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第七章 次の首探し

43.蛇は寒いと冬眠するらしい

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 亮太はごくり、と唾を呑んだ。

 前回アキラの背中から飛び出してきた首と対峙した時よりも、大分体力はついた。もう勾玉がなくても走ってすぐにへたばったりはしない。剣を振り回して二の腕が筋肉痛になったので、次はそうならない様腕立て伏せも始めた。始めこそ数回しか出来なかったが、今はそこそこ出来る。まあ、そこそこは。

 タバコを吸いたい気など皆無になった。身体が軽くなっていた、だからもうあの弛んだ身体には戻りたくなかった。

 だから自信はついた筈だ。だが、やはり怖かった。でもやるしかない、それも亮太は理解していた。

「レン、結界で外部には見えなくなるか?」

 問題は今がまだ午前中で、平日とはいえそれなりに公園に人がいることである。

「私一人では無理ですが、今日は満腹のアキラ様に協力を仰ぎましたので大丈夫です」
「え? アキラ?」

 亮太が意外そうにアキラを見ると、アキラがあかんべえをした。全く。

「亮太、アキラ様は封ずることについてはプロですよ」

 確かに恐ろしい八岐大蛇やまたのおろちをまだ六匹も背中に封印しているが、プロってなんだ、プロって。

「ですから、人が誤って立ち入らない場所で結界を張れば問題はないかと」

 つまり横で呑気に遊んでいる人達の横で人知れず首退治をするということか。想像してみると違和感満載な光景だが、目撃されないだけマシなのだろう。
 
「でもさ、前にお前、アキラはこういうのに近寄っちゃいけないって言ってなかったか?」

 悪い物に近づくと、背中の封印の中の別の首が暴れるとか何とか確かに言っていた。亮太ははっきりと狗神のその言葉を覚えていた。そう考えると今のこの状況はおかしくないか。

 蓮が頷く。

「はい、ですから私が内側から結界を張ります。その後にアキラ様が外側から更に結界を張るのです」

 つまり外界から完全シャットアウトされた空間に亮太達だけ置き去りにされるということだ。亮太は思わず聞いた。それはつまり退治が終わるまで出てくるなということだろうか。

「まじか」
「まじです」

 連がくそ真面目な顔で答えた。

「逃げ場はありません、一緒に頑張りましょう、亮太」

 亮太の眉が情けなく垂れ下がった。いつもは亮太を励ましてくれるみずちは、ポケットの中から出てきやしない。

「分かったよ、やるよ、やりますよ」
「亮太頑張ってね」

 親指をグッと立ててアキラが大して感情の籠もってない声で言った。おい。

「まずは場所を特定しましょう。長いこと外界と触れていたからでしょう、やはり以前倒した首よりも瘴気しょうきが濃く範囲が広いので、まだ正確な居場所が分かりません」
「おいちょっと待て、瘴気ってなんだ瘴気って」

 しかも「やはり」とはどういうことだ。

「悪い気のことです」

 当たり前の様に蓮が答えた。いや、そんな話は聞いていない。何だって蓮はいつもいつもそうやって肝心なことを直前にしか言わないのか。

「ちょっと待て、あれが濃いとどうなるんだ?」
「倒すのに時間がかかります」
「ちょっと俺、心の準備が」
「亮太」

 蓮が足が止まった亮太の肩をガッと掴んだ。こういう時だけ怪力なのだ、こいつは。またあの深い良い声で耳元で囁いた。

「逃げないでください。――大丈夫、亮太も前の時よりも強くなっている筈ですから」
「俺は一般人のおっさんだぞ!」
「三種の神器の内二つも持っている人が一般人のただのおっさんですか」
「あ! そうだお前、この勾玉のこと何で黙ってたんだよ!」
「始めは信じないかと思ったのですが、途中から信じすぎて勿体ぶって着用しないかと思いまして」
「おい」
「話を逸らさないで、さあ」
「さあ、じゃねえよおおお!」

 腕を蓮にがっしりと掴まれた亮太はズルズルと引きずられて公園の奥へと進まざるを得なかった。

「お前ら、俺のことを何だと思ってるんだあ!」
「家主ですね」
「食べ物くれる人」
「前とちっとも変わってねえじゃねえかっ!」

 ズルズルと、どんどん木々の濃い場所に引っ張られていく。すると、アキラが足を止めた。亮太が気配に気付き振り返ると、物凄く機嫌悪そうに顔を顰めている。

「アキラ?」
「……ちょっとここ以上は無理、かも」

 よく見ると、こんなに風が冷たいのにアキラのこめかみから汗が一筋垂れていた。亮太ははっとした。そうだ、アキラにとっては蓮のいうところの瘴気は毒なのだ。それに当たれば当たる程、背中の封印の中身がざわつく。平然な顔をしているが、こいつは今必死でそいつらを抑え込んでいるに違いなかった。

 亮太は、つい逃げ出そうとしていた自分が恥ずかしくなった。アキラだって好きで封じられた八岐大蛇と一緒に生まれた訳じゃない。好きで櫛名田比売くしなだひめとして生まれた訳ではないのだ。だけど自身の身体に埋め込まれているから逃げることなど出来ない。亮太と違って。

 亮太はシャンと自分の足で立った。それに気付いたのか、蓮が組んでいた腕を離してくれた。蓮を見る。

「行こう」
「……はい」

 蓮が薄っすらと微笑んだ気がした。一歩、前に出る。亮太は後ろで立ち尽くすアキラをちらりと振り返って言った。

「待ってろ、すぐに退治してきてやるから」

 手をヒラヒラとすると、後ろからアキラが言った。

「なに亮太、珍しく強気じゃない」

 声が少し涙ぐんでいる様に聞こえたのはきっと亮太の気の所為だろう。でも、もう振り返らないことにしておいた。おっさんにだってデリカシーというものは存在しているのだ。

 亮太と蓮は木立の中に足を踏み入れた。その先には樹木広場というひらけた場所がある。幸い今は人はいなかった。児童公園やプレーパークなど遊べる道具がある方に人が集中しているのだろう。

 蓮が瘴気と呼んでいた物は亮太の目にはさすがに映らない。だが、首からぶら下げている八尺瓊勾玉やさかにのまがたまのお陰で亮太にもその物が周囲に放つ黒いモヤは見ることが出来る。

 木々の上空の方を、ふわりと黒い物が漂っているのが目に入った。亮太はそれを目で追うと、以前倒した首よりも一回り大きい黒い首がゆらりゆらりとたゆたう煙の様に浮いているのを見た。

 思わずごくりと唾を呑む。

「あいつ、でかいな」
「思ったよりも。これは気付かれていないだけで被害が出ている可能性がありますね」
「……そうか」

 亮太はそれだけ短く答えると、口の中で祓詞はらえことばを唱えだした。蓮は今日は蓮の姿のまま、亮太と同じ様にブツブツと唱え始めている。

 結局、助けを求められない限り神様だって神使だってそいつのことは助けられやしないのだ。千里眼を持っている訳でもなく、自身の全てを他者に振り分けられる訳もなく、とてつもなく人間臭くて人間と同じ様に無力なのだ。

 サア、と景色の境界線が薄れていく。

「これでアキラ様が少しは近付ける筈です」

 蓮の言葉通り、瘴気が封じられたのを感じたのだろう、薄れた景色の向こうからアキラが近づいてきているのが確認出来た。すると、アキラがいる方面からどんどんと景色が消えていく。灰色の、かすみが充満する仙人が住まう山にでも迷い込んでしまったのかの様だった。

「凄えな、これアキラだろ?」
「そうです、アキラ様は凄いのです」

 誇らしげに蓮が言って、今度こそはっきりと微笑んだ。亮太は「お?」と思った。アキラの完全な片想いかと思っていたが、これはアキラがもう少し大人になって背中の封印も要らなくなったら、もしかしたらその頃には可能性あるんじゃないか?

 こいつらがいつか亮太の家を出て行ってしまっても、連絡が取れる様にすればいいんだ。だって気になるじゃないか、こいつらの未来が。

 亮太も釣られた様に微笑んだ。

 大きな首が、ギロリ、と空洞の目をこちらに向けて睨みつけてきた気がした。

「コウ、出番だぞ」

 亮太がポケットの中のコウに声をかける。が、返事がない。

「コウ?」
「……僕、眠いの」
「お、おい!」
「亮太!? どうしました!? 早くみずちを!」
「眠いって言ってるぞ! どうすんだ!」
「ええ!?」

 亮太と蓮は、蒼白な顔で互いに見つめ合った。
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