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第一章
16
「……妖精さん」
その声に、ふわりと意識が浮上した。
重たい瞼を開けて霞む視界をぼんやり見ていると、眼の前に赤い輝きがある。なんだろう、すごくきれい。
「……おはよう。どうやってあの高さから降りたの?」
「…………!!」
急に頭がハッキリして、叫びそうになるのを手で口を抑え堪える。
赤い瞳が楽しそうに細められ、遠ざかった。
アレクシオス王太子が戻って来たことにも気が付かずすっかり眠っていたのだ。見ると、アレクシオスは既に湯浴みを済ませたのか寛いだ姿。上げていた前髪を下ろしたその表情は年頃より若く見える。
「ここまで来るのも大冒険だったんじゃないかな。レト、ちゃんと側にいてえらいね」
私を覗き込んでいたアレクシオスは身体を起こすと足元にいるレトの頭を撫でた。慌てて身体を起こすとアレクシオスはほほえみながら手のひらを差し出した。
「ごめんね、高いところに置いていってしまって。無事でよかったよ。お詫びと言っては何だけど、食事を少し持ってきたんだ。食べる?」
そういえばお腹が空いてる。
ぐうっと小さく音がなったお腹を抑えて大人しく差し出された手のひらに乗ると、アレクシオスはふんわりと私を手のひらで包んだ。
居室へゆっくりと移動すると、応接セットのテーブルの上に、小さな人形用のテーブルと椅子、そして料理が並べてあった。小さなカップやカトラリーまである。
そしてその側には人形用の薄紫色のドレスが置かれている。
「服と一緒に食器や家具が手に入ったんだ。これで少しは食事がしやすいと思うんだけどどうかな」
アレクシオスは優しく私をテーブルの上に降ろすと、まずはドレスを差し出してくれた。
「着替えるかい?」
その言葉に大きく頷くと、アレクシオスは笑って「それじゃあ、わたしも飲み物を用意してくるね」と言って立ち上がり、奥の衣裳部屋へと引っ込んだ。
広い空間で着替えるのはなんだか落ち着かないけれど、こうして気を利かせてくれたのだ。急いで身体に巻いていたリボンを解きハンカチを脱ぎ捨てて、ドレスに着替える。やはり少しぶかぶかだ。解いた魔石付きのリボンを腰に巻き、結ぼうと四苦八苦しているところへ、グラスを持ったアレクシオスが戻り結んでくれた。
「君の金髪に似合う色のドレスだね。よかった」
アレクシオスはそう言って笑うと、小さな椅子を引いてくれた。顔を見上げると「どうぞ」と声を掛けてくれる。
(――凄い、嬉しいわ。お腹がすいていたもの)
考えれば朝から大変な一日だった。身体を沢山動かして、いつもの王女宮の生活では考えられないほど大冒険をした気分だ。実際は王城から一歩も出ていないのだけれど。
引かれた椅子に腰かけると、アレクシオスも向かいのソファに身を沈め、自分は赤いワインが注がれたグラスを手にした。
「では、妖精さんとの出会いに乾杯」
私も小さなグラスを手に同じように掲げると、アレクシオスは嬉しそうに破顔しグラスに口を付けた。
目の前の小さなお皿に乗せられた料理は、見た目は小さく切った料理なのでよく分からないけれど、恐らく今夜の晩餐で出された料理だろう。とても美味しい。
(どうやって持ってきたのかしら)
こんな風にテーブルに人形の家具を並べるのも、部下の人たちに変に思われなかっただろうか。なんだか申し訳ない。
「ところで」
アレクシオスはグラスをテーブルに置くと、私をじっと見下ろしながら考えるように顎に指を添えた。長い指だけれど、ごつごつとした男の人の指だ。
「君の名前はなんていうのかな。名前はある?」
(……名前)
「でも話せないから教えられないか……、そうだ」
何かを思いついたのか立ち上がったアレクシオスは、奥の寝室に行き本を持って戻って来た。
「わたしの言葉が分かるみたいだから、文字も読めるかな。これはここの国の本だけど、どう?」
そう言ってページを開いて見せるアレクシオス。長い指が文字を一つひとつ追う。
「わたしの名前はアレクシオス。……ア、レ、ク。アレクだよ。君は?」
(名前、どうしよう)
こんなことになると思わなかったから、特に考えていなかった。でもこのまま妖精さんと呼ばれるのもくすぐったい。私は椅子から立ち上がり、開かれた本の上に乗って一文字ずつ指さした。
「……エ、……ラ。エラ?」
読み上げるアレクシオスの顔を見上げこくこくと頷くと、アレクシオスは「エラか!」と嬉しそうに笑った。
「私の国の古い言葉でエラは『光』という意味なんだ。そうか、君は光の妖精だったんだね」
ユーリエ・ガブリエラ・エレノア。これが私の正式な名前。
この名前にある『エレノア』は、お母様の国の言葉で『灯』『輝く』などの意味があると言っていた。そしてこの『エレノア』の愛称は『エラ』。お母様の国と語源を同じにするアントレアの言葉と発音は違うけれど、含まれる意味は似ているのだろう。
優しく笑うアレクシオスは人差し指を差し出すと、つんつんと私の手を小さく突いた。
「私はアントレア王国のアレクシオス。アレクだ。光の妖精エラ、改めてよろしくね」
それが握手を求めているのだと分かり、慌ててその指を両手で掴みこくこくと頷く。
(よろしくお願いします、……アレク様)
優しく笑うその笑顔に、きちんと言葉で伝えられる日が早く来るように。一刻も早く元の姿に戻れるように。アレクの指を掴みながら私はぐっと唇を噛みしめた。
「そうだ、明日は朝から出かけるんだけれど、どこにいたいかな。高いところはもうやめよう」
(出かける?)
その言葉に首を傾げると、アレクはふふっと笑って膝の上に肘をついて私を見下ろした。
「明日は王都の本屋や図書館を巡ろうと思っているんだ。ユーリエ王女は本が好きだと聞いたから、何か贈れたらと思うんだけど、私も本が好きでね。この国の本に興味があるんだ」
(王都へ!?)
アレクの言葉にぶわりと身体中の血が廻った気がした。
(行きたい、私も行きたいわ!)
両手を振って手のひらで自分の胸を叩く。突然暴れ出した私を見下ろして、アレクは首を傾げた。
「エラ? どうしたの?」
不思議そうに私を見下ろしたアレクは「ほら、これで示して」と私を本の上に置く。私は必死に本から単語を探しだし、手のひらでバンバンと叩きながらアレクの顔を見た。
「行く……、行きたい? 一緒に行きたいってこと?」
ぶんぶんと首を縦に振ってぴょんぴょんと跳ねると、アレクは少し驚いた顔で私を見下ろした。
「それは……、でも、明日は君を王女宮へ送り届けようと思っていたんだけれど」
(それはその後でいいの! 私も王都へ行ってみたいわ!)
ぶんぶんと横に激しく首を振り、手のひらで自分の胸を叩いていると、アレクは上を見上げるように瞳を天井に向けた。
「君は自分で移動するのは大変そうだしね……。ユーリエ王女に贈る本を買って、その足で王女宮へ行こうかな」
(それでいいわ! 私も本を選びたい!)
ぴょんぴょんと跳ねて両手を広げると、アレクはそんな私を見下ろしてははっと声を上げて笑った。
「そんなに嬉しいの?」
何度も首を縦に振ってアレクの顔を見上げると、アレクも嬉しそうに笑いながら顔を近づけてきた。
(わわ、ち、近いわ!)
美しい赤い瞳に私の姿が映り込む。その近さに胸がドキドキとうるさく鳴りだした。
(そ、そんなに近くては私が誰だかバレてしまう!)
「それじゃあエラ、ユーリエ王女が好きそうな本を教えてくれるかな」
ぎこちなく視線を逸らしドキドキする胸を押さえながら頷くと、アレクは「よかった」とまた嬉しそうに笑った。
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