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其の五 泣きぼくろ
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結局今年もお通夜みたいに静まり返ってしまった夕飯が終わると、父さんは俺にそのまま自分の席に留まる様に言った。
母さんは食器類を台所へと持っていくと、そのまま背中を向けて洗い物を始めてしまった。聞きたくない、そういうことだ。花は所在なさげに彷徨いていたが、母さんが花にお皿を拭いてくれるかと頼むと、あからさまにほっとした表情をして台所へと行ってしまった。
どういう顔をしたらいいかがさっぱり分からず、考えていることがよく読めない表情をしている父さんの顔をぼんやりと眺める。今から何が始まるんだろうか。この場から逃げたら、どうなるんだろう。
「宗二」
父さんが呼んだが、俺には自分が太一だという自覚しかない。だから、返事はしなかった。父さんはその程度は想定していたのか、そのまま話し始める。
「あの日、公園でいなくなったのは太一の方だよ」
父さんの目を、見た。
「三人でかくれんぼをしていて、太一が見つからないからって花ちゃんが泣きながらうちに飛び込んできたことを、父さんはよく覚えている」
花の背中を見る。花はこちらの話を聞いている感じだったが、振り向いてはくれなかった。狡いぞ花。お前だって一緒にいた筈なのに、何で俺だけこんな目に遭ってるんだよ。
「父さんと花ちゃんの父さんが急いで公園に行くと、お前は太一がいない、太一がいないって泣き叫んでてな。辺りは段々暗くなるしこりゃ拙いと思って、急いで青年団の人達を呼んで、夜通し探した。警察の人も来て探したけど全然見つからなくて、花ちゃんに状況を聞いても見てなかったって言うし、知ってそうなお前は話しかけるとパニックになってね」
全く覚えていない。あの頃のことは靄にかかった様にあやふやで、花がいたことしか覚えていなかった。花が繰り返し繰り返し、泣いている俺に向かって何かを言っていた。でも、その何かが思い出せない。
父さんは、容赦なく続けた。
「父さん達も、一所懸命探したんだ。だけど全然見つからなくて、こりゃ山の方に行っちゃったんじゃないかとそっちも探したんだが、結局何も見つからなかった。お前も知っての通り、熊の爪痕が見つかるまでは、どこか他の町にでも行って保護されてるんじゃないかとも思ったりしてたんだけどね」
台所に立つ母さんの背中は、震えていた。花が、その背中にそっと手を当てている。
「お前の様子がおかしかったことは、父さんも母さんも分かっていた。分かっていて放っておいた。だから悪いのは僕達だ」
今度は、父さんを真っ直ぐに見た。放っておいたって仕方ないだろう。片方は、生死も分からない状態だ。もう片方が生きて家にいるなら、子供を愛している親ならそうなってしまうのは俺にだって分かる。首を、ゆっくりと横に振った。そんなことないよ、という意味を込めて。
「父さん達がとうとう諦めて普通の生活に戻ってきた時、事情を聞いたお前は、それまで布団に籠もって泣いていたのに、突然ケロッとした顔をして布団から出てきて言ったんだ」
俺は一体、何を言ったのか。全く記憶がない。
「父さん母さん、俺が宗二の分までちゃんと生きるからもう泣かないで、とな」
台所から、母さんの嗚咽が聞こえた。
「僕達は焦った。これまで少し引っ込み思案だった宗二は自分のことを僕と呼んでいたのに、外見が殆ど一緒だから、本当に太一が戻ってきたのかと思ったよ。でもお前は宗二だ。絶対宗二だ」
「……なんでそう言い切れるのさ」
俺はまだ自分が太一だと思っている。ふ、と父さんは笑って答えた。
「太一にあった泣きぼくろがお前にはないからな」
ドン! と心臓の上を叩かれた様な衝撃を覚えた。急ぎ立ち上がると、洗面所へと向かう。そうだ、太一といえば泣きぼくろ。そっくりな俺と宗二を見分けるのはそれが手っ取り早いと、周りはいつも言っていた。だから俺にはちゃんとある、鏡に映る顔にはちゃんと目の下にほくろが――。
洗面所の照明を点けた。鏡に、いつもの俺の顔が映る。少し余裕のない表情をしているが、ちゃんと俺だ。そしてほら、目の下にちゃんとほくろが……
「なんでだよ‼」
俺は叫んだ。あった筈だ、確かにこれまではあったのに。
「なんでなくなってるんだよ⁉ 俺、俺……‼」
鏡に映っているのは、泣きぼくろのない宗二の顔だった。どうしても信じられなくて、信じたくなくて、頭を抱えて叫ぶ。
「あああああああっ‼」
すると、俺を上からガバっと抱き締めた人がいた。この柔らかさは、母さんだ。ひっくひっくと泣きながら、それでも俺を守る様にきつく抱き締める。
「ごめんね宗ちゃん! お母さん達が太一太一ってばっかり言ってたから、だから優しい宗ちゃんは自分を太一だと思い込んじゃったのよね⁉」
「母さん……?」
「一番つらいのは、目の前から双子のお兄ちゃんがいなくなった宗ちゃんだった筈なのに! お母さん達は、自分のことばっかりで!」
涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げる。ボロボロ泣く母さんの顔が、すぐ近くにあった。
「また宗ちゃんを苦しめたくなくて、それで父さんにこのままにさせようって母さんが説得したの!」
「え……?」
俺を抱く母さんは、思っていたよりも小さかった。こんな小さな身体で、俺を守ろうとしたのだ。
「だけど、代わりに宗ちゃんがいなくなっちゃったんじゃないかって思えて……! 何度も元に戻そうって思ったのよ⁉ でも優しいところは宗ちゃんそのままで、なのにいっちゃんも一緒にいる様に思えて、だからお母さん、どうしても言い出せなくて‼」
「母さん……」
そうだ、母さんはずっと太一のことをいっちゃんと呼んでいた。一体いつから太一と呼ぶ様になったのか。それを思い返して、――熊の爪痕が見つかった日からだ、とようやく思い出した。
太一という呼び方は、俺、宗二が太一として生きている時の呼び方だったんだ。それが、母さんのせめてもの抵抗だったんだ。
「だから、悪いのは母さんなの! ごめん、ごめん、宗ちゃん……!」
母さんは、俺の背中をトントンしながら涙声で続ける。
「宗ちゃん、今日ね、いっちゃんは死んだの。だからね、だからお願い。宗ちゃん、戻ってきて……!」
「母さん……ううっうあああああっ!」
俺は、泣いた。母さんの腕の中で、子供みたいに泣き疲れるまで泣き続けた。
そしてやっと、俺は宗二だったのだ、と思った。
母さんは食器類を台所へと持っていくと、そのまま背中を向けて洗い物を始めてしまった。聞きたくない、そういうことだ。花は所在なさげに彷徨いていたが、母さんが花にお皿を拭いてくれるかと頼むと、あからさまにほっとした表情をして台所へと行ってしまった。
どういう顔をしたらいいかがさっぱり分からず、考えていることがよく読めない表情をしている父さんの顔をぼんやりと眺める。今から何が始まるんだろうか。この場から逃げたら、どうなるんだろう。
「宗二」
父さんが呼んだが、俺には自分が太一だという自覚しかない。だから、返事はしなかった。父さんはその程度は想定していたのか、そのまま話し始める。
「あの日、公園でいなくなったのは太一の方だよ」
父さんの目を、見た。
「三人でかくれんぼをしていて、太一が見つからないからって花ちゃんが泣きながらうちに飛び込んできたことを、父さんはよく覚えている」
花の背中を見る。花はこちらの話を聞いている感じだったが、振り向いてはくれなかった。狡いぞ花。お前だって一緒にいた筈なのに、何で俺だけこんな目に遭ってるんだよ。
「父さんと花ちゃんの父さんが急いで公園に行くと、お前は太一がいない、太一がいないって泣き叫んでてな。辺りは段々暗くなるしこりゃ拙いと思って、急いで青年団の人達を呼んで、夜通し探した。警察の人も来て探したけど全然見つからなくて、花ちゃんに状況を聞いても見てなかったって言うし、知ってそうなお前は話しかけるとパニックになってね」
全く覚えていない。あの頃のことは靄にかかった様にあやふやで、花がいたことしか覚えていなかった。花が繰り返し繰り返し、泣いている俺に向かって何かを言っていた。でも、その何かが思い出せない。
父さんは、容赦なく続けた。
「父さん達も、一所懸命探したんだ。だけど全然見つからなくて、こりゃ山の方に行っちゃったんじゃないかとそっちも探したんだが、結局何も見つからなかった。お前も知っての通り、熊の爪痕が見つかるまでは、どこか他の町にでも行って保護されてるんじゃないかとも思ったりしてたんだけどね」
台所に立つ母さんの背中は、震えていた。花が、その背中にそっと手を当てている。
「お前の様子がおかしかったことは、父さんも母さんも分かっていた。分かっていて放っておいた。だから悪いのは僕達だ」
今度は、父さんを真っ直ぐに見た。放っておいたって仕方ないだろう。片方は、生死も分からない状態だ。もう片方が生きて家にいるなら、子供を愛している親ならそうなってしまうのは俺にだって分かる。首を、ゆっくりと横に振った。そんなことないよ、という意味を込めて。
「父さん達がとうとう諦めて普通の生活に戻ってきた時、事情を聞いたお前は、それまで布団に籠もって泣いていたのに、突然ケロッとした顔をして布団から出てきて言ったんだ」
俺は一体、何を言ったのか。全く記憶がない。
「父さん母さん、俺が宗二の分までちゃんと生きるからもう泣かないで、とな」
台所から、母さんの嗚咽が聞こえた。
「僕達は焦った。これまで少し引っ込み思案だった宗二は自分のことを僕と呼んでいたのに、外見が殆ど一緒だから、本当に太一が戻ってきたのかと思ったよ。でもお前は宗二だ。絶対宗二だ」
「……なんでそう言い切れるのさ」
俺はまだ自分が太一だと思っている。ふ、と父さんは笑って答えた。
「太一にあった泣きぼくろがお前にはないからな」
ドン! と心臓の上を叩かれた様な衝撃を覚えた。急ぎ立ち上がると、洗面所へと向かう。そうだ、太一といえば泣きぼくろ。そっくりな俺と宗二を見分けるのはそれが手っ取り早いと、周りはいつも言っていた。だから俺にはちゃんとある、鏡に映る顔にはちゃんと目の下にほくろが――。
洗面所の照明を点けた。鏡に、いつもの俺の顔が映る。少し余裕のない表情をしているが、ちゃんと俺だ。そしてほら、目の下にちゃんとほくろが……
「なんでだよ‼」
俺は叫んだ。あった筈だ、確かにこれまではあったのに。
「なんでなくなってるんだよ⁉ 俺、俺……‼」
鏡に映っているのは、泣きぼくろのない宗二の顔だった。どうしても信じられなくて、信じたくなくて、頭を抱えて叫ぶ。
「あああああああっ‼」
すると、俺を上からガバっと抱き締めた人がいた。この柔らかさは、母さんだ。ひっくひっくと泣きながら、それでも俺を守る様にきつく抱き締める。
「ごめんね宗ちゃん! お母さん達が太一太一ってばっかり言ってたから、だから優しい宗ちゃんは自分を太一だと思い込んじゃったのよね⁉」
「母さん……?」
「一番つらいのは、目の前から双子のお兄ちゃんがいなくなった宗ちゃんだった筈なのに! お母さん達は、自分のことばっかりで!」
涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げる。ボロボロ泣く母さんの顔が、すぐ近くにあった。
「また宗ちゃんを苦しめたくなくて、それで父さんにこのままにさせようって母さんが説得したの!」
「え……?」
俺を抱く母さんは、思っていたよりも小さかった。こんな小さな身体で、俺を守ろうとしたのだ。
「だけど、代わりに宗ちゃんがいなくなっちゃったんじゃないかって思えて……! 何度も元に戻そうって思ったのよ⁉ でも優しいところは宗ちゃんそのままで、なのにいっちゃんも一緒にいる様に思えて、だからお母さん、どうしても言い出せなくて‼」
「母さん……」
そうだ、母さんはずっと太一のことをいっちゃんと呼んでいた。一体いつから太一と呼ぶ様になったのか。それを思い返して、――熊の爪痕が見つかった日からだ、とようやく思い出した。
太一という呼び方は、俺、宗二が太一として生きている時の呼び方だったんだ。それが、母さんのせめてもの抵抗だったんだ。
「だから、悪いのは母さんなの! ごめん、ごめん、宗ちゃん……!」
母さんは、俺の背中をトントンしながら涙声で続ける。
「宗ちゃん、今日ね、いっちゃんは死んだの。だからね、だからお願い。宗ちゃん、戻ってきて……!」
「母さん……ううっうあああああっ!」
俺は、泣いた。母さんの腕の中で、子供みたいに泣き疲れるまで泣き続けた。
そしてやっと、俺は宗二だったのだ、と思った。
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