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【始章】蛍揺電車
しおりを挟む俺は電車に揺られる。
会社とアパートの無限ループから抜け出して。
エアコンがジリジリと暑さを蝕むように、俺は日々を怠惰に胃の中に突っ込んだ。案の定、無一文で腹一杯にはならなかったが、やっと帰郷の踏ん切りがついたのだ。
『この電車はどこへ行くと思いますか?』
変なアナウンスだ。
……変なアナウンスだ。
けれど俺はこれを知っている。
二十六歳の今、体が十八歳に戻っていくように。
「……夏。」
吐き捨てた言葉は初夏の蜃気楼。
このアナウンスも、あの日の記憶も全て幻。
そう思いたかった俺は逃げ出した。
否、君をもう一度知るためにあの日に戻ろうとしている。
『本日は蛍揺電車をご利用くださいまして誠に有難う御座います。
当電車は夏の奥、夕藍町へ向かっております。』
人の顔も分からない電車内。
がらんどうな訳でもなく、数人乗車している四号車の人間は皆同じような顔をしていた。
座席に座りながら窓の外を見たり、ポールに捕まりながらアナウンスに目を閉じたり、古そうな文庫本を愛おしそうに指で撫でていたり。
そう。誰もが記憶をまさぐろうとしているだけ。ただ足掻こうとしているだけ。
だから俺も、
君をもっと知りたくて此処に戻ってきた。
『お手持ちの切符は、人生で一度だけ夏の日に帰ることが許される特別な切符です。
蛍揺電車は記憶の旅。揺れの心配は御座いません。
皆様が快適な良い旅を送られることを心より願っております。』
廻島シノ。
『繰り返します。
お手持ちの切符は、人生で一度だけ夏の日に帰ることが許される特別な切符です。
その醜い思い出を綺麗な姿に戻す最後のチャンスが皆様に与えられています。』
君に会いたい。
「どうかお間違えの無いようご注意ください。」
無機質なアナウンス、水色の車内、視界にチラつく青い海。
硝子に映る俺の顔は思いの外スッキリしている。
大丈夫。
目を閉じろ。
廻島シノにまた会える。
あの日、俺がまだ高校生だった頃。
時計の音だけが響く教室で、君と過ごした夏の時間がまだ俺の側にある。
だから、
だから、
俺ハ駅二向カウ。
廃れたベンチに埋もレタ、相合傘を指でなぞルように。
生い茂る木々が夏風を運んで来ルよう二。
『到着をお知らせ致します。
お降りの際は足元にお気をつけください。
アナウンスを終了致します。』
夕藍駅二。
俺ハ降リル。
夕藍町の潮の香りと木造校舎の懐かしい匂いに誘われながら、俺は君の事だけを考えた。
廻島シノの名前をそっと繰り返した。
すれ違う記憶を必死に耐えながら片道切符をポケットに入れ直して、ポケットから出した手帳で今日の日付を確認する。
七月二十八日。
夏休ミ前日。
俺ノ名前は八社川ケイ。
当時、高校三年生。
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