白い結婚が貴女のためだと言う旦那様にそれは嫌だとお伝えしたところ

かほなみり

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 本当はきれいに着飾って、歳の離れた旦那様に釣り合うべく、きちんとお出迎えしたかったのに。まさかこんな姿で顔を合わせるなんて!
 恥ずかしさに顔を俯けていると、何かを諦めたように旦那様はゆっくりと腰を下ろし、ため息をついた。
 そっと様子を窺うと、手のひらで湯を掬い顔にパシャンとかけ、そのまま顔を覆い動かない。やがてブツブツと小さな声が聞こえてきた。
 
「……クソ、……嵌められたな」
「え?」
「……いや」

 何か聞こえたけれど、湯が流れ込む音でよく分からない。気まずい沈黙が続き、何か話さなければと気持ちが焦る。
 手を胸の前で握りしめ、恐る恐る声をかけた。

「……あ、あの、領地の事故は大丈夫、でしたか」
「ああ。橋が崩落したんだが、幸い怪我人もなく済んだ。復旧に時間がかかってしまい……貴女に中々会えずにいた。すまない」
「い、いいえ! 怪我人がなく皆さまご無事で安心いたしました」
「ありがとう」

 旦那様はふっと息を吐き出すと視線をこちらに向けた。
 背中の半分ほどはある長い黒髪がつやつやと光り、琥珀色の瞳がまっすぐにこちらを見つめる。胸まで湯に浸かっていても、首や肩の筋肉で、鍛え上げられた肉体であろうことが十分に窺えた。
 ――ああ、昔と変わらないお姿だわ。

「――何か、不便はないか」

 無骨な話し方。けれど優しさがにじみ出るその声の懐かしさに、思わずじわりと視界が潤んだ。ぱちぱちと瞬きをして涙を散らし、にこりと笑顔で旦那様を見る。

「とても良くしていただいています。侍女たちが皆、いい人たちばかりで」
「ああ……そのようだ。皆、すっかり貴女の味方だな」
「え?」
「いや、私がいつまでも貴女に会わなかったのが悪いんだ。……サーシャ」
「は、はいっ」

 突然名前を呼ばれて、思わず背筋を伸ばす。私のその様子に、旦那様の表情がふわりと綻んだ。

「少し、近くに行ってもいいだろうか」
「!」

 ぎゅっと胸の前で手を握りしめ、ウロウロと視線を彷徨わせると、少しだけ残念そうな声が落ちてくる。

「駄目か?」
「い、いいえそうではなく!」

 駄目ではない、もちろんお側でお話がしたい。けれど。

「あ、あの私、……もう寝るものと思いお化粧もしていないですし、こんな、髪もただ結っているだけでお目汚しでは……」
「そんなことはない」
 
 いつの間にかすぐそばまで来ていた旦那様が、その琥珀色の瞳で私を見下ろした。
 胸がドキリと大きく跳ねる。

「貴女のその金色の髪も、白い肌も青い瞳もすべて、そのままで十分美しい」
「~~っ!」

 恥ずかしくて顔が熱い。パッと下を向くとすぐに大きな手が顎を捉え上を向かされる。

「……これほど美しい貴女が、こんな辺境の領地に来て、私のような年上の男の妻になるなど……申し訳ないと思っている」
「そんなことありません!」

 旦那様の自分を卑下するような言葉に思わず声を大きくした。

「わ、私はこの地に来たことを、旦那様の妻になれたことを嘆いたことなどありません。ずっと、お会いするのを楽しみにしていました」
「……サーシャ」
「覚えておいでではないと思いますが……私は、旦那様とお会いしたことがあるのです」

 国交を祝う記念式典が盛大に行われた年、近隣諸国の王族を招き王城で晩餐会が開かれた夜。
 多くのランタンが夜空を舞い、皆が宴を楽しんでいたその夜に、まだ幼かった私は寝支度をしていたけれど、どうしてもランタンを近くで見たくてそっと部屋を抜け出した。

『やあ、小さなお姫様。こんな時間にどこに行くの?』

 部屋から庭を囲む回廊に出てすぐ、柵に腰掛ける辺境の衣装を身に纏った人に出会った。
 長い黒髪をさらりと流し、明かりに照らされた城を背にしたその姿はまるで一枚の絵のように美しく、私は夢を見ているような心地でぼんやりとその人の顔を見上げた。
 いつもとは違う夜の気配に神経が昂っていた私は、おとぎ話の中に迷い込んだような気持ちになっていたのかもしれない。
 昼間の挨拶の際に、兄と談笑していた人だと気がついた私は、もじもじと羽織ったショールを弄りながら、空を指さした。

『……アレを見に行きたいの』
『あれ? ……ああ、ランタンだね』

 私の指差す方向を見て、その人は優しく笑った。

『それじゃあ俺も一緒に行くとしよう』
『……いいの?』
『もちろん。俺も近くで見てみたいからね』

 さあ、と差し出された手に手を乗せると、さっと膝裏に腕を回して抱きかかえられる。
 長い回廊を自分で歩くよりもずっと早く、風のように駆け抜ける。星のように無数に煌めくランタンを目指し王城にある尖塔の入り口に到着すると、護衛騎士たちが私たちの姿を見てしいっと人差し指を立て、笑顔で中へ入れてくれた。
 ぐるぐると目が回る螺旋階段をあっという間に登り最上階まで辿り着くと、王城を囲むように空へ舞い上がる無数のランタンが目の前に現れた。

『すごい、すごいわ!』
『これは本当に美しいな!』

 幼い私にとって、小さな冒険だったその日の夜。
 こっそりベッドを抜け出して風のように駆け抜けた回廊、無数の星のように空へ昇るオレンジ色のランタン、共に空を見上げて美しさを共有した、森のような香りがする美しい黒髪の人。あの人と一緒なら、夜の闇も怖くない――

「――私は、旦那様のもとへ嫁ぐお話を聞いて……嬉しかったのです」

 あの優しかった人にまた会える、それだけで一人、ここまで来ることができた。
 あの夢のような、おとぎ話のような夜は私にとって大切な宝物なのだ。

「……覚えている」

 旦那様は一言そう漏らすと、ふうっと息を吐き出し私の隣に腰を下ろした。
 肩が触れそうな距離に胸がドキリと跳ねる。

(落ち着いて、夫婦なのだからこんなことで動揺していては、子どもみたいだと思われるわ)

 視線を旦那様から逸らし、落ち着くようにそっと小さく息を吐き出す。旦那様の逞しい腕や胸に、どうしても視線がいってしまうのをなんとか堪える。

「あの頃のお姫様がこんなに美しく成長するとは」

 ふっと笑う気配がして旦那様を見ると、優しく細められた琥珀の瞳と目が合った。

「あの夜、貴女は疲れて眠ってしまったな」
「……はい、気がついたらベッドにいて、夢だったのではととても悲しかったです」
「はは、そうか。……帰りの回廊でたくさん話をした。貴女はそのまま私の腕の中で眠ってしまったんだ」
「まあ……」

 子供の頃のこととはいえ、恥ずかしい。
 両手でそっと頬を押さえると、その手を旦那様に取られた。驚いて見上げると、旦那様がじっと私を見下ろし私の指に指を絡め、繋ぐ。

「……私は躊躇していた。貴女が望まないのであれば、私となるべく会わないよう配慮すべきではないかと」
「……では、わざと私に会いに来てくださらなかったのですか?」
「いや、領地で起こった事故は本当だ。ただ……戻ってきてから、貴女に会いに行くのが憚られたのも事実だ」
「私は早くお会いしたかったです」
「サーシャ……」
「結婚式までこのままお会いできないのではと、悲しかった」
「それは……」

 ぐっと言葉を詰まらせ視線を逸らす旦那様。その様子にチクリと胸が痛んだ。

「……そうするおつもりだったのですね」

 旦那様は大人の方だ。きっと私を妻としてではなく、降嫁してきた元王女として過ごさせるつもりだったのだろう。
 もしかしたら他にお相手がいらっしゃるのかもしれない。そんなことまで思い至り、気持ちが沈んでしまう。

「サーシャ、何を思っているのか知らないが、決して貴女を突き放そうとしたのではない」

 はっと顔を上げると真剣な眼差しの旦那様と視線が合う。

「……恥ずかしい話だが」

 旦那様は私の手をそっと持ち上げ、指先に口付けを落とした。

「年甲斐もなく、貴女が私の妻になることが……とても嬉しかった」
「!」

 熱くなる顔を隠したいけれど、琥珀色の瞳に囚われ視線を逸らせない。

「貴女は心の優しい、美しい淑女だ。私はそれを知っている」
「旦那様……」
「だが貴女はまだ若い。私のように歳の離れた男のもとで過ごすのは酷に思えた。距離を取り白い結婚を貫けば、いずれ貴女は自由になれると……」
「そんなこと!」

 私の手を取っていた旦那様の手をぎゅっと握り返す。驚いた表情の旦那様に、私は構わず必死に思いを伝えた。

「私は旦那様に釣り合うような大人の女性ではないかもしれません。けれど、旦那様の隣に立ちこの地で必要とされる存在になりたいのです。決して降嫁してきた元王女などではなく、旦那様の妻として、ここで生きていきたいのです!」
「サーシャ」

 ポロポロと勝手に涙が流れる。ああ、こんなだから子どもだと思われるのだ。分かっているのに涙が止まらない。
 悔しくて情けなくてギュッと唇を噛みしめると、旦那様の大きな手が私の唇に触れ、頬を伝う涙を拭った。
 
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