つかれやすい殿下のために掃除婦として就くことになりました

樹里

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【番外編:ユリア編】

第313話 伝えている言葉。届かない思い(五)

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 本日はまた露天商が開かれるらしい。
 私は特に今必要としているものはないが、同室のコレットさんが買いたい物があるそうで、荷物持ちとして請われているので一緒に行くことになった。
 ロザンヌ様も学校から戻ってきたらお声がけしよう。夕方頃までやっているといいが。
 二人で門へと向かっていると、前方からジェラルド様が何か袋を抱えてやって来た。

「ユリアさん、こんにちは」
「こんにちは」

 ジェラルド様は隣のコレットさんにも目礼する。名前をご存知ないからだろう。
 コレットさんは礼を取ると、私を見て微笑んだ。

「先に行っているわね。ではお先に失礼いたします。ジェラルド様」

 再び礼を取るとコレットさんは去って行く。
 やはりジェラルド様のお名前は知られているのか。殿下の護衛騎士官長で有名だから当然かもしれない。

「足を止めて申し訳ありません。ご用があったのではないのですか?」
「露天商に行く最中でしたが、私は荷物持ちです。私は買い物するものはありませんので、大丈夫です。……ジェラルド様もお買い物をなさったのですか」

 袋から赤いリンゴが顔を出しているのが見えた。

「あ、ええ。私はリンゴが好きで、特に稀に開かれる露天商でしか手に入らないリーデン産のものは瑞々しくて甘さと酸味のバランスが良いので、とても好きなのです。よろしければユリアさんもお一つどうぞ」

 ジェラルド様は袋の中から艶のある赤く成熟したリンゴを取り出すと、笑顔で私に差し出した。だが、すぐにはっとした表情になる。

「すみません。ユリアさんはリンゴがお嫌いでしたね。失礼いたしました」

 ジェラルド様は私の好きな物も嫌いな物も覚えてくださっている。
 私は、慌てて引っ込めようとしたジェラルド様の手を取った。

「え」

 目を丸くするジェラルド様に構わず私は口を開く。

「リンゴが嫌いになったのは私が路上生活者となり、初めて盗みの実行要員にされた時です。仲間は、仲間だと信じていた人は逃走途中、まだ何も事情が分かっていなかった私にリンゴを投げ寄越したのです。店主から逃げ切るための囮役でした。人生で初めて裏切られた瞬間です。私にとってリンゴは裏切りの象徴です。裏切りの味です。だから生涯口になどしない」

 ジェラルド様の瞳には不快そうな色も、憐憫の色も見えない。ただ、私の話を黙って受け止めようとしてくださっているのだけが分かる。

「そう思っていました。ですが」

 私は手を離すと、まだジェラルド様の手の中にあるリンゴにそっと触れる。

「好きな人が好きだと言う果実の味が知りたくなりました。私も好きになりたいと思いました。私はジェラルド様が好きな果実を自分の好きなものの一つにしたいです」
「――っ」
「ですからこのリンゴを頂けますか」
「は、い……」

 低く掠れた声のジェラルド様は、リンゴを握った手を緩めて開いてくださった。
 両手でそのリンゴを包み込んで受け取り、胸に寄せるとお礼を述べる。

「ありがとうございます。ジェラルド様」
「っ。ユ、ユリアさん! 私――」
「あ」

 そういえば忘れていた。

「ジェラルド様。私はこれから露天商に行かなければいけませんでした。申し訳ありませんが、後であらためて頂いても良いでしょうか」

 このままリンゴを持って行ったら、盗んだと思われるに違いない。気付いてよかった。

「あ、はい……」
「ありがとうございます。ではまた後ほど」

 私は再びジェラルド様の大きな手の平にリンゴを乗せた。


「ねえ、ユリア。ジェラルド様のことなのだけれど」

 学校から帰り、部屋に戻ってお着替えを手伝っていると、ロザンヌ様が顔だけ振り返った。

「何でしょう」
「今日のジェラルド様、何だかいつもと違わなかった? その、いつもと同じく穏やかで仕事ぶりは完璧なのだけれど、どこか。うーん。言葉で説明するのは難しいわ」
「そうでしょうか」

 いや。そうかもしれない。今日は好きだと言ってもらえなかった。

「ユリア、何、拗ねた顔をしているの?」
「……拗ねていません」

 着替えを済ませたロザンヌ様は振り返り、腰に手をやる。そして目を細めると身を乗り出して私を仰ぎ見てきた。

「今日、ジェラルド様と何かあった?」
「特に何もなかったと思いますが。リンゴを頂いた以外は」
「リンゴですって!? ユリア、あなたリンゴが嫌いでしょう? なぜもらったの?」

 驚くロザンヌ様を見ながら、ロザンヌ様もまた私の嫌いなものを覚えてくれていることに嬉しい気持ちになる。

「諸事情で」
「諸事情って何よ。いいからお話ししてごらんなさいよ」

 目を細めて手をくいくいと動かして要請してくるので、簡潔にお話しをすると。

「――男心を軽々ともてあそぶ手練れの悪女コワイ!」

 ロザンヌ様はひぃぃぃと青ざめて両手を頬に当てる。
 誰が。

「無自覚もコワイ。そ、それで? そのリンゴは食べたの?」
「はい。申し訳ありません。一人で食べてしまいました」
「良かった。そのリンゴだけは分けてほしくないわ……」

 苦い笑いされたロザンヌ様はさらに興味深そうに、首を傾げて尋ねてきた。

「リーデン産だっけ。味はどうだった?」
「思わず泣いてしまいました」
「えっ。泣くほど美味しかったの?」
「はい。美味しかったです」

 瑞々しく甘酸っぱくて、爽やかさで心を浄化してくれるような――まるでジェラルド様そのもののような味だった。

「とても美味しかったです。好きに……なりました」
「――お。女心も手玉に取る魔性の女コワイヨー」

 ロザンヌ様は目を見開くと、真っ赤に染めた顔を両手で覆って伏せた。
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