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第267話 たとえ女神ではなくても
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ベルモンテ侯爵様の呼吸は乱れ、顔は青ざめて苦悶の表情を浮かべておられる。また寒さを感じておられるのか、小刻みに震えていた。
念の為に額に手を置いてみたけれど、熱はない。次にシーツの下で固く握られていた冷えきった手を両手で包みこむ。
侯爵様の苦しまれているお顔を見ながら不謹慎ではあるが、影憑きならばいいと思った。そうすれば私が今ここで助けることができるから。
私の傲慢な願いは通じたようで、呼吸の乱れは徐々に正常へと戻り、顔も血色を取り戻す。体の震えも止まって、手にもいつもの侯爵様の温もりが伝わってきた。固く結ばれていた手も解け、表情は穏やかになる。
私はほっと息をついた。
やはり影に取り憑かれていたようである。けれど私の影祓いはあくまでも一時的なものだ。侯爵様自身のお体をまずお元気にしていただかなくてはまた取り憑かれることになる。
「っ……」
気配を取り戻されたようだ。侯爵様の目がゆっくりと開かれた。
「こ、ここは」
「医務室でございます。ベルモンテ侯爵様」
次第に意識がはっきりしてきて、虚ろだった目に英気の光が宿る。
「医、務室。私は、ああ……。倒れたのか」
「はい。お体の調子はいかがでしょうか」
「ありがとう。大丈夫みたいだ。嘘みたいに体が楽になっている。――君はロザンヌ嬢だったね」
まだ少し気だるさの残る表情で微笑まれて、私も笑みを返した。
「はい。さようでございます。覚えていてくださり、大変光栄でございます。ですが、お目覚め直後に目に入った顔がわたくしで申し訳ありません」
「いや。むしろ君でいてくれて嬉しい」
侯爵様は息を大きく吐いて目を伏せる。
「夢を見ていた。暗く冷たい沼にどんどん体が飲み込まれていく夢を。誰の助けもないまま、沼に沈んで行くのかと絶望していたところ、急に辺りが光に満ちて温かくて柔らかな手でつかまれたかと思うと、私の体が勢いよく引き上げられていったんだ。顔は光で見えなかったが女神だと思った。目が覚めると」
そこで言葉を切ると侯爵様はまた目を開き、少し眩しそうに目を細めて私をご覧になった。
「君が側にいた。私を助けてくれた女神は君だったんだね」
「まあ! 女神とおっしゃっていただけるのは光栄ですけれども、わたくしはさすがに侯爵様の夢の中にまではお邪魔できませんわ。それに侯爵様のお体を引き上げられる程、わたくしは力持ちではございませんもの」
「そっか。確かに。それは年頃のお嬢さんに失礼したね」
冗談っぽく拗ねると、侯爵様は穏やかに微笑まれる。そしてまだ包み込んでいた私の手を優しく握り返す。
「でも手を握ってくれていた。夢の中の女神が君ではなくても、君はやはり私を助けてくれたんだよ。――ありがとう」
「……はい、侯爵様」
今度は素直に頷いた。
侯爵様が身を起こそうとなさったので、お手伝いして身を起こされた時。
「あら。ベルモンテ侯爵様。お気づきになられたのですね」
クロエさんがベッドへと近付いてくる。
「え? クロエさん、あなたがどうしてここに?」
殿下の侍女であるクロエさんがここにいることを不思議に思われているのだろう。
「わたくし、侍女長も兼ねておりますので、新人の侍女の付き添いをさせていただいておりますの。一人だけでは不安ですからね」
はい。わたくしのことですね……。
「なるほど。そうか」
「お体の具合はいかがでしょうか」
「うん。不思議なことに随分楽だよ。まだ気だるさはあるがね」
「それは良かったです。では今、お着替えになられますか?」
侯爵様は自分の服に手を当てて確認される。
「いや。特に汗はかいていないみたいだからいいよ」
「そうですか。では夕食後にお着替えということにしましょうか」
「え? いや。私は帰るから夕食は結構だが……」
「いいえ。本日はこちらで一晩お休みいただきます」
有無を言わさず、笑顔できっぱり言い切るクロエさん。
侯爵様がご相手でも強制的ですか? 殿下も頭が上がらないようだし、あるいは陛下もそうだったりするかも? と言うことは、実はもしかしてこの国で一番発言力のある方だったりするかもしれない。――ぶるり。
「それに後ほどエルベルト殿下がお見舞いに訪れたいとおっしゃっていましたので」
「あ、いや。殿下に足をお運びいただくとは恐れ多い。そ、それは結構ですとお伝え願いたい」
やや焦ったような侯爵様にクロエさんは眉を上げる。
「お伝えはいたしますが、わたくしには殿下をお止めできる権限はございませんことはご了承くださいませ」
嘘だ。
クロエさんなら絶対にできるはずだ。
私は心の中で苦笑いした。
念の為に額に手を置いてみたけれど、熱はない。次にシーツの下で固く握られていた冷えきった手を両手で包みこむ。
侯爵様の苦しまれているお顔を見ながら不謹慎ではあるが、影憑きならばいいと思った。そうすれば私が今ここで助けることができるから。
私の傲慢な願いは通じたようで、呼吸の乱れは徐々に正常へと戻り、顔も血色を取り戻す。体の震えも止まって、手にもいつもの侯爵様の温もりが伝わってきた。固く結ばれていた手も解け、表情は穏やかになる。
私はほっと息をついた。
やはり影に取り憑かれていたようである。けれど私の影祓いはあくまでも一時的なものだ。侯爵様自身のお体をまずお元気にしていただかなくてはまた取り憑かれることになる。
「っ……」
気配を取り戻されたようだ。侯爵様の目がゆっくりと開かれた。
「こ、ここは」
「医務室でございます。ベルモンテ侯爵様」
次第に意識がはっきりしてきて、虚ろだった目に英気の光が宿る。
「医、務室。私は、ああ……。倒れたのか」
「はい。お体の調子はいかがでしょうか」
「ありがとう。大丈夫みたいだ。嘘みたいに体が楽になっている。――君はロザンヌ嬢だったね」
まだ少し気だるさの残る表情で微笑まれて、私も笑みを返した。
「はい。さようでございます。覚えていてくださり、大変光栄でございます。ですが、お目覚め直後に目に入った顔がわたくしで申し訳ありません」
「いや。むしろ君でいてくれて嬉しい」
侯爵様は息を大きく吐いて目を伏せる。
「夢を見ていた。暗く冷たい沼にどんどん体が飲み込まれていく夢を。誰の助けもないまま、沼に沈んで行くのかと絶望していたところ、急に辺りが光に満ちて温かくて柔らかな手でつかまれたかと思うと、私の体が勢いよく引き上げられていったんだ。顔は光で見えなかったが女神だと思った。目が覚めると」
そこで言葉を切ると侯爵様はまた目を開き、少し眩しそうに目を細めて私をご覧になった。
「君が側にいた。私を助けてくれた女神は君だったんだね」
「まあ! 女神とおっしゃっていただけるのは光栄ですけれども、わたくしはさすがに侯爵様の夢の中にまではお邪魔できませんわ。それに侯爵様のお体を引き上げられる程、わたくしは力持ちではございませんもの」
「そっか。確かに。それは年頃のお嬢さんに失礼したね」
冗談っぽく拗ねると、侯爵様は穏やかに微笑まれる。そしてまだ包み込んでいた私の手を優しく握り返す。
「でも手を握ってくれていた。夢の中の女神が君ではなくても、君はやはり私を助けてくれたんだよ。――ありがとう」
「……はい、侯爵様」
今度は素直に頷いた。
侯爵様が身を起こそうとなさったので、お手伝いして身を起こされた時。
「あら。ベルモンテ侯爵様。お気づきになられたのですね」
クロエさんがベッドへと近付いてくる。
「え? クロエさん、あなたがどうしてここに?」
殿下の侍女であるクロエさんがここにいることを不思議に思われているのだろう。
「わたくし、侍女長も兼ねておりますので、新人の侍女の付き添いをさせていただいておりますの。一人だけでは不安ですからね」
はい。わたくしのことですね……。
「なるほど。そうか」
「お体の具合はいかがでしょうか」
「うん。不思議なことに随分楽だよ。まだ気だるさはあるがね」
「それは良かったです。では今、お着替えになられますか?」
侯爵様は自分の服に手を当てて確認される。
「いや。特に汗はかいていないみたいだからいいよ」
「そうですか。では夕食後にお着替えということにしましょうか」
「え? いや。私は帰るから夕食は結構だが……」
「いいえ。本日はこちらで一晩お休みいただきます」
有無を言わさず、笑顔できっぱり言い切るクロエさん。
侯爵様がご相手でも強制的ですか? 殿下も頭が上がらないようだし、あるいは陛下もそうだったりするかも? と言うことは、実はもしかしてこの国で一番発言力のある方だったりするかもしれない。――ぶるり。
「それに後ほどエルベルト殿下がお見舞いに訪れたいとおっしゃっていましたので」
「あ、いや。殿下に足をお運びいただくとは恐れ多い。そ、それは結構ですとお伝え願いたい」
やや焦ったような侯爵様にクロエさんは眉を上げる。
「お伝えはいたしますが、わたくしには殿下をお止めできる権限はございませんことはご了承くださいませ」
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クロエさんなら絶対にできるはずだ。
私は心の中で苦笑いした。
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