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11.浄化の流儀
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二ヶ月後。
私とサフィード様は、帰国早々、ろくに家にも帰らないまま、暗く冷えた地平を見渡して立っていた。季節は冬に差し掛かる頃で、長く深い影を落とす北の山脈の尾根には白い雪が見える。神殿による依頼で、この地に巣食う亡霊を片付けなければならないのである。
「いかにも中途半端ですね。魂まで滅しておけば、こうして霊となって漂うこともないのに」
濃淡のある冷気が漂う黒泥の地、ふらふらと彷徨う霊気を眺めながら、サフィード様が憂鬱そうに仰る。
「こういうの、苦手なんですか?」
「数百年もこのまま放置された結果、手がつけられなくなってその後始末に駆り出される、というのがいかにも非効率的で気に入りませんね。神殿の上層部というのは大抵愚かなので、ある意味納得はしていますが」
「サフィード様って、神殿に対して辛口ですよね……」
私は文句を言うほど、神殿のことをよく知らない。だが、それほど悪い印象も持っていない。何しろ、給金がいいのである。
二ヶ月前、幾つかの事実が発覚した。サフィード様が平然とした顔で暴露していく間、私は硬直して震えっぱなしだったのだが、その事実の一つとして、なんと、私は数ヶ月も前から、サフィード様の補助魔術師として神殿に雇われの身になっていたのである。
給金も支払われている。思っていたより、ゼロの桁が大きい。というか、普通に実家を出て、王都に家が一軒構えられるほどのお金が出ている。
「王都に、貴方のための雇われ管財人がいますので、そちらに送金されているはずです。いつでも自由に引き出せますよ」
「雇われ管財人とは一体……」
「雇っているのは私ですが、貴方のお金に対する権利は全て貴方のものなので、心配しなくてもいいですよ」
「いえ……そこを心配しているわけではなくて」
数ヶ月前、婚約破棄に失敗した私は悄然としていて、サフィード様に逆らう元気がなかった。「これからは貴方に代わって判断を下す」とサフィード様が言ったとき、反論しなかったのも確かだ。しかし、その直後に婚姻届が出されていて、その上成立済みで、私は神殿の雇われ魔術師となり、サフィード様が夫の立場で私用の管財人を雇っているなんて。誰が思うだろうか。
予想外すぎた。
「……………では、この紙は、いったい」
ふるふると震えながらも、「国による婚姻を無効にする」という例の紙をかざしてみせたが、サフィード様は全く感情を動かされていない様子で、
「国の命令による婚姻が無効なのは当然ですね。私達はあくまで個人の意思で結婚したわけですし」
「個人の意思、ありました?!!」
微塵もなかった。少なくとも、私の意思は完全に行方不明だ。
「だから一度、貴方を帰したんですよ。あくまで、貴方の意思で選ぶ機会を差し上げようと思いまして。……まあ、結局のところ、貴方がどう選ぼうと行き着く先は同じなんですが」
「全然意味がない!!」
「確かに、気分の問題ではありますが。自分が選んだ、という感覚があるかないかでは、貴方にとっては大分違うでしょう」
「結局、もう動かせないところに追い込んでおいてからの、その余裕を持った思い遣り……腹黒なのは分かってましたけど、もはや鬼畜としか言いようがないじゃないですか」
私は頭を抱え、サフィード様は微笑みながら私の頭を撫でていて、収拾がつかないまま苦悶の時間は続いたが、どんなに私が悶えようと現状は何一つ変わらない。サフィード様が楽しむだけだ。その挙句、「これ、もうどうしようもないから、怯えてないでサフィード様と積極的に喧嘩しよう」と、私の中に妙な悟りっぽいものが生まれた瞬間だった。
以来、私はサフィード様に対して割と投げやりで、そして思ったことを何でも言っている。だが、以前と同じで、逆らったりはしていない。私が逆らえないのではなくて、サフィード様が、私に逆らう理由を与えてくれないのである。あれ以来、微笑んで脅されることもないし、人前で公開処刑されることもなければ、何かの暗黒面を突き付けられることもない。私が望むなら大抵のことは叶えてくれ、いつでも快適でいられるよう気を配ってくれる。客観的に見ても、非常に思い遣りのある、優しくて理想的な夫なのである。
(……明らかに、これはこれで「計画通り」と思ってらっしゃる)
サフィード様の神々しい微笑みを横目で見ながら、私は片眉をぴくぴくさせた。
だが、優しい夫と、鬼畜を前面に押し出した夫では、もちろん優しい方がいいに決まっている。文句を言う理由はない。たとえ、私の隠し切れず滲み出る渋い顔を見詰めるサフィード様の目が、いかにも愉快犯的な色合いに染まっていたとしても、である。
「さて、一気にやってしまいますか」
十分に見て満足したのか、サフィード様が私から視線を外し、影の差す沼沢地をぐるりと見渡した。
金属の擦れる音がして、彼が篭手に包まれた手を差し伸べる。白く清浄な光がその上に集まり──
「待って下さい。私がやります」
「ディルティーナ?」
「せっかく給金も貰っているので。私が」
振り返るサフィード様の傍らを通り過ぎて、私は数歩、前に出た。
私とサフィード様は、帰国早々、ろくに家にも帰らないまま、暗く冷えた地平を見渡して立っていた。季節は冬に差し掛かる頃で、長く深い影を落とす北の山脈の尾根には白い雪が見える。神殿による依頼で、この地に巣食う亡霊を片付けなければならないのである。
「いかにも中途半端ですね。魂まで滅しておけば、こうして霊となって漂うこともないのに」
濃淡のある冷気が漂う黒泥の地、ふらふらと彷徨う霊気を眺めながら、サフィード様が憂鬱そうに仰る。
「こういうの、苦手なんですか?」
「数百年もこのまま放置された結果、手がつけられなくなってその後始末に駆り出される、というのがいかにも非効率的で気に入りませんね。神殿の上層部というのは大抵愚かなので、ある意味納得はしていますが」
「サフィード様って、神殿に対して辛口ですよね……」
私は文句を言うほど、神殿のことをよく知らない。だが、それほど悪い印象も持っていない。何しろ、給金がいいのである。
二ヶ月前、幾つかの事実が発覚した。サフィード様が平然とした顔で暴露していく間、私は硬直して震えっぱなしだったのだが、その事実の一つとして、なんと、私は数ヶ月も前から、サフィード様の補助魔術師として神殿に雇われの身になっていたのである。
給金も支払われている。思っていたより、ゼロの桁が大きい。というか、普通に実家を出て、王都に家が一軒構えられるほどのお金が出ている。
「王都に、貴方のための雇われ管財人がいますので、そちらに送金されているはずです。いつでも自由に引き出せますよ」
「雇われ管財人とは一体……」
「雇っているのは私ですが、貴方のお金に対する権利は全て貴方のものなので、心配しなくてもいいですよ」
「いえ……そこを心配しているわけではなくて」
数ヶ月前、婚約破棄に失敗した私は悄然としていて、サフィード様に逆らう元気がなかった。「これからは貴方に代わって判断を下す」とサフィード様が言ったとき、反論しなかったのも確かだ。しかし、その直後に婚姻届が出されていて、その上成立済みで、私は神殿の雇われ魔術師となり、サフィード様が夫の立場で私用の管財人を雇っているなんて。誰が思うだろうか。
予想外すぎた。
「……………では、この紙は、いったい」
ふるふると震えながらも、「国による婚姻を無効にする」という例の紙をかざしてみせたが、サフィード様は全く感情を動かされていない様子で、
「国の命令による婚姻が無効なのは当然ですね。私達はあくまで個人の意思で結婚したわけですし」
「個人の意思、ありました?!!」
微塵もなかった。少なくとも、私の意思は完全に行方不明だ。
「だから一度、貴方を帰したんですよ。あくまで、貴方の意思で選ぶ機会を差し上げようと思いまして。……まあ、結局のところ、貴方がどう選ぼうと行き着く先は同じなんですが」
「全然意味がない!!」
「確かに、気分の問題ではありますが。自分が選んだ、という感覚があるかないかでは、貴方にとっては大分違うでしょう」
「結局、もう動かせないところに追い込んでおいてからの、その余裕を持った思い遣り……腹黒なのは分かってましたけど、もはや鬼畜としか言いようがないじゃないですか」
私は頭を抱え、サフィード様は微笑みながら私の頭を撫でていて、収拾がつかないまま苦悶の時間は続いたが、どんなに私が悶えようと現状は何一つ変わらない。サフィード様が楽しむだけだ。その挙句、「これ、もうどうしようもないから、怯えてないでサフィード様と積極的に喧嘩しよう」と、私の中に妙な悟りっぽいものが生まれた瞬間だった。
以来、私はサフィード様に対して割と投げやりで、そして思ったことを何でも言っている。だが、以前と同じで、逆らったりはしていない。私が逆らえないのではなくて、サフィード様が、私に逆らう理由を与えてくれないのである。あれ以来、微笑んで脅されることもないし、人前で公開処刑されることもなければ、何かの暗黒面を突き付けられることもない。私が望むなら大抵のことは叶えてくれ、いつでも快適でいられるよう気を配ってくれる。客観的に見ても、非常に思い遣りのある、優しくて理想的な夫なのである。
(……明らかに、これはこれで「計画通り」と思ってらっしゃる)
サフィード様の神々しい微笑みを横目で見ながら、私は片眉をぴくぴくさせた。
だが、優しい夫と、鬼畜を前面に押し出した夫では、もちろん優しい方がいいに決まっている。文句を言う理由はない。たとえ、私の隠し切れず滲み出る渋い顔を見詰めるサフィード様の目が、いかにも愉快犯的な色合いに染まっていたとしても、である。
「さて、一気にやってしまいますか」
十分に見て満足したのか、サフィード様が私から視線を外し、影の差す沼沢地をぐるりと見渡した。
金属の擦れる音がして、彼が篭手に包まれた手を差し伸べる。白く清浄な光がその上に集まり──
「待って下さい。私がやります」
「ディルティーナ?」
「せっかく給金も貰っているので。私が」
振り返るサフィード様の傍らを通り過ぎて、私は数歩、前に出た。
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