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其の十九 二段ベッド
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その後、皆の傍から離れぬ様、ずっとリビングのソファーでスマホを弄りながらテレビを観ていた。
いや、正確には、ただ両方の液晶画面を交互に眺めていただけだ。ニュースが終わり、バラエティ番組が始まっても、そわそわと全然落ち着かない。
当然ながら、内容は何も入ってきてはいなかった。
チラ、と時折、母さんと花の手を確認するのを、どうしてもやめられない。
「あなたも少しは手伝いなさい」
母さんが、嗜める様に声を掛ける。のっそりと起き上がると、言われた通り、食卓に積まれている取り皿と箸を配置し始めた。
あれからは、何も異常はない。あれはノックじゃなく、屋根に何か落ちてきたんだろう。きっとそうだと思いたいのに、ちっとも信じていない自分がいる。
どうしよう、自分の家なのに、怖い。
「太一……じゃない宗ちゃん、これを」
太一と呼ばれた瞬間、馬鹿みたいにぎょっとしてしまった。
あまりにも酷い顔をしていたのだろう、俺の顔を見た母さんが、申し訳なさそうな笑みを浮かべた。
「……ごめん、母さん失敗しちゃった」
「いや、そうじゃないよ、ちょっとビックリしただけで」
「ごめんね、気を付けるから」
いいと言っているのに両手を合わせられ、微妙な笑みしか返すことが出来なかった。謝る必要なんて、どこにもない。これは元々が、俺の所為なのだから。
正直、家の中はまだギクシャクしている。それも仕方ないのかもしれないが、掛け違えた感はどうしても拭えなかった。
俺の迷いを察したのか、台所に立っていた花が、小さな笑顔を向ける。
それを見て、ようやく俺の中の恐怖が薄れてきた。現金なものだ。同じ恐怖を味わった花が落ち着いているからだろうか。
落ち着いてくると共に、俺の頭も段々冷静且つ現実的なものに切り替わり始めた。
そうだ、太一の死に向き合い太一を自分の中できちんと成仏させたら、あの幻だか幽霊だか分からないものは、もしかしたら出て来なくなるんじゃないか、と。
多分、あれはきっと幻覚だ。そしてあのノックだと思えたのは、何かが屋根に落ちてきただけだ。母さんがこちらの声が聞こえないと言ったのは、何か考え事でもしていたからに違いない。母さんは、昔から集中すると周りの声が聞こえなくなったりするのだ。
なんだ、考えてみたら全部説明がつくじゃないか。
急に肩の力が抜けた。
もし次に手や足を見かけたら、その先に身体や顔がないか見ればいい。考えてみたら、自分の恐怖心から、ただの影を手や足に見間違えている可能性は非常に高い。太一の幻でも幽霊でも、太一が自分を恨むことがある筈がないのだから。
途端、急に自分が現実に戻ってきた様な感覚を味わった。
これまでは、例えるならばそう、ホラー小説を読み終わってもまだその世界の中に入り込んでしまっている様な感じだったが、段々小説の世界を脱していくにつれ、自分の世界には小説みたいなことは起こり得ない、と脳みそが納得していく感覚に似ている。
「今日は父さんは?」
「それが、会社の飲み会だって。お父さんお酒飲まないから、いっつも運転手代わりに呼ばれちゃうのよね、困っちゃうわ全く」
「あー、じゃあ帰りは遅いね」
「でしょうねえ」
はあ、と母さんが大袈裟な溜息をついた。父さんは寡黙な人ではあるが、取り立てて躾に厳しい訳ではなく、静かだからといって無愛想な訳でもなく、会社でもそつなくこなしているんだろうな、と思う。
集団の中で肩肘を張らずに自分のスタンスを守っていけるのは凄い、と息子の俺は思う訳だが、学生だったのが遥か昔で働いたこともない母さんには、その凄さが分からないらしい。
思えば、太一として学校で過ごしていた時は父さんを参考にしていたかもしれないな、と気付く。目立ち過ぎず、かといって話をしない訳でもなく、バランスを取る。お手本がそこにあったから出来た芸当かもしれない。
そんなことをぐだぐだと考えている間に、先程まで俺の中に満ちていた恐怖を完全に忘れ去ることに成功した。
「お、美味しそう」
「ちょっと宗ちゃん、つまみ食いは駄目だよ」
花が笑顔でたしなめる。うん、ちょっと新婚みたいだななんて思った俺は、見事なまでに完全復活を遂げていた。
◇
「花、明日も部活?」
「うん、そうだよ」
俺の部屋にある二段ベッドの上段から、花の返事が聞こえた。
我が家には、父さんと母さんの寝室と俺達双子の子供部屋、あとは空いている部屋が一つあるのだが、空いているとは人に割り振られていないだけであって、実際のところは物置と化している。
元々は、俺達が大きくなったら部屋も分けたいだろうと空けておいたものらしいが、太一が帰ってこなくなってからもそこを他に転用することが出来なかったのだろう。
いつか帰って来るのでは、大きくなって帰って来て、自分の部屋が欲しいなんて言うのでは。そんな淡い期待を、恐らく母さんは捨てられなかったのだ。
この二段ベッドもそれと一緒だった。宗二だと思っていた太一がひょっこり戻ってきた時に、自分の寝場所がないと、きっと悲しむに違いない。これは、俺が残す様に父さんを説得した記憶がある。
でも、考えてみたら太一はいつも上段で寝ていた。宗二の俺は下段。俺は、自分を太一と偽りながら、ずっと下段で寝続けていた。太一のふりをしていながらも、実際は穴だらけだったのが今になると分かる。
ということで、我が家には客の寝場所は太一の上段ベッドしかない。年頃の男女が同じ部屋で寝ることに、うちの両親は本当に何も感じないのか。
いや、今日のあの様子だと、もしかしたら間違いがあってもいいんじゃないかと思っている節すらある。母さんならあり得る。花を嫁にと思っている様な人だから。
既成事実。――やはり明日はコンビニに行かねばなるまい。
「俺も一緒に行くから」
「……うん」
「おやすみ」
「うん、おやすみ」
少し興奮する身体を、他のことを考えて誤魔化すことにする。
瞼を瞑ると、裏山の鬱蒼と生い茂る闇にも近い黒色と、それに反比例する様な夏空が広がっていった。
いや、正確には、ただ両方の液晶画面を交互に眺めていただけだ。ニュースが終わり、バラエティ番組が始まっても、そわそわと全然落ち着かない。
当然ながら、内容は何も入ってきてはいなかった。
チラ、と時折、母さんと花の手を確認するのを、どうしてもやめられない。
「あなたも少しは手伝いなさい」
母さんが、嗜める様に声を掛ける。のっそりと起き上がると、言われた通り、食卓に積まれている取り皿と箸を配置し始めた。
あれからは、何も異常はない。あれはノックじゃなく、屋根に何か落ちてきたんだろう。きっとそうだと思いたいのに、ちっとも信じていない自分がいる。
どうしよう、自分の家なのに、怖い。
「太一……じゃない宗ちゃん、これを」
太一と呼ばれた瞬間、馬鹿みたいにぎょっとしてしまった。
あまりにも酷い顔をしていたのだろう、俺の顔を見た母さんが、申し訳なさそうな笑みを浮かべた。
「……ごめん、母さん失敗しちゃった」
「いや、そうじゃないよ、ちょっとビックリしただけで」
「ごめんね、気を付けるから」
いいと言っているのに両手を合わせられ、微妙な笑みしか返すことが出来なかった。謝る必要なんて、どこにもない。これは元々が、俺の所為なのだから。
正直、家の中はまだギクシャクしている。それも仕方ないのかもしれないが、掛け違えた感はどうしても拭えなかった。
俺の迷いを察したのか、台所に立っていた花が、小さな笑顔を向ける。
それを見て、ようやく俺の中の恐怖が薄れてきた。現金なものだ。同じ恐怖を味わった花が落ち着いているからだろうか。
落ち着いてくると共に、俺の頭も段々冷静且つ現実的なものに切り替わり始めた。
そうだ、太一の死に向き合い太一を自分の中できちんと成仏させたら、あの幻だか幽霊だか分からないものは、もしかしたら出て来なくなるんじゃないか、と。
多分、あれはきっと幻覚だ。そしてあのノックだと思えたのは、何かが屋根に落ちてきただけだ。母さんがこちらの声が聞こえないと言ったのは、何か考え事でもしていたからに違いない。母さんは、昔から集中すると周りの声が聞こえなくなったりするのだ。
なんだ、考えてみたら全部説明がつくじゃないか。
急に肩の力が抜けた。
もし次に手や足を見かけたら、その先に身体や顔がないか見ればいい。考えてみたら、自分の恐怖心から、ただの影を手や足に見間違えている可能性は非常に高い。太一の幻でも幽霊でも、太一が自分を恨むことがある筈がないのだから。
途端、急に自分が現実に戻ってきた様な感覚を味わった。
これまでは、例えるならばそう、ホラー小説を読み終わってもまだその世界の中に入り込んでしまっている様な感じだったが、段々小説の世界を脱していくにつれ、自分の世界には小説みたいなことは起こり得ない、と脳みそが納得していく感覚に似ている。
「今日は父さんは?」
「それが、会社の飲み会だって。お父さんお酒飲まないから、いっつも運転手代わりに呼ばれちゃうのよね、困っちゃうわ全く」
「あー、じゃあ帰りは遅いね」
「でしょうねえ」
はあ、と母さんが大袈裟な溜息をついた。父さんは寡黙な人ではあるが、取り立てて躾に厳しい訳ではなく、静かだからといって無愛想な訳でもなく、会社でもそつなくこなしているんだろうな、と思う。
集団の中で肩肘を張らずに自分のスタンスを守っていけるのは凄い、と息子の俺は思う訳だが、学生だったのが遥か昔で働いたこともない母さんには、その凄さが分からないらしい。
思えば、太一として学校で過ごしていた時は父さんを参考にしていたかもしれないな、と気付く。目立ち過ぎず、かといって話をしない訳でもなく、バランスを取る。お手本がそこにあったから出来た芸当かもしれない。
そんなことをぐだぐだと考えている間に、先程まで俺の中に満ちていた恐怖を完全に忘れ去ることに成功した。
「お、美味しそう」
「ちょっと宗ちゃん、つまみ食いは駄目だよ」
花が笑顔でたしなめる。うん、ちょっと新婚みたいだななんて思った俺は、見事なまでに完全復活を遂げていた。
◇
「花、明日も部活?」
「うん、そうだよ」
俺の部屋にある二段ベッドの上段から、花の返事が聞こえた。
我が家には、父さんと母さんの寝室と俺達双子の子供部屋、あとは空いている部屋が一つあるのだが、空いているとは人に割り振られていないだけであって、実際のところは物置と化している。
元々は、俺達が大きくなったら部屋も分けたいだろうと空けておいたものらしいが、太一が帰ってこなくなってからもそこを他に転用することが出来なかったのだろう。
いつか帰って来るのでは、大きくなって帰って来て、自分の部屋が欲しいなんて言うのでは。そんな淡い期待を、恐らく母さんは捨てられなかったのだ。
この二段ベッドもそれと一緒だった。宗二だと思っていた太一がひょっこり戻ってきた時に、自分の寝場所がないと、きっと悲しむに違いない。これは、俺が残す様に父さんを説得した記憶がある。
でも、考えてみたら太一はいつも上段で寝ていた。宗二の俺は下段。俺は、自分を太一と偽りながら、ずっと下段で寝続けていた。太一のふりをしていながらも、実際は穴だらけだったのが今になると分かる。
ということで、我が家には客の寝場所は太一の上段ベッドしかない。年頃の男女が同じ部屋で寝ることに、うちの両親は本当に何も感じないのか。
いや、今日のあの様子だと、もしかしたら間違いがあってもいいんじゃないかと思っている節すらある。母さんならあり得る。花を嫁にと思っている様な人だから。
既成事実。――やはり明日はコンビニに行かねばなるまい。
「俺も一緒に行くから」
「……うん」
「おやすみ」
「うん、おやすみ」
少し興奮する身体を、他のことを考えて誤魔化すことにする。
瞼を瞑ると、裏山の鬱蒼と生い茂る闇にも近い黒色と、それに反比例する様な夏空が広がっていった。
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