45 / 119
第二章 王都
終幕
しおりを挟む――天蓋の薄いカーテン越しに朝日が薄らと差し込む。
ぼんやりと明るい日差しに照らされて艶めく漆黒の髪を指で梳く。絹のような手触りの髪はサラサラと溢れるように真っ白なシーツに広がった。
随分と伸びたものだ。
初めて会った時は耳が見えるくらい短く切り揃えられ、少年のような長さだった。
髪を弄っていた指をするりと移動させ、小さな耳に触れる。
カレンは耳が弱い。
以前耳元で息を吹き掛けながら話をしたら、声にも弱いと言っていた。これはもう、最大限に利用する他ない。
少しひんやりする耳から、今は固く閉じられた瞳をぐるりと囲む睫毛に触れる。長く、自然にカールした睫毛はカレンの大きな瞳を更に際立たせる。ふるりと長い睫毛が揺れた。
真っ白な肌をカーテンから差し込む柔らかな日差しが優しく包む。
スッキリと通った鼻筋を辿り、熟れた桃のような唇を撫でる。
少し赤いのは昨晩の名残か。ぷっくりと弾力のある唇を少し押すと赤い舌が覗いた。
あんなにも貪るように何度もキスをしたのに、また食らいつきたい衝動に駆られる。
すうすうと寝息をたて眠るカレンは、今は安らかな表情をしている。
昨晩の、タウンハウスの裏庭に戻ってきたカレンの表情は、感情が抜け落ちて虚だった。
話していることは理解しているのに、瞬きもせずあの魔物の死体を凝視していた。目が離せないのだ。
視界を塞ぎ視線を合わせると、みるみる瞳に涙が溢れてきた。零すまいと耐える姿に、胸が苦しくなった。
カレンは、俺に一緒にいてほしいと言った。
その言葉に応えない筈がない。
だから俺はカレンに応えた。
愛を伝え、側にいると身体に刻んだ。
「……ん……」
ふるりと長い睫毛が震えて、ゆるゆると瞼が持ち上がる。
ゆっくりと開かれていく様を心に留めるように見詰めた。
日に当たり琥珀色にゆらゆらと揺らめく瞳に俺が映る。
「……れお…」
「おはよう、カレン」
目を合わせたまま、ほんの少しだけ唇が触れるキスを贈る。
段々と焦点が合ってきた瞳が少し瞠かれ、やがて状況を理解したのかみるみる真っ赤に染まっていった。
「れ、れれ、レオニダス、わた、わたしっ」
昨晩の大胆さが嘘のような初心な反応だ。
つい笑ってしまう。可愛らしい。
グイッと腰を引き寄せるとお互いの肌が直接触れ合い、そこで裸であることを思い出したらしいカレンは益々赤くなった。
「風呂を用意させてある。入るか?」
腕の中でカクカクと頭を振る。
洗ってやろうかと言うと、ブンブンと頭を横に振る。面白いな。
「昨日は洗ったのに?」
耳元で囁くとギュッと肩を竦めた。髪から覗く耳が真っ赤に染まり俺を甘く誘う。はむ、と無意識に耳を食んでしまった。
「んぁっ」
む、その反応はダメだぞ。もっとしたくなる。
肩を揺らして笑っていると、ぽこっと胸を叩かれた。
それすら可愛らしいと言うのに。
「身体は辛くないか」
腕の中に閉じ込めて頭頂部にキスをする。
「だ、大丈夫、…です」
大丈夫なのか。なるほど、砦の訓練は無駄ではなかったな。
「俺はまた出掛けなければならないが、今日はこのままゆっくり過ごすといい。アンナに後で来るように言ってあるから心配するな」
「……ここは?」
「中心部にあるホテルだ。タウンハウスが駄目になったからな、ここを貸し切った」
「……貸し……」
「使用人も護衛も皆ここに来ている。暫くはここを拠点にする」
本当は二人だけで過ごしたいが。
「朝食を隣の応接室に用意させよう。その間に風呂に入るといい。それともやっぱり一緒に入って洗おうか?」
「い、いいえ!大丈夫、一人で入れます」
顔を赤くしたまま小さく縮こまる。俺に抱きついてくれたらいいのに。敬語に戻ってるな。
「カレン」
顎に指をかけ上を向かせる。
「昨日のおねだりは最高だった」
わざと唇に触れさせながら囁く。
「きっ、昨日のことは、忘れて…っ」
真っ赤な顔でギュッと目を瞑り俺の腕に縋る。
「なぜ?」
「だ、だってあんな…」
「俺はカレンが求めてくれて嬉しかった」
ちゅ、と音を立ててキスをする。
「またおねだりをして欲しいな」
「も、もうしまてん!」
「ふうん?なら、おねだりしたくなる状況にしてやろう」
「ななななに言って…! ダメ、ダメです!」
「昨日みたいに脚をか……むぐっ」
「ダメ! レオニダス! もう黙って! しーっ!」
しーって。
俺の口を真っ白な手で塞ぎ、腕の中で身悶えるカレン。
なんだこの可愛さは。俺を殺す気か。
俺の口を塞ぐカレンの掌に舌を這わせて指の間を舐めしゃぶった。
「ひゃあぁっ」
今度こそカレンはシーツを剥ぎ取り頭から被ると、浴室まで走って行ってしまった。
走れるとか。そうか、なるほど。
「はははっ」
声を上げて笑うと、何やら浴室から抗議の声が上がった。可愛いな。
起き上がりシャツを羽織ると、寝室と繋がった応接室でフィンを呼び朝食を持ってくるよう伝えた。
「アルベルト様がフロントにお越しです」
朝食が載ったワゴンを押したローザと共にやって来たフィンが言いにくそうに伝える。
何だそのタイミングは。アルベルトの奴、わざとなのか。
「ラウンジで待つよう伝えろ」
溜息を隠さずそう伝え、浴室のカレンに先に食べるよう伝えてラウンジへ向かった。
* * *
「おはよう、レオニダス」
ラウンジの大きな窓から差し込む日差しを浴びて、キラキラと無駄に金髪を輝かせる男がラウンジのソファで一人、優雅に脚を組み新聞を読んでいる。
「要件を」
「えー、何それ連れないなぁ!」
あはは、と声を上げて笑う。
「ナガセはどう?」
使用人が運んできたお茶を口にしながらアルベルトが視線を向けて来る。
「昨日は不安定だったが、今朝はいつも通りだった。多分な」
暗に嫌味を含ませるが効果はない。
「……腑に落ちない」
ポツリとアルベルトが呟いた。
今回、あの男にタウンハウスを急襲され被害が出てしまったのは、完全に想定外だった。
男が雇い主から切られたと判断し、早急に回収しようとバーデンシュタインの影数名が男の寝泊まりしている宿に向かったが、逃げられ見失った。しかもその際、影が一人殺されている。
そんな能力のある男ではなかった。
違和感を拭えないまま、男はすぐに薬を求めるだろうとあの男が利用していた売人を探したが、売人は腕が引きちぎられ背中から切り付けられた状態で見つかった。側には娼婦の遺体も。
アルベルトが屋敷の警備を更に固め、影と共に男を探し回ったが全く見つける事が出来なかった。
アルベルトが見つけられない。
こんな事は今までなかった。
今になって背後の人間が動いたのか、それとも協力者が出たか。
身辺を洗い直している所で思わぬ横槍が入った。
「まさか王太子から待てが掛かるとはな」
王位継承権第一位、王太子ディードリッヒ。
現王政の中心人物であり、特に今、綱紀粛正に注力している人物。
世襲制度による腐敗した貴族社会の悪しき慣習を一掃すべく、行政のみならず法律の制定にも力を入れている。
そのディードリッヒが、人身売買に薬物の取引と黒い噂の絶えないリヒト・ボーデンに狙いを定めていた。
今回暴走した、あの魔物と化した男に接触していた売人は末端だが辿ればボーデンの息のかかった組織にぶつかる。
アルベルトはそこまで洗い出しボーデンを引き摺り出そうとしたのだが、既に内部に捜査の手を伸ばしていたディードリッヒに手を出すなと圧力をかけられた。
王城に呼ばれ、王族相手に剣呑な雰囲気を隠しもせずアルベルトがディードリッヒに食い下がっている所へ、バーデンシュタインの遣いが慌てた様子でやって来た。
なんとか間に合ったものの、タウンハウスは半倒壊、護衛も何人も怪我を負い、何よりカレンとエーリクが恐怖に晒された。
怪我を負っていてもおかしくなかった。
アルベルトは、とにかくそれが面白くないのだ。
もちろん俺も。
「薬物が絡んでいる。こちらで対処するような事ではない。ディードリッヒに任せておけ」
アルベルトの気持ちは俺だって分かる。
カレンの上にのし掛かっているあの男の姿を見た時の怒りは、今でも内側で燻っているのだから。
だが、我々は辺境伯領の人間だ。
これ以上首を突っ込む義理もなければ、手を貸すつもりもない。王都の事は王都でけじめをつけるといい。
「……レオニダスは変なところで政治的な考え方をするよね」
どういう意味だ。
俺はカレンの憂いを払いたいだけだ。
あの男は死に、ディードリッヒに狙われているボーデンの命も今や風前の灯火だろう。命を落とすのも遠くない。
確かに、己の中に忸怩たる思いがあるのは否定できない。
あの男が口にしたという赤い包み。間違いなく薬物だろうが、それによる身体強化、それにあの、魔物の匂い。
追えば追うほど闇が深くなる。
これ以上の深追いは不要だ。
それに、あんな物が王都で蔓延るなどディードリッヒが黙っているはずが無い。
あの男は誰より恐ろしい男なのだから。
「過ぎた欲望は身を滅ぼすだけだ。ボーデンはこの手で殺してやりたいが、ディードリッヒから逃れられるわけがない。そろそろ意識をこちらに戻せ、アルベルト」
膝の上に肘を乗せ頬杖をつき、アルベルトはジロリとこちらを睨みつけた。
「僕は可愛い義妹のために憂いを無くしたいだけだ」
「ならばもういいだろう。それともこのまま、王都の薬物撲滅のために駆けずり回るのか?」
アルベルトは王家の影として暗躍するバーデンシュタインの嫡男。その実力は周知の事実。既にバーデンシュタインの影を従え、王国軍兵士とは異なる働きもする男。王家としては喉から手が出るほど欲しい人材だ。
「我々は王国軍兵士だ。護るべきものは国であり民だが、戦う相手は内側にはいない。然るべき人間が然るべき対応をする。これ以上の干渉は辺境伯領にとって良い結果を生まないぞ」
「……分かってるよ」
アルベルトはぐしゃぐしゃと髪を乱した。
「何もしてないことが不満なだけだよ」
「しただろう」
「手応えがない」
「自己満足だ」
「どうとでも言って」
ふん、とアルベルトは立ち上がると形のいい眉を片方吊り上げ見下ろした。
誰もいない高い天井のラウンジで窓から斜めに差し込む朝日を背に、意地の悪い笑顔を見せる。
「母上がすごく心配してる。午後には迎えに来るよ」
なんだと。
せめてもう一日。
「僕たちは家族だからね。ナガセのことを心配してるし、側に居てあげたいと思う気持ちは同じなんだよ」
じゃ、残り時間を大切に、そう言うとひらひらと手を振ってアルベルトは立ち去った。
――そうか。まだ朝だしな。
急いで部屋に戻ろう。
戻って、カレンと過ごそう。
大切な愛しい人を甘やかして、沢山の愛を囁こう。
98
あなたにおすすめの小説
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
冷徹団長の「ここにいろ」は、騎士団公認の“抱きしめ命令”です
星乃和花
恋愛
【全16話+後日談5話:日月水金20:00更新】
王都最硬派、規律と責任の塊――騎士団長ヴァルド・アークライトは、夜の見回り中に路地で“落とし物”を拾った。
……いや、拾ったのは魔物の卵ではなく、道端で寝ていた少女だった。しかも目覚めた彼女は満面の笑みで「落とし物です!拾ってくださってありがとうございます!」と言い張り、団長の屋敷を“保護施設”だと勘違いして、掃除・料理・当番表作りに騎士の悩み相談まで勝手に開始。
追い出せば泣く、士気は落ちる、そして何より――ヴァルド自身の休息が、彼女の存在に依存し始めていく。
無表情のまま「危ないから、ここにいろ」と命令し続ける団長に、周囲はざわつく。「それ、溺愛ですよ」
騎士団内ではついに“団長語翻訳係”まで誕生し、命令が全部“愛の保護”に変換されていく甘々溺愛コメディ!
巨乳令嬢は男装して騎士団に入隊するけど、何故か騎士団長に目をつけられた
狭山雪菜
恋愛
ラクマ王国は昔から貴族以上の18歳から20歳までの子息に騎士団に短期入団する事を義務付けている
いつしか時の流れが次第に短期入団を終わらせれば、成人とみなされる事に変わっていった
そんなことで、我がサハラ男爵家も例外ではなく長男のマルキ・サハラも騎士団に入団する日が近づきみんな浮き立っていた
しかし、入団前日になり置き手紙ひとつ残し姿を消した長男に男爵家当主は苦悩の末、苦肉の策を家族に伝え他言無用で使用人にも箝口令を敷いた
当日入団したのは、男装した年子の妹、ハルキ・サハラだった
この作品は「小説家になろう」にも掲載しております。
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ドルイデスは忌み子将軍に溺愛される
毒島醜女
恋愛
母の死後引き取られた叔父一家から召使として搾取され、手込めにされそうになった少女、羽村愛梨。
馴染みの場所であった神社に逃げると、異世界にいた。「神樹により導かれたのね」とドルイデスと呼ばれる魔女が愛梨を拾った。異世界に救われ、ドルイデスから魔法を教わりながら田舎で過ごしていく。現世では味わえなかった温かな人の温もりに、もう何も望むまいと思っていた。
先代のドルイデス=先生が亡くなり、村の外れで静かに暮らすアイリ。
そんな彼女の元に、魔獣討伐で負傷した将軍、ウルリクが訪ねてくる。
離れで彼を看病していくうちに、不器用で、それでいて真っすぐな彼に惹かれていくアイリ。
こんな想いを抱く事はないと、思っていたのに。
自分の想いに嘘がつけず、アイリはウルリクに縋りつく。
だがそれは、ウルリクにとって願ってもない頼みであり、もう決して逃れる事の出来ない溺愛の始まりであった…
私が美女??美醜逆転世界に転移した私
鍋
恋愛
私の名前は如月美夕。
27才入浴剤のメーカーの商品開発室に勤める会社員。
私は都内で独り暮らし。
風邪を拗らせ自宅で寝ていたら異世界転移したらしい。
転移した世界は美醜逆転??
こんな地味な丸顔が絶世の美女。
私の好みど真ん中のイケメンが、醜男らしい。
このお話は転生した女性が優秀な宰相補佐官(醜男/イケメン)に囲い込まれるお話です。
※ゆるゆるな設定です
※ご都合主義
※感想欄はほとんど公開してます。
過去1ヶ月以内にノーチェの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、ノーチェのすべての番外編を読むことができます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にノーチェの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、ノーチェのすべての番外編を読むことができます。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。