【完結】黄金の騎士は丘の上の猫を拾う

かほなみり

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フランチェスカ

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 眼下に広がる色のない平野。
 遠く、狼煙のような細い煙がいくつも立ち昇り、頭上に低く広がる重たい雲に吸い込まれていく。重く垂れ込める黒灰色の雲からは、その色に似つかわしくない白い雪がちらちらと舞い始めた。

「殿下」

 高台から遠く彼の国を睨み佇むユリウスの背に、忠実な騎士が声を掛ける。

「ロイド、休めたのか」
「十分な休息をいただきました」
「死ぬくらいならついてくるなよ」
「この程度の怪我で死にはしません」

 ユリウスは振り返り、膝を突き下を向くロイドを見下ろす。

「男前が上がったじゃないか。アミアが喜びそうだ」
「喜ぶ前に殴られそうです」
「ははっ」

 顔を上げたロイドの顔左半分には包帯が巻かれ、血が滲んでいる。
 先の戦闘で左眼を負傷したロイドは彼の国との国境近くの村で治療を行ったが、まだ視力は戻っていない。にも拘らず、こうしてこの場に戻って来た。
 片目しか視界が利かないこの男をどうするか、ユリウスは考えあぐねていた。だがこの男に、これ以上着いて来るなと言っても聞くはずがない。

「死なずに帰れたら思う存分殴られるといい。足手纏いにだけはなるなよ」
「なりません」
「はっ、片目で何を言う」
「片目を失うなど些末な問題です」
「ロイド」
「先刻、斥候が戻りました」

 ロイドは話題を強引に切り上げ立ち上がる。不敬などとは微塵も思っていない。
 ユリウスはそれ以上言葉を続けるのを諦め、静かに立つ忠実な騎士の前を通り過ぎ砦へと戻った。

 *

 十日ほど前、海を渡り公国に到着したユリウスは、そのまま部下を公国に待機させ少数でシュバルツヴァルドへ入国し王太子妃と謁見した。

 最低限の明かりに留められた謁見の間は薄暗くひんやりと冷気が流れ、数人の護衛がいるだけでおよそ王家の者に拝謁するような雰囲気ではなかった。
 その冷え切った大理石に視線を落としたまま、ユリウスは王太子妃に礼を取った。

「ウォルバロム=フォルザヴィスがユリウス・ディートリッヒ、シュバルツヴァルド王太子妃殿下に拝謁申し上げます」
「面を上げてください、ユリウス・ディートリッヒ・ヴゥル・ウォルバロム=フォルザヴィス殿下」

 細く鈴のような声にユリウスは従い、ユリウスは初めて王太子妃の顔を見た。
 この国を護るため、国境へ兵を送り戦闘の指揮を執り、各国へ支援を要請しているのがこの目の前に立つ線の細い女性。黄金の髪を一つに纏め簡素なドレスを身に纏った目の前の女性は、凛とした姿勢で真っ直ぐにユリウスを見据えた。
 その眼差しはただ只管に、ユリウスを信頼足り得るものか探るように真っ直ぐ向けられる。

「ユリウス第三王子殿下、此度の要請にお応え頂き感謝申し上げます。長旅を癒すもてなしが出来ず申し訳ありません」
「いいえ。御心遣いで十分です」
「……このような姿でお迎えするものではないのですが、どうかご容赦ください」
「私も似たようなものです」
「……すぐに向かわれるのですね」

 王太子妃は平民の姿をしたユリウスに目を細めた。

「一刻を争うものと判断しております」
「私どもの影も彼の国で既に動いていますが……内部から彼の国を揺さぶり足元を切り崩せても未だあの国を堕とす事が出来ずにいます」
「恐れながら王太子妃殿下、私は彼の国に攻め入るのではありません。国境にある彼の国の兵達を撤退させ、彼の国への道筋を開くこと。その後の防衛と彼の国への進軍、貴国への支援は同盟国軍が派遣されます」
「ではあなたは」
「王太子殿下の救出です」
「それは……」

 王太子妃は声を震わせた。

「……これまで、囚われた騎士や側近たちを何名か救うことが出来ました。ですが……誰もが正気ではなかった」
「その者たちは今」
「……蘇る残虐な記憶に悩み、今でも苦しんでいます。そして、耐えられなかった者もいます」

 王太子妃はふ、と息を吐くと一歩前に歩み出た。
 彼女の後ろには誰もいない玉座がぼんやりと明かりに照らされている。

「王太子が戻られた暁にはすぐにこの国の立て直しを行わねばなりません。それが果たして可能なのか……」
「今は王太子殿下の救出を優先し」
「大事なことです」

 王太子妃は真っすぐにユリウスを睨むように見つめる。

「王亡き今、彼の国が最早滅亡へと追い込まれている今、この国を建て直すには民を支え人心の拠り所となり、希望となる強き王が必要となるのです。他の者たちのように亡霊に脅え残虐な記憶に悩む次期国王を誰が望むでしょう」

 王太子妃は玉座を振り返る。
 主のいない玉座はそれでも、歴史と威厳を保ちこちらを睥睨しているかのように聳え立つ。

「ユリウス殿下、……ひとつお願いが」

 王太子妃は背後に立つ護衛騎士にひとつ頷くと、騎士が音もなく近付き王太子妃に短剣を手渡した。
 ユリウスの背後に立つ騎士がピクリと反応する。ユリウスは黙って王太子妃の仕草を追った。

「王太子が存命で……運よく相見えることが出来た折にはこれを渡してください」

 そう言うと王太子妃は後ろに長く垂らしていた三つ編みを手に取り短剣で切り落とした。
 はらはらと黄金に輝く髪が床に落ちる。

「殿下にこれを渡せば、あなたが私の送った人物であると理解できるでしょう。理解できなければ……」
「……」

 王太子妃はそれ以上言葉を紡ぐことはなく、手にした髪を真っ直ぐユリウスの前に差し出した。
 その瞳は揺らぎ、今にも壊れてしまうような頼りない光を宿している。
 ユリウスは王太子妃からその髪を受け取ると、懐から取り出した手巾で丁寧に包んだ。

「……一つ幸運だったことは、私が獣人ではなかったということ。もしも私が獣人だったのなら…この国を護ることが出来なかったでしょう」
「獣人ではない?」
「ええ、ほら」

 王太子妃は髪をかき上げ横を向いた。そこにはユリウスと同じ耳がある。

「妃殿下は王太子殿下の番であるとお聞きしましたが……」
「そうらしいですよ。ただそれは殿下がそう言っただけなので私には分からないのです」

 ふふ、と声を漏らし笑う王太子妃は、床の曇った大理石に映る自分を見つめた。

「私が獣人なら、ここでじっとしているなど出来なかったでしょう」

 ポツリと零したその言葉は、王太子妃の唯一の本心なのだろう。ユリウスはその言葉にぐ、と喉を詰まらせる。
 だが、王太子妃はすぐに視線をユリウスに戻した。

「間の二カ国はどうされるおつもりですか」
「同盟国からの書状を持参しております。彼の国への制裁が同盟国から下されるのを指を咥えてただ見ている程愚かではないでしょう」
「今も彼等は彼の国に加勢することはありませんが、自国を通過し国境に留まるのを許しています」
「彼の国の兵が後退する様を見て考えを改めます」
「後退すると?」
「私がおりますので」

 王太子妃は口端を上げるユリウスのその言葉に目を丸くした。

「自国が焦土となることを容認する国などありません」
「あなた方は少数でここまで来たのでは?」
「私の精鋭たちです」

 その自信と強さに、王太子妃は思わずと言った風情で声を出して笑った。背後に立つ護衛騎士が珍しいものを見るように王太子妃に視線を向ける。
 ユリウスは背筋を伸ばし胸に手を当て王太子妃に目礼した。

「では、これで」
「……ユリウス殿下」
「は」

 呼び止められ足を止める。
 振り返り見た王太子妃は静かに佇み、短くなった髪に明かりが反射した。

「大切な方がおいでですか?」
「……はい」
「……それは、よかった。ならば何としても生きてお戻りください」

 真っ直ぐにユリウスを見つめるその瞳にもう一度目礼し、ユリウスは王城を後にした。
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