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6 記憶なんて戻らなきゃいい
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「先輩、なんか顔色が悪い……」
「いや、気のせいだよ」
「あの、本当に変な意味じゃないので……誤解しないでくださいね?」
その不安そうな月森の表情を見ているのがつらい。俺はうつむき視線をそらした。
変な意味……か。そうだよな。男同士で深い意味を期待するなんて……変だよな。
「誤解してないって。そもそもどっちが好きって聞いたの、俺だしさ」
「あ……そうでしたよね。そっか。よかった」
俺の言葉に心底安堵したというような月森の声色。ちらっと顔をうかがえば、もう笑顔に戻ってる。それを見て、またツキンと胸に痛みが走った。
いや、これは恋愛感情じゃない。
きっと雛の刷り込みみたいなものだろう。
目を覚ましたあと、母以外で初めて会ったのが月森だ。
友達だって、今の俺には月森しかいない。
家でも職場でも、そして休日まで毎日一緒。
だからちょっと勘違いしちゃったんだろう。きっとそうだ。
そう分析すると少し気持ちが落ち着いた。
そうだ、月森があまりに優しくて良い奴だから悪いんだ。俺が勘違いしたのは月森のせいだ。
「それより月森、俺、口調も前と違う?」
さっき月森は『見た目や口調が違っても』と言った。
職場で、表情が柔らかいとか穏やかだとか言われることが多いから、見た目は変わったんだろうと思っていたが、よく考えたら口調も違うんだろうか。
「あ、はい。少し……結構違います」
「どんな風に?」
「前の先輩はもっと……厳しい、というか、男らしい……というか、えっと……もっと口が悪かった、です」
「へぇ。じゃあ今は?」
「今はすごく優しい口調ですね」
なるほど。前は優しくなかったと。ほうほう。
これが優しいと言われるなら、前は相当口が悪かったんだな。
俺は前の自分を想像して、表情を作ってみた。
笑顔を消し、口元を少しゆがめ、少し冷たい視線を月森に送る。
口が悪い、ってどんな感じだ?
「お前、俺が優しくないって言いたいのか?」
「えっ……」
「今よりもっと威圧的だったって言いたいんだな? おい月森。なんとか言ってみろ」
こんな感じかな。ちょっと違ったか? 演技臭かったか? と照れが出そうになったとき、月森の顔があきらかに強ばった。
「せ……先輩? もしかして……記憶が……戻……」
声を震わせ、どこか怯えるような、どこか悲しそうな、複雑な表情をする。
その反応があまりにも予想外で困惑した。
もしかして……月森は俺の記憶が戻るのが怖い?
どうして?
「ごめん……月森。ちょっと、からかっただけでさ。えっと……記憶は戻ってないよ?」
「……あ」
しまった、というように月森の顔が青ざめる。
なに……どういうこと?
俺の記憶が戻るようにと、週末が来るたびにあちこち連れ出してくれるのは月森だ。
バスケもボルダリングもちゃんと身体が覚えていたし、料理が得意だと教えてくれたのも月森だ。
それなのに月森は、本当は俺の記憶が戻ってほしくないんだろうか。戻ることを恐れてる?
どうして……?
「せ……先輩……」
月森が蒼白な顔をしているのに、俺は内心ホッとしていた。
今の俺という人格は、記憶を無くしてから、あの日病院で目覚めてからの俺だ。前の俺のことは少しも思い出せないし、今の俺にとっては他人のような存在と言ってもいい。
前の俺と今の俺、どっちが好きかと聞きたくなるくらいに、前の自分に嫉妬してた。月森の学生時代を知ってる自分に、たくさんの思い出を共有してる自分に、俺の知らない月森を知ってる自分に、嫉妬してた。
月森が俺の記憶を取り戻すために頑張れば頑張るほど嫉妬した。
でも、どうやら月森は、俺の記憶が戻ってほしくないらしい。
月森にも迷惑がかかるし、頑張って思い出さなきゃとずっと思ってた。
そうか。俺、このままでいいんだ。
やばい。嬉しくて鼻歌が出そうだ。
「月森」
「……は……はい」
「肉じゃがとカレーなら、どっち好き?」
「……え?」
「あ、そうそう、シチューもだな。どれが一番好き?」
レシピフォルダの『月森』の中にはカレーとシチューはない。たぶんレシピを見なくても作れるからだと思うんだよな。
月森が、蒼白な顔のまま「カ……カレー……?」と答える。
「やっぱり。たぶん俺もカレーが一番好きだった気がする。じゃあ明日はカレーにするね」
「あ……あの、先輩……?」
まだ青白い顔で戸惑う月森に、気付かないふりをして俺は続ける。
「あとさ。今週末は家でダラダラしない? たまにはドラマの一気観とかしてみたい」
「あ……はい。いい……ですね」
「なんかおすすめのドラマある?」
「……あ、じゃあ先輩が好きだったドラマ――――」
「月森が好きなドラマがいいな」
「……でも」
「記憶が戻るための努力みたいなの、ちょっとしばらく休みたい。なんか疲れちゃった」
「あ……ご、ごめんなさい。そうですよね、ずっとじゃ疲れますよね」
「月森が謝ることじゃないよ」
そう笑いかけると、強ばった表情をやっとゆるませ、少しだけ笑顔が戻る。
「月森のおすすめ、考えといて?」
「はい、まかせてください」
前の俺とはいったい何があったんだろう。喧嘩でもしていたんだろうか。
今の俺のことを嫌ったり怖がったり疎ましく思っているような素振りはない。これだけ毎日一緒にいれば、それくらいはわかる。
まぁ、なんでもいい。今の俺のままで月森が安心するなら、記憶なんて戻らなくてもいい。
俺はずっと、このままでいい。
「いや、気のせいだよ」
「あの、本当に変な意味じゃないので……誤解しないでくださいね?」
その不安そうな月森の表情を見ているのがつらい。俺はうつむき視線をそらした。
変な意味……か。そうだよな。男同士で深い意味を期待するなんて……変だよな。
「誤解してないって。そもそもどっちが好きって聞いたの、俺だしさ」
「あ……そうでしたよね。そっか。よかった」
俺の言葉に心底安堵したというような月森の声色。ちらっと顔をうかがえば、もう笑顔に戻ってる。それを見て、またツキンと胸に痛みが走った。
いや、これは恋愛感情じゃない。
きっと雛の刷り込みみたいなものだろう。
目を覚ましたあと、母以外で初めて会ったのが月森だ。
友達だって、今の俺には月森しかいない。
家でも職場でも、そして休日まで毎日一緒。
だからちょっと勘違いしちゃったんだろう。きっとそうだ。
そう分析すると少し気持ちが落ち着いた。
そうだ、月森があまりに優しくて良い奴だから悪いんだ。俺が勘違いしたのは月森のせいだ。
「それより月森、俺、口調も前と違う?」
さっき月森は『見た目や口調が違っても』と言った。
職場で、表情が柔らかいとか穏やかだとか言われることが多いから、見た目は変わったんだろうと思っていたが、よく考えたら口調も違うんだろうか。
「あ、はい。少し……結構違います」
「どんな風に?」
「前の先輩はもっと……厳しい、というか、男らしい……というか、えっと……もっと口が悪かった、です」
「へぇ。じゃあ今は?」
「今はすごく優しい口調ですね」
なるほど。前は優しくなかったと。ほうほう。
これが優しいと言われるなら、前は相当口が悪かったんだな。
俺は前の自分を想像して、表情を作ってみた。
笑顔を消し、口元を少しゆがめ、少し冷たい視線を月森に送る。
口が悪い、ってどんな感じだ?
「お前、俺が優しくないって言いたいのか?」
「えっ……」
「今よりもっと威圧的だったって言いたいんだな? おい月森。なんとか言ってみろ」
こんな感じかな。ちょっと違ったか? 演技臭かったか? と照れが出そうになったとき、月森の顔があきらかに強ばった。
「せ……先輩? もしかして……記憶が……戻……」
声を震わせ、どこか怯えるような、どこか悲しそうな、複雑な表情をする。
その反応があまりにも予想外で困惑した。
もしかして……月森は俺の記憶が戻るのが怖い?
どうして?
「ごめん……月森。ちょっと、からかっただけでさ。えっと……記憶は戻ってないよ?」
「……あ」
しまった、というように月森の顔が青ざめる。
なに……どういうこと?
俺の記憶が戻るようにと、週末が来るたびにあちこち連れ出してくれるのは月森だ。
バスケもボルダリングもちゃんと身体が覚えていたし、料理が得意だと教えてくれたのも月森だ。
それなのに月森は、本当は俺の記憶が戻ってほしくないんだろうか。戻ることを恐れてる?
どうして……?
「せ……先輩……」
月森が蒼白な顔をしているのに、俺は内心ホッとしていた。
今の俺という人格は、記憶を無くしてから、あの日病院で目覚めてからの俺だ。前の俺のことは少しも思い出せないし、今の俺にとっては他人のような存在と言ってもいい。
前の俺と今の俺、どっちが好きかと聞きたくなるくらいに、前の自分に嫉妬してた。月森の学生時代を知ってる自分に、たくさんの思い出を共有してる自分に、俺の知らない月森を知ってる自分に、嫉妬してた。
月森が俺の記憶を取り戻すために頑張れば頑張るほど嫉妬した。
でも、どうやら月森は、俺の記憶が戻ってほしくないらしい。
月森にも迷惑がかかるし、頑張って思い出さなきゃとずっと思ってた。
そうか。俺、このままでいいんだ。
やばい。嬉しくて鼻歌が出そうだ。
「月森」
「……は……はい」
「肉じゃがとカレーなら、どっち好き?」
「……え?」
「あ、そうそう、シチューもだな。どれが一番好き?」
レシピフォルダの『月森』の中にはカレーとシチューはない。たぶんレシピを見なくても作れるからだと思うんだよな。
月森が、蒼白な顔のまま「カ……カレー……?」と答える。
「やっぱり。たぶん俺もカレーが一番好きだった気がする。じゃあ明日はカレーにするね」
「あ……あの、先輩……?」
まだ青白い顔で戸惑う月森に、気付かないふりをして俺は続ける。
「あとさ。今週末は家でダラダラしない? たまにはドラマの一気観とかしてみたい」
「あ……はい。いい……ですね」
「なんかおすすめのドラマある?」
「……あ、じゃあ先輩が好きだったドラマ――――」
「月森が好きなドラマがいいな」
「……でも」
「記憶が戻るための努力みたいなの、ちょっとしばらく休みたい。なんか疲れちゃった」
「あ……ご、ごめんなさい。そうですよね、ずっとじゃ疲れますよね」
「月森が謝ることじゃないよ」
そう笑いかけると、強ばった表情をやっとゆるませ、少しだけ笑顔が戻る。
「月森のおすすめ、考えといて?」
「はい、まかせてください」
前の俺とはいったい何があったんだろう。喧嘩でもしていたんだろうか。
今の俺のことを嫌ったり怖がったり疎ましく思っているような素振りはない。これだけ毎日一緒にいれば、それくらいはわかる。
まぁ、なんでもいい。今の俺のままで月森が安心するなら、記憶なんて戻らなくてもいい。
俺はずっと、このままでいい。
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