【完結】元婚約者の聖騎士さまが恐ろしくてたまらないのですが、どうあっても逃げられないようです

雪野原よる

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番外編

サフィード②

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「……あ、お帰りなさい、サフィード様」
「起こしてしまいましたか。寝ていていいですよ」

 扉を開けると、細く光が差し込んだ先で、むくりと起き上がる人影が見えた。

 眠たげに瞬いて、彼を見つめる目は猫のような金色。肩から背に、流れ落ちる長い黒髪。彼の妻、ディルティーナだ。

「……遅かったですね」

 少し不満そうな声だ。

 自然と、笑みが浮かんだ。

「半年振りに神殿に報告に上がったのでね。思いのほか時間がかかってしまいました」

 上着を脱ぎ、彼女がいる寝台の端に座り込み、そのこめかみに口付けて「ただいま戻りました」と囁く。彼女の目が揺れて、様々な感情を映し出した。それはもう色鮮やかに。

 困惑、不安、安堵、疑惑、信頼、恐怖、好意、高揚。

 相反する感情が、賑やかにひしめきながら混在している。零れ落ちる感情の全てを拾い上げようと、その目をじっと覗き込んだ。いつ見ても、彼に向けられた強い感情というものは新鮮だ。それは彼にとって、あまりに縁がないものだったので。

「貴方は本当に感情豊かですね」
「……また私で遊んでいるんですか」

 拗ねた口調が返ってきた。

 最近の彼女は、よくこういう表情を彼に向ける。非常に可愛らしい。

「そうですね」

 その通りだったので、サフィードは頷いた。 
 ディルティーナがむっとして押し黙る。

 サフィードにとってはとても感情豊かに見える彼女だが、一般的に見れば物静かで、感情が希薄なタイプに見えるだろう。口うるさく言い募るよりも、黙って感情を閉じてしまう。その目の奥では色んな感情が渦巻いているのが見えるのだが。

(それでいい)

 誰からも見えるものではなく、覗き込む彼の目にだけ映る、というのがいい。

 そもそも、出会った当初から、彼女はどうしようもなく彼の好みだった。

「あなたは……聖騎士のサフィード様ですよね」

 覚束ない口調で、おずおずと言い出した彼女を憶えている。

 まるで、ふわふわした黒い小動物のように見えた。

 人というより獣に近いほどの無垢な目をしている。傷つけられたことがない、傷つけたいと願うことがない者の目。傷付くことが未知であるがゆえに、それをもたらすかもしれない彼に対してひどく怯え切っている。

 ぴくりと手が動いて、握り締めた拳の中で光の魔力が蠢いた。

 神殿きっての神聖属性である彼だが、

(なるほど、私もやはり光属性だったのですね)

 他人事のように感心してしまった。

 光とは生命。活力であり、欲望し、生殖を求めるもの。解放するものといえば聞こえはいいが、時には暴力的に全てを暴きたいと渇望し実行するものでもある。

 闇というのは、無論その逆だ。安息の闇。人を眠らせ、癒やすもの。だが、生命の再生産にかけては、光より強烈な部分もある。闇の中でのみ発芽する種子は、人を含めて思いのほか沢山ある。闇は慈しみ育てる属性でもあるのだ。

 彼女を見たとき、その闇の中に、自らの光を思い切り流し込みたいと思った。

 自らの光属性を醒めた目で見ていたサフィードには、闇属性に対する偏見がない。同時に、闇属性を虐げたいと思うこともなかった。どうやら光属性の中には一定の比率で、そういう欲求が存在するらしいのだが。だから、ディルティーナと出会って、彼女を思い切り悶えさせたいと願ったことは、彼にとっても新鮮な出来事だった。もちろん、彼女にはっきり告げたことはないが。

(もっとも、最初から見透かされていたようですが)

 無意識のうちに、彼の欲を見抜き、そのために怯えてきたのだろう。ディルティーナはたまに、恐ろしく察しがいいことがある。それが彼女の幸福に繋がらないところが何とも気の毒だが。

「また眠るのですか、ディルティーナ? 貴方はよく眠りますね」

 無言のまま背を向けた彼女を、後ろからすっぽり抱きすくめる。耳元で揶揄うように囁かれて、彼女の肩が小さく震えた。

「……寝ていていいですよって、仰ったじゃないですか」
「いいですよ? ……勿論」

 その「勿論」が、あまりに不穏すぎたらしい。見てもいないのに、彼女の目に恐怖の涙が滲むのが分かった。冷たくはない、熱のある恐怖だ。様々な感情が押し込められている。

 その熱が欲しかった。

 黒く長い髪に顔を埋める。ひんやりした感触の奥に、鼓動から生じる熱が伝わってくる。温かい闇だ。人が交わるのは大抵の場合において闇の中だということが、こうしていると深く理解できる。

「ディルティーナ」

 彼の世界には、ずっと長いこと人というものが存在しなかった。

 人は道具でしかなく、彼もまたその一つだ。寂寞として神聖な荒野。その中で、人の情を超えたところでしか生きられない彼が、結局人の情を求めるしかないとは。

 皮肉ではあるが、彼は幸福だ。

 気の毒なのは被害者ことディルティーナなのだが……まあ、大丈夫だろう。

 彼女の甘さにどうつけ込めばいいか、サフィードはよく知っているのだから。


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