神隠しの子

ミドリ

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其の二十 ぶどう味

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 夢の中で、俺は子供に戻っていた。

 日陰になった裏の縁側に寝転がって、昼寝をしようとしているところだ。この縁側は午後になると日陰になるので、小さい頃は、よくここに漫画を持ってきては座布団を半分に折って枕にし、読み耽った。

 夢の中の俺も、漫画を読んでいる。題名は覚えていないが、何度も読んだ漫画だ。大して面白くもなかったが、文字が多いから読むのに時間がかかる。ただそれだけの為に選ばれた、一冊。

 漫画もあまり読まない太一は、俺が漫画を読み始めると相手にされなくなることをよく知っていたので、縁側から降りた先の雑草を掻き分けバッタを掴まえたりしていた。それを虫かご一杯に詰め、縁側に置きっぱなしにしてはよく母さんに悲鳴を上げさせていた。

「宗二、終わった?」

 虫を捕まえるのに飽きると、読んでいる漫画の上を引いて人の顔を覗き込んでくる。女顔だとクラスメートにからかわれ、そいつの腹を蹴飛ばし母さんが謝りに行くということを何度も繰り返す、目の下に泣きぼくろがある俺と同じ様で違う顔。

 俺に構ってもらいたくて、いつも俺の邪魔をしてくる、切れ長の期待に満ちたキラキラした瞳。

 花が一緒にいない時はつまらないので、こうして漫画の世界にどっぷりとはまっては、その虚しい時間をただ消費した。

 花がいないんだから二人で遊ぼう、と太一はいつもしつこいが、俺は花がいい。どうして分かってくれない、太一にもそういう相手が出来たら分かるよ。

 そう言ったところで無駄なのは分かっていたから、いつも黙るしかなかった。俺が無視したと言って太一は怒るが、生まれてから片時も離れずずっと一緒だ。

 たまには離れたいと思うのは、冷たいのだろうか。

 背中を向け、また漫画を読み始める。背中から、太一がわざとらしい大きな溜息をつくのが聞こえた。これもいつものことだ。

 同じページを、繰り返し読む。ああ、これは眠くなってくるやつだ。

 夢の中だというのに、睡魔は容赦なく襲い掛かってきた。目を閉じると、山の方から聞こえる、少し遠いが圧倒的な量の蝉の声。たまに違う種類の鳴き声が混じると、あいつは相方を見つけられるのかと少し不安に思った。

 俺が花を見つけた様に、うまくいくといいな。そんなことを思う。

 太一の声が、水の中にいる様にくぐもって聞こえる。どうせ俺を呼ぶ声だ。いつも太一は、俺しか呼ばない。

「――宗二? 寝ちゃったのか?」

 こんな記憶、あっただろうか。夢の中で、不思議に思う。何故、寝ているのにこの声を聞いているのだろうか。

「宗二」

 太一の声が、近くから聞こえる。俺の手から漫画を取ると、それを床に伏せるパサリという乾いた音が聞こえた。

 太一が俺を覗き込む影で、辺りが暗くなる。

 知っている。自分と同じ顔なのに、太一はよくこうやって人の顔を見つめることがあった。鏡で自分を見れば済む話なのに、何故わざわざこんなことをするのか、といつも不思議に思う。

 やめてほしい。だが、身体が金縛りにあった様に重くて動かない。意識だけがまだ辛うじて残っているが、もう身体は寝てしまっている様だった。

 太一の顔が、ゆっくりと近付く。

 柔らかい太一の唇が、俺の唇に触れた。

 おぞましさが、身体中を駆け巡る。これは夢だ、こんな記憶、俺は知らない。そう考えても、夢の中の太一の行動が中断されることはなかった。

 やめろよ、なんでそんなことをするんだ。俺は太一の弟だ、お前の花じゃない。おかしい、だから太一といるのは嫌なんだ。

 起きたいのに、抵抗したいのに、身体が動かない。嫌だ、嫌なんだ。

 一度離れた太一の口が、今度は俺の下唇を軽く食んだ。

 嘘だろ、やめろ、やめろ、嫌だ。

 太一がさっき食べていた、ぶどう味の飴の匂いが鼻を刺激する。

 だから嫌い、甘い物は大嫌いなんだ。

 太一の手が、俺の太ももに触れた。気持ち悪さを伴う絶望が、俺を襲う。相変わらず身体は全く言うことを聞いてくれず、太ももの上に置かれた太一の手が、少しずつ股間へと近付いていった。

 知ってる? 大人ってここが勃つらしいぜ、なんて太一が笑っていたことがあった。宗二のもなったりするのかな、そう聞かれた記憶が蘇る。なんで俺で試そうとするんだ、俺は子供だよ、無理だから触らないで、やめてくれ――

 太一の手が、服の上から俺の股間に触れた。

「――やめろよっ!!」

 呪縛から解放された途端、叫んで飛び起きた。その勢いで二段ベッドの上段にガン! と思い切り頭をぶつける。

「っあいたあ……!」

 これは剥げたんじゃないかという位、擦った跡が痛い。

「そ、宗ちゃん?」

 ベッドの上から、花の焦った声が聞こえた。下から突き上げられて大声を出されたのだ。そりゃあ起きるだろう。

 花の声が、ここが現実なのだと教えてくれた。

 帰ってきた、花の元に帰ることが出来たんだ。

 目尻に滲んだ涙は、痛みの所為か、それとも安堵によるものだろうか。

 ズキズキと痛む頭を押さえながら、謝った。

「ご、ごめん花、ちょっと寝惚けて」
「びっくりしたー……」
「悪い、本当ごめん」

 あは、と花が小さく笑う。

「まあ寝惚けたなら仕方ないけど、大丈夫? 凄い衝撃だったけど」
「うん、まあまあ痛い」
「だよね……」

 花が、上からひょっこりと目を覗かせた。途端、既視感が押し寄せる。これは、何度も見たから。

 でも、これは花だ。俺の好きな、花だ。

 無理矢理に笑顔を作ると、逆さになっている花の頭を撫でた。

「大丈夫、ありがと」
「本当?」
「ああ、起こしてごめん。おやすみ」
「うん、おやすみ」

 花はそのまま上へと消えていくと、寝転がる音が聞こえてきた。すぐ上の見えない空間にに花が浮いていることで安堵し、自分も横になる。

 あんな夢を見たからだろう、あそこが少し硬くなっていた。夢なのに残る、触られた感覚。

 そして、ぶどう味の飴の匂いが鼻に残っていた。

 俺を呼ぶ太一の声は、普段にはない狂おしそうな声色だった。忘れていた感情と、何故忘れていたのかの理由もが、コップから溢れる水の様に心の底を浸していく。

 太一は、俺を愛していたのだ。だが、俺はそれを認めたくなかった。

 硬く目を閉じても、忘れていたこの事実は、暫く夢の世界へと旅立つことを許してはくれなかった。
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