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其の五十一 沈みそうな足
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柵を越え、ふかふかの土の上に足を降ろす。踏み締める度に少し沈む地面は、このままズブズブと足を取られその内抜け出せなくなるのでは、という錯覚を起こさせた。
ここからは、太一という死人の領域だ。沈んでいったら、もう太一から逃げられないのではないか。
普通ならばあり得ない考えが俺の心を占め、なるべく地面を踏みしめない様に足を高めに上げて歩く。馬鹿馬鹿しいとは思うが、そうでもしないと不安だった。
森の中に踏み込んだ瞬間から、叫びとも思える音量の蝉の声は、土砂降りの様に上から打ち付けてきている。あいつらが束になって襲ってきたりしたら、俺達は一瞬で黒く覆われてしまうに違いない、と不穏な想像をしてしまった。
こちらの様子を観察する様にじっと見ていた花が、くるりと背を向ける。そのまま、微妙に傾斜する道なき道を、足音もなく下り始めた。
「ちょっと、どこに行くんだよ……」
情けないことに、声が震えた。小さく振り向いたがまたすぐに前を向いてしまった花は、足を止めない。
――仕方がない。どこに連れて行こうというのか分からなかったが、花を引き戻すのは無理な様に思えた。それに正直、今は花の身体のどこにも触れたくはない。
また迫られるのではないか。そのことが、恐怖だった。
手を回しても半周もいくかどうか位の太い幹が、先を行く花の姿を時折隠す。触れたくはないが、見失いたくもない。離れすぎない様、急ぎ後を追った。
葉の屋根が照り付ける日光を遮るからか、木々から発せられる湿気を含む空気は、どんよりと重い。水底の様な重苦しさに、俺は思わず深い息継ぎをした。
「……かくれんぼ、始めにしようって言ったの、誰だか覚えてる?」
前を向いたままの花が、尋ねてきた。ようやく、あの日の話をしてくれる気になったらしい。
花の華奢な背中を見つめた。白いTシャツは汗で張り付き、ブラジャーのピンク色までくっきりと見える。少し前までだったら興奮したその姿も、花の中身を疑い始めた今となっては、色欲の対象とはならなかった。
「……分からない。本当に全く覚えてないんだ」
「言い出したのは、宗二だよ」
懸命に思い出そうとしたが、やはり記憶の片鱗すらない。そもそも記憶していないのか、それとも自分で封じているのか、それすらも不明だった。
「ごめん、覚えてない」
「ふふ、まあいいよ」
花はまたチラリと振り返ると、いつものあの花の笑顔に近い笑顔を見せた。これが本当に本物の花かどうか、どうやって確かめることが出来るだろうか。
不意に目に差し込む木漏れ日が、視界を一瞬だけ赤に染める。日光が瞼に透けているのだろうとは思ったが、どうしても太一の赤いTシャツがそこにある様に思えて、鳩尾を押されたかの様な、苦しさにも似た不快感を覚えた。
「鬼ごっこだと、とろい花が鬼になりっ放しだから、鬼ごっこがよかったのに」
まるでここに花がいないかの様な内容を、花の口が語る。花にちらつく木漏れ日が、花が俺を異次元へと引き連れて行くかの様に見せていた。
「鬼ごっこならやらない、帰るって宗二が言うから、仕方なくかくれんぼにしてあげたのに、ジャンケンで勝ったのは宗二と花だったよね」
かくれんぼの鬼は、太一だったのか?
嘘を言っているのではないかと疑い、花の背中を目を細めて見てみたが、欺瞞は何ひとつ見抜けなかった。
「宗二は、花と手を繋いでさっさと隠れちゃった」
花が足を止める。どうしたのかと訝しむと、花の足元の先が突然途切れているのが見えた。これは、よく気を付けて見ないと分からない。管理されていない山は、公園から近い場所にすら危険が潜んでいるのか。
「人の気持ちなんか何も考えないで、宗二って残酷だよね」
ゆっくりと振り向き、後を追う俺が来るのを、太い木の幹に寄りかかりながら待つ花。その目は泣きそうになっている様に潤んでいるのに、口は笑っていた。
「二人で一緒に隠れるもんだからさ、すぐに見つかって。馬鹿だなって思ったけど、隠れている間は花と二人きりだったのかと思うと、腹が立った」
手を伸ばしても届かない程度の距離まで近付くと、俺も足を止めた。
「かくれんぼのルール、覚えてる? 次の鬼の決め方」
また、唐突だ。……何だったか。
首を傾げ考えていると、くす、と小さく花が笑った。
「最初に見つかった人が、次の鬼なんだ。……宗二、本当に一緒に遊ぶことに興味なかったんだね」
花が、悲しそうにポツリと呟いた。
ここからは、太一という死人の領域だ。沈んでいったら、もう太一から逃げられないのではないか。
普通ならばあり得ない考えが俺の心を占め、なるべく地面を踏みしめない様に足を高めに上げて歩く。馬鹿馬鹿しいとは思うが、そうでもしないと不安だった。
森の中に踏み込んだ瞬間から、叫びとも思える音量の蝉の声は、土砂降りの様に上から打ち付けてきている。あいつらが束になって襲ってきたりしたら、俺達は一瞬で黒く覆われてしまうに違いない、と不穏な想像をしてしまった。
こちらの様子を観察する様にじっと見ていた花が、くるりと背を向ける。そのまま、微妙に傾斜する道なき道を、足音もなく下り始めた。
「ちょっと、どこに行くんだよ……」
情けないことに、声が震えた。小さく振り向いたがまたすぐに前を向いてしまった花は、足を止めない。
――仕方がない。どこに連れて行こうというのか分からなかったが、花を引き戻すのは無理な様に思えた。それに正直、今は花の身体のどこにも触れたくはない。
また迫られるのではないか。そのことが、恐怖だった。
手を回しても半周もいくかどうか位の太い幹が、先を行く花の姿を時折隠す。触れたくはないが、見失いたくもない。離れすぎない様、急ぎ後を追った。
葉の屋根が照り付ける日光を遮るからか、木々から発せられる湿気を含む空気は、どんよりと重い。水底の様な重苦しさに、俺は思わず深い息継ぎをした。
「……かくれんぼ、始めにしようって言ったの、誰だか覚えてる?」
前を向いたままの花が、尋ねてきた。ようやく、あの日の話をしてくれる気になったらしい。
花の華奢な背中を見つめた。白いTシャツは汗で張り付き、ブラジャーのピンク色までくっきりと見える。少し前までだったら興奮したその姿も、花の中身を疑い始めた今となっては、色欲の対象とはならなかった。
「……分からない。本当に全く覚えてないんだ」
「言い出したのは、宗二だよ」
懸命に思い出そうとしたが、やはり記憶の片鱗すらない。そもそも記憶していないのか、それとも自分で封じているのか、それすらも不明だった。
「ごめん、覚えてない」
「ふふ、まあいいよ」
花はまたチラリと振り返ると、いつものあの花の笑顔に近い笑顔を見せた。これが本当に本物の花かどうか、どうやって確かめることが出来るだろうか。
不意に目に差し込む木漏れ日が、視界を一瞬だけ赤に染める。日光が瞼に透けているのだろうとは思ったが、どうしても太一の赤いTシャツがそこにある様に思えて、鳩尾を押されたかの様な、苦しさにも似た不快感を覚えた。
「鬼ごっこだと、とろい花が鬼になりっ放しだから、鬼ごっこがよかったのに」
まるでここに花がいないかの様な内容を、花の口が語る。花にちらつく木漏れ日が、花が俺を異次元へと引き連れて行くかの様に見せていた。
「鬼ごっこならやらない、帰るって宗二が言うから、仕方なくかくれんぼにしてあげたのに、ジャンケンで勝ったのは宗二と花だったよね」
かくれんぼの鬼は、太一だったのか?
嘘を言っているのではないかと疑い、花の背中を目を細めて見てみたが、欺瞞は何ひとつ見抜けなかった。
「宗二は、花と手を繋いでさっさと隠れちゃった」
花が足を止める。どうしたのかと訝しむと、花の足元の先が突然途切れているのが見えた。これは、よく気を付けて見ないと分からない。管理されていない山は、公園から近い場所にすら危険が潜んでいるのか。
「人の気持ちなんか何も考えないで、宗二って残酷だよね」
ゆっくりと振り向き、後を追う俺が来るのを、太い木の幹に寄りかかりながら待つ花。その目は泣きそうになっている様に潤んでいるのに、口は笑っていた。
「二人で一緒に隠れるもんだからさ、すぐに見つかって。馬鹿だなって思ったけど、隠れている間は花と二人きりだったのかと思うと、腹が立った」
手を伸ばしても届かない程度の距離まで近付くと、俺も足を止めた。
「かくれんぼのルール、覚えてる? 次の鬼の決め方」
また、唐突だ。……何だったか。
首を傾げ考えていると、くす、と小さく花が笑った。
「最初に見つかった人が、次の鬼なんだ。……宗二、本当に一緒に遊ぶことに興味なかったんだね」
花が、悲しそうにポツリと呟いた。
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