世界樹の種

feirin999

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始まりと尻尾と私

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 随分呑んだものだ。

 社会人四年目ともなると、酒の飲み方も上手くなったと思っていたが、上司に連れられて四軒目の小洒落たバーに行き、三杯目を飲み干したあたりから呂律が回らなくなってきた。

 無論、終電も終バスもとうの昔になくなり、買ったばかりのパンプスを不規則に鳴らして千鳥足で歩く。

 よろよろと裏通りを歩く女ーーマコは、タクシーを捕まえるために、駅前の大通りを目指していた。

「っざけんじゃねーっつの...!」

 マコは怒っていた。
 飲み会ーーと言いつつも、忘年会と歓送迎会を兼ねたものだったーーでは、社会人としての意地とプライドで笑顔を貼り付けていたが、バーではやや剥がれ気味になってしまったのは反省だ。

「ぜんっっぜん!仕事できないじゃん!あんのクッソオンナ!なぁにが『あたしにまかせてくれて大丈夫だからぁー』よ!エクセルもワードも使えないくせにーーー!」
 
 歓送迎会で送られるのはマコ。
 歓送迎会で歓迎されるのは、社長の恩人の娘とかいう女。

 マコの代わりに入社した二十六歳。
 就職したことがなく、家事手伝いという名目でニート人生を謳歌していた女。

 年末の挨拶で恩人宅に伺った社長の、お供をしていた同じ課のイケメン、吉岡君を気に入ったらしい彼女が、社長の恩人の娘という立場を最大限に利用して、入社してきたのがつい先日。
 
『大変だと思うけど、色々教えてあげてね』という課長の言葉を、マコは甘く見ていた。

『かんすう...?せる...??ナニソレワカンナイ』と初日に言い出した恩人の娘は、それからひどかった。

 なんとか基礎的なパソコンの使い方を教えようとするも、隣のシマのイケメン吉岡に会いに行くためにほとんどデスクにはおらず、ではコピーやお茶汲みを教えようととすれば『あたしがやるレベルの仕事じゃないし』と逃げる。

 昼休みには来客予定があろうがなかろうが御構い無しに応接室へ入り込み、ご丁寧に鍵をかけて昼寝。
 そして夕方近くになってから、ヨダレの跡がついた顔のまま、仕事中の吉岡のデスクには張り付いてクネクネし続ける。

 毎回注意するのは指導係であるマコの役目であったが、一週間でお手上げ状態になり、泣きついた課長が、まん丸い顔を精一杯申し訳なさそうに歪めてこう切り出した。

『あーえっとね、彼女、もう君の指導はいらないから、担当から外してくれって...代わりに吉岡君をつけることになったから...ごめんね?』

(恩人の娘ーーー!!)

 頭痛を覚えたマコが、脳内で雄叫びをあげていると、課長と話す横から更に追い討ちをかけるように、部長から呼び出しがかかった。

『君、年明けから〇〇市の倉庫管理担当に異動になったからね』

 会議室に呼び出され、着席するやいなや、部長に早口で告げられる。

(何故?!)

 笑顔が固まってしまったようで、これまた部長が四角い顔を申し訳なさそうに歪めてこう言った。

『さっき課長からの話は聞いた?君の課のホラ...例の『彼女』が、君にイジメられてるって親御さんに言ってしまったみたいで...あちらの親御さん、一人娘が可愛くて仕方ないらしくて、社長も庇えなかったようなんだよね...』

『え、はぁ?!いやいやいやいや!私そんなことしてませんけど?!』

 我に帰り、慌てて弁解をしようとするマコを手で制して、部長はため息をついた。

『いやいやわかってるよ!君はそんなことするタイプじゃないよね!いや、わかってはいるだけど...』

 ふぅ...と重いため息をついた。

『...ほんとはクビにしろって言ってたみたいでねー...それはさすがにってことで、本社から離れた倉庫に異動って形でなんとか納得してくれたみたいなんだけど、君今年二十五だろ?『彼女』は君がいなくなれば自分が課で一番若いのに!って言ってたらしくて...ほら、アレだよ吉岡君、君と仲よかったでしょ?だから、さ...』

 わかってますよ!縦から見ても横から見てもあからさまに狙ってますよね?!

 吉岡君とは確かに同期で仲もそこそこ良かったけど、そこかよ!?
 たまに残業一緒になったら、仕事帰りにご飯食べに行く程度だよ!

 あまりのことに白眼を剥きそうになったマコをなだめるように部長が続けた。

『急なことでほんと申し訳ない。もちろん給与は変わらないし、特別手当もつくようにするから!『彼女』がいなくなったら、必ず!こちらに戻れるようにするから!なんとか耐えてくれないかな...?』




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「わかりました以外、なんていえばいいってのよ...」

 入社して四年。

 一生懸命やってきた。
 政令指定都市にある、全従業員50人にも小さな会社。
 短大を卒業し、初めての就職、初めての一人暮らし。

 やっと大きな仕事を少しずつ任せれるようになったその矢先に、こんな仕打ちである。

 起業の際、大きな投資をしてくれたという社長の恩人は、娘可愛さにこの頑張りを、小さな虫でも殺すように潰してしまう。

 『彼女』がいなくなるのは何ヶ月、何年後?
 吉岡君を落とすまで?それとも仕事に飽きるまで?
 今の状況を鑑みるに、三年は持たないだろうが、その三年でマコの居場所は残っているのだろうか?

「あーーーあ...もう...やだぁ...」

 赤信号で足を止め、夜空を仰いで、独り言にしては大きな声を出した。
 ちらほらといる通行人が、チラリとマコをみては、素通りしていく。

 駅は目の前。この交差点を渡ったらすぐだ。
 終電を逃した客を捕まえるため、客待ちのタクシーが数台並んでいるのが見える。

「辞めちゃったら、ダメだよね...みんないい人だもん...仕事楽しいもん...」
 
 自分に言い聞かすようにつぶやく。
 その時だった。

「...あ、いたいた」

 青信号になった横断歩道の向こうから、軽く手を振りマコの名を呼びながら近寄ってくる人影。

「あれ、よしおかくん...?」
「おう。結構酔ってる?」

 現れたのは、二次会に行く途中、恩人の娘に腕をがっしりと掴まれ、半ば引きずられるように連れ去られた吉岡だった。

「部長と課長と飲みにいってたって?お持ち帰りされてたらマズイかなーって思ってさー。課長に連絡したら、駅でタクシー拾うって帰ったって聞いて、待ってた。ーー大丈夫?」

 芸能人とまではいかないが、背は高く、スタイルもまずまず。すっきりした鼻梁の顔立ちは、充分鑑賞に耐えうるレベル。
 ひと昔前なら醤油顔のハンサムとでも言われそうな吉岡は、横断歩道の前で足を止めたままのマコの前に立った。

 酒に酔い、判断力の低下したマコは、疑問符を顔に浮かべて首をかしげた。

「お持ち帰りされたのはよしおかくんのほうじゃなかったのー?」
「あーなんかあいつ、ベタベタしてきてさ、とりあえず適当な飲み屋でガンガン飲ませてタクシーに押し込んできた」

 今夜は帰りたくないのーとか言ってたぞ、と、『彼女』の口調を真似て吉岡が笑う。

 そうこうしているうちに、信号は点滅し、また赤になった。

「あーわたりそこねた」
「わり。ここの信号変わるのいっつもなげーよな」

 はぁ、と吐いたため息は真っ白。
 年末のきらめく駅前のイルミネーションが美しい。

「いや、てかさ、俺謝ろうと思って、さ」

 数瞬の沈黙の後、吉岡がコートのポケットに手を突っ込んで切り出した。

「え、なにが?」

 キョトンとした顔でマキが聞き返す。

「あー...」

 ゴシゴシと口元を擦り、やや言いにくそうに吉岡が続ける。

「なんかさ、異動になったのって、俺のせいもあるなって思ってて」
「え、やだ違うよ」
「いや、俺が下手にかわしてたら、あいつがなんかムキになったっつーか」
「はぁ?なによムキって」

 眉根を寄せて聞く。

「俺がお前のこと、その...スキ、とか、気にしてるって思ったらしくて、...それで、なんかああいう感じで」

 もごもごと口の中で呟くように吉岡が言った。

「でも...さ、俺、お前のこと好」
「ブハッ!え、うっそマジで!?マジでそんな感じだと思ってるのあいつ!」
「え」
「いやまじウケるんですけど!あいっ変わらず脳みそ溶けてんじゃないのー?ンブフッフッ」
「いやあの、」
「はーーーイヤイヤほんと吉岡君のせいじゃないから。気にしないでよー!悪いのはひゃくぱーあいつなんで!吉岡君が謝ることないってー」
「............あ、う、うん、そう...?」
 若干目の死んだ吉岡の肩をパシパシ叩きながら、酔っ払い特有の陽気さでマコは笑った。
「はーーもーーーおかしーーーくるしーーーー」
 笑いすぎて痛む腹筋を抑えながら、身体をくの字に曲げる。
 その目が、ふとなにか動く影を捉えた。

 マコたちが立つ信号から十メートルほど離れたビルとビルの隙間。人がなんとか入り込めるような路地。
 そこからなにか細長く、ゆらゆらと蠢く何かが出ている。

「猫だ!」

 マコはパッと身体を起こし、自我呆然とした吉岡をほっぽり出して、小走りにその路地裏に近づいた。

「ねこーねこちゃーん?おいでーー?チッチッチッ!」

 身を低くし、猫好き特有のやや気持ち悪い声色と動作で、逃げられないようにジリジリと近付いて行く。

「あ、おい、信号変わるぞ!」
 我に帰った吉岡を振り向きもせず、マコは叫び返した。
「さきいっていーよー!ほら、全然逃げないもーん!おいでーねこちゃーん!にゃーーお!にゃおーー??」

 常ならば、こんなテンションの猫好きが近付いていくと、人慣れしない野良猫ならとうの昔に逃げていただろう。
 しかし、なぜかこのゆらゆらと揺れるしっぽの持ち主は、一向にその場を離れようとせず、その場に止まったままだ。

 異変に気が付いたのは、吉岡だった。

「......まて、なんかそれ、でかくないか?」

 マコから遅れること数歩。
 揺れるしっぽに近付いた吉岡は、『それ』が実に異様なことに気が付いた。

 揺れるしっぽ。

 その見た目はまさに猫のそれであるが、妙に大きいのだ。
 まるで虎やヒョウサイズだ。
 そんな猛獣がこんなところにいるわけがない。

 しかし。

「ねーこーちゃん!...よーーしつーかまえたっ」
 
 マコは猫を抱きあげようと、手を伸ばす。


 そしてーーー


「わっ」

 何かに引っ張られるようによろめくと、ビルの隙間に吸い込まれていった。 


「おい、マコ!」

 慌てて覗き込んだ吉岡が見たものは、しっぽも、密かに二年片思いをしていた同期でもなくーー


「ーーーマコ?」


 誰もいない路地の景色だった。







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