私は幽霊になりたい。

犬堂 鳴

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【一話】木造校舎と青

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「ケイ、一緒に教室来てくれよ。」

放課後。とはいってもまだ空は青くて、昼のサイレンも鳴っていないような時間。
俺は図書室で戸棚の整理やら、夏休み前の本の貸し出しやらに追われていた。尚、ここに通うような生徒はいない。
千秋に声をかけられる頃も委員会の仕事をやっているフリをしているだけで、意味もなくコンピュータを弄っているだけの無駄な時間を過ごしていた。

「教室くらい一人で行けよ。誰もいないだろ。」

ぶっきらぼうにそう答えると、目の前の人物は分かりやすくしゅんとした。
彼は朝倉千秋、俺の同級生であり幼馴染。
元々幼い顔立ちではあったが、学ランを身に着けているせいか中坊に見えなくもない。
千秋は情けないような言動が多いが頭はいい方だし、スポーツも並以上に出来る。クラスメイト曰く、『普段はヘラヘラしてる癖に戦うと割と強い漫画のキャラクター』のような人間らしい。俺にはその表現がよく分からないが掴み所の無い人間だとは思っている。
コイツの父親は船に乗っているうちに死んだ。それ以来精神を弱めた母親と二人暮らしをしている。けど叔母さんは病んだからといって暴力を振るうような人間でも無かったし、以前よりデリケートになったくらいで済んだらしい。そのお陰もあってか千秋自身、好青年に成長していた。

「それがいたんだよ。一人だけ。」
「はぁ?向こうも一人なら勝手に入ればいいだろ。」

とっくに下校時間は過ぎている。
まだ校内に残っている物好きが俺達の他にいたことが驚きだった。

「僕だってそうしたかったさ。
けど入れる雰囲気じゃなかったっていうか……。というかあの人怖いんだよ。」
「誰?」
「廻島シノ。窓際の後ろから二番目の人だよ。ほら、幽霊ってあだ名つけられてる人。」

千秋の口から出たその人物の名前は、人に疎い俺でも耳にした事がある名前だった。
クラスの女子に“幽霊”とか言われてる女生徒。

「女の子に怖いとか失礼な奴だな。
……分かったよ。ついてってやるから帰りに和屋なごみやのアイスバー奢れ。」

そういうと千秋は大袈裟に両手を上げて喜んだ。

「ケイ~~~~!!お前が安上がりな奴で良かったよ~~~!!」
「貶してねぇか?それ。」

軽く千秋の頭を叩き、夏休みの宿題が詰め込まれたリュックを背負った後、俺達は図書室を後にした。




放課後の木造校舎、という響きは不思議なもので別世界に紛れ込んだような気持ちになる。
青い空を飛行機雲が泳いでいくように、自分も夏の中に神隠しされたような変な気分。
消火栓、黒板消し、渡り廊下、体育館。
一階の図書室から三階の三年四組に行くのはなかなかの一苦労だけど、硝子の奥に見える蒸し暑くも透き通った景色は、自分の汚れきった心を澄み渡らせていくようだった。

「つか、教室に何忘れたの」

理科室の前。薬品の匂いが漏れる廊下で口を開く。

「財布と自転車の鍵と便箋。」
「便箋?……あぁ、あの青いやつか。」
「そうそう。久しぶりに手紙流そうと思ってさ。」

千秋が頭の後ろで腕を組む。目線は廊下の先を見たままだったけど、でも彼が今思っていることはよく知っていたから何も見ないフリをした。

「……稲荷川いなりがわの手紙流しか。懐かしいな。」
「僕がまだ子供に数えられてるならいいんだけど。
まぁ、夕藍の伝統だと思えばね。無くなっちゃうのは寂しいし。」

稲荷川の手紙流しは俺達二人が通っていた小学校の裏にあった『稲荷神社』の伝統行事だ。……近年まではそのはずだったけど今はもう誰もやらないから子供らの間では『七不思議』なんて名前にされている。
手紙流しとは、手紙に願いを書き、便箋にしたためたそれを稲荷神社の神様が姿を変えたとされる『稲荷川』に流すという物だ。すると神様は子供の願いだけを叶えてくれるらしい。
千秋は小さい頃から稲荷の手紙流しが大好きだった。……それから数年経った今、何か思う所があるのだろう。

「いつ流すんだ?」
「そうだなぁ……夏休みの最後の日かな。
あの時もその日に流したから。」
「そうか。」

少しの間沈黙が訪れ、自分達の足音だけを聞きながら廊下を歩いていると、やがて三年四組の教室に着いた。

「まだいるかなぁ。廻島さん。」
「いいからさっさと開けろよ。学校が閉まるだろ。」
「わ、分かったって!」

千秋が恐る恐るスライド式の扉に手をかけ、ガラガラと大きな音を立てながら教室の中に入る。
しかし教室の中は誰もおらず、硝子窓が開け放たれたまま、白いカーテンが揺れていた。

「なんだ、誰もいねぇじゃん。」
「あれ?さっきまでいたんだけど。ほんの十分前だよ?」
「十分もありゃ帰るわ。さっさとしろよな。
校内にいんの俺らだけだぜ?」

千秋は首を捻りながら「おかしいなぁ」と呟いていたものの、自分の机に駆け寄り、先程の忘れ物をオレンジ色のリュックの中に入れていった。
便箋だけ、折れないように慎重に入れているのが見ていて分かった。

「よし!これでOK。ありがとな。」
「おう。」

千秋が先に教室を出る。
俺もその後に続こうとしたがふと背後が気になり、教室を振り返った。

誰もいない。
ただ青い空と木製の机が並ぶだけの光景。

だけどほんの一瞬見えた気がした。

チカチカと。映る。

黒髪と白い肌が印象の女生徒が窓際に立ちながら海を眺めているワンシーン。
彼女の髪が大きくなびき、隠れた横顔からかすかに上がった口角が見える。

(廻島……?)

なんとなくそう思った。彼女が廻島シノであると。

でもそれはほんの一瞬だった。
ザザッと視界にノイズが走ると先程まで視界に映っていた彼女が跡形もなく消えた。
数度瞬きしても教室の中は何も変わらない。

「……見間違い、か?」
「ケイ?どうした?」

教室の入り口で足を止めた俺を千秋がおかしそうに見つめる。
もう一度振り返ったけれど、俺の頭は何も無かったと認識しようとしていた。

「なんでもない。行こうぜ。」
「おう!」

チリンと鈴の音が聴こえた。
千秋と階段を駆け足で降りながら、背後に女生徒の視線を感じて俺は昇降口へと向かった。




「いらっしゃい!学校は終わりかい?」

和屋は高校のすぐ前にある駄菓子屋だ。
夕方になると小学生で溢れかえっているが、この時間は大体いているので昼休みを使ってここに通う学生も多い。
いつもながら出迎えるのは店のおばちゃん。今は綺麗な白髪だけど、たまに紫に染めてたりはたまた緑になってたりする。お洒落な老人だ。

「今日で終わり。やっと明日から夏休みだよ。
あっ、これください。」

千秋が手早にアイスバーを二本取り、おばちゃんに百円を差し出した。ここのアイスバーはラムネ味とイチゴ味の二種類だけ。
小さい頃はイチゴ味ばっか食べてたけど、男子高校生になった今ピンク色が恥ずかしくなった千秋に合わせてラムネしか買わなくなった。

「毎度。千秋ちゃんもたまにはイチゴ味食べればいいのにねぇ。」
「千秋ちゃんはやめてよ~。僕もう今年で十八だよ?」
「そうかいそうかい。」

千秋とおばちゃんが談笑する中、俺は店内を見ていた。
適当に練飴やらあられやらを摘んでレジに持っていく。

「おばちゃんこれもお願い。」
「あらま。コウ君にかい?」
「そう。アイツ夕飯までに腹空かせるからさ。」
「ケイちゃんは弟思いのお兄ちゃんだね。仲良くするんだよ。」

千秋からアイスバー受け取りつつ、金を払う。
買った菓子適当に鞄の中に詰め込み、お釣りは財布に入れずポケットにしまった。

「あいよ。おばちゃんありがと。」
「また来るね~」
「はいはい。熱中症に気を付けるんだよ。」

手を振るおばちゃんを後に、俺と千秋は店の前の土手に腰を掛けた。
既に溶けそうなアイスを口に入れると、ラムネの爽やかな風味と冷たさが口内に染みていく。

「やっぱおばちゃん見ると落ち着く。
正直、小さい頃と全然変わんないからいつ死ぬか全然検討もつかないし。」
「あぁ、それ分かる。俺らが成人する頃も余裕で元気だろ。」
「確かに。」

ガードレール。カーブミラー。線路。トンネル。
雲が東へ東へと流れて行って、目の前に迫る入道雲のハッキリとした輪郭が海を覆う。
左手には学校が見えて、三年四組の教室が隅に見えていた。先生がまだ見回りをしていないのか、閉まっていない窓からカーテンが揺れているのが分かる。

「そういや廻島シノってさ、名前は知ってんだけどどんな奴か知らないんだよな。お前は?」

『ハズレ』と書かれた棒を店脇のゴミ箱に捨てながら千秋に聞いた。

「僕もそこまで知らないよ。ただ、なんとなく怖いんだ。お前も見れば分かるって。
ていうかクラスメイトなのにそれしか認識ないのは凄いよ。彼女、ある意味有名人だからさ。」
「へぇ?」

知らないのに知っている。
そんな千秋の言い方は妙に引っ掛かった。

「町外れに『金魚』って古書店あるだろ?あそこの娘らしいんだけど、いい噂聞かないじゃん。店主がころころ変わるっていうし。
それに、彼女のルックスもそう。凄い美人なんだけど、なんかさ。怖いんだ。」

千秋は人に酷く敏感だ。それは長い付き合いの中で理解していた。
母親の事で悩んでいた時期も知っているし、それを表に出さない様にしているからこそ人の反応を察知しようとする彼の癖もなにもかも。

だから、俺は千秋がこんなにも警戒する『廻島シノ』に興味を持ったのかもしれない。

「千秋、それは……」




彼の顔を見る、
その時だった。



八社川やさがわケイ君。君に会いたい。』




「ッ!!?」


鈴の音が聴こえた。今度はハッキリと。
学校からだ。学校から誰かが俺を呼んでいる。頭が勝手にそう理解していた。

昼のサイレンが鼓膜を潰そうとしているのに、何故か鈴の音だけが鮮明に聴こえるこの状況で、意味もなく体から吹き出す冷や汗が喉を伝う。



『八社川ケイは貴方でしょう。私知ってるもの。
過去、私とこの夏を過ごしたのは八社川君だった。』

「あーあ。昼になっちゃった。ケイ、この後どうする?」

『私が幽霊になりたい理由、知りたくて此処に来たんでしょう?わざわざ一度きりのチャンスを使ってまで。』

「……ケイ?……ちょっと、聞いてる?」

『蛍揺電車はまだ終点じゃない。貴方はまだ此処に来たばかり。

私に会いに来てよ。八社川君。』


何それ。知らない。
お前を俺を知らない。
知らないけど、脳裏に浮かんだ切符は覚えている。
水色の電車と、小説が風にめくれる澄んだ音を。

気がつけば俺は、その場に立っていた。
無言でリュックを背負い、土手を駆け下りる。

「千秋ごめん!!俺ちょっと忘れ物してきた!!学校戻るからまた後でな!!」
「え!?ちょ、今!!?おい!!」

千秋の声が耳の中でキンキンと反芻される。
けれど身体はお構い無しに三年四組へと走っていた。

古びた木造校舎。
カーテンに包まれた黒髪とセーラー服がかすかに視界に映る。

(廻島シノ……?か?)





何故この時、俺は彼女の元へ走ったか分からない。
けれど二十六歳の俺ならきっとその理由を知っているはずだ。

廻島シノの事も。


この夏の終幕も。



chapter1 -end-
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