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牛と巨人と私
しおりを挟む朝。
朝靄がうっすらと漂う草原には、森の向こう側から朝日が差し込み始めていた。
ーーベロン、ベロン、ベロン
「...ん...?...んぶっ!?...んぶぁぅ!?」
生臭さと生温かさを伴った柔らかくネチョついた何かに、無遠慮に顔を撫で回されてマコは目を覚ました。
「ちょ、まっ...なに!?んぎゃっ!」
慌てて岩の隙間で身を起こそうとし、強かに頭をぶつける。
「~~~~~!!!!」
痛みのあまり、涙を滲ませて頭を抱えてながら目をあけると、顔を撫で回していたものの正体を知った。
牛だ。
巨大な牛が、頭を岩の隙間に頭を突っ込み、マコの顔を舐め回している。現在進行形で。
「うし!?」
普段の生活の中で見ることのない生の牛が、起き抜けに目の前に現れ、それに顔を嘗め回されて目を覚ますという異常事態に、マコの頭は大混乱を起こしていた。
「やめ、ぶっ!や、んぶ…!ちょ…ぶっ」
熱心に顔を舐め続ける巨大牛の顔を、何とか押しのけようと手を突っ張るびくともしない。
押し返すことままならず、自分の腕で顔を抱えるようにして庇う。
そうすると牛は、さあ顔を出せと言わんばかりに、今度は腕の隙間に鼻面を捻じ込ませようと躍起になっていた。
牛の生暖かい息が顔面に降り注ぐ。べとべとする何かの飛沫と一緒に。
「うえっ!!やだっ!!いや~~~だれか~~~~~!!!」
ついにはパンプスをはいた足でぐいぐい牛の鼻先を押しやるように蹴り、絶叫した。
『****?*******…?』
自分でも牛の鳴き声でもない声が、頭上で聞こえた。
低い声。男の様だった。
巨大な牛の頭が、後ろにひかれて出ていく。
『****?********…。***…?』
牛が排除されたことに気が付いたマコは、穴ぐらの最奥で身を縮こまらせたままそろそろと目をあけ、頭を抱える腕の隙間から、そっとそちらを伺った。
逆光でよくは見えないが、牛よりも幾分小さい――それでもマコの1.5倍はあるだろう――巨体が、こちらを覗き込んでいるのが分かった。
影は数秒ほど覗き込んで考えるそぶりを見せたが、腰をかがめて手を差し伸べてきた。
「ひっ」
いまだに混乱しているマコは、びくりと体を震わせ、もう奥にはいけない穴の壁に背を付けるように仰け反った。
ゴン。
もう一度頭を岩にぶつけて悶絶した。
「~~~~~!!!!!!」
『*****? **、********、******』
深く柔らかい声が、わずかに笑いを含んで差し出した手をゆるゆると上下に振る。
「……」
ぶつけた痛みがわずかに和らいだマコは、涙の滲んだ目を開けて、そちらをそろりと伺った。
『***?****?』
もう一度柔らかく囁くように発せられた声と、差し出された手。
ゴツゴツした、大きな手だ。
細かな古い傷のある、厚い手のひら。
動かすたびにちらりと見えるのは、ファーだろうか?
手の甲から腕にかけて、毛足の短い灰色の籠手のようなものを着けているようだ。
(…猟師?)
マコはいつぞやテレビのドキュメンタリーで見た、東北の猟師のようだと思った。
声の主は、じっと手を見るマコを観察するように、手を差し出したまま静止している。
これではまるで、野良猫を手懐けるネコスキーじゃないか。
ふっと、警戒していた心が和らぐをの感じる。
(…うん、ここにいてもしょうがない!行くのよ私!女は度胸!!)
自分を奮い立たせ、そろそろと手を伸ばし、倍はありそうな手のひらに手を乗せた。
(でっか…)
自分の手を乗せると、さらに大きさが際立つ。
バスケットボールとか余裕で握れそう。
NBAか。
驚きと関心が入り混じる思考のまま、ぐっと熱い手に握りこまれ、ゆっくりと引き出される。
身体が半分出たところで、男の顔が見えた。
「!」
灰色…いや、それは陽を浴びて鈍く輝いている。銀灰というべきか。
ワイルドというより伸びるがままにしているような、鬣めいた髪。
髪よりもやや濃い色の太い眉の下には、冴え冴えと蒼天の色をした瞳。
荒削りな彫刻のような、しかし形よく整った褐色の顔には、白い刺青のような文様。
その下に続く首はどっしりと太く、半端な回し蹴りを食らってもびくともしないだろう。
そしてそれに見合った筋肉の塊のような巨大な体躯。
でかい。二メートル以上あるのではなだろうか。
(うおおお外人さんじゃん!!!しかもアスリート系イケメンじゃんやばいやばいあいきゃんのっといんぐりっしゅ!)
先ほどからかけられる言葉が全く理解できないとは思っていた。
もしかしたら訛りが強くて理解できないかも?などと淡い期待を持っていたのだが…
ぐるぐるとそんなことを混乱した頭で考えていると、男はおもむろにマコの脇の下に両手を差し込み、ぐいと持ち上げた。
そうすると、男とマコの視線が等しくなった。
まあやっぱりイケメン…ではなく。
「わあ!?」
まさかの高い高いである。
20年ぶりくらいの高い高い。成人女性が!社会人が!いやそれより重いのに!!
「あのすみません重いので!!おろしていただいても!?」
社会人として、成人女性としての矜持を守るため、じたばたと見苦しくない程度に身をよじる。
両手で脇の下に差し込まれた太い腕に手をかけるが、びくともしない。
『***?*******?***********』
つりさげられたまま、まじまじとマコを観察していた男が首を傾げ、おもむろにマコのお尻を腕に乗せ、所謂子供抱っこのポジションに移動させた。
これまた20年ぶりの子供抱っこである。
「ええええ!!ちょ、あのほんと!おろ、お、おろしてください~~!!」
むずがる子供の用に腕を突っ張るが、これまた無意味。びくともしない。
『****。******。*******』
あやす様にとんとんと背中をたたき、話しかける男。
暴れてはみたものの、無駄な抵抗だと悟り始めたマコ。
五分ほど格闘して(一方的に)、マコが根負けした。
『******。******?**********、*****?』
ぜえぜえと息を乱すマコの背中を、今度はゆっくりとさすり始めた男は、しきりに何か話しかけてくる。
「すみませんなんて言ってるかわかりません。あとおろしてください」
『***********』
「あいきゃんのっとすぴーくいんぐりんしゅ。だうんぷりーず!」
『********、***********、***********』
「…あー、ぼんじゅーる?にーはお?…んーと、ぐーてんたーく?」
『************?』
「おーろーしーてー」
全くかみ合っていないであろう会話を続けたが、しばらくすると男はあきらめたように息をつき、そばに行儀よく待っていた巨大牛(サイズがサイくらいある)の頭絡を引いて、ゆっくりと歩き始めた。
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