記憶喪失から始まる、勘違いLove story

たっこ

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3 初出勤

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 翌日、かなり緊張しながら月森と一緒に出社した。
 同じプロジェクトチームのメンバーには、俺の事情について事前に説明があったようで、席に着くなり皆が立ち上がって俺のところまで来て自己紹介をしてくれた。
 後輩は月森の他には二人。あとは皆俺よりも上の人たちばかりで、さらに緊張感が襲った。

「あの、記憶が戻るかどうかもわかりませんが、少しでも皆さんのお役に立てるよう努めますので、どうかよろしくお願いします」
 
 頭を下げて挨拶を返す。
 すると、なぜか皆が驚いた顔をする。
 目を瞬き、口を開け、しばらくすると皆が口々につぶやいた。

「なるほどなぁ」
「これが記憶喪失か……」
「面白いなぁ」
 
 普通に挨拶をしたつもりだったが、どこか変だっただろうか。
 首をかしげて月森を見ると、苦笑いを返された。
 
「しかしまぁ、月森と同じプロジェクトのときでよかったよ。ちょっとでも知ってる顔がいれば心強いだろ」
 
 部長が俺の肩に手を置いて「何か困ったことがあれば月森に言え」と言い残し去っていった。
 てっきり部長も同じフロアで一緒に働くと思っていたから少し驚く。
 それに今の言い方って……。

「月森と同じプロジェクトのとき……って、違うこともあるの?」
「あ、はい。今はたまたま一緒ですけど、今までは別でしたよ。プロジェクトが違えば席も離れるしフロアが変わることもあるし、ずっと現場で作業する場合もあります」
「現場?」
「客先に行くって意味です」
 
 ……なるほど。ということは部長は一緒のプロジェクトではないんだな。
 説明を聞いても、今のところ何も思い出せそうな感じはない。
 職場に来て同僚の顔ぶれを見れば何か思い出せるかもと期待をしたが、どうやらダメそうだ。俺はガッカリして肩を落とした。
 そもそも、家でも職場でも一緒の月森ですら思い出せない。あのケバい母親だってわからないのに、そりゃ無理だ。
 記憶を取り戻すのは長期戦になりそうだなと息をつき、すぐさま気持ちを切り替えた。

 補佐に回れと言われたが、今どきは全てがPC上で、記憶喪失の俺にできる仕事はほとんどなかった。不安が的中する。これじゃ給料泥棒だ……。
 二ヶ月後には新卒者が入社する。そこから数ヶ月は新人研修があり、もしこのまま記憶が戻らなければその研修に俺も参加することになるそうだ。
 部長からメールが届き開いてみると、研修で使用するテキストを送るから暇なら眺めてろと書かれていた。補佐に回れと言いながら、本当は仕事がないことを部長はわかっていたんだ。それでも俺の出社を許してくれた部長に深く感謝した。
 俺はお礼の返信を返し、添付された資料を開く。テキストすらもデータなのか。本当に全てがPC上なんだな。
 俺はそのテキストを見ながら、昨日月森にもらったノートを使って勉強を始める。今の俺にはこれくらいしかすることがない。頑張るしかない。

 途中トイレに立ちフロアを歩いていると、周りからの視線を感じた。ここは別のプロジェクトかな。いや、技術者じゃないかもしれない。やけに女子社員が多い。
 やっぱり第一印象は大事だよなと、俺はその視線に笑顔を返す。
 しかし、返してから気づく。自分だけが初対面のつもりで、皆とはもう何年もの付き合いなんだよなと、微笑みながら内心で自虐的に笑った。



「――――……よね。本当に中村さん? って思っちゃった」
「やっぱり? あれは思うよね」

 トイレの帰り、給湯室から聞こえてきた声に思わず立ち止まる。
 中村って、俺だよな。でも、どうやらいい話じゃなさそうだ。
 聞き耳を立てるなんていいことじゃないとはわかっているが、俺の何を話しているのか……それは気になる。

「私、中村さん苦手だったのよね。なんかあの、俺仕事できるけどなに? って鼻にかけた感じが」
「わかるわかる。仕事早くてミスもないってすごいけどさ、あんなにツンケンしなくてもいいよね」
「ビジュアルはすごくいいのに」
「ほんと、すごい綺麗よね」
「今の中村さんなら完璧じゃない? 物腰柔らかいし笑顔も素敵だし、ずっとあのままならいいなぁ」
「私、中村さんにアプローチしようかな」
「え、でも記憶が戻ったら……あれよ? 怖くない?」
「今の中村さんと足して二で割ったくらいにならないかな?」
「それはどうかしらね」

 これは悪口なのか褒め言葉なのか、いったいどっちだろう。
 前の俺も今の俺も、どちらもどこか他人事のようで、これが俺の話だという実感がわかない。傷つくも喜ぶもない。
 ただ、俺は嫌われていたらしいということはわかった。
 そうか。鼻にかけるほど俺は仕事ができたのか。なるほど。
 ほうほう、と納得していると、給湯室から出てきた二人が俺に気づいてギクリと顔を強ばらせた。

「あ、あの……中村さん……」
「ああ、すみません。コーヒーは仕事中でも入れていいんでしょうか」
「あ、は、はい。もちろんです。ここにコーヒーメーカーがあって――――」

 聞かれていなかった、というようにホッとした表情で、女性がコーヒーについて一生懸命説明をしてくれる。
 アプローチしようかなと言っていたほうかな、と観察した。
 しかし、たとえさっきの話を聞いていなかったとしても、ないな、と思った。外見がどうとかではなく、俺はこの子よりも月森のほうがいい、と思ってしまった。
 いやいや、月森は男だろ。なにバカなこと考えてるんだ……。
 でも、がっしりとした体つきとは裏腹に、優しげな雰囲気でよく笑う月森と一緒にいるだけで癒されて、俺まで心が優しくなっていく感じがするんだ。



「コーヒー飲む?」

 二人分のコーヒーを入れて席に戻り、月森のデスクに一つ置いた。

「あ、ありがとうございます」
「うん」

 紙コップに入ったコーヒーをずずっと一口飲むと、いつものコーヒーの味わいとは異なる苦みが口の中に広がった。

「……月森が淹れてくれるコーヒーのがやっぱり美味いね」
「あれは先輩のお気に入りの豆ですからね」
「月森が淹れてくれるから美味いんだよ」
「えっと……コーヒーメーカーですよ?」
「豆も挽いてくれてるし」
「いや、機械でウイーンですよ……?」

 機械でウイーンに思わずツボる。

「それでも、月森が淹れてくれるから美味しいんだよ」
「え……っと……ありがとうございます……?」

 俺の言葉に照れる月森が可愛い。
 うん、やっぱり俺は、月森のほうがいい。
 とりあえず記憶が戻るまでは、恋愛なんてどうでもいいな。
 
 
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