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第四章 マンドラゴラの王様
37 マンドラゴラの生態
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ウドさんはニヤリと笑いながら続ける。
「アーニャは、ワタシを見て笑ってくれましたネ。そこから、ワタシはもっとアーニャに夢中になりましたネ」
そろそろ全身が出てくるという頃、まだ鳥も寝ている早朝に、ウドさんは森中の鳥達が飛び立つ音を聞いて目を覚ました。これはもしやと思いアーニャさんの元に急行すると、やはりそこにいたのは根から切り離されたアーニャさんの姿。
これまで伝承で聞いていた話とは違い、アーニャさんはどこかへ行ってしまう素振りは見せず、むしろウドさんにくっついて離れなかったという。ウドさんは、アーニャさんが昨日までくっついていた根に目印のリボンを結びつけると、彼女を家に連れて帰った。
「アーニャは見た目以外は赤ん坊と同じでしたネ。ワタシはそんなアーニャを見て、まるでニンフみたいだと思いまシタ」
ニンフ。山や森に宿る女性の姿をした妖精のことだ。疑うことを知らず、純粋無垢な美しい女性なのだと読んだことがある。
「あの頃は楽しかったデス。絵本を買って来て、アルファベットを一つずつ教えてあげましたネ。初めてワタシの名前を呼んでくれた時、ワタシは感動で震えましたネ」
私はこのウドさんの語彙力に震えそうだ。一体全体どうしてここまで流暢な日本語を喋ることが出来るのか。祈祷師は、どうも世界中を飛び回る仕事の様なので、その国の言語を扱えるか否かで報酬も変わるのかもしれない。売れっ子になるには、それなりの理由があるものだ。
「アーニャがワタシと会話が普通に出来る様になるまで、三年かかりましたネ。そしてその三年の間に、アーニャは成熟した女性に育ちまシタ。人型マンドラゴラの成長は、根から切り離された後は人間と一緒デスネ。身体も調べましたガ、骨も臓器も一緒デシタ」
それを聞いてほっとしたけど、次いであれ、と思う。吾郎くんは、初めから喋ることが出来ていたからだ。ウドさんのこの言い方だと、アーニャさんはそれこそニンフの様に真っさらな状態で生まれ落ちた様だ。だけど、口を挟む前にウドさんはどんどん続きを喋り続けてしまう。
もしかしたら、ずっと誰かにこうして話したかったのかもしれない。マンドラゴラという未知の植物と共に暮らしている人間なんて、ウドさん以外にはもしかしたら私しかいないのかもしれないから。
「アーニャが教えてくれましたネ。初めてワタシの声を聞いた時、どんな人が喋ってるのか知りたくなって目を開けたそうデス。ワタシを見て笑ったのは、ワタシのことをその時に愛したからだそうデスネ。人型マンドラゴラは、根から切り離される前に呼びかけて目を合わせることに成功した者だけが、人型マンドラゴラと切り離されたその根の両方を手に入れることが出来るのデス。気に食わない声だと目を開けないこともあるとアーニャに聞いて、この声を与えてくれた両親に感謝しましたネ」
ドキリとした。ウドさんの言葉は、私と吾郎くんの間で交わされた先日の会話と一緒だったからだ。声を聞かされたからといって誰にでも目を開く訳ではないらしいと聞いて、少し安堵する。確かに、同性や動物に声を掛けられて目を開けてしまっては、マンドラゴラも呼びかけた方も困るだろう。だけど、これが指し示す意味は。
私達にも同じルールが適用されるとしたら、吾郎くんは初めから私を庇護者としてではなく恋愛対象として見ていたことにならないか――。
私は余計な思考を停止し、ウドさんの話に集中することにした。
「その三年の間に、ワタシは世界中を飛び回りましたネ。でも、アーニャは絶対ワタシと一緒に行きませんデシタ。外の知らない世界が怖いのかと思っていましたガ、アーニャと意思の疎通が出来る様になって、ようやくその意味が分かったのデス」
「意味……?」
気になって、身を乗り出す。それはまるで、伝承にあった根子神様の子孫の傾向そのものだったからだ。ウドさんが、真剣な表情で頷く。
「ちょっとの間なら、生まれた土地から離れるのは大丈夫ですネ。でも、離れていると段々枯れてしまうとアーニャが言ってましたですネ」
「……枯れる? どういうことですか」
ウドさんが肩を竦める。
「その言葉の通りですネ。アーニャは、土が合わないからだと言ってましたネ。元々人型マンドラゴラが自生する場所は限られていて、そこは聖域と人々に呼ばれる場所が多いことも、調べていく内に分かっったですネ」
「聖域……」
そういえば、根子神様の伝承にもあったじゃないか。山神様の聖域から身を投げたと。その聖域は、土砂崩れによって崩れ落ちた。だけど、元は高い場所にあった聖域が麓の一部となっていたと仮定したら。吾郎くんが生えた場所が、その聖域だった場所だったとも考えられる。
すると、あの土地の下には、かつて土流に呑み込まれた村の人達が眠っているんじゃないか。そして、秋野家代々の墓は、あの場所から先に行った所にあるのだ。何十人、いや、下手したら何百人もの命を呑み込んだ聖域で生まれた吾郎くん。アーニャさんとの違いは、そこじゃないか。
アーニャさんは、言葉を知らなかった。それは、聖域の土の下に何も埋まってなかったからでは。吾郎くんは、初めから言葉を知っていた。根子神様も最初から喋っていたみたいだから、それまで疑問に思っていなかった。でも、根子神様が生まれる前から、沢山の人身御供がその身を捧げて亡くなっていたじゃないか。
先程、吾郎くんが地面に手のひらを付け、ソナーの様に辺りを探っていたことを思い出した。かなりの広範囲を探していた様に見えたけど、根っこを這わすだけでそんなことが分かるのか。
だけど、もし草木にマンドラゴラの様な明確なものではなくとも意識が存在するならば。そしてそれを共有することが出来るのならば、ああいった探知も有効になり得る。
そして、思いを抱え亡くなった人は土へと還る。その土は草木の養分となり、それがやがては生まれてくる吾郎くんへ知識を与えたとしたら、吾郎くんが最初から言葉を理解していたのもの納得だ。
吾郎くんは、根子神様と吾郎くんは別のマンドラゴラだと言っていた。ウドさんも言っていたじゃないか。元々人型マンドラゴラが自生する場所は限られている、と。その聖域が持つ何らかのパワーが作用しないと人型マンドラゴラが生まれないとしたら、逆に言えば、人型マンドラゴラは毎回同じ場所に自生するとも言える。
「美空サン? 聞いてますカ?」
「はっ」
ウドさんが、私の目の前で手を振っていた。またやってしまったらしい。
「す、すみません。聞いてますが、ちょっと考え込んでしまいまして」
「美空サンは、マンドラゴラについては何も知らなかったですカ?」
「はい、そうなんです。ある日突然吾郎くんが生えてきて、びっくりしました」
「あはは、ワタシ達はビックリ仲間ですネ」
ウドさんが握手を求めて手を差し出したけど、吾郎くんが伸ばした私の手を取って握ってしまい、握手は叶わなかった。話は聞くけど、信用は一切してませんよということだろう。ウドさんは器用に片眉を上げると、またもや肩を竦めてから手を引っ込めた。
「デスので、アーニャを連れて歩くのは諦めまシタ。だったら、アーニャのいる場所をワタシの本拠地にしてしまえばイイ。そう思ったワタシは、アーニャの生まれた土地周辺を全て買い取る為、アーニャが切り離した土に埋もれたままの根を薬酒にし、販売することにしたのです。初めの頃は、濃度が分からなくて実験の日々だったんですガ、現地の実験協力者は腐るほどいましたからネ。その内わざとらしくない効果的な濃度の薬酒を作ることに成功しまシタ。一回の量や効果の持続性などの情報がありませんト、売り物にならないですからネ」
現地の実験協力者。一体その場所がどこなのかも不明だけど、叶わぬ恋する者はどこにでもいる。そういった人々に、協力という名目で薬を使わせたのだ。ウドさんは悪びれもせずバチンという音が聞こえそうなウインクをしたけど、正直私はひやりとした感情を抑えることが出来ずにいた。
相手の意思に関係なく惚れさせる媚薬。その効果のほどは不明だけど、ウドさんの言い方ではかなり強力な様だ。もし自分を嫌っている相手にそれを飲ませ、自分に惚れさせることが出来たら。いや、媚薬を使うくらいだ。元々相手にされていない確率の方が、遥かに高い。そんな人間に無理やり惚れさせられ、そしてある日突然気付いたら嫌いな相手と恋人や夫婦になっていたらと考えると。――恐ろしかった。
そういった恐ろしいことを、目の前にいるこの陽気な外国人は、悪びれもせずに話しているのだ。文化の違いなのか、それとも祈祷師の中では常識なのか。とりあえず根っからの商売人だというのは理解したけど、その考え方まで理解したいとは思えなかった。
「アーニャは、ワタシを見て笑ってくれましたネ。そこから、ワタシはもっとアーニャに夢中になりましたネ」
そろそろ全身が出てくるという頃、まだ鳥も寝ている早朝に、ウドさんは森中の鳥達が飛び立つ音を聞いて目を覚ました。これはもしやと思いアーニャさんの元に急行すると、やはりそこにいたのは根から切り離されたアーニャさんの姿。
これまで伝承で聞いていた話とは違い、アーニャさんはどこかへ行ってしまう素振りは見せず、むしろウドさんにくっついて離れなかったという。ウドさんは、アーニャさんが昨日までくっついていた根に目印のリボンを結びつけると、彼女を家に連れて帰った。
「アーニャは見た目以外は赤ん坊と同じでしたネ。ワタシはそんなアーニャを見て、まるでニンフみたいだと思いまシタ」
ニンフ。山や森に宿る女性の姿をした妖精のことだ。疑うことを知らず、純粋無垢な美しい女性なのだと読んだことがある。
「あの頃は楽しかったデス。絵本を買って来て、アルファベットを一つずつ教えてあげましたネ。初めてワタシの名前を呼んでくれた時、ワタシは感動で震えましたネ」
私はこのウドさんの語彙力に震えそうだ。一体全体どうしてここまで流暢な日本語を喋ることが出来るのか。祈祷師は、どうも世界中を飛び回る仕事の様なので、その国の言語を扱えるか否かで報酬も変わるのかもしれない。売れっ子になるには、それなりの理由があるものだ。
「アーニャがワタシと会話が普通に出来る様になるまで、三年かかりましたネ。そしてその三年の間に、アーニャは成熟した女性に育ちまシタ。人型マンドラゴラの成長は、根から切り離された後は人間と一緒デスネ。身体も調べましたガ、骨も臓器も一緒デシタ」
それを聞いてほっとしたけど、次いであれ、と思う。吾郎くんは、初めから喋ることが出来ていたからだ。ウドさんのこの言い方だと、アーニャさんはそれこそニンフの様に真っさらな状態で生まれ落ちた様だ。だけど、口を挟む前にウドさんはどんどん続きを喋り続けてしまう。
もしかしたら、ずっと誰かにこうして話したかったのかもしれない。マンドラゴラという未知の植物と共に暮らしている人間なんて、ウドさん以外にはもしかしたら私しかいないのかもしれないから。
「アーニャが教えてくれましたネ。初めてワタシの声を聞いた時、どんな人が喋ってるのか知りたくなって目を開けたそうデス。ワタシを見て笑ったのは、ワタシのことをその時に愛したからだそうデスネ。人型マンドラゴラは、根から切り離される前に呼びかけて目を合わせることに成功した者だけが、人型マンドラゴラと切り離されたその根の両方を手に入れることが出来るのデス。気に食わない声だと目を開けないこともあるとアーニャに聞いて、この声を与えてくれた両親に感謝しましたネ」
ドキリとした。ウドさんの言葉は、私と吾郎くんの間で交わされた先日の会話と一緒だったからだ。声を聞かされたからといって誰にでも目を開く訳ではないらしいと聞いて、少し安堵する。確かに、同性や動物に声を掛けられて目を開けてしまっては、マンドラゴラも呼びかけた方も困るだろう。だけど、これが指し示す意味は。
私達にも同じルールが適用されるとしたら、吾郎くんは初めから私を庇護者としてではなく恋愛対象として見ていたことにならないか――。
私は余計な思考を停止し、ウドさんの話に集中することにした。
「その三年の間に、ワタシは世界中を飛び回りましたネ。でも、アーニャは絶対ワタシと一緒に行きませんデシタ。外の知らない世界が怖いのかと思っていましたガ、アーニャと意思の疎通が出来る様になって、ようやくその意味が分かったのデス」
「意味……?」
気になって、身を乗り出す。それはまるで、伝承にあった根子神様の子孫の傾向そのものだったからだ。ウドさんが、真剣な表情で頷く。
「ちょっとの間なら、生まれた土地から離れるのは大丈夫ですネ。でも、離れていると段々枯れてしまうとアーニャが言ってましたですネ」
「……枯れる? どういうことですか」
ウドさんが肩を竦める。
「その言葉の通りですネ。アーニャは、土が合わないからだと言ってましたネ。元々人型マンドラゴラが自生する場所は限られていて、そこは聖域と人々に呼ばれる場所が多いことも、調べていく内に分かっったですネ」
「聖域……」
そういえば、根子神様の伝承にもあったじゃないか。山神様の聖域から身を投げたと。その聖域は、土砂崩れによって崩れ落ちた。だけど、元は高い場所にあった聖域が麓の一部となっていたと仮定したら。吾郎くんが生えた場所が、その聖域だった場所だったとも考えられる。
すると、あの土地の下には、かつて土流に呑み込まれた村の人達が眠っているんじゃないか。そして、秋野家代々の墓は、あの場所から先に行った所にあるのだ。何十人、いや、下手したら何百人もの命を呑み込んだ聖域で生まれた吾郎くん。アーニャさんとの違いは、そこじゃないか。
アーニャさんは、言葉を知らなかった。それは、聖域の土の下に何も埋まってなかったからでは。吾郎くんは、初めから言葉を知っていた。根子神様も最初から喋っていたみたいだから、それまで疑問に思っていなかった。でも、根子神様が生まれる前から、沢山の人身御供がその身を捧げて亡くなっていたじゃないか。
先程、吾郎くんが地面に手のひらを付け、ソナーの様に辺りを探っていたことを思い出した。かなりの広範囲を探していた様に見えたけど、根っこを這わすだけでそんなことが分かるのか。
だけど、もし草木にマンドラゴラの様な明確なものではなくとも意識が存在するならば。そしてそれを共有することが出来るのならば、ああいった探知も有効になり得る。
そして、思いを抱え亡くなった人は土へと還る。その土は草木の養分となり、それがやがては生まれてくる吾郎くんへ知識を与えたとしたら、吾郎くんが最初から言葉を理解していたのもの納得だ。
吾郎くんは、根子神様と吾郎くんは別のマンドラゴラだと言っていた。ウドさんも言っていたじゃないか。元々人型マンドラゴラが自生する場所は限られている、と。その聖域が持つ何らかのパワーが作用しないと人型マンドラゴラが生まれないとしたら、逆に言えば、人型マンドラゴラは毎回同じ場所に自生するとも言える。
「美空サン? 聞いてますカ?」
「はっ」
ウドさんが、私の目の前で手を振っていた。またやってしまったらしい。
「す、すみません。聞いてますが、ちょっと考え込んでしまいまして」
「美空サンは、マンドラゴラについては何も知らなかったですカ?」
「はい、そうなんです。ある日突然吾郎くんが生えてきて、びっくりしました」
「あはは、ワタシ達はビックリ仲間ですネ」
ウドさんが握手を求めて手を差し出したけど、吾郎くんが伸ばした私の手を取って握ってしまい、握手は叶わなかった。話は聞くけど、信用は一切してませんよということだろう。ウドさんは器用に片眉を上げると、またもや肩を竦めてから手を引っ込めた。
「デスので、アーニャを連れて歩くのは諦めまシタ。だったら、アーニャのいる場所をワタシの本拠地にしてしまえばイイ。そう思ったワタシは、アーニャの生まれた土地周辺を全て買い取る為、アーニャが切り離した土に埋もれたままの根を薬酒にし、販売することにしたのです。初めの頃は、濃度が分からなくて実験の日々だったんですガ、現地の実験協力者は腐るほどいましたからネ。その内わざとらしくない効果的な濃度の薬酒を作ることに成功しまシタ。一回の量や効果の持続性などの情報がありませんト、売り物にならないですからネ」
現地の実験協力者。一体その場所がどこなのかも不明だけど、叶わぬ恋する者はどこにでもいる。そういった人々に、協力という名目で薬を使わせたのだ。ウドさんは悪びれもせずバチンという音が聞こえそうなウインクをしたけど、正直私はひやりとした感情を抑えることが出来ずにいた。
相手の意思に関係なく惚れさせる媚薬。その効果のほどは不明だけど、ウドさんの言い方ではかなり強力な様だ。もし自分を嫌っている相手にそれを飲ませ、自分に惚れさせることが出来たら。いや、媚薬を使うくらいだ。元々相手にされていない確率の方が、遥かに高い。そんな人間に無理やり惚れさせられ、そしてある日突然気付いたら嫌いな相手と恋人や夫婦になっていたらと考えると。――恐ろしかった。
そういった恐ろしいことを、目の前にいるこの陽気な外国人は、悪びれもせずに話しているのだ。文化の違いなのか、それとも祈祷師の中では常識なのか。とりあえず根っからの商売人だというのは理解したけど、その考え方まで理解したいとは思えなかった。
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