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最終章 深淵
水底の澱
しおりを挟む砦の中にある四方を分厚い石の壁に囲まれた部屋。
聴覚や視力のギフト持ちでも中まで見る事が難しい作りになっているここは、重要な会議に使用される。
「何人だ」
「外回りは五人。視力、聴力、腕力と脚力に、声だな」
「声?」
「恐らく特殊な音域で声を発生させて魔物の感覚を狂わせている」
「そこを腕力と脚力のギフトで仕留めるのか」
ギッと古い椅子が音を立てる。
机上に広げられた資料には、びっしりとベアンハートが書き込んだ文字で埋め尽くされている。
「第五部隊が見つけた昔使われていた郊外の氷室が奴等の潜伏先だ。魔物の遺体など、あんな酷い匂いをさせたものを持ち歩くなど不可能だからな」
「そこである程度の加工をして持ち出しているのだろう中を見ない事には分からんが五人以外に加工を請け負っている者が二名ほどいる可能性が高い」
「魔物を加工するなど……」
「視力と聴力が適当な魔物を探し当て声で弱らせた所を腕力と脚力が仕留める中々の連携技だが、加護を受けていない武器では精々が小物を仕留めるのが限界なんだろう。そこは幸運だったと言うべきか」
「魔物の質で変わるのか?」
「そうだ。小さな魔物はその身体に取り込んでいる毒素は薄く少ないが大物になればなるほど濃密な毒素を多く取り込んでいる。濃い毒素の薬を使用すれば魔物そのものの何かが出来上がる」
「……制御可能な魔物が出来上がるという訳か」
「果たして制御可能になるかは分からんが」
魔物を討伐する為の辺境の兵士達が使用する武器は全て、教会の加護を受けている。
加護を受けた武器を使用しなければ与えるダメージが少ない上に、例え魔物を滅したところでその血肉が大地を腐らせ更に魔物を呼び寄せる。加護を受けた武器で滅した魔物では毒素がなくなり薬を作る事ができないから通常の武器で対処するしかないのだろう。
確かにそれでは犬程度の大きさが限界だ。
だがそれでも魔物だ。普通の人間には対処出来ない。
「私はその施設を見るのが仕事だ見る事ができるようになったら教えてくれ」
ボサボサに伸びた無精髭をボリボリと掻きながらベアンハートは近くにあったお茶を飲む。
それはいつのお茶だ。こいつ本当に王族か。
「ベアンハート、いつ寝たんだ」
「分からん」
「……風呂にも入ってこい」
「多少入らなくとも病気になるリスクは低」
「臭う」
「それはすまない」
自分の服を引っ張りクンクンと臭いを嗅ぐ王族。
「こちらから連絡があるまで少し休め」
部屋を後にして執務室へ戻ると室内にいい匂いが充満していた。これはカレンの作った料理の匂いだとすぐに分かる。
「あー、レオニダス惜しい! さっきまでナガセがいたんだよ」
アルベルトが書類の山から顔を出した。
「そうか」
執務机にはバスケットがひとつ。
布を捲るとハムと玉子のサンドウィッチに食べやすいサイズのハンバーグ、マッシュポテト。サラダにデザートのタルトまである。
思わず口元が綻んだ。
バルテンシュタッドに帰って来てから毎朝カレンが用意してくれる弁当。熱を出し倒れた時でさえ、簡単なものだからと用意したのには本当に切なくなった。そんなに頑張らなくてもいいのだと伝えると、会えない分どうしても作りたかったと言われ、胸が苦しくなった。
こんなにも愛しい生き物が他にいるだろうかいやいない。
だが次からは体調が悪い時には絶対にしないでくれと念を押した。カレンは何事も頑張りすぎるきらいがある。
「ベアンハート、なんだって?」
アルベルトが立ち上がりお茶の用意を始めた。
「声で魔物を撹乱しているようだ」
「なるほどね」
「クラウス、何か報告は」
「はっ。監視からは特に何も」
「……こちらの動きを探っているか」
「僕達も戻ったばかりだから。あちらもそう直ぐには行動に移さないだろうね」
「人物の特定は出来ているのか」
「三名ほど」
「外回りは五人いるらしい。視力と聴力、声、腕力と脚力。内部に最低2人」
「視力と聴力はこちらを窺っているだろうから特定が難しいかもしれないけど、出入りが少なすぎない? 他にも入り口があるんじゃないかな」
「確認します。人員を割いても宜しいですか?」
「構わん」
「あと、更に離れた場所から監視した方がいいでしょ。第一の視力を充てるから監視を強化して。出入りする人間を特定出来たら更に監視をつけよう」
「それにしても素性が分からなすぎる。捕らえた男はどうした」
「地下牢に。ただあれはもう吐く事はないと思われます」
「あの男を捕らえた事には気付かれてないな」
「ええ。魔物にやられたように偽装済みです」
「生きているうちにディードリッヒの元に送れ」
「はっ」
「ベアンハートがここにいる事も知らないよね?」
「荷馬車に王族が乗ってるとは誰も思わんだろう」
「分かっててやったと思う?」
「…あの男は阿呆ではないぞ」
「時々疑いたくなるんだよね」
分かる。
解析のギフトを持つベアンハートがここにいる事が知られれば、監視下にあるあの者達はすぐに姿を眩ますだろう。結局ベアンハートは邸ではなくこの砦に滞在し一歩も外へ出ていない。
「閣下」
クラウスが少し言い淀み、口を開いた。
「特定できている三名ですが、昨晩オーウェン殿の店に来ました」
パンッとカップが破裂する音。
見るとアルベルトの手の中でカップが粉々に割れている。
「昨晩はナガセが演奏する日でしたので自分もその場にいました。念の為気付かれないようナガセに護衛を増やし、私も部下と対象の監視をしましたが」
どうやら演奏と料理を気に入ったらしい、と。
「レオニダス、暫くナガセを外に出さないで」
「アルベルト」
「ダメだよ、絶対にダメ。どうして昨日行かせたの? レオニダスが一緒にいる時だけじゃなかったの?」
「昨日は世話になっている店の者の誕生日だったそうだ」
はあ、とため息が出る。
俺だって外出などさせたくない。だが、それではダメだ。
カレンの生き生きとした美しさは、他人に触れ自然に触れ、外からの刺激を受けて伸びやかに育つ。籠の中の鳥ではいずれ飛べなくなってしまうだろう。
鑑賞するだけならば籠の鳥で構わない。
だが俺は、伸びやかなカレンを愛しているのだ。
「取り敢えず護衛を増やそう」
「閣下」
クラウスがさっと手を挙げた。耳を澄まし声を拾う。
「五番防壁に魔物の群れです。第四が対応していますが数が多い。増援を要請しています」
「俺が行こう。アルベルト、第二を呼べ。クラウス、声と耳を各所に配置しろ。第五は引き続き対象の監視だ」
「はっ」
「アルベルト!」
飛び出そうとするアルベルトを引き留める。
「何?」
「ベアンハートに風呂の場所を教えてやれ」
アルベルトはもの凄く嫌そうな顔をして出て行った。
執務室を飛び出して行った二人を見送り、壁に立て掛けた剣を手に取る。
今日はカレンに会えるだろうか。
バスケットの中から一つ、サンドウィッチを手に取り口にする。
美味い。戻ったらゆっくり食べよう。
そして早く終わらせて、カレンにキスをするのだ。
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