【完結】召喚獣殿下 〜下っ端少女召喚士、この国最強の王弟殿下(40)を召喚します!

雪野原よる

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8.契約

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 召喚術とは、本来、双方向のものだ。

 世界と世界の間に、通り抜けられるだけの薄い膜を開く。だが、未知の霊力が満ちた「向こう側」に、自ら渡ろうとする召喚士はいない。危険すぎるからだ。あくまで、向こうから召喚獣がやってくるのを待つことになる。

 だが、今、私は向こうに渡ろうとしている。

 王弟殿下を呼んでしまったランダム召喚といい、誰もしようとしない境界越えといい、ろくに力もない下っ端召喚士のくせに、私はいつもイレギュラーなことばかりする運命に取り憑かれているのだろうか。

 地面に召喚石を落とし、召喚陣を描く。
 今の私に、殿下以外の召喚獣はいない。陣を開けば、その先は殿下に繋がる。

「我が呼びかけに応えよ。……イシルディア・クルフィン・ヴァルドルド」

 差し伸べた手のひらに、鮮やかに緑の輝きが満ちる。熱い。この熱を感じるたび、いつも、初めて殿下と契約を結んだ瞬間を思い出す。
 懐かしい思い出に、胸をちくりと刺されたのも束の間、足元の魔法陣から、瘴気のようなものが噴出した。遠く離れたイシルディア殿下の魔力と繋がったのだ。

「……っ」

 ぞくりとした。

 見た目からして黒い、凶々しい闇属性の魔力。無数の手のように伸びてきて、私を取り込もうとする。本能的な恐怖で、飛び退きそうになった。

 背筋に走る震えを抑え、私は敢えて身を任せた。餌を見つけた蛇のように、闇が身体に絡みつき、まとわりつく。足元から、魔法陣に引きずり込まれた。地面が消え、落ちていく、ぞっとするような感覚に身が竦む。

「う、わぁ!」

 堪えていたのに、思わず叫びが洩れた。

 暗闇に包まれた。どこかで、身体が転移するのを感じる。行き先に……地面が、ない。生きている闇がうごめき、落下中の私を支える。
 奥行きは分からない。距離も、広さも。真っ暗というわけではなくて、どこかに明るさを感じるのに、自分の手の先すら見通せなかった。何も見えない。闇だけ。

 その闇の中に、イシルディア殿下がいた。

 いや、この蠢いている闇そのものが、殿下の今の身体そのものなのだ。人としての形は見えない。闇が収縮し、私に触れ、そして嘆きのような呻きが伝わった。

「殿下! イシルディア殿下!」

 振り絞った声が、反響もせず、そのまま闇に吸い込まれていく。

「殿下、殿下、負けないで下さい! 人に戻って下さい!」

 解けた封印とはどのようなものだったのか、私は知らない。人がこの強大な闇に勝てるわけがない。塵のように呑み込まれる。
 でも、彼は強い。彼なら、きっと負けない。

 私が勝利を渇望したから、彼は私の英雄になったのだと言っていた。だから、私は人としての彼を渇望する。どんな姿になっていてもいい、とにかく、人として、戻ってきて。

「殿下!」

 無様に泣き喚く。駄々っ子のように。

(私は本当は、殿下のことをほんの少ししか知らない)

 ほんの一部、ほんの少しの真実。その瞬間の記憶だけで、私は殿下を取り戻したい。

「殿下!」
「……行きなさい。このままでは、……君の魔力ごと、喰らってしまう」
「殿下、一緒に帰りましょう。また、私のために、戦って」
「行け。……君は、安全に」

 魔力の風が、私を押し出そうと揺らぐ。慌ててもがき、流されまいとする。

(たとえ殿下が元に戻れなくても、このまま最後までここにいる)

 でも、そのことは言わないつもりだ。
 知ったら、殿下は、私を渾身の力で振り払ってしまうかもしれない。

 私には、手が届かない人。釣り合わない相手。強くて、何でも夢のように叶えてくれて、それでもずっと、私は本当に彼の主になれることはないと知っていた。
 それでも、私は手を伸ばす。私は召喚士だから。彼は私の召喚獣だから。

「殿下」
「……」
「殿下!」

 流れ込む闇が、私の体温を奪っていく。必死にその中を掻き分け、触れるものを探した。人であれば、手に触れるはず。生きているものであれば、熱があるはず。

 もがく。諦めない。負けない。歯を食いしばって、もがき続けた。少しずつ、手が先に進んで行く。
 そして、その先に──何かに、触れた。

「殿下」

 頬だ。張り詰めて、固く強張っている。そして、耳。
 少しごわつく手触りの髪。

(殿下だ)

 夢中で手を伸ばして、他の部分を探した。温かい、人の血が通った体。

 重く厚い筋肉に覆われた肩。胸。巨人の体を探索しているみたいだ、と思った。腕に触れると、ぴくりと動いて、次の瞬間、大きな手が、私の手首を握り締めた。びっくりして、湧き出した涙が瞳の表面を覆う。

(生きてる。殿下が生きてる)

「殿下、手を」

 差し伸べた手が重なり、明るいグリーンの光が溢れる。闇に圧し潰されそうな弱々しい光。そこに、私の存在全てをかけて、全身の魔力を注ぎ込む。
 勝ってみせる。彼の身に埋め込まれた魔獣がどんなに強大な存在でも、意思を持って彼と契約を交したわけではないだろう。単に、彼という器に押し込まれただけ。
 双方向で交わされた、召喚の契約。強く求める気持ち。命を賭けても、私の持つ全魔力を。

 眩い光が満ちた。闇が押しのけられ、イシルディア殿下の顔が浮かび上がる。半ば侵蝕され、人ではなくなっていたけれど、やはり、殿下の顔だった。私と視線が絡まり合うと、苦痛に満ちた色が双眼に流れた。

「主殿……」
「で……ん……」

 もう、迷わないから。自分が弱いからといって、殿下の召喚士であることを諦めたりしない。
 「主」になってみせるから。
 安心して。契約の誓いを守るから。

 そう言いたかったが、急速に吸われていく魔力が、私の身体の熱も奪っていき、冷たく強張った口を開こうとしても、もはや舌も回らなかった。
 私の意識は、闇に呑まれた。
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