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コンサバトリーで君と
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俺たちは両親が決めた婚約者同士だ。ダフネが八歳、俺が十五歳の頃。
当時俺は思春期真っ只中。まだ幼い少女を婚約者と言われ、自分の知らないところで進められた話に面白くない思いを抱いていた。
初めての顔合わせも十五歳の自分が八歳の子供と一体何を話すというのか、さっぱり分からなかった。
両親に言われるまま、八歳の子供が喜びそうな菓子とぬいぐるみを持参して屋敷へ赴いて、俺はそれまでの自分の考えを恥じた。
それは、本当に天使だったのだ。
ふわふわと広がる栗色の髪は日の光を浴びて金色に煌めき、榛色の瞳には緑や黄色が複雑に煌めいていた。
持参したぬいぐるみを渡すと長い睫が縁取る大きな瞳をこちらに向けて、頬を染め嬉しそうに笑うその姿に、俺は心を奪われた。
それは決して疚しい気持ちではなく、ただひたすら、これからダフネを守るのは俺なのだと誇らしい気持ちになったのだ。
思えば父性というものが芽生えた瞬間だったのかもしれない。
天使のようなダフネはそのまま美しく成長した。
けれど俺は、ダフネを守る兄のような気持ちでいた。……断じて父ではない。
だがダフネが十六歳の誕生日を迎えた頃。
いつものように彼女にプレゼントを贈ると、彼女の反応がいつもと違うことに気が付いた。
頬を染め、恥ずかしそうにそっと睫毛を伏せたその姿はこれまでの子供らしさからひとつ、大人になったことを俺に意識させた。
――好意を抱いてもらっている。
そう気が付くのは早かった。
ダフネから受け取る視線や言葉ひとつが、これまでとは違う。そのことに俺は戸惑った。
これまで愛らしく天使のようだった少女が、美しい女性へと成長を遂げていたのだ。ずっとそばで見てきたつもりだった俺は、全くその事に気が付いていなかった。
少女から女性へ。
置いていかれた俺の父性は、やり場のない気持ちに戸惑ってばかりだった。
だが間違ってはいない。俺たちは婚約者なのだから。
いずれ寄り添い愛し合い、子を儲けることになるだろう。ダフネの俺へ向けてくれる気持ちはくすぐったくも嬉しいものだった。
だがまだ、年が離れすぎている。
彼女が淡い恋心を俺に向けてくれているのなら、その気持ちに応えられるよう、ゆっくり見守っていこう、そう思っていた。
そんな俺の気持ちとは裏腹に、ダフネは日々美しく成長していった。夜会へ伴えば周囲の貴族子息たちがダフネを見つめ、俺はいつもその視線を睨み返していた。
ダフネは俺の婚約者だ、疚しい目で見るな、と。
彼女のデビュタントでは真っ白なドレスに身を包んだダフネの手を取り、初めて二人でダンスを踊った。
細く白い手を取り、細い腰に手を添える。
背の低い彼女を見下ろせば、自然とほんのりと染まった頬に、伏せられた長い睫に視線が行く。時折見上げてくる彼女の瞳から逃げるように視線を逸らせば、大胆に開いた胸元が見える。
真っ白な柔肌が、ダフネをもうすっかり大人の女性なのだと意識させ、俺は狼狽えた。
そうして初めての踊りを終え、少しの間彼女から離れて手洗いへ行った時。
ふと目の前の鏡に映る自分を見て驚愕した。
見たことがないほど、顔が赤かったのだ。
それからというもの、彼女の姿を視界に入れるたびに、顔から火が吹くのではないかというくらい熱くなった。
そして恥ずかしいほどに真っ赤になっているのだ。
俺にとってダフネは神聖で穢れのないものだった。
そんな目で見てはダメだと、俺の中の何かが自制するように気持ちに訴えてくる。
彼女はもう成人した。
だからと言って幼い頃から見守って来たのに急に女性として見るのか?
ダンスが好きな彼女と踊れば視線が絡み、見上げてくる彼女にごくりと喉が鳴る。
掌で支える腰の細さを意識して、とてもじゃないが距離を保てない。
俺は、ダフネを見守るのではなかったのだろうか。こんな風に急に男として彼女を見るのか――?
こうして段々と、俺はダフネをまともに見ることが出来なくなっていった。
「ルーカス、お前の婚約者は若くて美人だな!」
ある日の夜会で、学園時代の友人から掛けられた言葉に俺は腹の底から怒りを覚えた。
堂々と彼女を女性として鑑賞するように視界に入れるその浅ましさに、激しく怒りを覚えたのだ。
彼女は美しく清廉な女神のような女性だ。男たちの不埒な視線にさらされていい訳がない。
だがこれはいつまでも続く。
夜会に行くたびに彼女を視界に入れ浅ましい視線で見る男たちから彼女を守るため、見つけてはシガールームへ連れて行き念を押す。
彼女は俺の婚約者だ、と。
決して放っておいていた訳ではない。
だが、そばにいられなかったのも確かだ。
そばにいてはもう、自分の欲望を抑えられる気がしなかった。
そう、いつの間にかダフネを女性として見ている自分に気が付き、浅ましい男たちと同じことに酷く落胆した。そして今更、どうしたらいいのか分からなかった。
こんな年上の男に真っ赤な顔で見られては気味が悪いだろうと、ますますダフネの顔を見ることが出来なくなっていく。
そばにいたいのにいられない。
いつの間にか芽生えていた父性ではないダフネを思う気持ち。
いつものコンサバトリーで頭の中では何をどう話したらいいのか目まぐるしく思考に没頭しているのに、いつでも視界の隅ではダフネを意識していた。
美しい所作で紅茶を飲む姿、陽の光に照らされて金色に輝く柔らかそうな髪、白い肌、バラ色の唇、美しく細い指……。
俺が何も言わずとも、静かな時間を共有してくれるダフネ。
その心地よさに、だめだと知りつつもどう向き合えばいいのか正解が分からないまま、不甲斐ない気持ちのまま、数年も過ぎてしまった――。
――――――――
本日、17:00と18:00に投稿、完結します。
当時俺は思春期真っ只中。まだ幼い少女を婚約者と言われ、自分の知らないところで進められた話に面白くない思いを抱いていた。
初めての顔合わせも十五歳の自分が八歳の子供と一体何を話すというのか、さっぱり分からなかった。
両親に言われるまま、八歳の子供が喜びそうな菓子とぬいぐるみを持参して屋敷へ赴いて、俺はそれまでの自分の考えを恥じた。
それは、本当に天使だったのだ。
ふわふわと広がる栗色の髪は日の光を浴びて金色に煌めき、榛色の瞳には緑や黄色が複雑に煌めいていた。
持参したぬいぐるみを渡すと長い睫が縁取る大きな瞳をこちらに向けて、頬を染め嬉しそうに笑うその姿に、俺は心を奪われた。
それは決して疚しい気持ちではなく、ただひたすら、これからダフネを守るのは俺なのだと誇らしい気持ちになったのだ。
思えば父性というものが芽生えた瞬間だったのかもしれない。
天使のようなダフネはそのまま美しく成長した。
けれど俺は、ダフネを守る兄のような気持ちでいた。……断じて父ではない。
だがダフネが十六歳の誕生日を迎えた頃。
いつものように彼女にプレゼントを贈ると、彼女の反応がいつもと違うことに気が付いた。
頬を染め、恥ずかしそうにそっと睫毛を伏せたその姿はこれまでの子供らしさからひとつ、大人になったことを俺に意識させた。
――好意を抱いてもらっている。
そう気が付くのは早かった。
ダフネから受け取る視線や言葉ひとつが、これまでとは違う。そのことに俺は戸惑った。
これまで愛らしく天使のようだった少女が、美しい女性へと成長を遂げていたのだ。ずっとそばで見てきたつもりだった俺は、全くその事に気が付いていなかった。
少女から女性へ。
置いていかれた俺の父性は、やり場のない気持ちに戸惑ってばかりだった。
だが間違ってはいない。俺たちは婚約者なのだから。
いずれ寄り添い愛し合い、子を儲けることになるだろう。ダフネの俺へ向けてくれる気持ちはくすぐったくも嬉しいものだった。
だがまだ、年が離れすぎている。
彼女が淡い恋心を俺に向けてくれているのなら、その気持ちに応えられるよう、ゆっくり見守っていこう、そう思っていた。
そんな俺の気持ちとは裏腹に、ダフネは日々美しく成長していった。夜会へ伴えば周囲の貴族子息たちがダフネを見つめ、俺はいつもその視線を睨み返していた。
ダフネは俺の婚約者だ、疚しい目で見るな、と。
彼女のデビュタントでは真っ白なドレスに身を包んだダフネの手を取り、初めて二人でダンスを踊った。
細く白い手を取り、細い腰に手を添える。
背の低い彼女を見下ろせば、自然とほんのりと染まった頬に、伏せられた長い睫に視線が行く。時折見上げてくる彼女の瞳から逃げるように視線を逸らせば、大胆に開いた胸元が見える。
真っ白な柔肌が、ダフネをもうすっかり大人の女性なのだと意識させ、俺は狼狽えた。
そうして初めての踊りを終え、少しの間彼女から離れて手洗いへ行った時。
ふと目の前の鏡に映る自分を見て驚愕した。
見たことがないほど、顔が赤かったのだ。
それからというもの、彼女の姿を視界に入れるたびに、顔から火が吹くのではないかというくらい熱くなった。
そして恥ずかしいほどに真っ赤になっているのだ。
俺にとってダフネは神聖で穢れのないものだった。
そんな目で見てはダメだと、俺の中の何かが自制するように気持ちに訴えてくる。
彼女はもう成人した。
だからと言って幼い頃から見守って来たのに急に女性として見るのか?
ダンスが好きな彼女と踊れば視線が絡み、見上げてくる彼女にごくりと喉が鳴る。
掌で支える腰の細さを意識して、とてもじゃないが距離を保てない。
俺は、ダフネを見守るのではなかったのだろうか。こんな風に急に男として彼女を見るのか――?
こうして段々と、俺はダフネをまともに見ることが出来なくなっていった。
「ルーカス、お前の婚約者は若くて美人だな!」
ある日の夜会で、学園時代の友人から掛けられた言葉に俺は腹の底から怒りを覚えた。
堂々と彼女を女性として鑑賞するように視界に入れるその浅ましさに、激しく怒りを覚えたのだ。
彼女は美しく清廉な女神のような女性だ。男たちの不埒な視線にさらされていい訳がない。
だがこれはいつまでも続く。
夜会に行くたびに彼女を視界に入れ浅ましい視線で見る男たちから彼女を守るため、見つけてはシガールームへ連れて行き念を押す。
彼女は俺の婚約者だ、と。
決して放っておいていた訳ではない。
だが、そばにいられなかったのも確かだ。
そばにいてはもう、自分の欲望を抑えられる気がしなかった。
そう、いつの間にかダフネを女性として見ている自分に気が付き、浅ましい男たちと同じことに酷く落胆した。そして今更、どうしたらいいのか分からなかった。
こんな年上の男に真っ赤な顔で見られては気味が悪いだろうと、ますますダフネの顔を見ることが出来なくなっていく。
そばにいたいのにいられない。
いつの間にか芽生えていた父性ではないダフネを思う気持ち。
いつものコンサバトリーで頭の中では何をどう話したらいいのか目まぐるしく思考に没頭しているのに、いつでも視界の隅ではダフネを意識していた。
美しい所作で紅茶を飲む姿、陽の光に照らされて金色に輝く柔らかそうな髪、白い肌、バラ色の唇、美しく細い指……。
俺が何も言わずとも、静かな時間を共有してくれるダフネ。
その心地よさに、だめだと知りつつもどう向き合えばいいのか正解が分からないまま、不甲斐ない気持ちのまま、数年も過ぎてしまった――。
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本日、17:00と18:00に投稿、完結します。
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