで無造作に一まとめにしているが、その美しさは損なわれていない。
薬術に長けており、古くは王宮専属占術師だった祖先がいたというのも納得できる程、聡明で品格のある女性だ。
ご家族は既に他界しており、親戚にはベルモンテ男爵家があるそうだが、ベルロンド家は身分を失って久しいために蔑ろにされていて、実質上の天涯孤独だそうである。
――いや。唯一の家族が、彼女の肩に乗る黒猫のネロ。子猫の時に店に迷い込んできて、家族を失ったばかりの彼女の救いでもあったらしい。人懐こい性格で私にも身をすり寄せてくる。
自慢ではないが、なぜか昔から動物には好かれるのだ。一方、殿下は爪を剥き出しにしたネロによく引っ掻かれているが。
カウンターの手前にいる彼女は、静謐な湖を思わせるような澄んだ青い目を細めて微笑む。
「ノエル様のおっしゃる通りです。王宮にはあなた様しか成し得ないお仕事が机の上に山積みされているはずです。早くお帰りあそばって、民の暮らしが少しでも楽になりますようにお務めに励んでくださいませ」
「王宮に戻ったら、すぐこの時間分を取り戻すよ。こう見えても私は優秀なんだ。君が前回望んでいた町の老朽化した橋の修復も指示した」
相手にしてもらえる喜びからか、すげない返事にも殿下は笑顔だ。
「でしたらこの店に訪れる時間を使えば、さらにはかどることでしょう」
「君の顔を一日一回は見ないと、やる気が出ずに効率が悪くなる。だから――結婚しよう」
ルイス殿下は、お忍びで出かけた先で体調不良(ただの食べ過ぎだ)を起こし、側をたまたま通りかかった薬師のエスメラルダ様に助けられた過去がある。光り輝く金の髪と引き締まった美しい横顔を夢うつつに見て、女神が舞い降りてきたと感じたらしい。
一目惚れした殿下は瞬く間に彼女の居所を突き止め、毎日通っては愛を囁くことが常態化している。最近ではとうとう結婚の言葉まで口に出すようになった。
当然、殿下付きの私も必然的にこの茶番劇に付き合わされることになっているが、溜飲が下がることは、エスメラルダ様の殿下への対応か。
「まあ。至極光栄にございます。今年は作物の実りが悪く、価格が上がって庶民の暮らしは厳しくなるばかりです。隣国からの穀物受け入れの課税を下げてくださると、うっかり殿下に惚れてしまうかもしれません」
「そうか! 穀物の課税についてだな。提案してみる」
「ありがとうございます、殿下」
軟派な言葉を吐く殿下を軽く流しつつ、毎回のように殿下に何かしら嘆願するエスメラルダ様だ。しかし己の利益ではなく、民を代表としての要求である。
いいように扱われている殿下を同じ男として、少しばかりの憐憫を寄せるが、民の声を届ける意味では殿下の正しい使い方かもしれない。
感心していると、その彼女が不意にその青い瞳を私に向けた。
「ノエル様もいつもありがとうございます」
「い、いえ。私は何も」
柔らかな笑みに思わず身を正してしまう自分は、殿下のことばかり言えないなと思った。
32
あなたにおすすめの小説
身分差婚~あなたの妻になれないはずだった~
椿蛍
恋愛
「息子と別れていただけないかしら?」
私を脅して、別れを決断させた彼の両親。
彼は高級住宅地『都久山』で王子様と呼ばれる存在。
私とは住む世界が違った……
別れを命じられ、私の恋が終わった。
叶わない身分差の恋だったはずが――
※R-15くらいなので※マークはありません。
※視点切り替えあり。
※2日間は1日3回更新、3日目から1日2回更新となります。
牢で死ぬはずだった公爵令嬢
鈴元 香奈
恋愛
婚約していた王子に裏切られ無実の罪で牢に入れられてしまった公爵令嬢リーゼは、牢番に助け出されて見知らぬ男に託された。
表紙女性イラストはしろ様(SKIMA)、背景はくらうど職人様(イラストAC)、馬上の人物はシルエットACさんよりお借りしています。
小説家になろうさんにも投稿しています。
アンジェリーヌは一人じゃない
れもんぴーる
恋愛
義母からひどい扱いされても我慢をしているアンジェリーヌ。
メイドにも冷遇され、昔は仲が良かった婚約者にも冷たい態度をとられ居場所も逃げ場所もなくしていた。
そんな時、アルコール入りのチョコレートを口にしたアンジェリーヌの性格が激変した。
まるで別人になったように、言いたいことを言い、これまで自分に冷たかった家族や婚約者をこぎみよく切り捨てていく。
実は、アンジェリーヌの中にずっといた魂と入れ替わったのだ。
それはアンジェリーヌと一緒に生まれたが、この世に誕生できなかったアンジェリーヌの双子の魂だった。
新生アンジェリーヌはアンジェリーヌのため自由を求め、家を出る。
アンジェリーヌは満ち足りた生活を送り、愛する人にも出会うが、この身体は自分の物ではない。出来る事なら消えてしまった可哀そうな自分の半身に幸せになってもらいたい。でもそれは自分が消え、愛する人との別れの時。
果たしてアンジェリーヌの魂は戻ってくるのか。そしてその時もう一人の魂は・・・。
*タグに「平成の歌もあります」を追加しました。思っていたより歌に注目していただいたので(*´▽`*)
(なろうさま、カクヨムさまにも投稿予定です)
【完結】地味な私と公爵様
ベル
恋愛
ラエル公爵。この学園でこの名を知らない人はいないでしょう。
端正な顔立ちに甘く低い声、時折見せる少年のような笑顔。誰もがその美しさに魅了され、女性なら誰もがラエル様との結婚を夢見てしまう。
そんな方が、平凡...いや、かなり地味で目立たない伯爵令嬢である私の婚約者だなんて一体誰が信じるでしょうか。
...正直私も信じていません。
ラエル様が、私を溺愛しているなんて。
きっと、きっと、夢に違いありません。
お読みいただきありがとうございます。短編のつもりで書き始めましたが、意外と話が増えて長編に変更し、無事完結しました(*´-`)
0歳児に戻った私。今度は少し口を出したいと思います。
アズやっこ
恋愛
❈ 追記 長編に変更します。
16歳の時、私は第一王子と婚姻した。
いとこの第一王子の事は好き。でもこの好きはお兄様を思う好きと同じ。だから第二王子の事も好き。
私の好きは家族愛として。
第一王子と婚約し婚姻し家族愛とはいえ愛はある。だから何とかなる、そう思った。
でも人の心は何とかならなかった。
この国はもう終わる…
兄弟の対立、公爵の裏切り、まるでボタンの掛け違い。
だから歪み取り返しのつかない事になった。
そして私は暗殺され…
次に目が覚めた時0歳児に戻っていた。
❈ 作者独自の世界観です。
❈ 作者独自の設定です。こういう設定だとご了承頂けると幸いです。
いくら政略結婚だからって、そこまで嫌わなくてもいいんじゃないですか?いい加減、腹が立ってきたんですけど!
夢呼
恋愛
伯爵令嬢のローゼは大好きな婚約者アーサー・レイモンド侯爵令息との結婚式を今か今かと待ち望んでいた。
しかし、結婚式の僅か10日前、その大好きなアーサーから「私から愛されたいという思いがあったら捨ててくれ。それに応えることは出来ない」と告げられる。
ローゼはその言葉にショックを受け、熱を出し寝込んでしまう。数日間うなされ続け、やっと目を覚ました。前世の記憶と共に・・・。
愛されることは無いと分かっていても、覆すことが出来ないのが貴族間の政略結婚。日本で生きたアラサー女子の「私」が八割心を占めているローゼが、この政略結婚に臨むことになる。
いくら政略結婚といえども、親に孫を見せてあげて親孝行をしたいという願いを持つローゼは、何とかアーサーに振り向いてもらおうと頑張るが、鉄壁のアーサーには敵わず。それどころか益々嫌われる始末。
一体私の何が気に入らないんだか。そこまで嫌わなくてもいいんじゃないんですかね!いい加減腹立つわっ!
世界観はゆるいです!
カクヨム様にも投稿しております。
※10万文字を超えたので長編に変更しました。
ぐうたら令嬢は公爵令息に溺愛されています
Karamimi
恋愛
伯爵令嬢のレイリスは、今年で16歳。毎日ぐうたらした生活をしている。貴族としてはあり得ないような服を好んで着、昼間からゴロゴロと過ごす。
ただ、レイリスは非常に優秀で、12歳で王都の悪党どもを束ね揚げ、13歳で領地を立て直した腕前。
そんなレイリスに、両親や兄姉もあまり強く言う事が出来ず、専属メイドのマリアンだけが口うるさく言っていた。
このままやりたい事だけをやり、ゴロゴロしながら一生暮らそう。そう思っていたレイリスだったが、お菓子につられて参加したサフィーロン公爵家の夜会で、彼女の運命を大きく変える出来事が起こってしまって…
※ご都合主義のラブコメディです。
よろしくお願いいたします。
カクヨムでも同時投稿しています。
【完結】一番腹黒いのはだあれ?
やまぐちこはる
恋愛
■□■
貧しいコイント子爵家のソンドールは、貴族学院には進学せず、騎士学校に通って若くして正騎士となった有望株である。
三歳でコイント家に養子に来たソンドールの生家はパートルム公爵家。
しかし、関わりを持たずに生きてきたため、自分が公爵家生まれだったことなどすっかり忘れていた。
ある日、実の父がソンドールに会いに来て、自分の出自を改めて知り、勝手なことを言う実父に憤りながらも、生家の騒動に巻き込まれていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる