溺愛恋愛お断り〜秘密の騎士は生真面目事務官を落としたい〜

かほなみり

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「アリサ」

 終業時間を迎え、今日も残業決定、と椅子で伸びをしていると、事務室の入り口から名前を呼ばれた。
 見ると、訓練終わりなのかシャツ姿のユーリが笑顔でこちらに手を挙げた。

「!!」

 驚いたのは私ではなく、セシル。
 私とユーリをものすごい速さで交互に見て、口をパクパクと開け閉めする彼女を無視し、慌てて入り口に向かう。

「ゆ、ユーリ」
「お疲れ様。今日も遅い?」

 ニコニコと笑顔でそう話す彼の自然な雰囲気に、舞台に突然上げられたようなぎこちなさの私。これ絶対、はたから見ててもおかしいと思う。

「え、ええ。ちょっと遅くなりそう」
「後で迎えに来るよ。一緒に帰ろう」

 そう言って、ユーリはちゅ、と額に口付けを落とした。背後に感じる無言の叫び声。
 さわやかに片手を上げて去るユーリの後ろ姿を見送って席に戻ろうと振り返ると、いつの間にか背後にいたセシルに腕を掴まれ、有無を言わさず休憩室に連行された。

「どういうこと!?」

 それは私も聞きたい。
 目の前で大騒ぎするセシルをぼんやり見つめ、息を吐きだす。
 結局あの後、なんだかわからないうちに丸め込まれ、私たちは「形だけ」の交際をすることになった。
 今夜は条件について詳細に話そうということになっている。

「ちょっと前に困ってるところを助けてもらったの」
「どこで!」
「噴水広場の前の酒場。そこで知り合ったのよ」
「待って、結論から言って。まさか、まさかだけど付き合ってるの⁉ あのっ、あの騎士団一の美形でモテまくりの、あの! ユーリ・エヴァレット・アッカーソンと⁉」
「そう、ね」
「嘘でしょ!? どうやって!」
 
『――どうせ広めるなら人の手で』

 そう言っていたユーリのいい笑顔を思い出す。

(本当に、これはすぐに広まりそうだわ)

 目の前で頭を抱えながら根掘り葉掘り聞いてくるセシルに、ユーリと一緒に考えた二人のなれそめを答える。「どうしてアリサばっかり!」と嘆くセシルを見て、私はこっそり息を吐きだした。

 *

「へえ、それは明日には広まってそうだ」

 私の報告を聞いて、ユーリはくすくすと笑った。
 約束とおり事務室へ迎えに来たユーリは、これ以上の残業を許さず私を連れ出した。
 もちろん、セシルの無言の圧と視線には気が付かないふり。
 事務棟を出て二人で並び騎士団の門をくぐるのを、多くの人がチラチラと見ていた。

(さすが、人気の騎士よね)

 これは明日から別な意味で苦労しそう。私を睨みつける女性を見て、こっそりため息をついた。でも、ザックのあの圧力に比べたらまだまだかわいいものだ。
 身体の大きな男性の不機嫌な顔など、そこに愛情がなければ怖いだけ。

 「夕食なんだけど、まだアリサを連れていく話はノラにしてないから、今日は外で食べよう」
(名前を呼ぶのもさらっとなのよね)

 こっちは呼び捨てにまだ慣れていないというのに。
 彼から少し距離を取って歩いていると、するりと指を絡め取られ、引き寄せられた。
 
「⁉」

 驚いて顔を見上げると、ユーリは気にすることなく道の先を指さした。

「ほらあそこ! 俺が時々パンを買う店だよ」

 もうすでに閉まっているその店は、軒先に小さな看板が下がっている。

「こんな近くにあったのね。気がつかなかったわ」
「朝早くからやっていて、閉まるのが早いんだ。でも、しばらくは世話になることはないかな」
「どうして?」
「だって、アリサと一緒に食堂へ行けばいいだろ?」
(うわ……)

 慣れてる。
 それしか言葉が浮かばない。
 繋がれた手は離れることなく、長い指が私の手の甲を時々撫でるのをとても恥ずかしく感じた。私ばかりが振り回されている気分だけれど、これはあくまで形だけだし、彼にとっては大したことではないのかもしれない。
 わかっていても、やっぱり恥ずかしいし何だか落ち着かないんだけれど。

「ねえあの、騎士だとお昼とか交代で取るでしょう? いつも一緒は難しいんじゃない?」
「まあそこはうまくやるよ。なるべく君と一緒にいたほうがいいだろうし、隙を作るとザックがすぐに近づいてきそうだろ?」

 確かに、事務棟で私をずっと待ち伏せていたような人だ。今日だって昼に私を探していたと言っていたから。
 もしかして、こうして一緒に帰ってくれるのもザックを警戒してのことなのかしら。

「……、ごめんなさい」
「あ、ほらまた」

 ユーリは私の言葉を聞くと、繋いでいた手を放しグイッと肩を引き寄せた。

「ちょ、ちょっと……⁉」
「あのね、そうやってすぐ謝らなくていいよ。俺が心配して勝手にやってることだし、君に何かあるのは本当に嫌だから」
 
 彼はそう言うと、ちゅっとこめかみに口付けを落とす。どこかから小さく悲鳴が聞こえた。
 それじゃなくても注目されているのに、こんな往来でこんなことをするなんて! 自分がどれほど人の目を引くのか分かっていないの⁉

「あれ、真っ赤だよ」
「なっ、慣れてないから!」
「そうなの? じゃあ慣れていこうね」

 あはは、とユーリは声を上げて笑うと抱きしめていた肩を開放し、また私の手に指を絡めて繋いだ。

 *

「――という感じでどうかな」

 ユーリがよく行くというレストランで個室を借り、これからの『形だけの交際』について話し合った。こうして事務的に話をするとなんだか気持ちが落ち着く。
 そうこれは形だけ。お互いのよりよい生活のために、共同生活を送るのだ。

「じゃあ、荷物は明日持ってくるわ」
「朝迎えに行くから、仕事の前にうちに寄って置いて行けばいいよ」
「そうね、ありがとう」

 早速、私は明日からユーリのお屋敷でお世話になることが決まった。
 彼はとにかく、私が騎士団から離れている寮で一人暮らし、ということに危機感を抱いている。確かに昼間のザックの様子を見ると心配になるのだろう。すぐにでも寮から出て屋敷に来てほしいと言うユーリの説得に折れ、それならお世話になるのに何も出さないわけにはいかないと、食費や滞在費の支払いを申し出た。
 彼はいらないの一点張りだったけれど、私に全く譲る気がないのを感じたのか、最後には苦笑しながら大体の金額を二人で算出して、あとは家令のギルバートと調整する、ということで合意した。

「でも、婚約をしているわけでもないのに同じ屋敷で暮らすなんて、不自然じゃないかしら」
「どうして?」
「あなたは今まで女性と暮らしたことはあるの?」
「ないよ」

 きょとんとした顔で小さく首をかしげるユーリに、思わずふふっと笑ってしまう。ちゃんと考えているのかいないのか、よくわからない。

「今まで女性と暮らしたことのない人が急に一緒に暮らすなんて、周囲からするとすごく不自然だと思うわ」
「じゃあ婚約しよう」
「ええ?」

 その言葉に声を出して笑う。

「もう、簡単に言わないで! 婚約って双方の家も巻き込むし、すごく大変よ。形だけの交際にそんな手間をかけられないわ」
「やっぱりアリサの家って爵位あるよね」
「え?」
「双方の家って。そんな貴族的な言い方、普通しないから」

 ユーリに指摘されて、そういえばお互いのことを全く知らないことに気がついた。
 
「ええと、そうね。父が男爵で、上の弟と田舎の領地を管理しているわ」
「うん、所作とか雰囲気がさ、そういう教育を受けてる人だなって思っていたんだ」

 ユーリは何やら納得がいったのか、一人でうんうんと頷き頭の後ろで手を組むと、椅子の背もたれに背中を預けた。
 
「それを言うなら、あなただってこんな王都の中心に立派なお屋敷があって使用人までいるんだもの、貴族階級の人でしょう?」

 家名を聞いても分からなくて申し訳ないけれど、彼のスマートなエスコートや振る舞いは、やっぱり貴族そのものだ。わずかな時間一緒にいるだけでそう感じるのだから、間違いない。
 私のそんな感想を聞いて、ユーリはあはは、と声を上げた。

「あの屋敷は母のものなんだ。俺が王都の騎士団に入団して、誰も屋敷を使っていなかったから住んでるだけだよ」
「お母様の? それじゃあお母様は……」
「田舎で悠々自適に暮らしてる。ここの忙しい雰囲気が性に合わないって、庭仕事をして楽しく暮らしてるよ」
(田舎に領地があるのかしら)

 王都にタウンハウスを持ち、田舎の領地を管理しているなんて、有力貴族なのだろう。

「でもさ」

 ユーリはふっと笑いを引っ込めると、私をじっと見つめた。

「お互い相手が見つからなかったら、そのまま結婚するのもアリじゃないかな」
「ええっ?」

 その言葉に驚いて彼の顔を見ると、思っていたよりも真剣な表情に少しだけどきりと胸が鳴る。
 なんだかその雰囲気を壊したくて、慌てて視線を逸らし笑ってごまかした。

「王都で人気の騎士さまなのに、婚約していたら相手は見つからないわよ」
「俺はそれでいいけど」

 ユーリは私のはぐらかしたい気持ちを分かっているのか、それでも真剣な声音で続けた。

「君といると楽しいし、気兼ねなく話せるのはすごく居心地がいいんだ。仮にこれから誰かと出会っても、こんなふうに自然に過ごせるような気がしなくて」

 ユーリの言葉に、何となく彼がこれまでしてきた恋愛が窺えた。きっと女性に対して気を遣い、相手の望む交際相手を演じてきたのだと思う。

「それは、私たちのあいだに恋愛感情がないからよ」

 私たちには恋愛感情がなくて、恋愛に対して同じ煩わしさを抱えている。
 駆け引きや執着、独占欲、そんなものがお互いのあいだには何もないから、取り繕うことなく自然でいられるのだ。

「――てことは、俺達には恋愛はいらないってこと?」
「そうね」
 
 少なくとも今は。
 恋愛をしたいとは、到底思えなかった。
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