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6 新しい出会い、新しい自分
しおりを挟む(うわ、凄い人……)
王家主催の晩餐会が開かれる都内の迎賓館に足を踏み入れると、そこは大勢の人で溢れかえっていた。
広いホールではすでにダンスが始まり、楽団が美しい音色を奏でている。その隣に続くラウンジでは様々なテーブルが用意され、皆、思い思いに立食を楽しみ歓談していた。
(領地の人が全員集まったみたいな数だわ)
違うのは、作業着ではなく煌びやかに着飾っているということ。
(変な人に声を掛けられたらどうしたらいいかしら。やっぱりアーロンと来た方がよかった?)
叔母さまから言われた注意事項はふたつ。
ひとつは、言われた言葉をそのまま鵜吞みにしないこと。その裏を読むこと。
初めからそんなことができるなら苦労しない。
二つ目は、ダンスに誘われたら、よほどのことがない限り断らないこと。断るときはちゃんと理由を付けること。
(ダンスなんて誘われるかしら。男性より大きいくらいなのに)
今夜、叔母さまに用意してもらったドレスは、黒い総レースのドレスだ。結構きわどく胸と背中が開いたアンダードレスの上にレースのドレスを重ねて着るので、それほど肌を露出せずに済む、というのが初心者向けらしい。
キラキラ光るラメが混ざった糸で編み上げたレースは、きらきらと光り、歩くたびにスカート部分のフリンジが揺れて、ブティックの店員曰くかなり妖艶なのだとか。ちょっとその定義は私には分からないけれど。
そしてこのドレスをより美しく見せるため、という理由で、十センチのヒールを履いている。つまり今夜の私は、百八十五センチの女なのだ。
(いくらなんでも大きすぎると思うわ!)
黒髪は敢えて緩くひとつに纏めて、アクセサリは控えめに。それがこなれ感が出ていいらしい。こなれ感って何?
「失礼、おひとりですか?」
会場をきょろきょろと見て回っている私の目の前に、突然ぬっとグラスが差し出された。
「え」
「まだ何も召し上がっていないようだ。いかがです?」
「あ、ありがとうございます」
突然目の前に現れた紳士は、ニコニコと笑顔で私にグラスを手渡し、じっと見上げてくる。その視線の強さは、うまく説明できないけれど、――居心地が悪い。
(さすがに十センチのヒールを履いているから、大きいと思われているわよね……)
「どこかでお会いしたことはありませんか?」
ところがその男性は面白がるような様子はなく、思ってもいなかった言葉をかけてきた。
「え、いいえ。人違いだと思います」
「そうかな、あなたのような美しい人を、間違えるはずはないんだが」
「まあ、お上手ですね」
(これだけ背が高い私に会ったことがあるなら、絶対に覚えているでしょう!)
胡散臭い。印象はそれだけ。早く離れた方がよさそう。
「本当のことですよ。ああでも、これも何かのご縁だ、一曲いかがですか?」
「――いいえ、申し訳ないけれど、今夜は人を探していて」
「おや、そうなんですか? ではその方が見つかるまでいかがです? まだ夜は始まったばかりだ」
「ありがとう、でも私――」
「せめて乾杯だけでも。このシャンパンは美味しいですよ」
グラスの中に視線を落とせば、ほんのり色づいた液体に小さな気泡がしゅわしゅわと浮いている。
(しつこい……このグラスも、もしかして怪しくない?)
勧めてくるのに自分はまったく口を付けようとしない。
ダンスに誘われたときは理由なく断っては駄目だと教わっているけれど、この場合はどうしたらいいんだろう。
――叔母さまなら、どうやって断るかしら?
「――嬉しいけれど、これから会う人に酔った姿は見せられないの。もしまたお会いする機会があったら、その時は美味しいお酒を教えてくださる?」
(わあ、我ながら叔母さまっぽいわ! 言いそう!)
あまりの叔母さまっぽい台詞に一人で感動していると、目の前の男性はパッと顔を赤らめた。
「では、次お会いするときのために、お名前を教えていただいてもよろしいですか? レディ」
(え、どうして? このまま名乗らず別れては駄目なの?)
名前を聞くのは別にマナー違反ではない。でも、なんだかそのまとわりつくような視線が嫌で、教えてはいけないような気がした。
(どうしよう、なんて逃げ切る?)
今の私では何も思いつかない。やっぱり叔母さまになり切るのが一番。
そう、私は今夜、恋多き悪女を演じればいいんだわ!
「もし次にお会いすることがあったら、そのときには考えてあげるわ。でもまず、あなたが自分から名乗ることを覚えなければだめよ」
(人に名前を聞くのに名乗らないなんて、マナー違反じゃない?)
そう思ってからふと、もしかしたら名乗らなくても顔を見ると誰か分かるほどの高位貴族なのかもしれない、と思い至る。あれ、もしかして逆に失礼だった?
けれど男性は、私の言葉になぜかごくりと喉を鳴らした。
「今から名乗るのは遅いでしょうか? 私は今夜、どうしてもあなたと踊りたい」
(うわ、ストレート! どうしよう、ええと……)
逆に聞きたくない。いらないわって伝えては駄目かしら。
「失礼、ちょっとよろしいでしょうか」
そこへ、頭上から低い声が掛けられた。
驚いて声のした方へ視線を向けると、それはあの日、王都の外壁の前で会った銀色の髪の騎士だった。彼は私に青い瞳を向けて、ふっと口元を緩めた。
「ああ、やはり。あなたではないかと思っていた」
「まあ、こんばんは……!」
(助かったわ、いいタイミング!)
目の前にいた男性は、突然現れた騎士服姿の彼を見て小さく息を呑んだ。
無言のまま視線を向けてじろりと見下ろす騎士に、男性は顔を青ざめさせて「用事を思い出した」と、そそくさとその場を立ち去った。
その逃げるように去っていく男性の後ろを、数人の騎士が素早く追いかけて声を掛け、静かに会場の外へ連れ出すのが見えた。やっぱり怪しい人物だったのだ。
「失礼、そのグラスをお預かりしても?」
「え? ええ」
「口にした?」
「いいえ」
「それがいい」
彼は私の手からグラスを取り上げ、近くを通りかかった給仕にグラスの中身を警備中の騎士へ渡すよう指示を出した。
「何か入っているの?」
「さあ? 用心するに越したことはないだけだ」
(やっぱり。騎士服の彼を見て慌てて逃げていったのもきっとそのせいね)
すぐに対処したということは常習犯なのか、騎士団に目を付けられていたのだろう。
王都って怖い。まさか初めからそんな人に声を掛けられるとは思わなかった。
「ありがとう、助かりました」
「いや。余計なお世話かとは思ったのだが、困っているように見受けられたので」
「ええ、そうなの」
騎士服姿の彼を見て、ふと首を傾げる。先日合ったよりも格式の高い隊服を着ている。濃紺のマントには金の刺繍が施され、銀色の髪にとても似合っていた。
「お仕事中でした? ごめんなさい、お手を煩わせてしまって」
「ああ、いや、そんなことは……」
彼は自分の詰襟に指をクイッと入れて引っ張った。白い手袋が眩しい。
「――探していた」
「え?」
彼はふうっと小さく息を吐き出して、私をじっと見下ろした。その視線に、何か言いたいことがあるのだろうかと小さく首を傾げて青い瞳を見つめ返す。
すると彼は、少しだけ目元を緩めた。無表情だけれど、柔らかい、優しい表情だ。
「先日のお礼を伝えたかったので」
「え?」
「あなたのお陰で被害が広がるのを防ぐことができた。感謝申し上げる」
「まあ、お役に立てて何よりです」
改めてお礼を言われてなんだか恥ずかしい。あのときはただ夢中で、彼に失礼がなかったか後から気になっていた。
そう、そして決めていたのだ。また彼に会うことがあったら、今度はちゃんと名乗ろうと。
改めて彼に向き直り、その顔を見上げると、彼はこほん、とひとつ咳ばらいをした。
「私はイーゼンブルグ。エイデン・フリート・フォン・イーゼンブルグだ。お名前を伺っても?」
「私はラトゥリ、アレックス・ラトゥリです」
「改めて騎士団を代表して御礼申し上げる、ラトゥリ嬢」
差し出された大きな手を握れば、そっと握り返される。手袋越しでも熱くて力強い手に、ドキドキした。
「――今夜はいろんな人間が出入りしている。くれぐれも気を付けて」
「ええ。ありがとう」
私の返事を聞いた彼は小さく頷いて騎士の礼を執ると、踵を返してその場を立ち去った。その大きな身体は、広い会場のどこにいても分かるほどだった。
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