60 / 64
其の六十 家路
しおりを挟む
太陽はまだ真上近くにあり、キャップの布を通りしてその熱が頭皮へと伝わってくる。
「なあ、宗二」
「ん?」
太一は、ゆっくりと俺の後ろを歩いていた。早く家に帰りたいのかと思って急ごうとしたら、「ゆっくり話しながら帰ろうよ」と言われてしまったのだ。
打ち付ける様に頭上から降っていた蝉の声は、今は横から耳鳴りの様に響いてきている。だが、真下にいるよりは遥かにマシだ。
「……宗二、俺の為に嘘ついて欲しいんだけど」
「え? どういうこと?」
行きの時の太一とは違い、随分と元気がない。よく見ると顔色も良くなく、青ざめて見えた。
「太一、具合悪いのか? 休憩するか」
「時間ないから、聞いて」
時間がない。それはすなわち、太一はもう長いこと花の中に居続けることが出来ないという意味なのか。
そもそも、生きている人間の中に入って自由気ままに意識も身体も乗っ取るなど、並大抵のことでは出来ないに違いない。太一は、それほどまでに家に帰りたくて、俺に聞いてもらいたくて花に乗り移ったのだ、と今ならすんなりと理解出来た。――それもこれも、俺が太一を避けていたからだ。
「……宗二、手、引っ張って」
これまでの元気で腹が立つほど妖艶な太一のままだったら、断ったかもしれない。だが、太一の声はあまりにも弱々しく、辛そうだった。
「……ほら」
「へへ……」
手を出すと、太一が握り返す。こんなに暑いのに、太一の手は驚く程冷えていて、内心ギョッとした。本当に身体がきついのだと、それで分かる。
太一の手に力が入らないので、ぎゅっと握って手を引き歩いた。もう、嫌悪はなかった。あるのは、刻一刻と近付く半身との別れに対する哀愁だけだ。
「で、嘘ってなんだよ」
繋いだ手の先を見ると、太一は弱々しく笑った。
「俺は、自分であそこに落ちた。父さんと母さんには、今朝そういう手紙を残してきたんだ。多分、もう今頃は読んでると思う。だから、くれぐれも宗二が俺を突き飛ばしたとか言わないでくれよ」
「え……」
一瞬、太一が何を言っているのか理解出来ず、思考が彷徨う。
俺は、父さんと母さんに真実を伝えようと思っていた。自分が太一を殺したのだと。それを忘れる為に、太一のフリをし続けたのだと。
くすくす、と太一が呆れた笑いを浮かべる。
「馬鹿だな、だから宗二は融通が利かないって言われるんだよ」
馬鹿だな、と口には出しておきながら、その顔には人を馬鹿にした様なものは一切なかった。見えたのは、仕方ないなあと慈しむものを見る、優しい目元だ。
太一は、やっぱり兄なのだ。殆ど同じ時に生まれても、それでもずっと兄だったし、ずっと俺を守ろうとしていた。
涙が出そうになり、急ぎ前を向く。
「おい、誰がいつそんなこと」
「くそ真面目でさ、頑固で。適当に誤魔化せばいいのに、正論ばっかりだろ」
「ぐ……」
太一は可笑しそうに笑った。晴れ晴れとした笑い声だった。
「父さんと母さんを、これ以上悲しませないでよ」
「太一……」
はあ、はあ、と太一が苦しそうな息をする。家までは、まだ少し距離がある。まだ消えるには早い。家に帰るって言ったじゃないか。太一をこの世から切り離してしまった俺に出来ることは、太一をきちんと家まで連れて帰ることだけなのに。
泣かない様にと堪えた喉が、痛かった。
「太一、頑張れ。家に帰るんだろ。あと少し、頑張れよ……!」
「へへ……ようやく帰れる……」
顔色を見ると、さっきよりも更に白くなっているじゃないか。
おぶった方がいいか。そう考えていると、太一が真っ直ぐに俺を見つめた。
「ようやく宗二が優しい宗二に戻った」
「……太一」
ぼろぼろと、太一が涙を流す。それはまるで人魚が泡になって溶けていくかの様な儚さがあり、それを見て、太一は本当にもう長らくは花の中にいられないのだと知った。
「俺のこと、忘れるほど嫌わないでよ……すごく悲しかったんだぞ」
何も、言い返せなかった。
そのまま、ただ太一の冷たい手を握り引っ張り続ける。滲む涙は、きっともらい泣きだ。自分の涙では、ない筈だ。今更悔やんだとて、過去は戻せないのだから。
「花が来てから、段々宗二は俺に冷たくなってさ……俺、それが嫌で嫌で、宗二にこっち向いてもらおうってすればする程、お前は俺のこと避ける様になってさ」
ひっく、ひっくと泣きながら、いじけた様にぶちぶちと文句が次から次へと出てくる。前を向く俺の頬を、ツウ、と涙が伝った。
「俺も構って欲しかっただけなのに、だったら俺も花みたいに好きになってもらえればお前も構ってくれるかなって思ったのに、もっと冷たい目になって」
「――え」
太一のその言葉に、ガン! と頭を殴られた様な衝撃を受けた。
「なあ、宗二」
「ん?」
太一は、ゆっくりと俺の後ろを歩いていた。早く家に帰りたいのかと思って急ごうとしたら、「ゆっくり話しながら帰ろうよ」と言われてしまったのだ。
打ち付ける様に頭上から降っていた蝉の声は、今は横から耳鳴りの様に響いてきている。だが、真下にいるよりは遥かにマシだ。
「……宗二、俺の為に嘘ついて欲しいんだけど」
「え? どういうこと?」
行きの時の太一とは違い、随分と元気がない。よく見ると顔色も良くなく、青ざめて見えた。
「太一、具合悪いのか? 休憩するか」
「時間ないから、聞いて」
時間がない。それはすなわち、太一はもう長いこと花の中に居続けることが出来ないという意味なのか。
そもそも、生きている人間の中に入って自由気ままに意識も身体も乗っ取るなど、並大抵のことでは出来ないに違いない。太一は、それほどまでに家に帰りたくて、俺に聞いてもらいたくて花に乗り移ったのだ、と今ならすんなりと理解出来た。――それもこれも、俺が太一を避けていたからだ。
「……宗二、手、引っ張って」
これまでの元気で腹が立つほど妖艶な太一のままだったら、断ったかもしれない。だが、太一の声はあまりにも弱々しく、辛そうだった。
「……ほら」
「へへ……」
手を出すと、太一が握り返す。こんなに暑いのに、太一の手は驚く程冷えていて、内心ギョッとした。本当に身体がきついのだと、それで分かる。
太一の手に力が入らないので、ぎゅっと握って手を引き歩いた。もう、嫌悪はなかった。あるのは、刻一刻と近付く半身との別れに対する哀愁だけだ。
「で、嘘ってなんだよ」
繋いだ手の先を見ると、太一は弱々しく笑った。
「俺は、自分であそこに落ちた。父さんと母さんには、今朝そういう手紙を残してきたんだ。多分、もう今頃は読んでると思う。だから、くれぐれも宗二が俺を突き飛ばしたとか言わないでくれよ」
「え……」
一瞬、太一が何を言っているのか理解出来ず、思考が彷徨う。
俺は、父さんと母さんに真実を伝えようと思っていた。自分が太一を殺したのだと。それを忘れる為に、太一のフリをし続けたのだと。
くすくす、と太一が呆れた笑いを浮かべる。
「馬鹿だな、だから宗二は融通が利かないって言われるんだよ」
馬鹿だな、と口には出しておきながら、その顔には人を馬鹿にした様なものは一切なかった。見えたのは、仕方ないなあと慈しむものを見る、優しい目元だ。
太一は、やっぱり兄なのだ。殆ど同じ時に生まれても、それでもずっと兄だったし、ずっと俺を守ろうとしていた。
涙が出そうになり、急ぎ前を向く。
「おい、誰がいつそんなこと」
「くそ真面目でさ、頑固で。適当に誤魔化せばいいのに、正論ばっかりだろ」
「ぐ……」
太一は可笑しそうに笑った。晴れ晴れとした笑い声だった。
「父さんと母さんを、これ以上悲しませないでよ」
「太一……」
はあ、はあ、と太一が苦しそうな息をする。家までは、まだ少し距離がある。まだ消えるには早い。家に帰るって言ったじゃないか。太一をこの世から切り離してしまった俺に出来ることは、太一をきちんと家まで連れて帰ることだけなのに。
泣かない様にと堪えた喉が、痛かった。
「太一、頑張れ。家に帰るんだろ。あと少し、頑張れよ……!」
「へへ……ようやく帰れる……」
顔色を見ると、さっきよりも更に白くなっているじゃないか。
おぶった方がいいか。そう考えていると、太一が真っ直ぐに俺を見つめた。
「ようやく宗二が優しい宗二に戻った」
「……太一」
ぼろぼろと、太一が涙を流す。それはまるで人魚が泡になって溶けていくかの様な儚さがあり、それを見て、太一は本当にもう長らくは花の中にいられないのだと知った。
「俺のこと、忘れるほど嫌わないでよ……すごく悲しかったんだぞ」
何も、言い返せなかった。
そのまま、ただ太一の冷たい手を握り引っ張り続ける。滲む涙は、きっともらい泣きだ。自分の涙では、ない筈だ。今更悔やんだとて、過去は戻せないのだから。
「花が来てから、段々宗二は俺に冷たくなってさ……俺、それが嫌で嫌で、宗二にこっち向いてもらおうってすればする程、お前は俺のこと避ける様になってさ」
ひっく、ひっくと泣きながら、いじけた様にぶちぶちと文句が次から次へと出てくる。前を向く俺の頬を、ツウ、と涙が伝った。
「俺も構って欲しかっただけなのに、だったら俺も花みたいに好きになってもらえればお前も構ってくれるかなって思ったのに、もっと冷たい目になって」
「――え」
太一のその言葉に、ガン! と頭を殴られた様な衝撃を受けた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
美味しいコーヒーの愉しみ方 Acidity and Bitterness
碧井夢夏
ライト文芸
<第五回ライト文芸大賞 最終選考・奨励賞>
住宅街とオフィスビルが共存するとある下町にある定食屋「まなべ」。
看板娘の利津(りつ)は毎日忙しくお店を手伝っている。
最近隣にできたコーヒーショップ「The Coffee Stand Natsu」。
どうやら、店長は有名なクリエイティブ・ディレクターで、脱サラして始めたお店らしく……?
神の舌を持つ定食屋の娘×クリエイティブ界の神と呼ばれた男 2人の出会いはやがて下町を変えていく――?
定食屋とコーヒーショップ、時々美容室、を中心に繰り広げられる出会いと挫折の物語。
過激表現はありませんが、重めの過去が出ることがあります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる