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第234話 ノエル・ブラックウェルの手記(二)
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「殿下。本気ではありませんよね」
「何がだ?」
馬で王宮までの帰路、横に並ぶ殿下に尋ねてみることにした。
「エスメラルダ様に求婚なさっていることです」
「ノエルは私が冗談で女性に求婚するような人間だと思っているのか?」
「まさか本気なのですか!? 彼女が王宮専属占術師家系だったとは言え、今は身分もない庶民の方なのですよ」
事も無げに述べる殿下に私は馬に乗っていることも忘れ、思わず身を乗り出す。
「危ないぞ、ノエル。君は私の護衛官だろう。その護衛官が感情的になって周りを見失ってどうする。だから君は優秀なのに父上ではなく、私みたいな放蕩息子の護衛騎士にしかなれないんだ」
「……失礼いたしました」
全くその通りだ。落ち着かなければ。
姿勢を正して手綱を握りなおす私に、放蕩息子まで否定しないのかと、殿下は笑いつつ話を再開する。
「息のかかった貴族に養子縁組してもらって身分を上げればいいことだ」
「エスメラルダ様がそんな事をお望みだと本当にお思いですか?」
彼女が地域に根付いた暮らしを望んでいるのは明らかだ。煌びやかで華やかでなくてもいい、細々とした暮らしでいいから、近隣の住民と共に心穏やかに過ごせる生活を望んでいる。
少なくとも私にはそう見える。
「お言葉ですが。エスメラルダ様が殿下のことをどうお考えになっているかは存じませんが、仮に殿下が彼女の要求を全て叶えたとしても、彼女が求婚に応じるとは到底思えません」
殿下は本当にお言葉だなと苦笑いすると、正面を向く。
「ならば。私が王位継承権を放棄しよう。私がただの平民に下る。王位を望む人間は掃いて捨てるほどいるんだ。むしろ私が辞退すれば喜ぶ人間の方が多いだろう」
「それこそ荒唐無稽なお話です。許されるはずがありませんよ」
「誰にだ? 誰に許されない?」
今度は真っ直ぐに見据えてくる殿下に息が詰まった。
殿下の真剣な思いが伝わってくるからだ。それでもその強い瞳を私は見つめ返す。
「――少なくとも国王陛下も王妃殿下も納得しないでしょう」
国王は国民に望まれて王位に就くわけではない。誰を国王に押し上げれば見返りが来るのかと、損得勘定をする貴族たちの黒い思惑によっても左右されるが、一般的には現国王の長子が継ぐ世襲制である。だからこの返事が適切だ。
「ああ、なるほど。確かにな」
殿下は小さく笑うと私から視線を外した。
頷きはされたものの、この殿下がこんなに簡単に引き下がるわけがない。そう思っていると案の定。
「その二人を説得すればいいんだな。やってみせよう」
無茶なことを平気で口に出された。
私は重いため息を落とす。
「ご納得されるはずがないでしょう。ご冗談はもうお止めください」
「冗談かどうかは見ているといい」
今の殿下のお顔は笑顔だが、冗談とは思えない。やると言ったら必ず実行するお方でもある。事実、エスメラルダ様が口にした無理難題でもこれまで全て実行に移してきた。
ひとたび意思が固まってしまえば梃子でも動かない意志の強さと実行力、そして人を魅了して止まないカリスマ性を持つ。だからこそ誰よりも国王に望まれている。その人物が王位継承権を放棄してもいいなどと軽い口調で言うものだから。
……ああ、頭が痛い。
私はまた心の中でため息をつく。
「どちらにしろ、エスメラルダ様がお受けなさらないと始まりませんからね」
「そこが一番の難関なんだよなぁ」
殿下は口元を引きつらせながら笑った。
「ノエル様。お加減が悪いのですか?」
「――え? あ! い、いえ」
ぼんやり考え事をしていた私は、すぐ側からエスメラルダ様に覗き込まれている事態に気付いて狼狽した。
「少しお疲れのようですね。何かお薬を調合いたしましょうか」
「あ、いえ。殿下の奔放さに振り回されているだけです」
視線をやるとネロと交流中の殿下の姿が見えた。
絶対に懐かせてやると意気込んでいたが、本日も猫じゃらしを一生懸命振っても相手にされていないようだ。
「それに私は幼い頃から薬は苦手としていまして」
昔飲んだ寒気が走るような薬の苦さが蘇ってきて、思わず身を竦める。
「まあ! 勇敢なる騎士様でもお薬は苦手なのですね」
「面目ないです」
くすくす笑うエスメラルダ様を前に、私は苦笑いしながら頭を掻くとまだ苦戦中の殿下を一瞥し、彼女にまた視線を戻した。
「エスメラルダ様。殿下のことですが」
小声で切り出したところで彼女は小さく頷いて微笑んだ。
「殿下のお戯れには困ったものですね。まあ、ここを民の声を拾い上げてくださる場と考えればよいのかもしれません。今年は日照りが続いておりますから、次は灌漑整備でもお願いしようかしら」
私の思惑を読まれていたようだ。
頬に手を当てて冗談っぽく笑う彼女に私は笑みを返すことができない。
「殿下が……ご迷惑を」
そこまで言ったところで店先のベルが鳴った。来客だ。
「あ。失礼いたしますね、ノエル様」
私はそのまま彼女の背を視線で追うと、十歳くらいの常連の少女が見えた。
「おう。アマンダ。元気か?」
「あ、ルイス様。こんにちは。またいらっしゃるの? エスメラルダ様のお邪魔をしてはダメよ」
「邪魔とはご挨拶だな」
殿下とアマンダさんは顔見知りとなり、互いにすっかりくだけた関係となっている。
「アマンダちゃん。はい、これ。お母様のお薬」
「エスメラルダ様。いつもありがとうございます。……でもこれだけしかなくて」
「いいのよ。お金なら気にしないで。こちらのお客様から割増し料金で貰っておくから」
エスメラルダ様が殿下に視線を移すと、殿下は片眉を上げ、猫じゃらしを持ったまま腕を組んだ。
「エスメラルダ。お客様だなんて、つれないな。未来の夫に対して」
また求愛行動が始まるのかと思ったところで。
「ルイス様。結婚はね、相手の同意が必要なものなの。大人なのに知らないのかな?」
「にゃあ!」
「――ぐっ」
少女の言葉にネロが同意するように鳴き、この場が笑いに包まれた。
「何がだ?」
馬で王宮までの帰路、横に並ぶ殿下に尋ねてみることにした。
「エスメラルダ様に求婚なさっていることです」
「ノエルは私が冗談で女性に求婚するような人間だと思っているのか?」
「まさか本気なのですか!? 彼女が王宮専属占術師家系だったとは言え、今は身分もない庶民の方なのですよ」
事も無げに述べる殿下に私は馬に乗っていることも忘れ、思わず身を乗り出す。
「危ないぞ、ノエル。君は私の護衛官だろう。その護衛官が感情的になって周りを見失ってどうする。だから君は優秀なのに父上ではなく、私みたいな放蕩息子の護衛騎士にしかなれないんだ」
「……失礼いたしました」
全くその通りだ。落ち着かなければ。
姿勢を正して手綱を握りなおす私に、放蕩息子まで否定しないのかと、殿下は笑いつつ話を再開する。
「息のかかった貴族に養子縁組してもらって身分を上げればいいことだ」
「エスメラルダ様がそんな事をお望みだと本当にお思いですか?」
彼女が地域に根付いた暮らしを望んでいるのは明らかだ。煌びやかで華やかでなくてもいい、細々とした暮らしでいいから、近隣の住民と共に心穏やかに過ごせる生活を望んでいる。
少なくとも私にはそう見える。
「お言葉ですが。エスメラルダ様が殿下のことをどうお考えになっているかは存じませんが、仮に殿下が彼女の要求を全て叶えたとしても、彼女が求婚に応じるとは到底思えません」
殿下は本当にお言葉だなと苦笑いすると、正面を向く。
「ならば。私が王位継承権を放棄しよう。私がただの平民に下る。王位を望む人間は掃いて捨てるほどいるんだ。むしろ私が辞退すれば喜ぶ人間の方が多いだろう」
「それこそ荒唐無稽なお話です。許されるはずがありませんよ」
「誰にだ? 誰に許されない?」
今度は真っ直ぐに見据えてくる殿下に息が詰まった。
殿下の真剣な思いが伝わってくるからだ。それでもその強い瞳を私は見つめ返す。
「――少なくとも国王陛下も王妃殿下も納得しないでしょう」
国王は国民に望まれて王位に就くわけではない。誰を国王に押し上げれば見返りが来るのかと、損得勘定をする貴族たちの黒い思惑によっても左右されるが、一般的には現国王の長子が継ぐ世襲制である。だからこの返事が適切だ。
「ああ、なるほど。確かにな」
殿下は小さく笑うと私から視線を外した。
頷きはされたものの、この殿下がこんなに簡単に引き下がるわけがない。そう思っていると案の定。
「その二人を説得すればいいんだな。やってみせよう」
無茶なことを平気で口に出された。
私は重いため息を落とす。
「ご納得されるはずがないでしょう。ご冗談はもうお止めください」
「冗談かどうかは見ているといい」
今の殿下のお顔は笑顔だが、冗談とは思えない。やると言ったら必ず実行するお方でもある。事実、エスメラルダ様が口にした無理難題でもこれまで全て実行に移してきた。
ひとたび意思が固まってしまえば梃子でも動かない意志の強さと実行力、そして人を魅了して止まないカリスマ性を持つ。だからこそ誰よりも国王に望まれている。その人物が王位継承権を放棄してもいいなどと軽い口調で言うものだから。
……ああ、頭が痛い。
私はまた心の中でため息をつく。
「どちらにしろ、エスメラルダ様がお受けなさらないと始まりませんからね」
「そこが一番の難関なんだよなぁ」
殿下は口元を引きつらせながら笑った。
「ノエル様。お加減が悪いのですか?」
「――え? あ! い、いえ」
ぼんやり考え事をしていた私は、すぐ側からエスメラルダ様に覗き込まれている事態に気付いて狼狽した。
「少しお疲れのようですね。何かお薬を調合いたしましょうか」
「あ、いえ。殿下の奔放さに振り回されているだけです」
視線をやるとネロと交流中の殿下の姿が見えた。
絶対に懐かせてやると意気込んでいたが、本日も猫じゃらしを一生懸命振っても相手にされていないようだ。
「それに私は幼い頃から薬は苦手としていまして」
昔飲んだ寒気が走るような薬の苦さが蘇ってきて、思わず身を竦める。
「まあ! 勇敢なる騎士様でもお薬は苦手なのですね」
「面目ないです」
くすくす笑うエスメラルダ様を前に、私は苦笑いしながら頭を掻くとまだ苦戦中の殿下を一瞥し、彼女にまた視線を戻した。
「エスメラルダ様。殿下のことですが」
小声で切り出したところで彼女は小さく頷いて微笑んだ。
「殿下のお戯れには困ったものですね。まあ、ここを民の声を拾い上げてくださる場と考えればよいのかもしれません。今年は日照りが続いておりますから、次は灌漑整備でもお願いしようかしら」
私の思惑を読まれていたようだ。
頬に手を当てて冗談っぽく笑う彼女に私は笑みを返すことができない。
「殿下が……ご迷惑を」
そこまで言ったところで店先のベルが鳴った。来客だ。
「あ。失礼いたしますね、ノエル様」
私はそのまま彼女の背を視線で追うと、十歳くらいの常連の少女が見えた。
「おう。アマンダ。元気か?」
「あ、ルイス様。こんにちは。またいらっしゃるの? エスメラルダ様のお邪魔をしてはダメよ」
「邪魔とはご挨拶だな」
殿下とアマンダさんは顔見知りとなり、互いにすっかりくだけた関係となっている。
「アマンダちゃん。はい、これ。お母様のお薬」
「エスメラルダ様。いつもありがとうございます。……でもこれだけしかなくて」
「いいのよ。お金なら気にしないで。こちらのお客様から割増し料金で貰っておくから」
エスメラルダ様が殿下に視線を移すと、殿下は片眉を上げ、猫じゃらしを持ったまま腕を組んだ。
「エスメラルダ。お客様だなんて、つれないな。未来の夫に対して」
また求愛行動が始まるのかと思ったところで。
「ルイス様。結婚はね、相手の同意が必要なものなの。大人なのに知らないのかな?」
「にゃあ!」
「――ぐっ」
少女の言葉にネロが同意するように鳴き、この場が笑いに包まれた。
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