0と1の感情

ミズイロアシ

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第二部

06 夢幻の続き

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 少女がロボットを連れて建物へ入るのを見届けると、二人とも孤児院に背を向けた。

 革靴が静寂を破った。

 一人分減ったはずなのに、靴音は不思議と耳に大きく届いた。

 緩やかな坂道を下りきる前に、黒髪の青年は自分の首元に手を伸ばした。
 襟を締める紐を緩めようと人差し指を引っ掛けた。飾らない声で

「ふぅ。ドレスコードのある場面は苦手だ。思った通り、気取った奴らが多かったな」と言った。

「あはは、言い方……まっ、俺も同感」

「ブラックタイの集まりだった。テールコートの男も見かけたぞ。いつまでも古臭い連中だ」
 解いたネクタイをポケットに入れて、今度はシャツの第一ボタンへ利き手を伸ばした。
「はぁ、息が詰まる」

 友人の仕草を鼻で笑った。
「ふーん? 俺は、正式なタキシード以外も、ちらほらと見かけたけどな。ほら、黒以外もさ。皆が皆古典的にこだわってるわけじゃねぇよ」

「〝視えてなかった〟でなくて? 鳥目のエリオくん」
 はだけた黒いシャツから白い鎖骨がチラチラ見えた。

「色は見えてるっつの」

 エリオは相手の冗談とわかって、笑いながら言い返した。続けざまに

「まあ? 俺はー、ジャケットだけはと思ったけどな~」

と言うと、ピークドラペルの上着をパタパタと相手に見せびらかた。

「……そのまま蝶ネクタイまで付ければー? きっとお似合いだよ、どっかのボンボンみたいでね」
 うんざりするほどの棒読みだ。

「ハンッ。俺はなぁー、ダグが一人で浮かないようにぃ? 敢えてレギュラータイにしてきてやったんだよ。あ・え・て!」

 語感を強めて話し終え、自身も先程の彼と同様一連の仕草をした。
 結び目を解く際、銀色のネクタイはひらひらと揺れ、周囲の電飾に反射して淡く光った。

 黒髪の彼は横目で「お前も息苦しかったんだろうに、この強がり」と思っただけで口には出さなかった。台詞の上では

「なに? 感謝をせびってんの? 絶対言わないから」

と相手に伝えていた。

「はっ? 誰も『ありがとうと言え』なんて言ってないだろ!」
「顔が言ってる」
「そんな顔してね――考えてもなかったし。あーそー、『いらぬお節介』ってやつぅ? 言いたかったんだ?」

「……別に」
と、ボソッと彼が呟いたので、会話が途切れた。

 エリオは、隣の彼が時折見せる奇をてらった行為が気掛かりだった。

 当の本人は注目されたい気持ちも特別な思想もその心には皆無であろうが、反骨精神の表現の仕方が独特で、傍にいると親友としては何かと心配なのだ。



 冷たい夜空は、熱くなった感情もあっという間に吸収していった。

「ロゼは――」

 黒髪の方が再び話をし始めた。

「ああいう場、生まれて初めてだったんだろうね……」
「ん? あぁ……そうなんじゃね?」
「うん……」

 夜闇の町は静かだ。

 エリオは躓かないように終始下を向いて歩いていた。そのまま地面に向かって呟いた。

「『またな』、か……」
「うん?」
「いや……なんであいつにそう言ったんだろうな~って……別に、特に何の関係性も無い……ガキにさ」

 ガキとは、無論ロゼのことだ。
 自分の発言ながら、表情に多少の後悔が見られた。

 隣の親友は、同じ歩幅で歩きながらチラリと横顔を見て表情を確認し、再び前方を向いた。

「さあ? エリオの考えはわかりようがないけど? フン……あんな顔されちゃ、はぐらかしてばかりは可哀想だからね。そこまで鬼にはなれないな~、俺は」

「ケ、良く言うよ。面倒くさくなるからじゃね?」

 どうやら彼のいつもの調子が戻ってきたようなので安心した。
「アハハ、今度ロゼに言お」と茶化した。

「いやっ! やめろよ!」

 本気で受け取るのがエリオだ。

「冗談冗談。ふ~ん、ポールの浅知恵か。まんまと掛かったな」
「なんだよ。ま~だ言ってやんの」
「踊らされたままじゃ――面白くない」

 エリオはダグラスのポールへの言い草に対して呆れ返った。

「お前、ホントに根に持ってんのな……の割りに、浮かれてんじゃん?」
「ふふん。そ?」
「……何考えてんだか。時たま恐ろしいよ、ダグラスって人は」

 本人は心外とでも言いたげな顔をしただけで、特には言い返さなかった。

 道路に二人分の革靴の音を響かせて、家路をゆっくりとした歩幅で歩いた。

 きっとそれは夢の途中にいて、まだ覚めないでほしいと、二人共に願っていたからかもしれない。

「家よ遠くなれ」と天を見上げた黒髪の青年は密かに願った。

 生憎今夜は明るくて星は一つも見えなかったが、そこに、いつだって、不変な星が存在することを知っている彼は、夜のしじまに静かに微笑んだ。
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