288 / 315
第288話 今日の私は昨日までの私とは違う
しおりを挟む
私は自分の部屋、長らくお借りしていた部屋に戻るとユリアに声をかける。
「あのね、ユリア。明後日、実家に帰るから荷作り手伝ってくれる?」
「ご実家に戻られるのですか? また日帰りなさるのでしょうか」
「いいえ、違うわ。この部屋を出て実家に帰るのよ。ここにはもう戻って来ないわ」
「――どうしてですか」
目を見張り、一瞬言葉を詰まらせたユリアだったが、すぐに落ち着いた声で尋ねてきた。
「わたくしの役目はもう終わったもの。王家の呪いは解かれ、殿下に影祓いは必要なくなった。それ以上のことがあるかしら」
「……陛下に出て行けと言われたのですか。それで素直に出て行くと? ロザンヌ様にしては随分と引き際が良いのですね」
「引き際?」
私の唇からは笑みが零れた。
「ユリア。わたくしは一人の女性の前に、ダングルベール子爵の娘です。貴族の娘なのです。そしてここは王宮。国王陛下の命に従うのは当然のこと。違いますか」
「殿下のお考えもそうなのですか。ちゃんとお話しされたのですか」
「……殿下のご意思は関係ありません」
うそだ。本当は殿下のお答えを聞くのが怖いだけにすぎない。今の瞬間だけを大事にして、未来について考えなかったツケが回ってきたのだ。
「また王家は――ロザンヌ様まで、また同じ間違いを繰り返すつもりですか。ロザンヌ様は人の為に戦うのに、なぜ自分の為に戦わないのですか!」
感情を露わにするユリアを見て、彼女もここで成長したんだなと思う。私も愛と言うには未熟だったかもしれないが、人を恋しく思う気持ちというものを知った。
「わたくしは選ぶ立場の人間でも、選べと言える立場の人間でもないわ。だけどね、ユリア。わたくしは自分の為に生きてみせると言ったでしょう。わたくしは誓ったでしょう。約束は破らないわ。けれど、それはここじゃない。ここじゃない、どこか違う別の場所なのよ」
「――っ」
「ユリアはここで請け負った翻訳の仕事があるわ。だからあなたはここに残って。でも最後に私の荷作りを手伝ってほしいの」
ユリアは黙って何かを取り出すと私に何かを見せつけた。
どうやらご下命が書かれた羊皮紙のようだ。常に身に付けているらしい。
「私が物事の優先順位を決め、嫌になったら私の意思を尊重し、ご下命を直ちに撤回した上、自由にしてそれ以降は私の生活を侵害しない旨が書かれています。私はロザンヌ様と一緒に帰ります」
ユリアはつらい過去を抱えて王都に出てくるのにはとても葛藤があっただろう。それでも私は彼女を巻き込んでここまで連れてきた。慣れぬ環境の中で彼女がいてくれて、どれほど私は救われたことだろう。
そんな彼女がここでお父様の意思を引き継ぐことができる役職を手に入れた。それなのにまた彼女を私の都合で連れ帰るの? いいえ。そんなことはできない。
「ユリアはここにいて」
「私には優先事項を決める権利があります。私は常にロザンヌ様と共に」
「あなたにはここで生きる意味を見付けることができたのだから」
私はあなたの生きる意味を奪いたくはない。
「ロザンヌ様が私の生きる意味を決めることはできません。生きる意味は私だけが決めることができます。私が生きる意味は父の意思を継ぐことではありません。ロザンヌ様の側にいることです。ロザンヌ様がいたから私は生きてこられたのです。そしてそれはこれからもです。だからどうか……ご一緒させてください」
まるで縋るかのような言葉に、ユリアが私に向けてくれる熱い思いに胸が一杯になる。
「ありがとう、ユリア。……ごめんなさい」
ユリアを抱きしめる私を強く抱きしめ返してくれた。
いつまでも続くと思われた平凡な日常は、ある日突然失われることがある。けれど私は幸運なことに、猶予をもらえたのだ。この日を大切にしたいと思う。
翌朝。
私はいつものように殿下に学校へ行く前の挨拶に訪れる。
「おはようございます、殿下」
「ああ。おはよう」
殿下に丁寧に礼を取るとお顔を拝見する。
うん。本日も殿下は麗しい笑顔です。
この笑顔ももうすぐ見納めになるのかと思うと、一時も目を離すのが惜しい。
「とてもお天気が良いですね。気持ちいい朝です」
「ん?」
殿下は私の言葉に、窓へと視線をやる。
自分が言ったこととはいえ、自分から外れた視線に少しがっかりしてしまう。
「そうだな。そうみたいだ。だけど珍しいな。君が天気のことを気にするなんて」
「そうですか?」
戻ってきた視線にまた嬉しくなる。
一喜一憂している自分が何だか可笑しくなって、自然な笑みが溢れた。
「ああ。晴れの日も雨の日も、君がご機嫌なのは変わりない」
「そうですね。晴れの日も、雨の日も。雷の日でさえ好きでした」
「え?」
「ああ、そうだわ」
私は両手をぱちりと合わせる。
「これまでは殿下のお体が真っ先に気になっておりましたから、きっとお天気のことまで気を配ることができなかったのですね」
「なるほど」
「ええ。――あ。そろそろわたくし、参りますね」
「待て。忘れ物だ」
殿下は私に近付いて身を屈めると、額に軽くキスを落とした。
いつもと違うキスに思わず見上げると、にっと笑った殿下を見ることになった。
「何だ? 不満か?」
してやられたと思う。
これが昨日の私ならば、不満ではありませんとツンとした態度で身を翻すところだ。だけど今日は。
「……ふ、不満です」
必死の思いで言葉にすると、殿下は目を見張った。
殿下にまじまじと見つめられて、これ以上の羞恥に耐えられそうにない。
「い、いえ。では行って参り――っ!」
身を翻して逃げようとした私を捕まえた殿下は口づけを落とした。
朝の挨拶にしては少しだけいつもより長く重ね合わされた唇は、呼吸が乱れる前に離される。
「……気をつけて」
「は、はい。行って参ります」
目元に少し朱を差した殿下は、照れを隠すかのように目を半ば伏せて私を送り出した。
「あのね、ユリア。明後日、実家に帰るから荷作り手伝ってくれる?」
「ご実家に戻られるのですか? また日帰りなさるのでしょうか」
「いいえ、違うわ。この部屋を出て実家に帰るのよ。ここにはもう戻って来ないわ」
「――どうしてですか」
目を見張り、一瞬言葉を詰まらせたユリアだったが、すぐに落ち着いた声で尋ねてきた。
「わたくしの役目はもう終わったもの。王家の呪いは解かれ、殿下に影祓いは必要なくなった。それ以上のことがあるかしら」
「……陛下に出て行けと言われたのですか。それで素直に出て行くと? ロザンヌ様にしては随分と引き際が良いのですね」
「引き際?」
私の唇からは笑みが零れた。
「ユリア。わたくしは一人の女性の前に、ダングルベール子爵の娘です。貴族の娘なのです。そしてここは王宮。国王陛下の命に従うのは当然のこと。違いますか」
「殿下のお考えもそうなのですか。ちゃんとお話しされたのですか」
「……殿下のご意思は関係ありません」
うそだ。本当は殿下のお答えを聞くのが怖いだけにすぎない。今の瞬間だけを大事にして、未来について考えなかったツケが回ってきたのだ。
「また王家は――ロザンヌ様まで、また同じ間違いを繰り返すつもりですか。ロザンヌ様は人の為に戦うのに、なぜ自分の為に戦わないのですか!」
感情を露わにするユリアを見て、彼女もここで成長したんだなと思う。私も愛と言うには未熟だったかもしれないが、人を恋しく思う気持ちというものを知った。
「わたくしは選ぶ立場の人間でも、選べと言える立場の人間でもないわ。だけどね、ユリア。わたくしは自分の為に生きてみせると言ったでしょう。わたくしは誓ったでしょう。約束は破らないわ。けれど、それはここじゃない。ここじゃない、どこか違う別の場所なのよ」
「――っ」
「ユリアはここで請け負った翻訳の仕事があるわ。だからあなたはここに残って。でも最後に私の荷作りを手伝ってほしいの」
ユリアは黙って何かを取り出すと私に何かを見せつけた。
どうやらご下命が書かれた羊皮紙のようだ。常に身に付けているらしい。
「私が物事の優先順位を決め、嫌になったら私の意思を尊重し、ご下命を直ちに撤回した上、自由にしてそれ以降は私の生活を侵害しない旨が書かれています。私はロザンヌ様と一緒に帰ります」
ユリアはつらい過去を抱えて王都に出てくるのにはとても葛藤があっただろう。それでも私は彼女を巻き込んでここまで連れてきた。慣れぬ環境の中で彼女がいてくれて、どれほど私は救われたことだろう。
そんな彼女がここでお父様の意思を引き継ぐことができる役職を手に入れた。それなのにまた彼女を私の都合で連れ帰るの? いいえ。そんなことはできない。
「ユリアはここにいて」
「私には優先事項を決める権利があります。私は常にロザンヌ様と共に」
「あなたにはここで生きる意味を見付けることができたのだから」
私はあなたの生きる意味を奪いたくはない。
「ロザンヌ様が私の生きる意味を決めることはできません。生きる意味は私だけが決めることができます。私が生きる意味は父の意思を継ぐことではありません。ロザンヌ様の側にいることです。ロザンヌ様がいたから私は生きてこられたのです。そしてそれはこれからもです。だからどうか……ご一緒させてください」
まるで縋るかのような言葉に、ユリアが私に向けてくれる熱い思いに胸が一杯になる。
「ありがとう、ユリア。……ごめんなさい」
ユリアを抱きしめる私を強く抱きしめ返してくれた。
いつまでも続くと思われた平凡な日常は、ある日突然失われることがある。けれど私は幸運なことに、猶予をもらえたのだ。この日を大切にしたいと思う。
翌朝。
私はいつものように殿下に学校へ行く前の挨拶に訪れる。
「おはようございます、殿下」
「ああ。おはよう」
殿下に丁寧に礼を取るとお顔を拝見する。
うん。本日も殿下は麗しい笑顔です。
この笑顔ももうすぐ見納めになるのかと思うと、一時も目を離すのが惜しい。
「とてもお天気が良いですね。気持ちいい朝です」
「ん?」
殿下は私の言葉に、窓へと視線をやる。
自分が言ったこととはいえ、自分から外れた視線に少しがっかりしてしまう。
「そうだな。そうみたいだ。だけど珍しいな。君が天気のことを気にするなんて」
「そうですか?」
戻ってきた視線にまた嬉しくなる。
一喜一憂している自分が何だか可笑しくなって、自然な笑みが溢れた。
「ああ。晴れの日も雨の日も、君がご機嫌なのは変わりない」
「そうですね。晴れの日も、雨の日も。雷の日でさえ好きでした」
「え?」
「ああ、そうだわ」
私は両手をぱちりと合わせる。
「これまでは殿下のお体が真っ先に気になっておりましたから、きっとお天気のことまで気を配ることができなかったのですね」
「なるほど」
「ええ。――あ。そろそろわたくし、参りますね」
「待て。忘れ物だ」
殿下は私に近付いて身を屈めると、額に軽くキスを落とした。
いつもと違うキスに思わず見上げると、にっと笑った殿下を見ることになった。
「何だ? 不満か?」
してやられたと思う。
これが昨日の私ならば、不満ではありませんとツンとした態度で身を翻すところだ。だけど今日は。
「……ふ、不満です」
必死の思いで言葉にすると、殿下は目を見張った。
殿下にまじまじと見つめられて、これ以上の羞恥に耐えられそうにない。
「い、いえ。では行って参り――っ!」
身を翻して逃げようとした私を捕まえた殿下は口づけを落とした。
朝の挨拶にしては少しだけいつもより長く重ね合わされた唇は、呼吸が乱れる前に離される。
「……気をつけて」
「は、はい。行って参ります」
目元に少し朱を差した殿下は、照れを隠すかのように目を半ば伏せて私を送り出した。
44
あなたにおすすめの小説
王宮に薬を届けに行ったなら
佐倉ミズキ
恋愛
王宮で薬師をしているラナは、上司の言いつけに従い王子殿下のカザヤに薬を届けに行った。
カザヤは生まれつき体が弱く、臥せっていることが多い。
この日もいつも通り、カザヤに薬を届けに行ったラナだが仕事終わりに届け忘れがあったことに気が付いた。
慌ててカザヤの部屋へ行くと、そこで目にしたものは……。
弱々しく臥せっているカザヤがベッドから起き上がり、元気に動き回っていたのだ。
「俺の秘密を知ったのだから部屋から出すわけにはいかない」
驚くラナに、カザヤは不敵な笑みを浮かべた。
「今日、国王が崩御する。だからお前を部屋から出すわけにはいかない」
※ベリーズカフェにも掲載中です。そちらではラナの設定が変わっています。(貴族→庶民)それにより、内容も少し変更しておりますのであわせてお楽しみください。
身分差婚~あなたの妻になれないはずだった~
椿蛍
恋愛
「息子と別れていただけないかしら?」
私を脅して、別れを決断させた彼の両親。
彼は高級住宅地『都久山』で王子様と呼ばれる存在。
私とは住む世界が違った……
別れを命じられ、私の恋が終わった。
叶わない身分差の恋だったはずが――
※R-15くらいなので※マークはありません。
※視点切り替えあり。
※2日間は1日3回更新、3日目から1日2回更新となります。
牢で死ぬはずだった公爵令嬢
鈴元 香奈
恋愛
婚約していた王子に裏切られ無実の罪で牢に入れられてしまった公爵令嬢リーゼは、牢番に助け出されて見知らぬ男に託された。
表紙女性イラストはしろ様(SKIMA)、背景はくらうど職人様(イラストAC)、馬上の人物はシルエットACさんよりお借りしています。
小説家になろうさんにも投稿しています。
アンジェリーヌは一人じゃない
れもんぴーる
恋愛
義母からひどい扱いされても我慢をしているアンジェリーヌ。
メイドにも冷遇され、昔は仲が良かった婚約者にも冷たい態度をとられ居場所も逃げ場所もなくしていた。
そんな時、アルコール入りのチョコレートを口にしたアンジェリーヌの性格が激変した。
まるで別人になったように、言いたいことを言い、これまで自分に冷たかった家族や婚約者をこぎみよく切り捨てていく。
実は、アンジェリーヌの中にずっといた魂と入れ替わったのだ。
それはアンジェリーヌと一緒に生まれたが、この世に誕生できなかったアンジェリーヌの双子の魂だった。
新生アンジェリーヌはアンジェリーヌのため自由を求め、家を出る。
アンジェリーヌは満ち足りた生活を送り、愛する人にも出会うが、この身体は自分の物ではない。出来る事なら消えてしまった可哀そうな自分の半身に幸せになってもらいたい。でもそれは自分が消え、愛する人との別れの時。
果たしてアンジェリーヌの魂は戻ってくるのか。そしてその時もう一人の魂は・・・。
*タグに「平成の歌もあります」を追加しました。思っていたより歌に注目していただいたので(*´▽`*)
(なろうさま、カクヨムさまにも投稿予定です)
【完結】地味な私と公爵様
ベル
恋愛
ラエル公爵。この学園でこの名を知らない人はいないでしょう。
端正な顔立ちに甘く低い声、時折見せる少年のような笑顔。誰もがその美しさに魅了され、女性なら誰もがラエル様との結婚を夢見てしまう。
そんな方が、平凡...いや、かなり地味で目立たない伯爵令嬢である私の婚約者だなんて一体誰が信じるでしょうか。
...正直私も信じていません。
ラエル様が、私を溺愛しているなんて。
きっと、きっと、夢に違いありません。
お読みいただきありがとうございます。短編のつもりで書き始めましたが、意外と話が増えて長編に変更し、無事完結しました(*´-`)
0歳児に戻った私。今度は少し口を出したいと思います。
アズやっこ
恋愛
❈ 追記 長編に変更します。
16歳の時、私は第一王子と婚姻した。
いとこの第一王子の事は好き。でもこの好きはお兄様を思う好きと同じ。だから第二王子の事も好き。
私の好きは家族愛として。
第一王子と婚約し婚姻し家族愛とはいえ愛はある。だから何とかなる、そう思った。
でも人の心は何とかならなかった。
この国はもう終わる…
兄弟の対立、公爵の裏切り、まるでボタンの掛け違い。
だから歪み取り返しのつかない事になった。
そして私は暗殺され…
次に目が覚めた時0歳児に戻っていた。
❈ 作者独自の世界観です。
❈ 作者独自の設定です。こういう設定だとご了承頂けると幸いです。
幼馴染の生徒会長にポンコツ扱いされてフラれたので生徒会活動を手伝うのをやめたら全てがうまくいかなくなり幼馴染も病んだ
猫カレーฅ^•ω•^ฅ
恋愛
ずっと付き合っていると思っていた、幼馴染にある日別れを告げられた。
そこで気づいた主人公の幼馴染への依存ぶり。
たった一つボタンを掛け違えてしまったために、
最終的に学校を巻き込む大事件に発展していく。
主人公は幼馴染を取り戻すことが出来るのか!?
【完結】一番腹黒いのはだあれ?
やまぐちこはる
恋愛
■□■
貧しいコイント子爵家のソンドールは、貴族学院には進学せず、騎士学校に通って若くして正騎士となった有望株である。
三歳でコイント家に養子に来たソンドールの生家はパートルム公爵家。
しかし、関わりを持たずに生きてきたため、自分が公爵家生まれだったことなどすっかり忘れていた。
ある日、実の父がソンドールに会いに来て、自分の出自を改めて知り、勝手なことを言う実父に憤りながらも、生家の騒動に巻き込まれていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる