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しおりを挟む「ん……」
ぼんやりと目を開くと室内のオレンジ色の明かりが天蓋を染めていた。
(あれ、私……)
「起きた?」
すぐそばで声がして視線を向けると、肘をつき私を見下ろすユーリが一緒に横になり私の髪を撫でている。
「……、ゅ……」
「待って、水を」
彼は身体を起こすとベッド脇に置かれた水差しからコップに水を注ぎ、グイっと自ら呷った。そしてそのまま私へ口移しで水を飲ませる。口端から一筋水が零れると、指で優しく拭った。
「まだ飲む?」
「ん……」
申し訳ないけれど、指先だって動かすのが辛い。彼は苦笑しながら「ごめん」と呟くと、もう一度水を口に含み少しずつ口内へ流し込んだ。冷たい水が喉を通りこくりと飲み終えると、ユーリの舌が優しく唇を舐める。応えるように舌を差し出せば、すぐにちゅうっと優しく吸われた。
「ごめんね、無理させた」
「そう、ね?」
声が掠れているし、腰も痛い。
あれは昼前だったと思うのだけれど、辺りはまるで深夜のような暗さと静けさだ。
「今、少し話してもいい?」
ユーリはシーツの中に潜り込み、また肘をついて私の横に並んだ。触れる素肌の熱が気持ちいい。
「なあに?」
「俺のこと」
彼は少しだけ視線を伏せると、真剣な表情で私を見た。大丈夫だと伝えたくて、身体を横に向け彼の身体に腕を巻き付けると、抱きかかえるように私の背に腕を回してくれる。
「何から話すかなんてずっと考えてたけど、順番なんてないも同然だな」
ぽつりと呟くと私の頭に顎を乗せて、彼は重い腰を上げるように話し出した。
「俺の母は、今日君があったあの人、モニカ・アッカーソン。アッカーソンは母方の姓だ。そして俺は、いわゆる私生児として育てられた。父は俺のことを認知していたけど、母は誰の子か明かさなかったんだ」
貴族の庶子とは、正妻以外との間に生まれた子を指す。父親に認知されるとその経済的援助を受けることができるし、正妻との後継問題が起こった時に駆り出されることが多い。モニカ様が認めなかったということは、その争いに巻き込みたくなかったからだろうか。
「認知されては色々とややこしいことが多いから、母はすべてを捨てて大きなおなかを抱えたまま一人田舎へ引っ込んだ。それを知った父が、領地を購入し屋敷を立てて護衛を配置し、母と俺を長年護り続けてきた」
ちょっと思ってるのと違う。なんだか規模が大きい。
「まあ、あの人はああいう自由な人だから、気にせず自由に生きていたんだ。俺のことも普通に村の学校へ通わせてくれたし、貴族としての教育を受けたわけでもない。でも前にアリサが言っていたように、所作だけはなぜか身についていて、母もあれで何か考えがあったのかもしれないな」
独白のように話すユーリの声を腕の中で聞きながら、黙って彼の背中を指先で撫でる。彼の鼓動が静かに私にも伝わってくる。
「でもある日、どこかで俺のことを知った人物が現れてさ。俺を担ごうと周辺が騒がしくなった。母は俺にどうするか聞いてきた。身の振り方を自分で選択できるように、準備をしてくれていたんだ。王都の騎士学校へ通い力をつけるか、そのまま領地で人に守られながらのんびり暮らすか。その時に初めて、俺の父親を明かされたんだ」
ユーリはそこまで話すと、そっと身体を離し私の顔を覗き込んだ。薄暗い部屋では暗く見えるその瞳が、ゆらゆら揺れている。
「選べなんて言っておきながら、一択しかないも同然だ」
ふふ、と小さく笑うとまた瞳をを伏せて話し出す。
「俺は、王都で力をつけることを選んだ。その時に母は父へ連絡をして、初めて認知をしてもらったんだけど、その時に父から爵位を得た」
「爵位」
思わず繰り返すと、ユーリは困ったように笑い私の髪を梳いた。
「俺の名前は、ユーリ・エヴァレット・アッカーソン=オブライエン。オブライエン公爵として、来年即位する兄と共に、政務に携わることになる」
そっと低く囁いたユーリは、そこで小さく息を吐き出した。
オブライエン公爵。ユーリが、王室の所有する爵位を叙爵している……?
「あなたのお父様は」
「うん、国王陛下。俺は、国王陛下の庶子なんだよ」
「……」
さすがに言葉がなかった。なんて言っていいのかわからないし、本当にいろんなことがありすぎて、実感が湧かないだけかもしれないけれど。
「アリサ? こんなこと急に話されても困るよね。だから俺、どうしたものかって……」
「ユーリ」
「ん?」
「あなた、王子様だったのね」
なんだか納得がいった。彼の不思議な人を引きつける魅力も、強さも、生まれ持った資質ということだ。
しかも王子様だなんて、見た目にもピッタリ。
「――ふ、ふふっ」
私の言葉を聞いたユーリは一瞬目を丸くして、すぐに身体を揺らし笑いだした。
「なに?」
「いや、だって……、そうだね、俺って王子様だな」
彼は身体を揺らし「考えたことなかったな」と笑う。
「ねえそれじゃあひとつ聞いてもいい?」
「うん?」
「モニカ様と陛下は、これから一緒に暮らすの?」
私の言葉に、彼はまた「そっちか!」と笑う。何がおかしいのか、ぎゅうっと私を抱き締めて額に口付けをした。
「亡くなった王妃殿下と陛下は政略結婚で、子は王太子だけだった。まあ、冷めきった仲だったらしいんだけど、母と陛下は強烈な出会いで恋に落ちたとかなんとか。親のそういう話ってあまり聞きたくないから俺もよく知らないんだけどさ」
「ふふ、確かにそうね」
強烈な出会い。それはどんなだったか個人的に興味がある。くすくす笑っていると、彼は私の髪に顔を埋めながらまた話し出す。
「王妃殿下が亡くなって十五年。それが母が決めたルールだった」
「ルール?」
「十五年、政務を行いちゃんと引退すること。中途半端に投げ出す男に用はないって」
なるほど、言いそうな言葉だと思う。
「その言葉を守るために、陛下は粛々と政務を執行し王太子を育ててきた。そのとばっちりを受けたのは王太子だろうね。厳しい教育を受けて辛い思いをしてきたから」
父の恋を成就させるために犠牲になった王太子? なんだかそれも、小説になりそうな話だ。
「じゃあ、あなたはそのお兄さまを助けるのね」
「うん」
ユーリは嬉しそうに笑った。
「そう、兄は俺のことをすぐに弟だと認めてくれた。色々助言もくれたし、あの人が本当に努力しているのも見てきたから、俺はそれを助けたい」
「素敵ね」
「ふふ、ありがとう」
はーっと息を大きく吐きだすと、彼は力を抜いた。この話をするのに、緊張していたのだろう。また背中を撫でると、くすぐったいと笑う。
「もっと早く君に言えたらよかったのに。俺に勇気がなかった」
「どうして?」
「だって普通さ、国王陛下の子供なんて引かない? ものすごく期待されてプレッシャーを感じるとか」
「プレッシャー?」
「だって急に王子妃になるんだよ」
「おうじひ」
「なるでしょ?」
ユーリは私の顔を上目遣いで覗き込んだ。その顔ずるい。絆されてしまう。
「俺はアリサしかいらないよ。他に何もいらない」
「その台詞、なんだか溺愛っぽいわ」
「――いや?」
『愛してる人にされるからこそ成立する溺愛なんだよ!』
いつかのセシルの言葉が蘇る。
私はユーリにこうして執着されることが嫌じゃない。決して私の意思を蔑ろにするのではなく、受け入れて一緒に並んでくれる。そのことが嬉しくて、愛おしい。
なんだか子犬の風情だなと思いながらふわふわのくせ毛をそっと撫でて、その頬を両手で包み込む。まっすぐ私を見つめるその瞳を見つめ返すと、嬉しそうに笑う私が映っていた。
「いやじゃないわ」
そう言うとユーリは顔を赤く染めて、私に深い口付けを贈ってくれた。
*
「きゃーっ! やったわ!」
青い空の下、多くの人で賑わう闘技場に女性たちの歓声が響き渡った。
たった今勝利した騎士が、兜を脱ぎその歓声に片手を上げて応える。私の隣でセシルも大きく手を振り、歓声を上げていた。
「凄いわ! やった、見た今の?」
「よかったわね」
「もうちょっとないかな⁉ 勝ち残っただけでもすごいのに、敗者復活戦を制したわ! すごいわアダム!」
きゃあきゃあと声を上げるセシルに気がついたアダム・リバースが、兜を脱いでこちらにやって来た。
「セシル、見ていてくれた?」
「もちろん! 素敵だったわ!」
セシルはあの忙しい日々の中、自ら酒場に行きアダム・リバースを捕まえた。酒に酔っていて覚えていなかった彼は翌日事務室へ謝罪に来ていたけれど、細かいことを気にしないセシルの笑顔に絆されてお付き合いを始めたらしい。いいコンビかもしれない。
「おめでとうございます、リバースさん」
「ありがとうございます、ミレイ嬢。自分は、リバーズです……」
「あ、ほら次、決勝戦よ!」
セシルの言葉に視線を向けると、今回のトーナメントを勝ち残った二人が闘技場の中央へ歩み出る。観客の歓声は最高潮だ。
リバースはセシルにそれじゃあまた後で、と挨拶をすると、素早く場外へと走り去った。競技を終えた他の騎士たちも集まり始め、中央に立つ騎士たちへ視線が集まる。
「ねえねえアリサ、今どんな気分⁉」
「どんなって?」
「元彼と今彼がアリサを賭けて戦うのよ! すごい、物語のヒロインみたいじゃない!」
「そんなもの賭けてないわよ! もう、変なこと言わないでよね」
「でも、それが私の仕事なのよね~」
セシルは視線を闘技場に向けたまま、売り子から購入した冷たいレモネードを一口飲む。
「え?」
聞き間違いかとセシルに耳を寄せると、彼女はそっと低い声で囁いた。
「嘘と真実を混ぜ込んで広めるの。真実には近づかないように」
その言葉に驚いてセシルを見ると、彼女は視線だけこちらに向け、パチンとウィンクをした。その様子に、セシル自身が言っていた言葉を思い出す。
『――秘密裏に動く部隊があって、隊員は各隊に紛れているから誰なのか特定できないって』
(まさか、セシルが?)
隠されていたユーリの真実もモニカ様のことも、意図的に噂話として広められていたとしたら? 真実を隠すために少しずつ重ねられた嘘と本当だとしたら。
そもそもパトロンなんて存在しなくて、王家が巧みに隠していたのかもしれない。
「人の噂なんて長続きしないのよ、アリサ」
ほら! とセシルは私の手にレモネードを渡した。
「ねえねえ、あの二人何か話しているけど、なんだと思う?」
無邪気に笑うセシルに、もう何も言うことはない。
「さあ、わからないわ」
甲冑に身を包んだ彼らは向き合い、礼をする。そして、観覧席で楽しそうに見下ろす王太子殿下と妃殿下にも礼をした。
王太子殿下は立ち上がり一歩前へ出ると、手を高く振り上げ手にしていたスカーフを振り下ろした。
「はじめ!」
号令と共に、彼らの剣が大きな音を立てた。
――彼らが何を話していたかって?
それは、本人たちしか知らない真実のやり取りに決まっている。
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