神隠しの子

ミドリ

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其の五十五 記憶

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 太一の舌は、俺の舌を絡め取る様に口腔内を蹂躙する。

 どうしても身体が言うことを聞いてくれず、必死で動かぬ身体に動け動けと命令を送り続けた。だが、やはり俺の腕は相変わらず花の身体に入った太一をぎゅっと抱き締めたまま、動かない。

 もしかして、太一がやっているのか――

 太一は、すでに人外の存在だ。幽霊は金縛りを起こすことが出来ると考えるのは、単純すぎるだろうか。

 だが事実、この身体は一切動かず、巻きついてくる舌に好き勝手に遊ばれている舌だけが辛うじて動いている状態だ。逃げようと藻掻くが、それを太一が追いかけてきてまたすぐに絡め取ってしまう。

 嫌悪で、涙が溢れた。

 太一が、ゆっくりと顔を引く。

「……どうしたの?」

 花の顔で、花の声で優しく囁かれると、そこにいるのは花ではないかと錯覚する。

「俺を、俺をどうしたいんだよ……!」

 情けない程の涙声が出た。太一の涙はもう出てはおらず、まるで太一が先程まで流していた涙が俺に感染ったかの様に思える。

「だから、手伝って欲しいんだって」
「だから、何をだよ!」

 太一は嗚咽混じりの俺の叫びを間近で聞き、それにも臆する様子は見せず俺の唇にもう一度キスをしようと背伸びをした。

「や、やめろ!」

 身体中に悪寒が駆け巡り、これまで言うことを聞かなかった身体が、いきなり動く。太一を拘束していた手を急ぎ解くと、大きく一歩後退あとずさった。激しい運動など何もしていないのに、はあ、はあ、と肩で息をしている自分に気付く。

「花を、花を返せよ!」

 耳の奥に遠慮なく飛び込んでくる蝉の叫びに近い声に負けないよう、叫んだ。

 太一の顔が泣きそうに歪んだが、身体の拘束が解放された今は、もうひとりで逃げることだって出来るのだ。本当は、今すぐにでも立ち去りたい。花の意識が戻ったら、ここに太一を置き去りにしたかった。

 だが、太一は答えない。

「……とりあえず手伝ってよ」
「だから何をだよ!」

 太一が、割れ目の下を指差す。

「俺、あそこに落ちたって言っただろ? 俺の身体があそこにあるから、拾って家に連れて帰って欲しいんだ」

 嘘、だろう。殺すつもりはなかったとはいえ、自分が殺した兄の骨を拾うのか。

 それは、どんな喜劇だ。

「花の身体で拾っても意味がないんだ。なあ、頼むよ宗二」

 太一は、花の身体で可愛らしく手を合わせて拝んできた。

「……誰が拾っても一緒だろう」

 かつての自分の罪を掘り返す様な作業は、したくない。何とかその苦行を避けようとするが、太一は首を横に振った。

「駄目なんだ。宗二、お前が俺をここに縛り付けてるんだから」
「――は?」

 どういうことだ。訳が分からず、目を見開き首を左右に何度も何度も振る。そうすることで、兄を殺した罪がなかったことにならないかと願いながら。

「宗二、俺はずっとお前の近くを漂っていたんだぜ? なのにお前は俺になりきっちゃってさ、俺の存在を記憶から消しちゃった」

 太一が、恨みがましそうな上目遣いで見つめる。死んでいるのにまるで生きている様な表情だ。映画で見る幽霊に憑依された人間は、皆可笑しな動きをするのに。

「意識が薄れると、気が付けばまたこの暗い穴の中から俺は空を見上げている。永遠に、その繰り返しだ」

 太一は、手をパンパン、とはたく。

「死んだあの日を思い出すから、俺はそれが怖くて怖くて泣きたいのに、涙なんか出ない。そりゃそうだよね、泣ける身体なんてもうなくなってるもん」
「太一、俺は……」

 殺したかった訳じゃない。太一のことを忘れたかった訳でもない。ただ、太一を殺してしまった自分のことを忘れたかったんだ。

 心の言葉と共に、プツン、と記憶が一気に蘇る。

「あ……!」

 今の光景と、あの日の情景が目の前に二重になって見えた。そうだ、そうだった。

 花を探していたら、ここで太一が泣いている花の腕を掴んで怒っている顔が視界に飛び込んできたのだ。

 その瞬間、見た筈のない、太一が花の背中を押して川に突き落とした光景が脳内に再生され、俺は正義のヒーローになったつもりで花を自分の方に引っ張った。

 俺に怒られたと思ったのだろう、泣きそうに歪んだ顔の太一の胸を、花から遠ざけようと思い手で押した。

 そこにある割れ目は、小さなものだと思い込んでいたのだ。ちょっとした段差だと。

 何故なら、太一が花を殺すことまではしない筈だという思い込みがあったからだ。ちょっと脅して、怪我をさせる程度を狙っているのであれば、今と違って運動神経が全くよくなかった花には十分と太一なら考えるだろう、そういう勝手な思い込みだ。

 だから、知らなかったんだ。それが僅かな隙間に出来た割れ目で、大人の身長以上の深さがあることなんて。

 太一は、驚愕に諦観混じりの表情を浮かべて後ろに倒れていったが、スローモーションの様にゆっくりと倒れる太一のその表情が変わったのは、尖った出っ張りに後頭部が当たり、血がビシャッと飛び散った瞬間だった。

 太一が死んだ瞬間だ。

 生気を失った、何も見ていない目に見つめられる恐怖。もしかして、怪我をしていなければこんな隙間には落ちなかったかもしれない。だが、糸が切れた操り人形の様にぐにゃっとなった太一は、そのままするんと割れ目に消えていったのだ。

 俺は叫んだ。

 そしてその瞬間から、記憶が途切れた。
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